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幕間 相戸翠の場合

 終業式を迎える、数日前のことだった。


 その日の昼休み、翠はひとりで部室にいた。


 この部室は、翠にとってのパラダイスだ。もしくは独壇場ともいえる。間違いなく学校でいちばん好きな場所で、心の底からリラックスできる。

 だから翠は昼休みになると教室を抜け出して、ひとりでここにやって来る。

 それは静かに昼食を食べるためでもあるし、趣味のRTAに挑戦するためでもあるし、だれにも邪魔されず勉強に集中するためでもある。


 だが、最大の理由はほかにあった。


 いざお昼を食べようと、翠が弁当箱を開いたとき。

 こんこん。

 ノックの音がして、翠の猫耳がピンと立った。

 ここにたずねてくる人物は、ひとりしかいない。


 翠は手早くスマホのインカメで前髪を確認すると、いつもと変わらぬ無表情の自分の頬をぷにぷにと押してから、鍵を開けに向かった。


「クマ。ちょうど今、おひるごはんを――」


 だが、そこにいたのは望む相手ではなかった。


「はろはろ~! えへへ、やっぱここにいたんだぁ、相戸《ソード》サン。教室行ってもいなかったからまさかと思ったけど、ビンゴ~!」


 コンビニの袋を提げた赤城愛莉が、ふるふると手を振っていた。

 ――クマじゃない。クマだと思ったらギャルだった……。

 翠にして意外な訪問に、目が点になった。


「いや~、ディスコで都合聞いてからにしようかと思ったんだけど、とりま来ちゃった♡ って言い方だと、なんか痛い女っぽくない? あははっ。ねー、入ってい?」


 こうなってしまうと、招き入れない手はなかった。

 翠はこくりとうなずくと、部屋のなかに導いた。

 鍵をかけないどころか扉を開けっぱなしにして入ってきた相手のかわりに、しっかりと施錠する。


「やっぱすごいねー、この部室。めっちゃくつろげんじゃん! ほかに部員のひとっていないの?」

「いない。わたしだけ」

「そういえば、いいんちょくんがそう言ってたかも。ひとりでも部活ってできんだね。てか、部室がもらえんだね。あたしも作ろっかなぁ、ルシ部」


 翠はどう答えようか迷った。

 アマチュア無線部は、この学校ではかなり特別な部活動だ。自分が入学したときの事情を説明してもよかったが、控えておいた。

 また、かりにルシオン部を開いたとなるとほぼ確実に部員はひとりでは済まないだろうが、それにも言及はしなかった。おそらく冗談だ。


「ここに座って」


 翠は椅子を引くと、戸棚に向かった。


「あ、もしかしてお茶淹れてくれようとしてる? ならだいじょぶだよ、持ってきた!」


 愛莉がビニール袋からミルクティーを取り出した。

 ならばいいだろうと、翠も着席する。


「――それで、どういう用件?」


 にこにこするばかりの愛莉に向けて、そう本題をたずねる。

 可能性はいくつか考えられる。どうでもいいケースから、あまりよろしくないパターンまで。

 いずれにせよ、これは好機かもしれないと翠は思った。


 翠のほうも、機会があれば彼女とは話しておくべきだと思っていたからだ。

 だが、愛莉の受け答えは、翠の想像していないものだった。


「んー? や、用事なんかないよー?」

「え」

「単純に、仲良くなりたいなぁーと思って! ほら、せっかくチームメイトじゃん? なのにあたしら、まだぜんぜん話せてないしさ」

「……きのうもけっこう話した気がするけど」

「それはルシオンについてじゃん。それに、いいんちょくんがあいだに入ってるかんじだったし! そーゆーんじゃなくて、もっとなに、ともだちとしてフツーにしゃべる的な? でもほら、そもそもあたしら自分たちのことぜんぜん知らんじゃん? だから遊び来ちゃった!」


 翠の大脳《コンピュータ》が、カタカタと計算をおこなった。

 遊びに来た。なるほど。

 目的は、わたしと仲良くなるため。なるほど。


「ねー、あたしもお昼食べていい? あ、これ知ってる? 火曜だけ裏門のとこ来るパン屋の限定メロンパン! めっちゃうまいのこれ。やばいよ? 外かりで中ふわなの!」


 むしゃむしゃとメロンパンをほおばる愛莉に対して、翠は動きを静止させていた。

 さて、どうしたものか。


「てかあたしさー、めっちゃ相戸サンのこと気になってたんだよねー。なんかキャラ立ちエグいし。ふしぎ系? ミステリアス? だし。てか、まず名前がズルない?」

「ズルないとは」

「だってさー、下の名前、翠《スイ》なんでしょ? 超かっこいーじゃん。あたしの名前ってけっこうメロってるからさ、うらやましーんだよね。いやま、気に入ってる名前ではあんだけどさー」


 ぺらぺらとひとりで話す愛莉に、翠ははっきり、こう思った。


 ――薄っぺらい。


 本心で話しているのか、あやしい。そもそも、訪ねてきた動機を疑うべきだ。タイプも違えば生息圏も異なる自分にわざわざ話しかけにくるというのは、考えにくい。

 ゆえに、翠はこう考えた。

 これはきっと、打算だ。

 彼女の目的は知っている。電甲杯で優勝すること。そのためにチーム内のコミュニケーションを円滑にすることが大事だと考えて、ここまで足を運んだのだろう。

 あるいは表面上だけでもともだちになっておけば、わたしが奮起して練習に励んで、最終的に勝率の向上に繋がるとでも踏んでいるのだろうか。

 そうした利益のために、本当は来たくなかったのに、しかたなくやってきたのだろう。


 だとすれば――と翠は思考を発展させる。

 自分たちの利害は、一致している。

 ならば、今ここでしっかり表明しておくべきだ。

 こちらの考えというものを。


「てかさ、名前! そう、まさしく名前だよ。あのさー、あたしも翠って呼んでいいかな? そっちもさ、愛莉ー! とかっておもくそ呼び捨てにしてもらって……」

「待って」


 と、翠は相手の言葉を止めた。


「あなたに言っておきたいことがある。よく聞いてほしい」

「う、うん? いいよ、なに?」


 翠は相手の目を見据えて、はっきりと口にした。


「わたしは、あなたを傷つけたいわけではない」

「……んぇ?」


 愛莉が、思いきり目を丸めた。


「ごめん、どゆこと?」

「それでも、きちんと伝えておくことが互いのためだと思うから、言っておく。《《わたしは》》、《《あなたと仲良くするつもりはない》》。わたしはあくまでクマに協力しているのであって、あなたのために行動しているのではないから」


 絶句する愛莉に向けて、翠はさらさらと続ける。


「勘違いしないでもらいたいのは、わたしが求めているのは、あくまで現状維持だということ。わたしはあなたを邪険に扱いたいわけでも、目的の邪魔がしたいわけでもない。むしろこうなった以上、目標のためにわたしにできることは協力するし、ゲームの練習もがんばるつもり。でも、それ以上の関係は、わたしに望まないで」


 ぼろりと、愛莉の食べかけのメロンパンが机に落ちた。


「これはとてもシンプルな要望のつもり。わたしは、すべてを今までのままにしたい。これを理解してもらえたなら、この部屋を出て行って。放課後は約束どおり練習に行くから、きのうまでと同じように接して。そうすれば、わたしも同じように話す。それでゲームに必要な意思疎通には問題がないはず」


 必要なことは言えただろうかと、翠は軽く自分の発言を整理した。

 ――うん、だいじょうぶだ。言えている。


 相手は、いかにもショックそうにぽかんと口を開けていた。

 それでも、翠の無表情は崩れない。

 少し酷な言い方だったかとは思うが、必要なことだ。自分にはできることとできないことがあるし、やりたいこととそうでないことがある。

 無理して人間関係を成立させようとしても、なにもいいことはないのだ。


「わたしの言いたいことはそれだけ。わかってもらえた?」

「……え」


 ようやく愛莉の口から出てきたのは、そんな驚きの声だけだった。


「え。ええ。えええええ……」


 そうして驚きながらも席を立ったから、翠は、相手が話を理解してくれたと思い、ほっとした。

 が、愛莉は出て行かなかった。

 それどころか、次に愛莉が見せたのは、翠の予測の真逆だった。


「えええ、えええええええーーーーーっっ。え、うそ、マ!? めっっっちゃ塩対応じゃん! やばっ、超《チョー》萌えんだけどっっ」


 目を輝かせながら、愛莉は翠の両肩を掴んできた。

 ……は?

 翠の頭が、真っ白になった。

 なんだって。萌え……?


「やっばぁ、今のすっごい刺さった! うわイイ、なんか初めて会ったときのトワ思い出した~! え、てかさ、聞いていい? いいよね? さっきさ、いいんちょくんのためにやってるって言ってたよね? それってどゆイミ? やっぱそーゆーイミなん??」

「ち、ちょっと待って……」

「まさかあたし、翠ちゃん的にはめっちゃおじゃま虫だった? ひょっとして、いいんちょくんとの日常にいきなり横から変な女が入ってきてうざいカンジだった? だとしたらゴメン! ほんとゴメンけど……でも、それめっっっちゃ萌えなんだけどっ!」


 きゃー、超イイ、めっちゃかわいいー! と、愛莉はひとりで悶え出した。

 対して、翠の頭の上には大量のクエスチョンマークが浮かんでいた。


「はぁぁー、なるほどねー。まあたしかに男女で仲いいわけだし、なんかあんだろうなーとは思っていたけど、そーゆーかんじだったわけね。なら、あたしのことすっごい嫌いなはずじゃん! でも普通に接してくれてたんだ! それもあたしのため……っていうか、いいんちょくんを意識してのことかな? うわー、最高じゃんそれ!」


 ひとりで勝手に納得する愛莉に、翠はうろたえて言った。


「も、もういちど説明する。わたしは、あなたとは」

「うんうん、仲良くする気ないんだよね♡ ちゃんとわかってるよー?」

「そ、それなら出て行ってほしい……」

「出てく出てく! あと三十分くらいしたら出てくから!」

「それだともう昼休みが終わっている」

「そだねー、困っちゃうねー♡ あ、メロンパン食べる? もー、こうなったらひと口と言わず半分あげちゃう! はい、あーん」

「そ、そんな大きいの入らない……ちがう。じゃなくて、ええと」


 どうすればいいのか、翠にはわからなくなってしまった。

 なぜ。どうしてこうなる。

 こうならないようにきちんと言ったのに……。


「とにかく離れて。べたべたしないで」

「翠たそがメロンパン食べてくれたら離れるよ?」

「か、勝手に名前で呼ばないで。変な呼び方もしないで」

「えー? でもあたし、ばかだから苗字忘れちゃったなー」

「うそ。さっきまできちんと呼んでいた。戻してほしい」

「なんだっけ。剣崎サン?」

「ちがう。それはおそらく相戸《ソード》から連想した名前。つまりあなたが覚えているのにうそをついている証拠」

「やーん、翠ちゃんってば頭イイ、かーわいー♡」


 よしよーしと言って撫でてくるギャルを、翠は振りほどくことができなかった。

 なにか、対処法を練らねばならない。うまく撃退する方法を……。

 だがそれは、現時点の翠では解き明かせない難問だった。


「ねーねー、いいんちょくんのことはさ、いつから好きなん? あ、ちな安心してね! そーゆーことだったら、あたしぜんっぜん邪魔する気ないから! てか、むしろ超応援するし!」

「……。」

「無視しないで教えて教えてー♡ ほら、うまく援護射撃するからさ! あたしそーゆーのけっこううまいんだよ?」


 愛莉は上半身を机に預けると、にっかりと笑って続けた。


「てか、ほんと嬉しいなー。もともといいなーって思ってたけど、なんかもう、興味が百倍出たカンジだわ。――だからさ、これからもよろしくね? 翠ぴ!」


 理解できない女だが、それでも翠にはひとつ、よくわかったことがあった。


 ――わたしは、この女がきらいだ。


 結局、予鈴が鳴るそのときまで、翠は突然の来訪者を追い出すことはできなかった。

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