負けてしまう【10話】
いつもより少し文字数多めです
教会の外にある庭。謎の少女に手を引かれ、でぃんはベンチに腰掛けた。礼拝堂から少し離れた静かな庭には、柔らかな風が吹いている。しかし、でぃんの心は晴れなかった。
膝の上に兜を置いてうつむき、目に涙をためる。つい先ほどまで司祭と話していた内容が、頭の中で何度も反芻する。
「それで、どうしたの?」
隣に座った謎の少女が、顔を覗き込むように尋ねた。
「……私、勇者に間違われてしまったんです」
「間違われた?」
「はい。この髪のせいで……。人を魔物から守ったこともあって、みんな私を勇者だと思い込んでしまったんです」
「へえ、そうなんだ」
謎の少女は相槌を打ちながら、でぃんの話に耳を傾けた。驚いた様子もなければ、責める様子もない。ただ、続きを待つように首を傾げている。
「でも、私はまだ駆け出しの冒険者なんです。戦闘も得意ではありませんし、魔物と戦うのだって精一杯で……」
でぃんは膝の上の兜をぎゅっと握った。金属の冷たさが手に伝わる。これから勇者として戦うことになるのなら、この鎧も兜も、今まで以上に重く感じられるのだろう。
「そんな私が魔王と戦ったところで、勝てるわけがありません。きっと、あっという間に負けてしまいます……」
「そっかぁ」
謎の少女は否定も肯定もせず、静かに頷いた。
「それなのに、みんな私に期待して……。司祭様からは女神様の意思だとか、運命だとか言われてしまって……」
でぃんの声が少しずつ小さくなっていく。誰かに話せば楽になると思っていたのに、口にすればするほど、自分が置かれた状況の大きさを思い知らされるようだった。
「私、どうしたらいいんでしょう……」
とうとう耐えきれなくなったのか、でぃんは顔を伏せた。
謎の少女は、すぐには答えなかった。ローブの袖から覗く指先を顎に添え、少し考え込む。
(うーん……この子になら、いいかな)
やがて、何かを決めたように顔を上げた。
「ね、顔上げて」
「はい……?」
でぃんがおそるおそる顔を上げると、謎の少女はフードに手をかけた。そして、周囲に人影がないことを確かめるように一度だけ辺りを見回し、そっとフードを脱いだ。
それまでローブに隠されていた顔が、初めてでぃんの目の前に現れる。
その瞳は不思議な色をしていた。光を受けて輝いているのに、どこか深い水底を覗き込んでいるようでもある。まるでこの世のものとは思えないような輝きに、でぃんは思わず息を呑んだ。
「……綺麗……」
気づけば、そんな言葉がこぼれていた。
謎の少女は、でぃんの反応を気にする様子もなく、穏やかな声で語りかける。
「今は怖くて当たり前だと思うよ。だって、今まで普通の冒険者だったのに、いきなり勇者だなんて言われたんでしょ?」
謎の少女は、でぃんの顔を覗き込んだ。責めるでも、無理に励ますでもない。まるで、でぃんが抱えている不安をそのまま受け止めるような眼差しだった。
「それに、最初から強い人なんていないよ。できないことがあったっていいし、失敗したっていいんだよ」
「でも、魔王に負けてしまったら……」
「そのときは、そのときに考えればいいんじゃないかな?」
「……え?」
思いがけない返答に、でぃんは顔を上げた。
「まだ戦ってもいないのに、負けるって決めちゃうのはもったいないよ。それに、勇者だからって一人で全部背負わなきゃいけないわけじゃないでしょ?」
謎の少女は、にこりと笑った。
「怖いなら、怖いままでいいんだよ。ゆっくり進めばいいんだから」
でぃんは少女の瞳を見つめた。
不思議な感覚だった。さっきまで胸を締めつけていた不安が、少しずつ遠のいていく。魔王に勝てるのか、自分に勇者が務まるのか。そんな悩みが、まるで遠い出来事のように感じられた。
少女の言葉に納得したからなのか、それとも、その瞳を見つめているからなのか。でぃん自身にもよくわからなかった。
ただ、先ほどまであれほど重く感じていた運命が、今は不思議と受け入れられる気がした。
「……私、やってみます」
でぃんは顔を上げた。まだ目元には涙が残っていたが、その表情には先ほどまでの絶望とは違うものが浮かんでいた。
「まだ怖いですけど……自分の運命を受け入れます」
「うん。少し落ち着いたかな?」
謎の少女は、でぃんの頭をぽんぽんと撫でた。その手つきは、幼い子どもをあやすように優しかった。
「じゃあ、そろそろ行くね」
「あっ、ありがとうございました!」
慌てて頭を下げるでぃんに、謎の少女はひらひらと手を振った。
そしてフードをかぶり直すと、何事もなかったかのようにベンチから立ち上がり、その場を去っていった。再びローブに隠された姿は、少し離れるだけで周囲の景色に溶け込んでしまいそうだった。
でぃんはその背中を見送りながら、しばらくぼんやりと座っていた。先ほどまで泣いていたことが嘘のように、心は静かだった。
入れ替わるように、司祭のアロワナが慌てた様子で庭にやってきた。
「でぃんさん!ご無事ですか?!」
突然の声に、でぃんは肩を跳ねさせた。
「え?司祭様?無事って……?」
「……いえ、気のせいだったようです。それより、お忘れですよ」
アロワナは何かを察したように一瞬だけ目を細めたが、すぐにいつもの穏やかな表情に戻った。そして、両手で灰色の毛玉を差し出した。
「毛玉ちゃん!!置いていってごめん!」
でぃんは慌てて毛玉を抱き上げた。小さな体を腕の中に収めると、ようやく大切な相棒を置き去りにしていたことを実感した。
毛玉は気にしていない様子で、でぃんの腕の中にすっぽりと収まっている。
「司祭様、ありがとうございます!……私、決めました。自分の運命を受け入れます」
「……そうですか。応援していますよ」
アロワナは穏やかに微笑んだ。その表情からは、彼が何を考えているのか読み取れなかった。
でぃんは毛玉を抱きしめ、今度こそ前を向こうと顔を上げた。
「きゅっ!」
毛玉は、でぃんの腕の中で小さく鳴いた。




