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66話 気遣いのお茶会

 社長は、あまり流暢とはいえない英語を、笑顔のまま話し続けた。


「アイウォントゥーシーユースーン、キャサリーン。アイキャントフォーゲットユアボディ、ユアビューティフォーボディ、ソフトボディ……」


 これ、ほんとうに仕事の電話か……?

 疑う俺のとなりをカツカツと通り過ぎると、黒峰さんが相手のスマホを奪い取った。


「あっ。な、なにをするんだ、黒峰くん!」

「失礼、手が滑りました(どぼんっ!)」

「いやいや、手が滑ったからってそんな……って、グラスに沈めたぁー!? このあいだ買った最新式だぞ!」

「失礼、ムカついたもので」

「言い訳もやめた! せめて体裁くらいは保ってもらえないか!?」


 男性はあわててグラスに落ちたスマホを取り出すと、布巾で必死に水を拭いた。


「なんとひどい秘書だろう、スマホが壊れてしまった! 今この瞬間に株価が変動するような大ニュースが飛び込んできたらどう責任を取るつもりだ。なあ、きみもそうは思わないか」


 突然話を振られて、俺はびくっとしてしまった。


「……よくわかりませんが、それが最新式なら、おそらく防水仕様ではありませんか」

「……ふむ」


 男性は、側面のボタンを長押しした。

 問題なくスクリーンが映ったのを確認すると、急に落ち着いた様子になる。

 どうやら、電源を切られていただけのようだ。

 

「いや、もちろんわかってはいたがね。軽くきみを試させてもらっただけだ」

「は、はあ……」

「それと、きみたちの入室にきづかずに電話を続けてしまっていたことをお詫び申し上げよう。どうしても欠かせない仕事の連絡だったものでね、集中していたのだ」


 白い歯をきらりと光らせる。

 どうやら、ごまかせているつもりらしい。


「それで、黒峰くん。彼が、例の……?」

「ええ。愛莉と電甲杯に出場する予定の、亜熊杏介さんです」

「――亜熊くん! はるばるよく来てくれた。かんたんな席だが、歓迎しよう。ぼくは、株式会社セイレーンの取締役、吾妻《あづま》吾郎《ごろう》――きみのクラスメイトがいる会社の、ちょっとした社長というものだ」


 社長に、がしっとかたく握手された。




 あらためて落ち着いてみると、なんとも落ち着かない状況だった。

 吾妻さん――社長とふたりで向き合って、俺は着席している。

 社長のとなりには、秘書の黒峰さんが立っていた。席につけばいいのにと思うが、どういうわけか立ったままだ。


 このふたり、黙っていればどちらもその役職にふさわしい外見なのだが、中身がどうも奇天烈であるらしい。

 だが、社長はみたところすでにアルコールを飲んでいるようだ。

 酒が入ったおとなが変なことになるのは、ばあちゃんの店でよくみていたから、そこまで驚きはなかった。

 いやまあ、黒峰さんのほうは飲んでいないはずなのだが。


「亜熊さん。お飲み物は、お店のおすすめのモクテルでよろしいかしら?」

「すみません。モクテルというのは、いったい」

「お酒の入っていないカクテルのことですわ」


 それはつまり、ミックスジュースのおしゃれな言い方ということだろうか。


「なんでもお任せします。すみません」

「かまいませんわ。ほかにも、頼みたいものがあったらなんでも注文なさってね」


 どうやら奢られるようで、恐縮してしまう俺。

 そしてすぐに、恐縮するのも変だということに気づく。

 ……ていうか、拉致されたんだよなぁ、俺。

 あまりにも不可思議なことになると、人間は漫然と状況を受け入れるしかなくなるのだろうか。


「なんでも注文していただいてかまわないが、食事のほうは控えめで頼むよ。なぜなら、すでにスペシャルなメニューを注文しておいたからね! ――そこのきみ、もうそろそろできている頃合いだろう。持ってきてくれないか」


 指をパッチンして、社長がウェイターに合図する。彼はひっこむと、すぐにがらがらと巨大な押し車をともなって帰ってきた。

 その車に載っているものをみて、俺は驚いた。

 それは、巨大な肉の丸焼きだった。まるでタンドリーチキンのようにこんがり焼けているが、その形状は鳥ではない。

 これは……いったいなんだ!?


「ははは! 驚いただろう――羊の丸焼きだ! さきほどメニューをながめていたら、いちばん最後のページにしれっと載っていてね。聞いてみたら、ちょうど一頭仕入れてあるというから、とくになにも考えずに注文してみたんだ」


 社長は丸焼きを眺めると、うわー思ったよりデカいなーと少年のように喜んだ。

 いや……こんなけったいなものをなにも考えずに注文するものか? さすが、社長ともなるとスケールが違う。


「さあ、育ち盛りの十代の少年よ、好きにかじりつくといい! この社長であるぼくが許可しよう!」

「いえ、せっかくなのですが、今俺はあまり食欲が……」

「……なんだって」


 これは本心だ。

 突如として異常なイベントに招致されたせいか、俺の胃は完全に委縮している。

 よく焼けた肉のにおいをかいでも、まるで存在が消滅してしまったかのようになんの動きもみせない。

 それに、きょうはばあちゃんが晩飯を作り置きしておいてくれたらしいから、帰ったらそれを食べなければならないし。


「……黒峰くん。きみは、たしか羊料理が好きではなかったかな」

「あいにくですが、夜は脂質を採らないようにしておりますので」

「では、この巨大な丸焼きはどうするのだ」

「それはもう、注文された方が責任をもって完食するのがマナーというものかと」

「聞いたところによると、可食部だけで何キロもあるそうだが……」


 黒峰さんが、大きな包丁を持った外国人に、社長とは違う流暢な英語でなにかを話した。すると彼はうなずいて、みごとな包丁さばきで羊を解体して、切り分けた肉をどんどん皿に盛っていき、そのすべてを社長の前に置いた。

 圧巻の量だ。

 今、このテーブルを上からみると、社長、羊肉、俺という構図になる。


「やあ、亜熊くん。そこにいるのかな。ぼくには羊しかみえないのだが」

「ええ、俺にも羊しかみえません」

「困ったな。話そうにも、互いの顔がみえなければ。これはどうすればいいのかな、黒峰くん」

「でしたら、一刻もはやくたいらげたほうがよろしいのではないかと」

「いや、しかし……」

「四の五の言わずに、はやく食べてください」


 黒峰さんに命令されて、社長がナイフとフォークを手にとり、食事をはじめた。羊肉の山の向こうから、苦悶に満ちた声が聞こえてくる。

 反面、その様子を眺めている黒峰さんのほうは、やけに嬉しそうだ。


 ……なんだろう、これ。なんかの特殊なプレイか?

 俺、帰っちゃだめかな。


「あら、飲み物もきたようですわね。それでは、僭越ながら――乾杯」


 どうやら帰ってはいけないらしく、俺は目の前に置かれた名前もわからないドリンクを手にした。

 シャンパングラスを手にした黒峰さんと、空中でグラスを交わす。

 社長はビールがあるようだったが、羊肉に阻まれていて、乾杯しているのかもわからなかった。

 ちなみに、モクテルとやらの味のほうは、よくわからなかった。メロンフラペのほうが数段おいしい気がする。


「つかぬことをおうかがいしますが、なんの乾杯なのでしょうか、これは」

「社長。亜熊さんが質問なさっていますよ」

「むぐむぐ、もぐもぐ……なんだって?」

「ですから、乾杯の意味です」

「ええい、そんなことはどうでもいい。ぼくは今、戦いで忙しいんだ」


 少しずつ、肉の向こうに社長の顔がみえてきた。

 すごい勢いの食事だ。さすが、一企業の長にもなろうという人間はバイタリティがあるというものなのだろうか。

 このままのペースだとひょっとして完食を……いや、ウェイターに向かってすさまじい速度で手を振っているから、もう限界のようだ。

 とりあえず、羊肉が下げられる。


 ぶわっと吹き出ている脂汗をナプキンでぬぐうと、社長は苦しそうに口元を覆った。


「うう。もうにどと羊肉なんてみたくない……」

「そういえば、来週の会食はモンゴル料理を予約しておりますわ」

「確実に羊が出るじゃないか!?」

「社長がご所望なら、北海道の郷土料理に変更も可能ですが」


 それは、まちがいなくジンギスカンが出てくることだろう。


「この秘書には問題がある。いったいだれが雇ったんだ? 外見に釣られてぼくが採用してしまったのだったか? 亜熊くん、きみもなにか被害に遭ってはいないか?」

「ええ、まあ……無理やり車に乗せられたか否かでいえば、乗せられました」

「やっぱりなにかやっていたな! もうクビだクビ、クビクビクビ!」

「わたくしは、ぜひ亜熊さんとお話する機会が欲しいからアポイントメントを取っておいてくれという社長の言いつけを守っただけですわ。それに亜熊さんには、全面的な同意をいただいております」


 流れるような手つきでスマホの画面を押す黒峰さん。

 その途端、『つまり、亜熊さんは同行に同意されたと?』『はい。そういうことで、かまいません』という会話が再生された。

 さきほどの車内での会話だ。どうやら、録音していたらしい。

 ――やられた、と俺は思った。いやまあ、いざこうなってしまった以上は、もうそのあたりはどうでもよかったのだが。


 俺と社長は、なんだか意気消沈してしまった。


「なにやらすまなかったな、亜熊くん……。互いに被害者ということで、ここはひとつ水に流してはくれないか」

「ええ……」

「だが、ぼくがきみに話があるというのは、まったくまちがいではない。この数週間というもの、ぼくの最大の関心ごとは、実のところきみにあったと言っても過言ではないんだ。いやもちろん、愛莉を踏まえたうえでのことだけどね」


 赤城さん。

 ようやくその名前が出てきて、俺は抜けていた気が戻ってくるのを感じた。

 ……なにが同じ被害者だ。このひとは、赤城さんにとっては敵対する人物のはずじゃないか。

 羊肉のせいで喉が渇いているのか、グラスいっぱいの水をごくごくと流しこむと、社長は机に両肘をついた。


「そうだ、さきほどの質問だが、あらためて答えさせてもらおう。あの乾杯の意味だが――あれは、きみたちが電甲杯の本戦に出場できたことを祝うものだ。直接、このぼくがお礼を言おう。勝ってくれてありがとう、亜熊くん!」


 ……なんだって?

 予想だにしていなかったことを言われて、俺は当惑してしまった。

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