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75話 おでかけスノーホワイト

 それから、十数分後のこと。


 赤城さんの家の二階の廊下。シェルターのような扉の前で、俺は待っていた。

 いずれ、階段を踏む音がした。


「……亜熊くん、いるかしら」


 はい、と俺は答える。


「ついさっき、話し終わりました」

「そう。有意義な時間を過ごせたかしら」

「ええ、とても。必要なことを、話せたので」


 開けるわ、と桜花さんが言う。次いで、電子ロックのはずれる音がした。

 こちら側に向けて扉が開いて、俺は桜花さんと対面した。


「あの子の様子も含めて、いくつか聞きたいことがあるの。お茶を淹れたから、ぜひ聞かせてくれないかしら」

「そうでしたか。それは……すみません。お茶は、いただけないと思います」

「そうなの? 時間がないのかしら」

「いえ、時間はあるのですが――それより、ひとつどうしても気になることがありまして。ここにあるこれは、いったいなんでしょうか」


 俺は、二階の廊下にあるものを指さす仕草をした。

 桜花さんが、ふしぎそうな顔で、こちら側へとやってくる。廊下には便箋のようなものが落ちていて、桜花さんは拾い上げようとした。

 このタイミングだ。俺は、声をあげた。


「――今だ、赤城さんっ」

「おっけー!」


 扉の陰に隠れていた赤城さんが、その姿をあらわした。

 そのまま、階段の下へと駆けていく。

 愛莉⁉ と驚く桜花さんをよそに、俺もまた階段に踏み出すと、さっさと扉を閉めた。


「っ、騙したのね……! 今時めずらしい、まじめそうないい子だと思ったのに」

「もうしわけありません。しかし、俺にはこれが最善な行動だと思えたので」

「なにを勝手なことを――でも、甘かったわね」


 扉の向こうで、桜花さんがふしぎなことを言った。

 次の瞬間――いいんちょくんっ、と一階から声がした。

 みると、赤城さんの行く手を塞ぐかのようにして、ふたりの男たちが階段の下を陣取っていた。そのうちのひとりは、赤城さんの手首を掴んでいる。

 さきほどリビングでみかけた、桜花さんの部下の社員たちだ。


「ちょっと、離してよー!」

「すみません、専務命令でして……! 逃げようとしなければなにもしませんから、どうか暴れないでください!」


 必死に抵抗する赤城さんだが、社員さんも社員さんで困っているようだった。

 俺が加勢に向かうと、赤城さんはどうにかその手を逃れて、かわりに俺の腕に抱きついて、男たちをキッとにらんだ。


 事態が、プチ膠着する。

 もちろん、俺たちに退路はない。

 それどころか、扉の向こうに追いやったはずの桜花さんは、すぐにスマホで電子ロックを解除したのか、あっさり出てきてしまった。


「愛莉が脱出を図ったときのために、保険をかけておいたのよ。もっとも、あなたが内通することはないと思っていたけれど……いずれにせよ、わたしを出し抜くことはできないわ」


 階段の上には、桜花さん。下には、成人男性がふたり。

 このとき、俺の頭のなかを電撃のような思考が駆け巡った。

 それは、あまりにも高速な委員長システムの計算――この状況を踏まえて、自分がやるべきことと、やるべきではないことの計算がおこなわれる。


 赤城さんのことは、かならず逃がさなければならない。

 それでいて、委員長として暴力行為は絶対にNGだ。

 ならば――取れるルートは、たったひとつだろう。


「赤城さん、すまない。荷物を手放さないようにだけ、注意してくれ」

「えっ――、いいんちょくん!?」


 俺は、赤城さんのからだをひと息に持ち上げた。べつにこういうときを想定していたわけではないが、日課となっている筋トレが功を奏したかたちとなる。

 通称、お姫様だっこと呼ばれる持ち方をすると、そのまま全身の筋肉を全力で働かせて、階段の手すりに飛び乗った。

 そう――俺がおこなったのは、滑走、である。


「えええええええッ!!?」

 という赤城さんの悲鳴も、ほんの一、二秒のこと。


 一階に到達したとき、当然のように転びそうになった赤城さんの全身を左腕で抱える。頭部は、右手を使って包みこむようにしてセーブした。

 意図せず、フィギュアスケートの決めポーズのような姿勢の着地となった。

「おお~!」と、敵ながら(?)社員さんたちが感心してくれた。


 すぐ間近で向き合うことになった赤城さんに、俺はたずねておく。


「赤城さん、どこにもけがはないか」

「う、うん……」


 またぞろ耳を赤くしている赤城さんだが、ぶじのようだ。

 よし。ならばいいだろう。

 赤城さんの手を引いて、玄関へと急ぐことにする。


「なにしているの、はやく追いかけなさい!」


 桜花さんの命令があって、善良そうな社会人たちがあとを追ってくる。

 ……これ、どうも靴はあきらめるしかなさそうだなぁ、と俺が思っていると。

 玄関に、その俺の靴を持っている人物が立っていた。


「あら。これはこれは、男子高校生らしく青春真っ只中ですわね、亜熊さん」

「黒峰さん……!?」


 ――社長秘書、黒峰玲子さんだった。

 なぜ、彼女がここに。

 一瞬、思考が止まりそうになる。が、足だけは止めるわけにはいかなかった。


「このままお進みになってくださいませ。それと、こちらをどうぞ」


 すれ違いざま、彼女は俺のスラックスのポケットにペラ紙のようなものを差しこんだ。

 それをたしかめる間も、なにかを問うまでもなく、彼女は追いかけてくる社員たちの前に立ち塞がった。


「あなた、まだいたの……! とっくに帰したはずでしょう」


 桜花さんが、黒峰さんをにらんで言った。


「赤城専務。忘れ物を思い出して、勝手ながら戻ってきた次第ですわ。それよりも、ずいぶんと賑やかなことですのね」

「あなたには関係ないわ。そこをどきなさい」

「そういうわけにもまいりませんの。――あなたたち、これは社長命令ですわ。ここは下がりなさい」


 黒峰さんが、そう力強く宣言した。

 その瞬間、会社員たちの足がぴたりと止まる。

 察するに、俺の委員長システムがエラーを起こしたのと同じ状況となっているのだろう。目の前の専務命令がだいじか、秘書を代理とした社長命令のほうがだいじか。会社員システムもたいへんだ。

 ともあれ、この機を利用しない手はなかった。


「赤城さん、はやく!」

「う、うん!」


 俺たちはさっさと靴を履くと、玄関を開けて外に飛び出た。


「待ちなさい、あなたたち――!」


 廊下から、桜花さんの声がした。

 その彼女に向けて、俺は委員長として、深々と頭を下げた。


「このたびのことは、すみませんでした。後日、またお詫びにうかがいます。しかし俺は、嘘をついたつもりはありません。すでにご許可をいただいたように、《《最近ハマっているゲームをプレイするために》》、少々、お嬢さんをお借りします」

「ふざけているの……!」

「いえ、大真面目です。それと――これは、俺の委員長人生をかけて言いますが、こうすることが、愛莉さんにとっても、お母さまにとっても、最後はもっともいいことになると約束します。そして俺は、けして約束を破るつもりはありません」


 祈りの意味をこめて、俺はとなりの赤城さんに目をやった。

 すると彼女はうなずいて、


「お母さん、あたし――行ってくるから!」 


 ローファーで地面を蹴り、西日に向かって、元気に外出していった。

 白い制服のお姫さまが、わんぱくにお城から抜け出していく。

 もちろん、ぼけっと眺めている場合ではない。しがないモブの付き人役である俺は、最後にもういちどだけ頭を下げて、赤城さん宅をお暇した。





 大きな門を出ると、住宅街の道に、赤い自転車が二台置いてあった。

 その脇の日陰に立っているのは――。


「クマ。うまくいった?」

「ああ、みてのとおりだ」


 夏日でも涼しげな天才少女、翠である。さきほど俺が連絡したのにあわせて、きちんと足を用意してくれていたようだ。

 その翠に向けて、赤城さんが飛びこんでいった。


「翠ぴーーっっ。めっちゃ会いたかったぁーーー!」

「思ったよりも元気そう(ひょい)」

「……ちょっとさー、避けんのはちがくない? カンドーの再会なのに!」

「たったの三日。感動もなにもない」


 そう言いながらも、赤城さんの正面ハグ攻撃を受け止める翠が、どことなく満更でもなさそうにみえるのは気のせいか。


「あれ? この自転車はなんなんだっけ?」

「いろいろなパターンを想定したときに、念のため用意しておいたほうがいいと判断したレンタルサイクル。三台借りるつもりだったのに、人気みたいで二台しかなかった。これがあれば事態がもつれたときに、なにはともあれ脱出できる」


 そこで翠は、門の向こうを指さした。


「――たとえば、ああいう場合に」


 目線をやると、なんと玄関口からこちらに向けて、さきほどの社員たちが向かってきていた。

 その形相は、なんだか必死だ。もはや憐れみを覚えるほどである。


「うっそ、あのひとたちまだ来てんだけどーーー!!」

「おかしいな、社長命令があったというのに」


 つまるところ、社長よりも、専務である桜花さんのほうがこわかったということだろうか。

 いやまあ、一応両者と面識のある俺からすると、それも納得のいく話ではあるが……。


「行くぞ、翠。赤城さんは――そうだな、俺のうしろにうまく乗ってくれ」

「おっけー……って、これけっこうはやいね!」

「電動アシストがついているようだからな。落ちないように気をつけてくれ」

「わかった! うわわ。えっ、なにこれ! あはは、たのしーんだけど!」


 二台と三人で、俺たちはその場から走り去った。

 自由が丘の住宅街に、赤城さんの笑い声が響き渡る。

 無表情で漕ぐ翠の前髪が風になびいて、めずらしく額が露出している。


 懸命に漕ぎながら、俺が笑っていたのは、果たして達成感のせいだったからか、ひさびさに乗る自転車に爽快感があったからか。

 夏の夕暮れの走行は、ただひたすらにきもちよくて、俺は無心でペダルを踏むことができた。


 俺が自転車のふたり乗りは道路交通法的にみて問題があり、すなわち委員長にふさわしくない行為だときづいて失速するまで、その逃避行は続いたのだった。

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