↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
4/10

第三話 『図書室の観測者』

 図書室に戻ると、窓際の席に、女子生徒が一人座っていた。


 膝の上に開いた本。艶やかな黒い髪。カウンターの向こうの、陽の当たる場所に。まるで最初から、この景色を見ていたかのように。


「また戻ってきたんですね」


 本から顔を上げずに言われた。

 その声を聞いた瞬間——俺は懐かしい感覚で満たされる。


(文野森《ぶんのもり》、琴葉《ことは》)


 自然と名前が出てくる。名前だけじゃない。透んだ綺麗な声。人前だと言葉に詰まるくせに、本の話になると止まらないこと。映画も好きなこと。それから——


『この子はお前が担当しろ。どうせ人気にならないだろうし』


 また一行。今度は疑いようがなかった。


 琴葉のシナリオは俺が書いた。琴葉の人生を俺が描いてんだ。だから何だって覚えている。琴葉の声で記憶が戻ってくる。


「今日、何回目ですか」


「……分からないな。数えてなかった」


「私も数えてません」


 琴葉が顔を上げた。怯えでも歓迎でもなく、ただ文字列だけを観察するような目で、俺のことを見ていた。


「琴葉です。初めまして」


「知ってる。誰よりも、お前のことを」


 言ってからしまった、と思った。名乗られる前に知っている、と言ってしまったのだ。


 琴葉の目がわずかに細くなる。


「そうですか」


 それ以上は追及されなかった。琴葉は何かを知っているようだったが、膝の上の本に視線を戻した。


「俺は佐藤だ。なあ、一つだけ聞いてもいいか。琴葉はこの部屋から出たことがあるか?」


「あります」


「自分の意思で出られたのか」


「いいえ。本を返しに行こうとして、扉を開けて、廊下に出て——気づいたら、この席に座ってました」


「何回」


「数えてません、って言いましたよね」


 淡々とした声だった。怒りも失望もない。ただ続いているだけだ、ということ。


「最初は、貸出処理が全部終われば出られるんだと思ってたんです」


「……違ったのか」


「違いました。返却を全部済ませても、棚を整理しても、蔵書点検を終わらせても。何を終わらせても、外には出られませんでした」


(俺は戻される側。こいつは出られない側)


 図書室を起点にすると形が逆だ。俺は外で弾かれて、ここに戻ってくる。琴葉はここから出ようとして、ここが起点になる。


「日付は進むんです」


 琴葉が、ぽつりと付け足した。


「カレンダーも、貸出カードの日付欄も、何かをきっかけにして、ちゃんと進む。でも、私が何かをしようとすると、何も変わらなくなってしまう。昨日つけたはずの印が、違う場所にあったりして。だから、自分から動くことをやめました」


 琴葉の行動と、図書室の法則がズレている。ただ閉じ込められているだけじゃない。図書室の時間と、琴葉の行動が一致していない。


「琴葉、お前——」


「推しのライブ、行けてないんだな」


「…………は?」


 琴葉が、固まった。

 一体あなたは何を言ってるんですか、と。


 本を持つ手がしばらく固まった後、ページの端がゆっくりと戻っていく。


「どうして、それを」


「え」


「私、誰にも言ってません。ここの誰にも。推しがいることも、誰なのかも」


 まずいか、と思った時にはもう遅かった。しかし嘘をつく気にもなれなかった。


「推しの一人や二人、誰にだっているさ」


 長い沈黙だった。琴葉は俺を見ていた。観察するような目のままで、ずっと。


 やがて、琴葉が本を閉じた。


「佐藤さん、でしたよね」


「ああ」


「あなたも、閉じ込められていた。私とは逆向きに。そして、私が誰にも話していないことも知っている。理屈は分からないけど、嘘をついている顔ではない」


 琴葉は、カウンターの下から一冊のノートを取り出した。空白のページを開く。


「確かめましょう。あなたの現象と、私の現象。同じなのか、違うのか」


「いいのか。俺のこと、信用しても」


「信用はしていません」


 即答だった。


「でも、この部屋で、私と同じ種類の目に遭っている人は、あなたが初めてです。一人で試せることは、もう全部試しました。だから、二人で試せることを、もう一度、試したいだけです」


 まるで扱い慣れた言葉を読み上げるかのように、琴葉が静かに立ち上がりながら、俺にそう告げたのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
図書室という閉ざされた舞台で少しずつ謎が明らかになる展開に引き込まれました。琴葉の静かな雰囲気と主人公との掛け合いも心地よく、二人で現象の真相に迫っていくこれからの物語がとても楽しみです。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。