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64話 リズム・オン・ザ・ロード

 それからというもの、まるでスポ根漫画のように、委員長《俺》は赤城さんに訓練されていった。


 しかし、それはあまり論理的なコーチングというわけではなかった。たんに技術力を上げるという特訓ではないのだからあたりまえだ。

 ひとりならできることを、ひとりではない状況でもやってほしいという要望だから、赤城さんの応援も、必然的に根性論にならざるをえなかった。


「いいんちょくんは、やればできる子なんだから! ていうか、やれさえすれば文句なしに最強なんだから! だから、気合いで画面だけに集中して!」

「くっ……!」

「あたしのあこがれた匿名熊のストレイフはそんなものじゃなかったよ! ほらほら、もっといいとこみせてー!」

「くおおおおっ」


 —部隊が全滅しました―

 画面にそう表示されて、俺は落胆した。がんばったのにな……。


「はあ、はあ……」

「いいんちょくん、休んでいないで次いこ、次っ」

「少し、休憩させてくれないか……」

「でも、時間ないし? 午後はいっしょにチーム練だから、個人練はあと一、二回しかみててあげらんないし? いいんちょくんが押さないならー、あたしがリマッチ押しちゃお♡」


 赤城コーチは、かわいい顔して鬼であった。

 はじめこそ俺のコンディションを確認しながらのコーチングだったが、思いのほか俺がついてくるとわかるや否や、徐々にハードルがあがっていき、今ではじゅうぶんにスパルタと呼べる過酷さとなっていた。


 委員長としてゲームをすることのむずかしさは、いったいなにに喩えればよいのだろうか。

 いつもの姿勢や視界、心持ちでプレイできないのは、俺にとって数十キロの重りをつけて水泳するようなものだ。

 姿勢の正しい委員長としてプレイするとは、それくらいのデバフがかかるものなのだ。

 それでも、その状態で本番に臨むしかないのだから、しかたのないことではあるのだが。


 午前の個人練が終わると、次はチーム練となる。

 プレイスタイルを変えたいという赤城さん本人のミッションを達成すべく、これまでとは異なるスタイルのIGLで、とにかく対戦、対戦、対戦――。

 キャラ構成、スキル構成の見直しは再三おこない、翠のプレイスキルの上昇にあわせて、適宜修正が加えられていく。そしてまた再戦、再戦、再戦――。

 来る日も来る日もルシオン漬けだ。

 もちろん、ただゲームするだけなら、俺にとっては天国だ。が、問題は、練習中は委員長ロールに入り続けていることで、それは俺にとってはすさまじい消耗となる。


「きょうもあんがとねー。あたし、ちょっと用があってはやめにあがんなきゃだけど、ふたりはもうちょっとだけ練習がんばってねー!」


 ある日の夕方、少しはやめに帰った赤城さんを見送ると、俺はほんのり笑顔を浮かべたまま、横にバタンと倒れた。

 つ、つかれた……。きょうも限界ぎりぎりの戦いだった……。


「だいじょうぶ? クマ」


 いつぞやのデジャブで、俺の腰あたりをつんつんと指で突く翠。


「だいじょうぶそうにみえるか、翠……」

「たしかに愚問だったかもしれない。でもわたしが思うに、クマは少しずつ委員長としての体力がついているようにみえる。以前なら、これほど持つことはなかった」

「そう思うか?」

「うん。……少なくとも、あのひとと過ごすぶんには」


 そう答える翠の横顔は、なぜだか不満げにみえた。

 ……いや、不満げどころではないかもしれない。

 露骨に不満なのかもしれない。

 その証拠に、翠は頬をふくらませていた。


 それが翠の故意の仕草なのかどうかは俺にも判別しかねるところだったが、基本的に無表情である翠の唯一のわかりやす感情が、不機嫌なときだといえる。

 わかりやすく、頬がふくらむのである。

 今回の場合、その理由はあきらかといえるだろう。


「すまないな、翠。せっかくの夏休みを、俺の都合で浪費させてしまって。そのせいで、翠のほっぺがまるで風船のようだ。本来なら、この自由な期間を使って翠はその知力にさらなる磨きがかけられたというのに」

「……クマはなにもわかっていない」

「ああ、たしかにわかっていなかったようだ。おわびに、次に練習が休みの日は、翠の家に行って、俺が翠の好きなものでも作ろう」

「……なにもわかっていないけど、そういうことなら許さざるをえない」


 翠の頬が、少し萎んだ。よかった。

 実際、俺が作る飯くらいのもので翠の溜飲が下がるなら、いくらでも作ってやると言いたいところだ。


「でも、クマも連日の練習で疲れている。休める日は家でゆっくり過ごしたほうがいいかもしれない」

「委員長を務めないでいていいなら、それだけで休めているみたいなものだ。アマプラに去年の夏映画が入ったらしいし、オフラインに落としておくから、飯でも食いながらいっしょにみよう」

「なら、とても許す」


 翠の頬がぺったんこになった。よかった。

 とはいえ、決めていた量の練習は必要だ。まだPCルームが閉まるまで一時間ほどあるし、翠とデュオでオンラインマッチに潜ることになった。

 もちろん、これも委員長モードの訓練となるから、俺の実力はそれほど高くはない。翠をキャリーして勝利に導く、というのはかんたんではないだろう。

 と、そう思っていたのだが……。


「――あっさり二連勝」


 翠の透明な瞳に、チャンピオン画面が映っていた。

 ――そう。俺たちは、あっさりと勝利できてしまっていた。

 そのプレイ感覚は、匿名熊として自由にゲームしているときと、そこまで大きな違いはなかった。

 もちろん、今は赤城さんの監視の目がなく、ずっと壁に貼られたままのクラスメイトたちの目もそういう模様として認識し始めてしまったという違いこそあるが、それにしても、これまでの感覚とは大きく異なっていた。


「クマ、めがねしててもゲームが強くなった?」

「……たしかに、かなりマシになっているみたいだな。赤城さんにも、そう言われてはいたが……」


 ――すごいっ。もう五十点くらいだよ、いいんちょくん!


 本日の個人練のときは、赤城さんにそう褒められていた。

 赤城さん曰く、日に日に俺の練度が上がっているらしく、今の成長曲線のまま腕前があがれば、本番までには匿名熊としてのプレイができるはずだというのが、赤城さんの読みだそうだった。

 もっとも、そう言われた俺は納得していなかった。どちらかといえば、赤城さんの目線に耐えられるようになってきただけで、本番の環境だと結局だめになってしまう可能性のほうが高いわけで、俺に楽観するつもりはまったくなかった。


 それでも、この委員長の状態でプレイ感がよくなっているというのは、どうやらまちがいないらしい。

  

「これで、本戦も勝てる?」

「……それほど単純にはいかないな。なにせ、相手はほとんどプロみたいなものだ。生半可なものでは太刀打ちできない」

「でも、少なくとも可能性は上がった?」


 それは否定できないだろう。

 大会の開催を控えて、もうすでにランドマークの知らせは届いている。全四十チームがどのように競い、どうやって優勝チームを決めるのかも、すべて把握している。

 去年のルールと同じく、本戦は前半と後半に分かれているようだ。

 前半は、本戦における予選のようなもの。AブロックとBブロックに別れて、それぞれの上位十チームが、後半のリーグ戦へと進む。

 もちろん、その最終リーグ戦では、もっともよい成績をおさめて優勝することが目的となる。


 つまり、前半は「負けない戦い方」、後半は「勝つ戦い方」が求められるわけだ。ルシオンというゲームにおける戦略性を余すことなく発揮しなければ、優勝は望めないということになる。


 すべてを合わせても、十試合。

 それで、全部の片がついてしまう。

 クラスメイト(赤城さん)からのお願いも、それでめでたく完了だ。


「と、そうだ。翠に話しておこうと思っていたんだが、赤城さんについて、前から少し気になっていたことがあるんだ。というのも、赤城さんの電甲杯に出たい動機の話なんだが……」


 俺は、以前se1enと話したときに抱いた違和感について、翠にかんたんに語った。

 赤城さんはほんとうにプロになりたがっているのだろうか、という話だ。


「翠は、俺よりも赤城さんと仲がいいだろう。なにか聞いてたりはしないか……って、どうした、翠」


 みると、ふたたび翠の頬がふくらんでいる。


「クマは、べつに察さなくていいところだけ敏感に察知する」

「どういうことだ?」

「なんでもない。それより、へんなかんちがいはしないで。わたしは、べつにあのひとと仲良くなんてない」

「でも打ち上げの日だって、先にふたりで会っていたじゃないか」

「あれは……あれは、宇宙的な偶然が重なって、不可抗力でそうなってしまっただけ。いずれにせよ、それはわたしにはあまりわからない話。気になるなら、本人に聞いてみればいいと思う」


 もちろんそれがはやいのが、そうしようかという考えが頭をもたげるたびに、あの日のことを思い出してしまい、結局俺はなにも聞けないでいるのだった。


 俺の目に強く焼き付いた、あのときの光景。

 白い頬を伝う涙。

 思い出すと、俺の胸に、ちくりと針が刺すような痛みが走る。


 黙っている俺の背中を、翠がぱしぱしと叩いた。


「クマ、きょうのぶんの練習は終わり。はやく帰る。帰って、クマはしっかり寝て休んで元気をたくわえて、次のおやすみはわたしと映画をみる」

「わ、わかった。急にせっかちじゃないか、翠」

「クマが遅いだけ。最近のクマは、なんだかとろとろ。時は金なり」

「疲れているんだから、ちょっとは見逃してくれないか」

「だめ」


 最近、翠が俺に厳しくなっているように思うのだが、気のせいだろうか。

 





 ――事件が起きたのは、その日の帰り道のことだった。


 とくに、なんの前触れもなかったように記憶している。

 翠といっしょに下校して、家まで送り届けたあと、俺は普通に、いつもどおり自宅に向けて帰っていた。

 翠の家は坂の下のほうにあるから、帰るときは急な斜面を登ることになる。

 自然、のっそりとした歩調になりながら、俺はなにかとりとめのないことを考えていた。ルシオンのこと、電甲杯のこと、翠の家に行ったらなにを作ろうかということなどを。


 坂の途中に、車が停まっていることにはすぐに気がついた。あまり駐車に適した場所ではないから、めずらしい。黒塗りの外車のようで、それもまた目を引いた。

 といってもそれだけで、それ以上には気を払わなかった。

 だが、いざ通り過ぎようとしたとき、


「あの、すみません。つかぬことをお伺いしますが、亜熊杏介さんでおまちがいないしょうか?」 


 そう声をかけられたものだから、かなり驚いてしまった。

 話しかけてきたのは、車の傍に立つひとりの女性。

 スーツに身をつつんだ、二十代くらいのお姉さんだった。すらっとした立ち姿をしていて、小脇にタブレットを抱えている。


「……え、ええ。たしかに、俺が亜熊ですが」


 いったいなんだ、何者だ?

 俺は警戒してしまった。どこかで会ったことがあるかと記憶を探ってみるも、こんな仕事のできそうなめがねのお姉さんは、俺は知らない。


「お会いできてよかったですわ。ああ、ご安心を、あやしい者ではございません。わたくし、赤城愛莉の事務所の運営会社の者です。よろしければ、こちらを」


 名刺を渡されて、とりあえず文言に目を落とした。

 株式会社セイレーンという企業名には、たしかに見覚えがあった。

 名前は、黒峰くろみね玲子れいことある。肩書きは――社長秘書とのことだった。


 なるほど。

 どうやら、不審者ではないらしい。


「それで、赤城さんの事務所の方……が、俺になにか御用でしょうか」

「ええ。それが、突然のお話で大変恐縮なのですが、じつは、亜熊さんに折り入ってご相談がありまして。赤城愛莉のことで、どうしてもお話したいことがあるのです」

「……赤城さんのことで?」


 俺が聞き返すと、黒峰さんはにっこりとうなずいた。

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