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67話 社長哲学

 飲み物のおかわりをすると、社長はほんの少しばかりネクタイを緩めた。

 あらためてみると、疲れていることを窺わせる様相といえる。

 浅黒い肌と暗い照明のせいで気がつかなかったが、どうやら目の下には相当に深い隈を湛えているらしい。

 これまでの言動をみるに、あまり厳粛な人間ではなさそうだが、それはそうとして仕事には追われているのだろう。


「亜熊くん。きみは愛莉のほうから、今回の事情は聞いているかね」

「事情、といいますと」

「あの子が電甲杯に出る、ないしは優勝をめざしている理由だよ。その理由は聞き及んでいるのかな」

「はい、聞いています」


 俺の返答に、吾妻社長は困ったように眉を曲げた。

 いささかおおげさに感じられるほどに、大きくその首を振る。


「そうか。それは、ぼくのことをひどいおとなだと思ったことだろう。あの子の主張を聞いてやれず、どうにも解決してやれなかった情けないやつだと。でも、これは誓って言うけどね、ぼくは愛莉のことをだいじにしているんだ。けしてあの子を苦しめたいわけでも、つらい思いをさせたいわけでもないんだよ」


 その主張を、俺は噛み締めるようにしてよく判断してみた。

 彼の言葉に嘘や欺瞞がないかを、可能なかぎり検分しようとしてみる。

 が、少なくとも、俺にはあからさまな嘘をついているようには思えなかった。それでいて、拾ってあげられない捨て犬のもとから去るような、後ろめたい同情心を感じさせもするが……。


「少しあの子の話を聞いてもいいかい。愛莉は、学校ではどういう存在なのかな」

「はい。みんなに好かれていて、非常に人望のある女の子です。クラスの中心で、リーダーシップもあって、だれに対しても分け隔てなく接するひとで、俺としても見習わなければならない存在だと思っています」

「うん、うん。そうだろう、そうだろう」


 深く納得する様子で、社長はうなずいた。


「そうだ、もちろんそのはずだ。かなり変わった新設校に入学すると聞いたときは少し驚きもしたけど、あの子はどこにいようともだいじょうぶに決まっているからね」

「ずいぶんと、赤城さんを信じていらっしゃるんですね」

「もちろんだよ! 亜熊くん、ぼくはね、これまで何百、何千という数のタレント候補たちをこの目でみて、直接話し、彼らの価値をはかってきたんだ。そのぼくが断言するけど、愛莉の持っているのは天性のものだよ。あの子は、磨き上げられた宝石みたいなものなんだ」


 奇しくも、社長はわが校の学園長のようなことを言った。


「タレントという職業はね、相手に関心を持たれる存在であるのは当然として、こちらも相手のことを好きになれる存在でなければならないんだ。いくら何万、何十万の相手と接することになろうとも、ファンのひとりひとりには人格があり、人生があるということを忘れてはならない。その点、あの子は、リスナーに対してきちんと興味を持って、自分のナマの感情で接することができる、たぐいまれな子なんだ」


 一転、少しむずかしい内容の話をする。

 だが、理解できるようには思えた。

 わかりやすい例でいうなら、きづいたときには赤城さんが翠と仲良くなっていたことだ。翠が自分から他人に近づこうとすることはあまりないだろうから、彼女のほうからアタックしていったに違いない。


「亜熊さん、僭越ながらひとつ余談をお伝えしましょう。弊社の者のことで大変に恐縮ですが、わが社の取締役――吾妻は、ことタレントにかんする評価や真贋を見極める能力においては、まずまちがいなく業界一流ですの」


 秘書の黒峰さんが、社長の能力について教えてくれる。


「現在セイレーングループで運用している各芸能事務所の、それぞれ売上トップ10の所属タレントは、じつはその全員が、この吾妻がみずから見出したものなのです」

「うん、うん。そのとおり、自分のことで大変に恐縮だけど、ぼくはなかなかのものなんだ。黒峰くん、いいフォローだぞ」


 満足そうにうなずく社長さん。

 その話が本当なら、それはものすごく凄腕のプロデューサーということなのだろう。


「もっとも、そのかわりに、タレントの才能を嗅ぎ分ける以外のことは、ほとんどなにもできないのですが。にもかかわらず取締役に抜擢されてしまい、私を含め、周囲の者はその尻拭いで大変な目に……当人も、自分が現場のソルジャーに過ぎなかったことを自覚しては胃を痛める日々でして」

「き、きみ! そういう真っ赤な嘘を言うのはやめなさい! すまない亜熊くん、気にしないでくれ、この秘書はつまらない冗談が大好きなんだ」


 焦った様子で両手を振る社長。

 ……どうやら、いずれの話も本当であるようだな。


「と、とにかくだね。そうして長くタレントの卵たちをみてきたぼくが、自信を持って過去最高級に価値が……魅力があると考えているのが――きみのクラスメイトである、赤城愛莉なのだよ!」

「過去最高、ですか」


 それは、ずいぶんと大きく出たものだ。


「そうだ。あの子に入ってもらっているのは、まだ新設のストリーマー専門の事務所だが、すぐにでもあそこがうちの最大手になるはずだ。もっとも、愛莉の活躍というよりも、時代の流れによるものが大きいだろうがね」


 社長は、タレント業の形態が徐々に変わりつつあるという話をした。

 現状、テレビが主戦場であるタレント業は、近いうちにインターネットで活動する者たちに取って代わられる――。そう考えて、新鋭のストリーマー専門事務所の立ち上げに尽力したのも、この吾妻社長であるようだった。


 時代は変わったよ、と社長は言った。

 この先は、みずからのちからで、みずからの魅力を最大限に伝えられる場所を用意できる、セルフプロデュース能力の高いタレントが生き残るようになるのだと。


「そしてぼくの観察するかぎり、赤城愛莉ほどに唯一無二性があり、またコンテンツ力を秘めた配信者は、ほかにいない。とくに愛莉の配信は、視聴者と合同でひとつの場を作り上げているのがすばらしい。今はまだチャンネル登録者も数十万に留まっているが、もっと頻度を増やしてうまく展開すれば、百万、二百万だって、彼女にとっては通過点となるだろう!」

「は、はあ……」


 俺は、反応に困った。

 再三の説明で、この社長が赤城さんのことをかなり高く評価しているらしいということはよくわかったし、俺もそれについてわざわざ否定しようとは思わない。


 が、俺の関心ごとはそこにはなかった。

 問題は、それが今この場にどう関係しているのか、だ。酒の入ったおとなの話が冗長なのは知っているのが、それにしたって遠回りすぎる。


「すまない、前置きが長くなったね」と、俺の心中を察するように言う社長。


「つまり、なにが言いたいのかというとだね――ぼくは、ぜっっったいに愛莉に事務所をやめてほしくないんだよ。今回、ぼくにも事態がうまく制御できず、話がやけに大きくなってしまったが、ぼくはこんなことはひとつも望んではいなかったんだ。すべて穏当に済ませたかったのに、どうしてこうなってしまったのか」


 社長はひたいに手を当てると、あからさまに頭を悩ませた。


「……あの、俺は部外者なので詳しいことはわかりませんが。赤城さんの話では、今回の条件を出したのは、社長さんなのではありませんか」

「それは否定しないよ。たしかに、ぼくが話を進めた面もあった。でも、それでもどうにか着地点をみつけて、あのときはあの話で落ち着いたんだよ。そう、あの子がどう思っているかはわからないけど、ぼくはあれでも善戦したんだ。当人たちだけで話し合わせていたら、もうとっくに愛莉が事務所を出ていてもおかしくなかったんだ」


 ……当人たち?

 俺は、その言い方にひっかかりを覚えた。

 あと話に出てくる可能性がある人物といえば、QGのほかのメンバーか?


「あの日、愛莉が息を巻いて出て行ったあと、ぼくはあの子の動向が気になってしかたがなくてね。なにせ、聞くところによると、あの電甲杯という大会はプロの勝負に負けず劣らずにレベルが高いのだろう? しかし、せっかく特別な学校に通っているし、どうにか有望な選手をチームに加えるかと思ったら」


 社長が、そこで手の平を俺に向けた。


「愛莉が最終的に選んだのは、亜熊くん、きみだった。そう――みたところでは、まったくゲームなんてやらなさそうな、きみをだ。それでもきっと、なにかのゲームではプロ級なのだろうと思ってプロフィールを確認してみると、驚いたことに、どうやらなにも特別な実績がないというじゃないか」


 俺は、わずかたじろいだ。

 これは、果たして叱責されているのだろうか。

 だとしても、委員長がゲームをやっていないからといって怒られる謂れはないはずだ。

 だから俺は、適当を言うことにした。


「赤城さんが、どうして大切な戦いの仲間に俺を選んだのかは、俺自身もわかっていません。ルシファーオンラインというゲームは多少プレイ経験がありましたが、もちろんほかのゲーマーたちに比べると、圧倒的に腕は落ちますし……」

「――いや、いいんだ、亜熊くん。この話には、続きがある。ぼくたちに対して、そう取り繕う必要はないよ」


 俺の弁明を、社長は途中で止めた。


「どういうことですか」

「まあ、聞いてくれ。とにかくだね、ぼくはこう思ったんだ。あの状況で、愛莉が勝てる見込みのないメンバーを選ぶはずがないとね。あの子は賢いから、きっと自分が選べる範囲でもっとも勝率の高い仲間を探し出したに違いないと、ぼくはそう信じたんだ。だから――もうしわけないが、きみのことを詳しく調べさせてもらったんだよ」


 ……調べた、だと?


 不穏な言葉が登場して、俺は身構えた。

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