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70話 WHITE IMPRESSION

 駅前のロータリーには、ひとがごった返していた。

 みわたせばコンパクトに多種多様の店が敷き詰まっており、いかにも「このへんで生活ぜんぶ済みます」感の強い町並みだ。

 渋谷に比べればさすがに劣るが、それでもかなりすさまじい混みようである。

 さすがに世田谷区を代表する人気駅というべきか、夏休みというだけで周辺の住民がこぞって集まる駅前であるようだった。


 東横線の特急停車駅、自由が丘である。

 下車後、俺と翠は赤城さんの家をめざして、グーグルマップが示すところの、徒歩十四分ほどかかる住宅地に向けて歩を進めていた。


 都心あるあるだが、主要な駅を降りたとしても、ほんの少し歩けばいきなり閑静な空間に出るというのはめずらしいことではない。

 それは自由が丘でいっても同様のようで、ロータリーを抜けてまっすぐに歩いていると、ものの数分としないうちにじみな町並みとなり、ひとけが失せてきた。

 このあたりが、赤城さんの通学路なのだろうか。

 それとも意外な近道があったりするのか?

 俺があたりを気にしていると、


「緊張しないの?」


 と、となりをゆく翠にたずねられた。


「どういうことだ?」

「もしも彼女が家にいて、わたしたちの想定しているとおりのことになっていたら、クマの役割は少々大変になる。肩肘が張ってしまってもおかしくない」

「どうだろうなぁ。まあ、少なくとも電甲杯に出るよりは気楽だよ。どうしたって、俺は委員長として振る舞えばいいだけなんだからな」


 今から、俺はクラスメイトの家にはじめてたずねる。

 翠に言われてみればそうかもしれないと思ったが、依然としてあまり緊張はしていなかった。


「……クマは、委員長としてならいつも平常心でいられる? それは、つらいことではない?」

「どうしたんだ、翠。なにをいまさらなことを。バッテリーさえ足りていれば、俺はなんの問題もなく委員長でいられるさ。場所がどこで、だれが相手だろうとな」


 そう――夜道でいきなり外車に拉致されるようなことがあっても、俺の委員長システムは、基本的には破綻しない。

 ほんとうにあぶなかったのは、はじめの赤城さんの一件くらいだったのだ。


「でも、わたしが思うに……クマは、ほんとうは」

「――翠?」


 呼びかけたとき、翠はどこかさびしそうな顔をしている――ようにみえた。

 翠の感情は、俺のほうで推測するしかない。喜怒哀楽でいえば、喜びと怒りは比較的にわかりやすいが、哀しみや楽しさでいうと、自信がなくなるときがある。

 いったいどうしたのだろうと思っていると、


「……なんでもない。それより、話していたシェアサイクル置き場は、ここ」


 翠がふと、道端を指さした。

 みると、赤色の自転車がずらりと並んでいた。

 俺は利用したことがないが、この手の貸し自転車のサービスは、かならずしも借りた場所に返却する必要がないらしい。同じ系列の自転車置き場になら、どこへ戻してもだいじょうぶだそうだ。

 とすれば、やはり念のため借りておくのがいいだろう。


 地図が示すところによれば、この場所から赤城さんのお宅は、もう目と鼻の先のはずだ。

 翠といっしょに曲がり角から首を伸ばしてみると、たしかにグーグルアースで確認したとおりの、非常に大きな家があった。


「……これはまた、ずいぶんと豪邸」

「たしかにすごいな、こりゃ」


 ただのお宅というよりは、要塞といったほうが形容がうまいくらいだ。

 見た目は真っ黒い箱のようで、あまり外観からは間取りが想像できない。相当に広そうだということはわかるが、こうみえて中身は普通のご家庭なのだろうか?

 門のところでは、いかにもな感じの巨大な監視カメラがゆっくりとその首を振っていた。


「クマ。ほんとうに行くの?」

「もちろんだ。ここまできて、いまさらやっぱり帰ろうというわけにもいかないだろう。行ってくるよ、翠」


 進もうとする俺を、翠が裾を引いて止めた。


「待って。最後に、もういちど確認しておきたい」

「なんだ」

「わたしが思うに、この状況は、すでに一般的な委員長の対応範囲外であるといっていい。こうなってしまった以上、電甲杯の本戦に出場できなかったとしても、クマが責められるべき状況にはないと考えられる。……それでも、クマは行く?」


 それは、翠なりの最終勧告であるようだった。脅すのでも引き留めるのでもない、ただの最終確認であるようだった。

 俺はあらためて一考した。

 なぜだか、あまり深く考えずとも、この一件にかんしては、俺は自信をもってやるべきことを選択できているように思えた。


「ああ。俺は行くべきだ」

「……それに、他意はない?」


 いつかも聞いた質問で、俺は思わずフフッと笑ってしまった。


「翠は心配性だな。なにもないよ、俺は俺のままだ。すぐに済ませてくる」


 どこか休めるところで待っていてくれと伝えて、俺は目的地へと向かった。 




 俺は、「赤城」と名札のかかった門の前に立っている。

 微妙に心臓が高鳴っているのは、緊張してというよりも、単純にこのあとの展開をおそれてのことだった。

 もしも、話を聞いたあとの返事が「こちらも娘を探している」だとしたら、どうすればいいのだろう。赤城さんが行きそうな場所の見当さえもつかないし、それだけでほとんどゲームオーバーだ。

 果たして、俺たちの予想は当たっているのか――。


 委員長モードを最大出力にして、俺はボタンを押した。

 緊迫の数秒、その後にインターホンから声がする。

 出たのは、女性の声だった。


『……どちらさまでしょうか』

「もしもし。突然お邪魔してもうしわけありません。自分は、赤城愛莉さんのクラスメイト―—LC学園2年A組の、亜熊杏介といいます」


 カメラに向かって、俺は軽く一礼する。


「じつは、夏休みの夏期講習合宿について愛莉さんにお話がありまして。彼女の携帯に連絡してみたところ、何日か待っても返事がなく、こうして直接うかがった次第です。愛莉さんは、今いらっしゃるでしょうか」

『……おりますが』


 ――いるのか。

 《《やはり》》、というべきなのだろうか。


『講習合宿について、ですか。……なぜ、担任の教師ではなく、あなたが?』

「自分は、クラス委員を務めておりまして。本日は、合宿の参加〆切だったのですが、担任の都築先生から、参加予定だった愛莉さんの連絡がないことについて、なにか知っていないかと聞かれたのです」

『……あの子が、勉強のための合宿に参加する予定だった?』

「ええ。自分も、そういうふうにうかがっておりました。それで、自分の家が近いものですから、勝手ながら、よければ先生のかわりに訪問すると申し出まして」


 そこで一瞬、俺は様子をうかがった。

 反応の止まった相手に向けて、もうひと押し、続けた。


「その。愛莉さんは、やっぱり不参加、ということになったのでしょうか。一応、説明会で使った資料も持ってきたのですが、もしも不要でしたら……」

『いえ――あの子には、参加させたほうがいいでしょう。鍵を開けますから、どうぞお入りください』


 遠隔操作で、門の鍵がピピッと開いた音がした。

 俺は内心、胸をなでおろした。

 これで、第一関門は突破だ。

 門から玄関口までの数メートルのあいだで、それとなく家の外周をうかがっておく。赤城さんの部屋は、どのあたりなのだろう。


 俺が辿り着く前に、玄関の扉が開いた。

 その先にいた人物の容姿に、俺は外面には出さず、内心だけで驚いた。

 妙齢、と呼んでしまってもかまわない外見の女性。

 ノースリーブの黒いワンピースに、シャンプーのCMにでも出演していそうな、とても長い艶のある髪を垂らしている。

 表情が少し険しくなり、年を重ねた、黒髪の赤城さん――そんな表現が適切に思える。


「こんにちは。亜熊杏介といいます、お邪魔します」


 深々と頭を下げた俺に対して、彼女はぼそりとつぶやいた。


「丁寧な子ね――あの子とはちがうわ」

「はい?」

「なんでもないわ。わたしは、愛莉の母です。こちらこそ、いつも娘がおせわになっているわね。さあ、どうぞあがって。たいした歓迎もできないけれど」


 赤城さんの母親にうながされて、俺は赤城さん宅に上がることになった。

 赤城さんの持つ明るさをまったく感じない、なんとなくもの悲しい雰囲気の満ちた家のなかへと。

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