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74話 悲しみよさようなら

 室内は、ほとんど真っ暗だった。遮光カーテンは閉じ切っており、廊下から差す光だけが、内部を照らしている。

 赤城さんの配信でみたことのある、彼女の自室だ。

 カメラに映らない場所は、少々ばかり荒れている。それでも、かっこいい内装で、同時に年頃の女の子らしくもある――いろいろな顔を持つ赤城さんらしい部屋だといえた。


 奥の壁。ぎりぎり光が当たり切らない場所に、赤城さんは座っていた。

 なにかを、しきりにつぶやいている。

 近づいてみると、その言葉が止まった。

 かわりに、話しかけられた。


「……お母さん?」


 いや――と否定する前に、赤城さんは続けた。


「お母さん、ごめんなさい……。あたし、いつも自分のことバカだなって思ってたけど、今回はほんとに、まちがってた気がする。あたし、すごいいろんなひとに迷惑、かけちゃって……薄々、自分でも、こんなことしてもどうにもなんないかもって、思ってたのに」


 うつむきながら、ゆがんで笑う口元が見え隠れした。


「認めるから。あたしがわるかったって、認めるから。……だから、せめてスマホだけでも、返してくれないかな。あやまりたいの、巻きこんじゃったひとたちに。きらわれたくないの、せっかくできたともだちだから。ねえお願い、出ようとはしないからさ……」


 その独白のような言葉を聞いたとき。

 ぴくりと――俺の表情筋が、不随意に動いてしまった。

 ふいに思い出したのは、少し前の自分のことだった。

 委員長になれず、部屋から出られないでいた、自分の姿だった。

 理由はどうあれ、だれしもそういうときがいちどは訪れるものなのかもしれない――と、そんな場違いなことを思う。


 赤城さん、と俺は声をかけた。

 ゆらりと顔を上げた赤城さんは、長いワンレンに隠れた瞳で、部屋の中央に立っている俺の姿を認めた。


「……いいんちょ、くん?」

「ああ、俺だ」

「なんっで……え、なんで? 意味、わかんない。ちょっとあたし……だいじょうぶかな」


 赤城さんはふらっと立ち上がると、自分の顔を両手で包んだ。


「…………幻覚?」

「ではない。お邪魔させてもらったんだ。下できみのお母さんと話して、二階まであげてもらった」

「き、来てくれたの? でも、どうして……」

「そこを疑問に思われるとは、少し心外だな。毎日やりとりしていたチームメイトと連絡が取れなくなったら、普通は心配するものだろう」


 チームメイト……と、赤城さんは復唱した。

 そう、チームメイトだ。今となっては、クラスメイトよりも、そっちのタグのほうが先に出る。


「赤城さん。積もる話はあるのだが、その前にたしかめたいことがある。さっきの話は、本心か」

「さっきのって……」

「自分がわるかった、まちがっていたという、さっきの言葉だ。それは、赤城さんの本心なのか」


 これが、正味もっともだいじなことだ。

 俺としても、委員長としても、たしかめなければならないことだ。


「……わっかんない。あたし、今、ていうかずっと、頭、こんがらがってて。あたしがちゃんとしてたら、正しいことしてたら、フツーこんな目に遭わないなぁって思って」


 赤城さんは、みずからの頭を抱えるようにした。


「それに、あらためて考えると、あたしはじめからずっと、いいんちょくんに無理言ってたし。勝手に、これは運命だーとかって思って、ずかずかいって、好きなこと頼んで。そのあともずっと、無理させてたかもって、そういうことばっか、考えちゃって……。あたしにばっか都合がいいこと、あたしばっか楽しんで、自己中《ジコチュー》やってた気がして。だから、変なこと、言い出さなければよかったなぁって」


 だから……と、赤城さんは消えゆくような声で言った。

 それに対して、俺が思わず口にしてしまったことは。


「――らちが明かないな」


 だった。


 ほんとうに、これでは話がろくに進まない――残された時間はかぎられているというのに。

 俺は、もう数歩進むと、幽霊のように佇む赤城さんの両肩を掴んだ。


「え、なに。いいんちょくん……!?」

「よく聞いてくれ、赤城さん。これは、とてもだいじな話なんだ。俺は、なんであれきみの意見を強制させることはできない。赤城さんには、きちんと自分の意思を表明してもらわなければ、俺は動くことができないんだ」


 そうだ――委員長として、俺はロールを無視するわけにはいかない。

 委員長とは、波風を立たせぬもの。まして他人の家にずかずかと入りこみ、私見やら私情やらで事態を動かすなどというのは、まったく委員長的ではない。


 それでも、人間である以上は、俺は俺という中身――亜熊杏介という男が抱く感情を、完全に無視することもできない。


「今の赤城さんが混乱しているのはわかる。動揺しているのも当然だ。たった数日といえども、だれとも話せない環境で閉じこめられてしまったら、本来の自分がわからなくなるのもあたりまえだ。だから――だからこそ、目を覚ましてほしい。ほんとうに、赤城さんは自分がわるいと思っているのか、なにかを反省して、ここを出ないでいるべきだと考えているのか、はっきりと俺に教えてほしい」


 ――――認めよう。

 俺は、怒っていたのだ。


 俺たちに負けてくれと言ったse1en。

 その反面、勝ってくれと頼んできた吾妻社長。

 そもそも出場するなと、扉を閉めて鍵をかけてしまった桜花さん。


 強弱はあれど、みんな、それぞれに自分勝手だ。

 どうしてだれも赤城さんの希望を聞かずに、話を終わらせようとするんだ?

 そんな簡単なことが、なぜできないというんだ?


「もういちどだけでいいから、赤城さんのほんとうの頼みを俺に教えてくれ。ヒントは、俺は赤城さんに迷惑をかけられているなどと思ったことはないし、俺のほうも、赤城さんには楽しませてもらっていたということ。そしてこれが特大のヒントだが、俺はクラス委員長で――俺の役目は、クラスメイトの頼みを聞くことだ。それを踏まえて、赤城さんの答えを今、はっきりと教えてほしい」


 いつかだれかに言ったことを、俺はその場でもまた、口にした。

 赤城さんは、見開いていた目のまま、俺の顔を覗いていた。その目端が赤いのは、化粧ではなく、なんども流した涙を拭いて、擦ったあとだったのだろう。


 その瞳を間近にみつめていると。

 しだいに、彼女の身に異変が起きた。


「…………う、う、あ、あ、あ」


 まず両の耳が、真っ赤に染まった。

 まるでみえない妖精がやってきてペンキでも塗ったかのように、みるみるうちに変色して、それはもとに戻ることがなかった。

 次の瞬間、赤城さんは俺のからだをドンッッッと押した。


「顔っ、みないでっっっ」


 凍った表情のまま、yogiboのビーズクッションに勢いよく倒れこむ俺。

 ふむ。これは……みごとな拒絶である。

 赤城さんは俊敏な動きでベッドに跳ぶと、ものすごい勢いで掛布団をかぶった。


「……やば。やばやばやばやば。今、冷静んなったけど……ほんと、むりなんだけど、これ。洗顔もろくにしてなかったのに、あの至近距離って、ほんとむり。ほんともう、はずすぎる」


 やばいやばい、むりむり、てかたぶんあたしワンチャンくさい、やばい。

 布団のなかで震えながら、ひとしきそんなことをつぶやく赤城さん。


 ……俺は、どうすれば?

 赤城さんからの要請がなければ、委員長として行動を起こすことができないのだが……。

 いずれにせよ、クッションに倒れこんだままであるというのは委員長らしくないため、俺は立ち上がり、身なりを正した。

 ちょっとは落ち着いたらしい布団のふくらみが、問いかけてくる。 


「…………たすけにきてくれたの?」

「語弊はあるかもしれないが、そんなところだ」

「……ありがと。うれしい」


 どういたしまして、である。委員長だし、当然なのだが。


「あのひとの相手、たいへんだったでしょ。たぶん、ここにだれかをあげたりとか、かなり許さないほうだと思うんだけど」

「赤城さんのお母さんか? いや、とくに困るようなことはなかったが」

「ほんとに? ……あー、でも、いいんちょくんみたいなタイプ、めっちゃ信用しそうだしなー。わかるかも」


 果たして親子だからなのか、なにかがわかるらしい。


「……あのね。さっきの話の続き、したいんだけど。ちょっと、この状態をいいんちょくんにみられるのは、むりなので。だから、少しだけ待っててもらっていい?」

「ああ、かまわないが……」

「そ? なら、うしろ向いててね。そうそう、てかもういっそ壁向いてて。あ、おっけーおっけー。そのまま、ぜったい振り向かないでね」


 壁と顔を突き合わされる俺。


「あ、お茶とかいる?」


 この状態では飲めないよ。


「ちょっと待ってて―!」


 音だけの情報だが、どうやら衣類やらなにやらを持って部屋を出ていった様子の赤城さん。水を流す音、ドライヤーの音、その他わからない音などが、小さくこちらまで聞こえてくる。

 そのあいだ、ずっと壁と向き合っている俺。

 実際のところ、クラスメイトの女子の部屋でひとりで過ごすときに適切な行動というものは、俺の委員長マニュアルに欠けている項目だから助かるともいえる。こんどまた考えて項目を足しておくべきだろう。

 あるいは今考えてもよかったが、予告どおりあまり長い時間をかけずに、赤城さんは戻ってきたようだった。


「えうそ、律儀に守ってくれてるんだけどw さすがいいんちょくんw」

「まだこうしているべきだろうか?」

「いや、もうだいじょぶ――振り向いて?」


 俺は言われたとおりにした。

 そこにいたのは、いつもの赤城さん、そのひとであった。

 いつもどおりの軽い化粧に、LC学園の制服。おまけに、いつもどおりの表情だ。


「はろはろー。あはは……ひさしぶり」

「ああ。たしかに、ひさしぶりな気分だ」


 俺は、安心を覚えた。

 そうだ――赤城さんには、そういう顔のほうが似合っている。


「うぅ……でも、やっぱはずいなぁ」

「どうしてだ」

「いやだって……あたし、いいんちょくんには、だめなところたくさんみせちゃってる気がするんだよね。さっきとか、もう露骨すぎるし。反省しなきゃなぁ」


 でも――と、赤城さんは手を合わせた。


「せっかくだから、泣きのもっかいってことで、いいんちょくんにおねがいしていい?」

「言ってみてくれ」

「あたし……ぶっちゃけ、今回の件、自分のこと悪いと思ってないし。やっぱり、電甲杯には出て、優勝したいってきもちも、そのままだよ。だから――ここを、出たい。いいんちょくん、あたしの最後のわがまま……聞いてもらえる?」

「ああ、もちろんだ」


 ――よしきた。


 その言葉さえ引き出せれば、こっちのものである。

 仮定に仮定を重ねつつ考案した俺と翠の即興の計画が、おおよそ予定どおりに進んでいることに、俺は思わず笑みを浮かべた。

 翠に連絡するさなか、俺の顔を赤城さんは見上げていた。どことなく、その耳はまた赤くなっているようだった。


「? どうかしたか」

「………………今の嬉しそうな顔は、ちょっと反則じゃないかな……」


 なぜだか考えこむような顔で腕を組む赤城さん。


「う~~ん…………てかごめん翠ぴ、あたしもっと自重するわ」

「? なんだかわからないが、翠は正面からきちんとあやまれば、大抵のことなら許してくれるぞ」

「やー、これはぜったいだめだと思うな……とにかく、よけいなこと考えないようにしとこ。ほんとだめだめ、だいじなときに」


 ぱんぱんと頬を叩いて、なにやら切り替える赤城さん。


「だいじょうぶだろうか。それなら、さっそく行動に移ろうと思うのだが」

「ん! ……でも、具体的にはどうすればいいんだろーね?」

「いくつか方法はあるが、シンプルなのは……」


 俺と赤城さんは、膝を突き合わせて相談した。


 関門は、まだ残っている。

 正真正銘、これが最後の試練だ。

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