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北の館

広大なダーク家の敷地には四つの館がある。

北の館にいるのがエマリーとその母親で、南の館にいるのがアーロンとアーロンの母だとベチカは話した。


「呆れたよ。アンタ、使用人の子供の癖に、そんなことも知らなかったわけ?」


「う、うん…まあね」


リリーベルは曖昧に答えた。

帰り道、ふたりはバスの長椅子に腰かけていた。


実のところ、リリーベルはダーク家について少しは知っていた。

当主のアルディオン・ダークには、三つの家庭があることを―――。


「にしても一夫多妻なんてさ、旧世界じゃ、辺鄙なとこに住んでる文明遅れの野蛮人だけがしてたって話じゃないのさ。やっぱりアルカナの奴らなんて、お高くとまってるけど、まともな奴らじゃないんだね」


バスにアルカナは乗ってこない。そう決め込んで、ベチカはなかなか過激な発言をする。


「より優れたアルカナを作るためだって言ったって、それじゃペットの品種改良と同じさね。……きひひ、アルカナの品種改良かぁ」


リリーベルは窓の外に視線をやった。なんとなく聞き入りたい気分ではなかったから。


この世界ではアルカナのみ重婚を認められていた。

それはベチカの言うとおり、優秀な魔力を持った子孫を多く後世に残すためである。

ダーク家直系のアルディオンは、彼が家を継ぐ際、少なくとも三人の妻を娶ることを義務づけられたという。もちろん彼の秀でた遺伝子を多く残すためだ。


アルディオンと結婚した三人の妻たちは、それぞれ北の館、南の館、西の館が与えられ、それぞれが生んだ子供たちと暮らしている。アルディオン本人は東の館にひとりで暮らしていて、そこから三つの館を行き来している。


リリーベルがダーク家について知っているのはここまでで、それ以上はあまり詮索しない方が良いと、両親や周りの様子から察していた。

しかしベチカみたいなタイプはそんなことはお構いなしだ。


「エマリーとアーロンは顔こそ似てるけど、そりゃあ仲が悪いよ。というよりアーロンがひとり勝手に対抗心燃やしてるだけど。ま、エマリーはダーク家直系と最強の魔女の間に生まれた超サラブレッドだもん。ママがコモンのアーロンは僻むさ」


「…アーロンのお母さんはコモンなの?」


「そう。コモンとの間じゃ魔力を持たない子供が生まれてくる危険もあったって言うのにさ、アルディオン様が押し通したとか。相当アーロンの母親に惚れてたんだろうね。とんでもない玉の輿。シンデレラストーリーだよ」


たしかにアルカナとコモンの婚姻は非常に珍しいものだ。

アルカナがコモンに好意を抱くことはある。しかしそのほとんどは婚姻関係を結ばず、都合よく自分の側に置くだけのものになる。家庭はアルカナ同士で築くのだ。


「そんでもってアーロンがお熱なシルヴィアは母方の親戚の娘。このまま上手くいけばシルヴィアはやがてはダーク家の一員―――第二のシンデレラ候補ってわけさ」


「へえ……」


リリーベルは、控えめなカスミ草の少女を思い出し、複雑な気分になった。


「でもって、第三のシンデレラはこのアタシかもね~」


ベチカが鼻歌まじりに言った。


「え? 君って、アーロンのことが好きなの?」


「ばっか、アーロンじゃないよ。アタシが恋い焦がれるのは…麗しのキュメリオ様さね!」


そういえば、ダーク家にはもうひとり息子がいるのだった。


(麗しのキュメリオ様か…さっきまであんなにアルカナのことを口悪く言ってたのに)


勝手なものだな、とリリーベルはひそかに思った。



家に帰ると、リリーベルはすぐにベッドで横になった。

また『繭替』が始まる気配がしたのだ。熱があって頭がぼんやりする。


「……忙しいわねぇ。つい昨日、繭替したばかりなのに」


母親のハンナが心配そうにリリーベルのおでこを撫でた。

体調や精神状態によって周期が変動することもあったが、通常『繭替』は一週間ほどの間隔で起こるのだ。


「やっぱり環境が変わったせいかしら。何か変わったことでもあった?」


「ううん、何も」


(きっと、朝、空を飛んだせいだな)


「そう…。転校したばかりで色々慣れないでしょうけど、大丈夫よ。お前はとても優しい子だし、すぐに良い友達がいっぱいできるわ。ポリーみたいにね」


「ポリーか、会いたいなぁ……」


「会いに行けばいいわ。そのうち、ね」


(友達かぁ……できるかなぁ)


――――『こんな私といるのは、嫌?』


ふと、エマリーの言葉がよみがえった。

何故あんなに淋しそうな顔をしたんだろうか。多くの人間に囲まれているダーク家のお嬢様が。


「リリーベル、安心して、もう眠りなさい」


穏やかな母親の声が、いつの前にかエマリーに変わっていた。


―――『安心して。私があなたを守ってあげるから』


……あれ? この優しい声はいつ聞いたんだろう?

ベッドで横たわるリリーベルの背中から、糸が溢れ出してきた。


雨の匂いが、する。

……昨日だ。

誰かが僕の繭を撫でていた。

白薔薇を見た、気がする。

……胸元の紋章……白薔薇の……。

………ああ、なんてことだろう。

……そうだ。あれは、エマリーお嬢様だったんだ……。


リリーベルは、欠けた記憶を取り戻し、そして繭に包まれた。



              ※



北の館では、エマリーが鳥籠の中にいた。

人間がひとり入れる大きさの鳥籠の中で、エマリーはじっと膝を抱えていた。


「……気持ち悪いわ、お母様」


籠の向こう、目の前にいる母に、小さく訴えた。


「我慢なさい」


他に誰もいない密室で、魔女モルガの声が冷たく響いた。


(本当に…これは何度やっても、気分が悪いわ……)


エマリーは小さく呻き声をあげ、額には冷や汗を滲ませていた。


鳥籠の中では真紅の霧がうずまいている。

この赤い霧はどこか生臭いのだ。

しかし息をするたびに嫌でも吸い込むことになる。


(……何なのかしら、これ……)


魔力を高めるためだと言って、一年ほど前からこの鳥籠の中での訓練が始まった。

エマリーは、これを訓練ではなくある種のお仕置きだと解釈している。

たとえば学校をサボったとか、道にガムを吐いたとか、母が父に愛されていないことを知っているとか。……母が望むような娘ではないことへの。


(これは罰なのよね、お母様)


薄暗い部屋で、母モルガの紫の瞳は、幽かに光を帯びていた。

赤い霧がたちこめる鳥籠の中で、エマリーは浅く息をしながら、静かに瞼をとじた。



夜。就寝の支度をしていたエマリーは、カーテンを閉めようとして窓の外を見た。そして気づいた。北の館の玄関から、去って行く少年の後ろ姿に。


(―――リリーベル!)


慌てて自室を飛び出し、大階段を降りたところでお目付役のメイドに呼び止められた。


「こんな夜分にどちらに行くので? お母様に叱られますよ」


メイドの手元には白薔薇のブーケがあった。飾りで可愛らしいネコのヌイグルミが添えられている。厳かな北の館には似合わない代物だ。


「……どうしたのよ、それ」


「はい。さきほど庭師の息子がやって来て、これをお嬢様にと。夜遅くに無礼だと、きつく叱りつけたところです」


「どうして来たって伝えないのよ!?」


「…。庭師の子供ですよ?」


お会いになどならないでしょう? と心底不思議そうな顔をした。


メイドの手からブーケを乱暴に奪うと、エマリーは自室へと戻っていった。



鏡台の前に白薔薇のブーケを置くと、花束の中にメッセージカードが隠されていることに気づいた。それは開封すると吹き込まれたメッセージが流れる仕組みで、リリーベルの、女の子の時とはちょっと異なるやや低めのハスキーな声が流れはじめた。


『こんばんは。エマリーお嬢様。リリーベルです。こんな夜遅くにごめんなさい。でもどうしても今日のうちに言いたくて…。直接お礼を言いたかったけど、たぶん無理だろうと思って、このメッセージカードを預けることにしました。

僕は今日も『繭替』が起こって、女の子から男の子になりました。

それで…今日、繭玉になる直前にやっと思いだしたんです。

昨日のことを。あなたのことを』


「……!」


エマリーは思わず息をのんだ。


『本当にごめんなさい。命を救ってくれた人のことを忘れてしまうなんて。

エマリーお嬢様、あなたはとても優しい人なんですね。繭の中では、近くにいる人の心を強く感じるんです。あなたの心は、とても温かくて、優しかった。

本当にどうもありがとうございました。どうしてもこのお礼が言いたくて……。

……あと、それから…。もし僕で良かったら、あなたの友達になりたい。あなたみたいな人と友達になれたら、僕は嬉しい。ブーケの白薔薇はお嬢様をイメージしたものです。それでは、おやすみなさい。…良い夢を』


エマリーは、再びカードを開き、もう一度同じメッセージを再生した。

何度も何度も、リリーベルの柔らかな声に耳を傾けていた。

北の館。―――ダーク家という大きな鳥籠の中で。



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