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断章 空転する少女のパラライズⅥ


 ――――そして、今。

 愛莉は、自分の部屋でうつむいている。


 あれから、多くのことがあった。

 これまで以上に真剣にルシファー・オンラインというゲームに向き合い、自分の腕を磨きながら、電甲杯を勝ち抜くために最適なメンバーを探した。

 Quiet Girlsの活動は、休止の発表こそしなかったまでも、三人でする仕事の量は意図的に減らして、もともと多くなかった配信もさらに頻度を落として、電甲杯に向けての準備に時間を費やしていた。


 そして、信じられない出会いがあった。

 これまでのすべてが必然だったとかんちがいしたくなるくらいの、それは運命的な発見であり、幸運だった。

 かねてから愛莉がファン活動をしていた最強のプレイヤーが、クラスメイトの男の子だったのだ。

 もっとも、いちどは誘いを断られたりしたが、最終的には彼とチームを結成することになった。それどころか新しいともだちができて、毎日がたのしくて……。


 そう――たのしかったのだ。


 正しいと思えるだけの努力を、正しいと思える方向でおこなえていると、愛莉は安心して、生来の楽観的な性格で構えていられた。

 未来のことはわからない。優勝できるかもしれないし、できないかもしれない。だから肝心なのは、正しい方向に進めていると、今の自分で思えているかどうかだ。

 そして、愛莉にはそう思えていた。

 だから、ひたすら全力に、目的に向かって走っていた。

 それくらいの全力投球で臨めたら、きっとだいじょうぶだと信じていた。


 だが、現実は――――愛莉にとっての壁は、想像していないほどに高かった。


 今にして、愛莉は思う。

 とどのつまり、自分は甘かったのだと。

 根本から、誤解していたのだと

 いくらなんでもそんなことはしないだろうと、勝手に相手のことを常識の範ちゅうで考えてしまっていた。


 "勝つためならばチート行為だって厭わない"

 自分の対戦相手が、そういう人物だったということを、失念してしまっていた。





 それは、前触れのないできごとだった。

 ――話があるから、きょうははやく帰ってきて。

 母親からそう告げられたとき、愛莉はふしぎに思った。なんの話なのか、見当もつかなかった。

 最近の自分たちは、ずっと冷戦状態だった。同じ家に住んでいるから会うことはあるし、話すことはある。それでも、話は弾むことはまったくなかった。

 さいわいというべきか、母親はひたすらに多忙で、家にいないことが多かった。いたとしても、リビングの扉に隔たれたオフィス用の部屋にいることが多かったから、そもそも会うことが少なかった。


 最後に話したのは、電甲杯の予選が終わった次の日だった。


「勝ったから」


 と、朝の時間に、愛莉は母親に告げた。


「LCの校内予選、余裕でクリアだったから。あたりまえだけど、本戦もフツーに出られる。正直かなり手応えあるから、例の件、ちゃんと考えておいてね」


 約束を反故にされないための、釘を刺すような言葉だった。

 見た目には、母親には変化がなかった。


「――そう」


 そうとだけつぶやいて、こちらの顔もみずに出社していった。

 おめでとうもなにもない。もっとも、あたりまえだろうが。

 もちろん、愛莉は気にしなかった。いつものように支度して、学校に向かい、チームメイトとの終日練習に励んだ。


 それを受けての、「はやく帰ってきなさい」というメッセージだ。

 なにかあるような気がする。が、無視するわけにもいかない。

 普段よりもほんの少しだけはやく学校を出て、愛莉は家に帰った。


「ただいま」


 リビングに向かうと、母親がいた。てっきり仕事をしていたのだろうと思ったが、愛莉の鋭敏な嗅覚が、わずかな違和感を察知した。

 なんだか、お酒のにおいがする……。

 母親は、かねてよりワイン党だ。最近は控えていたようだが、もしかして再開したのだろうか。顔色は、そう変わらないようにみえるが……。


「なに? 話って」

「もう少し、あとでいいわ」

「ふぅん。じゃあ、あたしシャワー浴びてきていい? 汗かいちゃって」

「好きになさい」


 どうやら急ぐわけではないようだ。愛莉は、二階に昇った。

 この家の特徴として、二階のフロアと階段の接点に電子扉がある。女のふたり暮らしでセキュリティを気にした母親が、もしも家のなかに不審者が入ってくるようなことがあったときのために特注した、いわば二重のロックだ。


 もっとも、普段から使うことはない扉だった。げんに、このときもあけっぱなしになっている。端にある自室に入ると、すぐに出てきて、となりの浴室へと向かう。

 ゆっくり時間をかけてからだをきれいにすると、自室へと戻った。

 タオルで髪の水気を取りながら、愛莉はPCをつけた。

 スマホも人並みにチェックしているが、愛莉は根っからのPCゲーマー、連絡のやりとりはこちらのほうがラクだった。


「……んぅ?」


 愛莉は、首をかしげた。 

 ネットに繋がっていない。設定を開くと、イーサネットそのものが機能していなかった。なにかの拍子に配線が抜けてしまったのだろうかと、デスクトップPCの背面を覗きみて――そして、有線ケーブルそのものが消失していることに気がついた。

 途端に胸中を刺した、嫌な予感。


 愛莉が部屋の外に飛び出ると、階段を隔てる重たい扉が閉まっていた。

 ドアノブをまわそうとするも、びくともしない。

 電子制御で、ロックしているのだ。


「なにこれ……! ねえ、これやったのお母さん? 開けてよ!」

「愛莉、聞きなさい」


 扉の向こうから、母親の声がした。


「あなたは、ルールを破っているようだわ。もうあれ以上成績を落とさないと、たしかに去年約束したでしょう」

「……なんの話?」

「覚えてすらいないのね。お母さん、かなしいわ」


 まったくかなしいとは感じさせない、無機質な声だった。


「あなたの一学期の成績は、看過しづらいものだったわ。だから、しばらく勉強に専念してもらおうと思うの。今のあなたのレベルに適切な課題を用意したから、たまには一日じゅう勉強してみなさい」

「なんなの……なんの話、してんの?」

「どうしてわからないのかしら。これは親がこどもにするお説教で、あなたにはしばらく謹慎してもらうと言っているの。安心なさい、二階には生活に必要な環境があるし、いつもの宅配食も、きちんと冷蔵庫に入れておいたから――《《一週間分》》」


 愛莉は、こんどこそ耳を疑った。

 ……一週間?


 今、このひとは、一週間と言ったのか?


「なに言ってんの? 一週間って――あたし、週末の電甲杯出るんだよ!? そもそも、練習だって……! ねえ、日程わかってんの!? わるふざけはやめてよ」

「わるふざけなんてしていないわ。言ったでしょう、あなたがルールを破ったのが悪いのよ。お母さんと約束したのに」

「ルールって……! これがルール破りじゃないなら、なんなの? ねえ、約束したよね。あたしが電甲杯に勝ったら、QGをそのままにするって。なのに、どうしてこんなことすんの……!」

「どうしてかは、すでに説明したつもりだわ。もちろん、あなたのチームにかんする約束は覚えているけれど、それとこれとはべつの話よ」


 愛莉は、急激にからだの奥底が冷えていくのを感じた。

 ありえない――ほんとうに、こんなことはありえない。いくらあの母親でも、こんな無法はしないはずだ。

 そう。しない、《《はず》》だ。こんな、対戦ゲームに負けそうになったからって、ハードごと壊してノーゲームにするような真似は。


「とにかく、そういうことよ。用意した課題、やっておくのよ。きちんとできていたら、お母さん許してあげるから」

「待って――おねがいだから、出して! 成績のことも、わかったから! 電甲杯さえ終わったら、なんでもやるって、ぜったいに約束するから……!」


 階段を下りる音が、止まった。


「おねがい。ママ、あたし、ほんとうに電甲杯に賭けてるの……わかるでしょ」

「そうだったわ。愛莉、以前の質問――はっきり答えろと、わたしに言った質問だけれど」


 そこで、より一層冷たい声色になる。


「あのひとはね、わたしとあなたを捨てて、どこかへ行ってしまったのよ。お母さんは、信じていたひとに裏切られたの。そんなひとのことを、あなたがよく覚えている必要も、残したものにみっともなく縋る必要もないの」


 そうでしょう――と、それだけ言い残して、母親は行ってしまった。


「ねえ、待ってよ……待ってって、言ってんだよっっ!」


 残された愛莉は、声のかぎりに訴えた。

 扉を叩いて、蹴って、大声をあげた。

 それでも、扉は開かなかった。

 さらなる懇願も、罵倒も、絶叫も、すべては虚空に飲まれているようだった。


 部屋に戻り、スクールバッグを漁るも、スマホがみつからなかった。

 帰宅即シャワーを浴びるという習慣を知っているから、そのタイミングで奪う心積もりだったのだろう。

 これでは、どこにも連絡することができない。

 やることすべてが卑怯だ、あまりにも……。


 愛莉は、泣き腫らした目をぬぐうと、どうにかしようと試みた。

 だが、どうにもならないことはすぐにわかった。有線ケーブルと無線受信機が抜き取られたパソコンは、ただの高度な計算機にすぎない。

 ならば、自力での脱出は? 愛莉は、窓を開けた。二階にしても高いほうで、どこにも掴まれそうな場所はない。無理やり跳べば、かならずケガをするはずだ。

 右手だろうと左手だろうと、ケガをしてしまえば、来週の電甲杯はプレイできなくなってしまう。


「……っ」


 油断すると、また泣きそうになる。

 こらえるんだ、と愛莉は思った。

 ひょっとしたら、状況が変わるかもしれない。あの母親も、さすがに今回はやりすぎたと思って改心するかもしれないし、下のフロアにいる社員がまずいと思って、どうにか説得してくれるかもしれない。


 泣き疲れたのと、暴れ疲れたので、愛莉はきづいたときには眠ってしまっていた。

 けれど夜中に目が覚めても、事態はなにも変わってはいなかった。






 それから、ふた晩が経過した。

 結局、あれから母が心変わりをすることはなかった。

 愛莉は、自分の家の二階に囚われたまま、だれとも話すことができずにいた。


 たったの三日で、愛莉はすっかり焦燥してしまっていた。

 謹慎。軟禁。

 言い方はなんでもいいが、自由を奪われるということが、これほどこころに影を落とすものだということを、愛莉ははじめて知った。

 どれくらい落ちこむかというと、自分の非を――罪を、疑うようになってしまうほどだった。


(逆らったあたしが――わるかったのかな)


 まわりからすれば、理解できない意地にしかみえていないのかもしれない。チームの名前を守りたい――そんなふしぎな動機で、いろいろなひとに歯向かっている。

 そうだ。きっと理解してもらえないと思ったから、あのときも、彼に嘘をついてしまったのではないか。

 嘘をつくのは、だれかを傷つけないようにするときだけだよという、父親に教わったことに背いてまで望みをかなえようとしたから、罰が下ったのかもしれない。


 ひょっとしたら、ほんとうは母親の言うことが正しいのかもしれない……。

 自分の頭が悪くて、ほかのひとが飲みこめることを飲みこめなくて、もうどうにもならない事実――父親が、もう戻ってこないという現実――を認められない、ただのこどもなのかもしれない。


(ごめんね、いいんちょくん、翠ぴ……。あたし、巻きこんじゃっただけだね)

(あたし、ばかだ。こんなことになっちゃうなんて)

(ごめんね、ごめんね――――)


 思い出すのは、ただチームメイトのことだった。

 今にして思えば、すべては自分の都合、勝手な言い分からはじまっていた。

 ゲームの大会になんて出たくないという男の子を、無理やり表舞台に上げようとしていた。

 平穏に学校生活を送っているだけの優等生に、ゲーム漬けの日々を送らせてしまっていた。あまつさえ、活動外の時間までもらって、気晴らしに付き合ってもらう始末だった。

 そのくせ、肝心の大会には自分が行けないのだ。

 迷惑をかけたという思いだけが、際限なく強まっていく。


 ごめんなさい、ごめんなさい、と愛莉は暗い部屋でつぶやき続ける。



 愛莉の時間は、止まり続けていた。

 止まった時間と空間のなかで、愛莉はひたすらにあやまり続けていた。


 だから、部屋の外で物音がしたことにも、すぐには気がつかなかった。


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