第十一話 異端のジャーナリストとの心中
柚木は深く重い息を吐き出すと、ノートPCのキーボードにその小さな両手を置いた。
「勝又さん。確かあんたが追っているヘブン移行センターのネタだが、ここの資料で裏取りできるんじゃないか?」
柚木が画面上に呼び出したのは、一般には決して公開されることのない、政府管轄スマートシティ・プロジェクトルームの内部資料だった。
「へぇ、ハッキングもできるのね。大したものだわ」
隣で画面を覗き込んでいた勝又が、感嘆の声を漏らす。だが、柚木は視線を画面に固定したまま、感情を排した声で答えた。
「いや、違う。アクセスルートを知っているだけだ。ハッキングなんて高度なもんじゃない」
柚木は複数の裏ルートをパズルのように組み合わせ、自身の足跡を霧の中に消しながら管理領域の奥深くへ侵入していく。その手際は、彼自身がこのシステムの設計に関わった創造主の一人であることを如実に物語っていた。
「見ろ。これが循環の正体だ」
柚木が画面を勝又の方へ向けた。そこに表示されていたのは、伊豆のスマートシティに建設されたエネルギープラントの運用要件仕様書だ。その横には、ヘブン移行センターの構成図とワークフロー図が、冷徹な論理で並んでいる。
【抽出】、【選別】、【用途別分配】。
画面上のキーワードをなぞるうちに、勝又の顔からみるみる血の気が失われていった。百戦錬磨のジャーナリストとしての直感が、断片的な情報の羅列から、吐き気を催すような最悪の真実を即座に形作っていく。
「総理は記者会見で、残された肉体を『循環型資源として再処理する』なんて、SDGsみたいな綺麗な言葉で誤魔化していたわね。臓器提供の話も出たけれど……国民のほとんどがヘブンへ行くのに、一体誰がその提供を受けるっていうの?」
「決まっている。ヘブンへ行かず、リアル世界に居座り続ける権力者たちだ」
柚木の言葉に合わせて、抽出フローの図が強調される。そこには、移住者の身体から新鮮なパーツを最優先で選別し、特権階級へ供給するための秘密のラインが記されていた。
「そして、残った肉体は用途別に分配・再利用される」
勝又が絶句する中、柚木はさらに冷酷な事実を突きつけた。
「これが柿枝政権の描いた、国を挙げた完全犯罪のスキームだ。生かさず、殺さず、骨の髄まで利用する」
研究員としての内部情報と、ジャーナリストの嗅覚。二つの線が重なり合った瞬間、世田谷の狭いリビングには、柿枝政権が隠し持っていた底知れぬ狂気が溢れ出した。勝又はこみ上げる強烈な吐き気を抑えるように、口元を強く押さえ、震える声で絞り出した。
「ありえないでしょ、こんな事! こんなの、国がやる事じゃない……人間が、人間にやっていい事じゃないわ!」
「だが、それが現実だ。……そして、俺たちが止めなきゃならない嘘の正体だ」
柚木は青白い画面から目を離さず、小さな両手でキーボードを叩き続けた。室内には、小児特有の柔らかな指先がプラスチックを叩くペチペチという軽い音が、切迫したリズムで響き渡っている。
「俺はこれから、生活コンポーネント『サマトヴァ』をヘブンに繋ぐブリッジを実装する。休眠させられている同僚たちを強制的に目覚めさせ、仮想世界で生きているという実績を世界に突きつけるんだ。そうすれば、柿枝も衆人環視の中で彼らを消去できなくなる!」
勝又は小さく息を吐いた。
「なるほどね。システム側に生存の証拠という既成事実を作って、政府の陰謀を物理的・政治的に封じ込めるってわけか」
「そうだ。だが、そのためには俺が最優先でブリッジの実装を終わらせなきゃならない。サマトヴァの基幹部分は、インドの仲間が全世界のリージョンに配備してくれている。だが、それをヘブンのサーバに繋ぎ込める人間は、美桜の安否がわからない今、俺しかいないんだ。それに……」
柚木はそこで一度言葉を切り、自分の小さな掌を見つめた。
「俺のこの意識が、いつまで保つかも定かじゃないからな」
「どういう事?」
勝又の問いに、柚木は自嘲気味に口角を上げた。
「俺が今この体にいるのは、一時的なバグに過ぎない。……最悪なのは、俺が眠りに落ちたり、失神したりして意識が途切れた瞬間だ。その瞬間に俺は消滅する。そこが一番のデッドラインだ」
一瞬のまどろみすら、永遠の消滅を意味する。生物として抗えないはずの眠りという現象が、柚木にとっては自己の死そのものだった。薄氷の上を歩くような絶望的な状況。
「だから、俺が監視の目をかいくぐってサマトヴァへ繋ぐまでの間、ヘブンの実態を暴露し、世間の目をこちらへ向けておく必要がある。政府の動きを鈍らせ、炎上を維持できる役割が必要なんだ。それにうってつけなのは、政府に飼い慣らされていない異端のジャーナリスト……勝又さん、あんたしかいない」
柚木はここで初めて、ペチペチと鳴り続けていた打鍵を止めた。
椅子を回転させ、真っ直ぐに勝又を見据える。
「勝又さんの知識と経験、そして人脈を貸してくれ。――俺と共に、戦おう」
勝又はしばらくの間、何も言わずに立ち尽くしていた。
世田谷の静かな住宅街にあるはずのこの部屋が、今は巨大な権力と戦うための前線基地へと変貌している。その中心に座る、幼い少年の姿をしたかつての天才研究員。彼の瞳に宿る、命を削るような執念が、勝又の喉の奥に熱い塊を突き上げていた。
彼女はゆっくりと、そして深く、肺の中の空気をすべて入れ替えるように息を吐き出した。
「はは、笑わせてくれるわね」
不敵に、そして獰猛な笑みを浮かべ、柚木の前に膝をついた。視線の高さを少年の瞳に合わせる。その顔には、絶望や同情など微塵もなかった。あるのは、最高に厄介で、最高に価値のある獲物を見つけた狩人の悦悦とした表情だ。
「いい? 私は異端のジャーナリスト、勝又萌子よ。政府に尻尾を振る飼い犬でもなければ、特ダネを前にして震える腰抜けでもないわ」
彼女はスマートフォンを手に取ると、画面に映る連絡先リストをスクロールさせた。
「人脈なら腐るほどあるわ。ただし、まともな連中じゃない。政府に恨みを持つハッカー、真実を売る情報屋、それから……あいつらの横暴に愛想を尽かした、かつての戦友たち。あんたが用意する火種を、私が爆弾に変えてやるわ」
勝又は柚木の小さな肩を、ぐいと強く掴んだ。その掌の熱が、薄氷の上を歩くような柚木の意識を、この現実の世界へと繋ぎ止める。
「あんたの意識、私が終わらせないわよ。あんたが眠れないなら、私も寝ない。あんたがシステムからあいつらを引っ張り上げるまで、私が世界中の目をヘブンの嘘に釘付けにしてやる。……一世一代の、心中の始まりね」
彼女は立ち上がり、デスクの上に散らかった資料を足で退けると、そこにあったデジタルカメラを手に取った。
「決まりよ、柚木。あんたが道を切り拓くなら、私はそのすべてを記録し、語り継いでやる。柿枝の喉元に、あいつらが吐き出した嘘を無理やり飲み込ませるまで……このジャーナリスト魂は折らせないわ」
勝又は柚木に向かって、ニヤリと好戦的な笑みを投げかけた。その瞬間、柚木は確信した。この女は死を恐れていない。自分と同じように、真実のためならすべてを投げ出す覚悟ができている同類なのだ。
「さあ、作戦会議の続きよ。あんたがそのブリッジとやらを組んでいる間に、私はまず、あのヘブン移行センターの物流ルートをあらゆるSNSに流して、第一陣の炎上を仕掛けてやるわ」




