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天国の嘘  作者: やまざかたかす
第四章 覚醒とバクの終わり

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第十話 異端のジャーナリストとの共闘

 勝又の駆る車は、沼津の街を抜け、沼津インターチェンジから新東名高速道路へと滑り込んだ。


「一つ聞いていいかしら?」


 前方を凝視したまま、勝又がふと口を開いた。


「なんだ?」

「あなた、笹山CEOたちに追われているのよね? そんな大っぴらに本拠地へ近づいて大丈夫なの?」

「ああ、心配ない。奴はこのホムンクルスの存在を認知していない。むしろ、政府にマークされているあんたの方が警戒されるかもな。俺はただの迷子として潜り込めばいい。あとはターミナルさえ叩ければ――」


 そこまで言いかけて、柚木は雷に打たれたように硬直した。


「あああーっ!!」

「なっ、何!? なんなの、急に! 何かあった!?」


 不意に響いた絶叫に、勝又は反射的にブレーキを踏んだ。幸い、後続車はまばらだったが、車体が大きく前へのめる。

 柚木は両手で顔を覆い、シートの上でガタガタと震え始めた。


「研究所……どのドアも、どのPCも生体認証だ! 指紋、静脈、虹彩……この体じゃ、どれ一つとして認証されない。詰んだ。完全に詰んだぞ!」


 自分自身が関わった鉄壁のセキュリティが、今この瞬間、牙を剥いて自分を拒絶している。その事実にようやく気づき、柚木は眩暈を覚えた。


「研究所に、誰か知り合いはいないの? あなたの正体を証明してくれるような人とか」

「知り合いは皆、ヘブンへ移住したか、行方不明だ。まともな連絡はつかないだろうな」

「じゃあ、外から乗り込むしかないわね。何処かPCが使える所……ネカフェとか、どっかにないかしら?」


 勝又の提案に、柚木は苦虫を噛み潰したような顔をした。


「ネカフェの回線じゃ駄目だ。コワーキングスペースでさえ奴らにあっさり検知されたからな。網が張られていると思った方がよいだろう」


 勝又はしばらく考え込むように指先でハンドルを叩き、やがて思い切ったように提案した。


「じゃあ、ウチに来る? 世田谷にあるんだけど、一人暮らしにしては結構広いのよ。仕事柄、回線もセキュリティもそれなりに固めてあるし」


 柚木は、意外な言葉に勝又の横顔をまじまじと見つめた。


「女の一人暮らしに、いい年した男を上げていいのかよ?」


 その問いに、勝又は一瞬の沈黙のあと、吹き出すように笑った。


「あら。そのハーフパンツ姿のお子ちゃまが、何を言っているのかしら? 鏡を見てから言いなさいよ」

「ぐぬぬ……」


 柚木は言い返せず、悔し紛れにダッシュボードを軽く叩いた。意識は三十男、中身は日本最高峰のエンジニア。だが、世間から見れば、自分はただの生意気な迷子に過ぎない。その事実が、かつてない屈辱となって柚木の胸に突き刺さる。


「決まりね。まずは世田谷の私の拠点で態勢を整えましょう。歓迎するわよ、小さな研究員さん」


 勝又は不敵に笑い、再びアクセルを踏み込んだ。 新東名の滑らかなアスファルトを蹴り、車は灰色のヴェールを切り裂いて、決戦の地・東京へと突き進んでいく。


 用賀インターを降りた車は、環八を少し南下し、脇道へ逸れた。辿り着いたのは、築年数の経過を感じさせる重厚なマンションだ。車はスロープを下り、地下駐車場へと吸い込まれていく。

 勝又は慣れた手つきで車を進め、センターコンソールの液晶で駐車枠の奥にあるボタンをタップした。


「ピンローン、ピンローン」


 一昔前のゲーム機のような、間の抜けた電子音が静寂に響く。自動駐車機能が作動するが、ハンドルが無駄に左右に切り返され、ぎこちない挙動を繰り返しながら、車はようやく枠内に収まった。


「ふぅ。この鈍臭い制御、いつか買い換えてやりたいわね」


 勝又はそうこぼしながら運転席を降りると、助手席のドアを開けた。そして、柚木の細い手を取り、地面へと降ろしてやる。

 二人は地下のスロープを歩いて登り、エントランスを抜けた。ロビーの奥にあるエレベーターホールを通り過ぎようとした勝又に、柚木は短い足で小走りに付いていく。


「二階だから階段を使うわ。エレベーターを待つよりそっちの方が早いでしょ」


 階段室に入り、ステップを登り始めた二人だったが、一階と二階の踊り場付近で、柚木の足がピタリと止まった。


(くそっ、この身体……)


 心臓が早鐘を打ち、喉の奥が熱い。この小さな肉体は、大人用の階段を一段登るだけで酷く体力を消耗してしまう。膝が笑い、荒い呼吸が止まらない柚木の前に、勝又は無言で立ち止まり、その背中を向けた。


「屈辱だ」

「柚木君が言うことを信じれば、ついさっき目覚めたばかりなんでしょ? 気が利かなくてごめんなさいね」


 柚木は悔しそうに顔を歪めたが、背に腹は代えられない。促されるままにその細い腕を勝又の首に回した。


 二〇六号室のドアの前。勝又が人差し指をドアノブのセンサーに触れると、電子音と共に青いランプが点灯した。ロックが解除されるなり、柚木は勝又の背から飛び降り、リビングへと足を踏み入れた。


 室内には取材資料やコンビニ袋、脱ぎ捨てられたジャケットが散乱している。いわゆる女の部屋の情緒など微塵もない、戦場のような空間だ。柚木はその喧騒の中に置かれたノートPCを見つけると、迷うことなくその前に立ち、モニターを開いた。


「勝又さん。よく聞け。あんたが追っているヘブンの正体は、救済なんかじゃない」


 青白い画面の光が、幼い少年の顔を照らし出す。その瞳に宿るのは、数時間前までサイバトロニクスの最深部にいた天才エンジニアの鋭い眼光だ。


「あれは、国民を永遠の眠りにつかせる『休眠システム』だ。メタバースで快適な生活を送れると謳っているが、実際は肉体を放棄させ、意識をストレージにアーカイブしてコールドスリープにするだけだ。国民を生かさず殺さずってやつだな。その間に、連中は何をすると思う?」


 柚木はキーボードを叩き、暗号化されたログの一部を表示させた。


「国民がヘブンで寝ている間に、その個人資産、不動産、果ては国家のインフラ予算に至るまで、権力者たちが根こそぎ簒奪する。そして自分たちだけは、あの伊豆のスマートシティに構築された物理的な『楽園』で、奪った富を浪費しながら悠々自適に暮らす計画だ。……あそこはあいつらのための、文字通りの『天国』なんだよ」


 勝又は、ノートPCの横に積み上げられた資料を握りしめた。今までバラバラだった疑惑のピースが、柚木の言葉によって最悪の絵を完成させていく。


「つまり、国民全員を姥捨て山に放り込んで、自分たちだけが宝石箱の中に逃げ込もうってわけね」

「そうだ。そしてあの伊豆の爆発……。あれは楽園を国民の目から逸らすための、政府による自作自演だな。いずれスマートシティ一帯を封鎖するんじゃないか」


 柚木は冷徹に言い放ち、デスクの上にあるマウスを握りしめた。その小さな手は、まだ少し震えている。それは恐怖ではなく、自分たちが作り上げた技術を詐欺の道具に成り下げた権力者たちへの、剥き出しの怒りだった。


「勝又さん。時間はあまりない。俺の意識がこの身体から追い出される前に……この嘘を、世界中の喉元に突きつけてやる必要がある」

「ええ。望むところよ、柚木君」


 勝又はニヤリと好戦的な笑みを浮かべ、柚木の横に並んで腰を下ろした。柚木は深く重い息を吐き出すと、ノートPCのキーボードにその小さな両手を置いた。子どもの柔らかな指先が、流れるような速さでキートップを叩き、打鍵音だけが部屋に響く。


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