教室にて
「み~た~わ~よ~~」
歯列矯正の器具を光らせ、クラスメイトのベチカがやって来た。
「あのエマリー・ダークと一緒に登校するなんて一体何なのさ、転校生」
「さあ、僕にもよく分かんないよ…」
教科書を机にしまいつつ、リリーベルが答える。
「たぶん僕が新しく来た庭師の子供だから、声をかけたんじゃない?」
「ばっかだね、アンタ」
ベチカは前の椅子に、後ろ向きに腰掛けた。
「あの意地悪魔女のエマリー様だよ? 使用人の子供なんて虫けら同然さ。何とも思っちゃいないよ」
「意地悪? あの子が?」
「そうそう。ワガママで高飛車で、性格クソクソ、サイアク!」
「…そうかな……」
ベチカの言うことを否定したい気分になったが、エマリーをそれほど知っているわけではない。
「でも本当になんで僕に声をかけてきたんだろ」
「教えてやろうか?」
「え? 分かるの?」
「たぶんね。―――これさね!」
両手を伸ばし、リリーベルの胸を無遠慮にぐわしと掴んだ。
「わっっ!!……なにするんだよ!」
「ふうん、ホントに女になってる。しかも意外とある……」
ベチカは指をやわやわ動かし、触った手ごたえを確かめた。
その卑猥な動きに、リリーベルは胸を真っ赤にした。腕で抱きしめるように自身の胸をガードした。
「だから、これだよ。エマリーがアンタに興味を持ったワケ。アンタが世にも珍しい『繭持ち』だってことさ」
この世界は、魔力を持つ『アルカナ』と、持たない『コモン』のふたつに区分される。
しかし厳密には、それ以外に、もうひとつ人種があった。
ほんのごく僅かな人種のため、一応はコモンに分類されるが、『繭持ち』と呼ばれる彼らには特殊な性質があった。
それは『繭替』―――繭玉を仲介して、男になったり女になったり、性別が転じる性質である。
彼らは繭の中で躰を変化させる。サナギが蝶になる現象にも似ているが、詳しくは解明されていない。かつて研究者たちが調べようとして、何人もの繭持ちを殺してしまったからだ。
さらに、繭持ちであるのは子供のうちだけで、思春期を経て大人になる段階でどちらかの性別に落ちつき、やがては本当に、ただのコモンになる。
「僕が繭持ちだったから、お嬢様が声をかけた……?」
「そうさ。珍しいってだけで繭持ちなんて厄介だし、マジ意味不明だけどね」
ベチカの言葉は痛烈だが、世間が繭持ちに向ける一般的な見方だった。
「自分んとこの使用人の子供がそうだって知って、気まぐれにちょっかい出しただけさ。声をかけてもらったからって調子にのってごらん。どうせすぐ飽きられてポイだよ。間違いないね」
(……かもしれないなぁ)
たしかに彼女はリリーベルが繭持ちであることを知っていた。
実際エマリーの発言の中にはそれに興味を示すものがあった。新しいものが好きだとも言ってた気がする。
(僕がただ…珍しくて新しくて…)
だから好意的だった―――でもきっとすぐ飽きられてしまう。
青い空の上で見た、エマリーの綺麗な微笑みを思い出し、少し鼻の奥がツンとなった。
「で、アンタは今日どうするつもり? 一限目の準備してきた?」
目の前にはベチカのそばかすの顔があった。
「工学で、身近な機械を解体するんだよね? 目覚まし時計持ってきたよ」
「それは男子の授業。女子は家庭科でジャム作り。材料の果物が必要なの」
「そうなの!? 持ってきてないよ」
「マヌケだね~、やーね、どうするのさ、困ったねぇ~」
とベチカは自分の席へと戻っていった。彼女の机には、ジャム作りの材料である大量のオレンジが入った袋があった。
(あのオレンジをひとつ分けてくれればいいのに)
リリーベルはしょんぼりした。
家庭科の授業が始まろうとしていたが、リリーベルは途方にくれたままだった。
各々、好きな班のテーブルでジャムを作るらしいが、どの班もリリーベルに「入っておいで」と誘いをかけてこない。
ベチカに至っては目を合わせようともしない。あえて無視している。彼女はリリーベルの存在を面白がっているが、本当に仲良くしたり、頼られたりするのは迷惑だと考えている節があった。
そして他の生徒たちもリリーベルを遠ざける傾向があった。
転校して間もないせいもあるが、それよりも、日によって男になったり女になったりするリリーベルとどう接していいか分からなかったのだ。
リリーベルは仕方なく、空いているテーブルにひとり着席した。
「ねえ、野イチゴは好き?」
鈴が鳴るような声がして、顔をあげると、綿菓子みたいな少女が立っていた。
ええと、たしかこの子は……。
「シルヴィアよ。リリーベル」
「ごめん、まだ名前が覚えきれなくて」
「ううん、転校してきたばかりだもの。それでねリリーベル。私、野イチゴをたくさん持ってきたの。もし良かったらもらってくれない?」
「え……?」
「うちの庭で採れたイチゴだからちょっと酸っぱいけどね。ジャムにはちょうどいいわ」
シルヴィアは軽くウィンクした。あげるわ、忘れちゃったんでしょう、と。
「……ありがとう! すごく助かるよ!」
「ふふ、どういたしまして」
そう言って野イチゴを半分渡すとシルヴィアは、自分のテーブルへと戻っていった。
(優しい子だな……)
授業が始まり、結局リリーベルはひとりでジャム作りをしたわけだったが、シルヴィアの気遣いが心にしみて、淋しくはなかった。
完成したイチゴチャムの小瓶がとても大切な宝物に思えた。
あんな子と仲良くなれたらいいなぁ……。
リリーベルはその後の休み時間ももひとりで食べるランチの間も、こっそりシルヴィアの姿を目で追っていた。
どことなく控えめで目立つタイプではない。でも綿菓子みたいに可愛らしい女の子。
花でたとえたら、きっとカスミ草だ。
リリーベルは草花に囲まれて育ったため、人を花にたとえる癖があった。
(―――じゃあ、エマリーお嬢様は?)
ふと思った。花にたとえると彼女はなんだろう?
(ああ……白薔薇だ。すごくぴったり)
あの高貴な佇まいも、冷たい美しさも、トゲがあってちょっと怖いところも。
放課後近くになって、リリーベルは小さな変化に気づいた。
シルヴィアがひとりぼっちになったのだ。
先程まで近くにいた友人たちが急によそよそしくなり、彼女の周りから離れていった。
どうしたんだろう? 疑問に思ったがチャンスでもあった。
(シルヴィアに声をかけて一緒に帰ろう。ジャムのお礼も言いたいし……)
ジャムの小瓶を手に彼女に近づこうとしたら、
「やめときな。転校生」
変なところでお節介なベチカが、リリーベルを止めた。
「悪いことは言わない。シルヴィアには近づかない方がいい。アンタは今日でこそ女だけど、半分男みたいなモンだから、あとが怖いよ」
「どういうこと? 怖いって何が?」
「アイツが、シルヴィアに男が近づくのを嫌がるからさ」
―――アイツ?
すると青い小鳥が教室に入ってきて、シルヴィアの机の上にとまった。
「ムーバード…」
シルヴィアが小鳥の名をぽつりと呼ぶ。
「ほら来たぞ、アーロンが」
そうベチカが言ったと同時に、窓の外に、金髪の少年が現れた。
「帰るぞ! シルヴィア!」
ホウキに乗ったその少年は宙に浮いたまま、シルヴィアに手を差し伸べた。
シルヴィアは手のひらに小鳥をのせると、窓辺に行き、飼い主である少年の肩に戻した。
「…アーロン、私、たまにはバスで帰りたいわ」
「何を言ってる。ホウキの方がずっと楽だろ。さあ、はやく乗れよ。僕はここが嫌いなんだ。なのに君のために、わざわざ毎日迎えに来てやってるんだぞ」
横暴で自分勝手だが、どこか子供っぽく憎めない口ぶりだった。
シルヴィアは小さくため息をつくと、少年の手にひかれ、ホウキの後ろに飛び乗った。
少年は琥珀色の瞳で、彼女を愛おしげに見る。
そしてふたりは空高く飛び去っていった。
「……エマリーお嬢様に似てる」
先程の少年。雰囲気こそ異なれど、エマリーに顔がよく似ていた。
あの印象的な琥珀色の瞳も、月色に輝く髪も――少年の方がやや濃い金色だ。
「そりゃそうさね。アーロン・ダーク。エマリーの弟だもの」
ベチカは口元を歪ませ、続けた。
「にしても、よく似た姉弟だろ?……母親が違うのにさ」




