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11話 広野とヨンマル

空を見上げる。満天の星空だ。

「野宿かよ…。」

今から家に帰る列車はない。

野宿だ、と腹を括ってベンチに寝っ転がる。

すると、向こうから光るものが近づいてきた。

俺は起き上がってそれを確認することにした。

列車だ。

よく見慣れた黒い気動車が、だんだんと近づいてくる。

もしかしたら、時刻表に乗っていない最終列車かもしれない。

…んなわけ、ないか。

「…なんだ、回送か…。」

正面の行先表示には大きく「回送」と書かれていた。

「期待して損したぜ…。」

気動車はどんどん近づいてくる。

そして…。

「止まった…。」

気動車が、ホームに停車した。

そしてドアが開いた。

「あれ東雲君じゃないか。こんなところで何をやっているんだい?」

…広野さんだ。

「…実は札幌から帰るために特急に乗ったら寝過ごしちゃいまして…。」

「なるほど…。だからこんなところにいたのか。」

「それで今日は野宿かなって思ってベンチに寝ようとしていました。」

「野宿だって?そりゃいかんよ。こんな季節に外で寝たら風邪ひいちまう。…そうだな、仕方がない。特別に回送列車に乗せてあげよう。運賃はいらないよ。」

「え、本当ですか!ありがとうございます!」

「今回は本当に特別だよ。本当は乗せちゃいけないんだからね。」

「マジでありがとうございます。助かりました。」

俺は広野さんと列車に乗り込んだ。

「発車よし。出発進行。」

広野さんがマスコンを引く。

列車がだんだんと加速していくのがわかる。

「前方よし。通過。」

列車は次々と駅を飛ばしていく。

「…やっぱ速いですね。新型だからかな…。」

「…東雲君もそう思うかい。昔の気動車と今の気動車、どっちが好きかい?」

俺の独り言に応えるように、広野さんが質問してきた。

「昔の気動車、とは?」

「形式を言って伝わるかはわからないけど、キハ四〇っていう気動車だね。」

キハ四〇には見覚えがあった。

小さいころよく乗っていた車両だ。

あの重厚な感じとモーターの振動に、幼いころは興奮したものだ。

「うーん悩ましいですね…。今の気動車の方が確かに速いとは思いますけど、キハ四〇もあの重厚感が好きでした。」

「そうかいそうかい。それは嬉しいね…。」

広野さんは、どこか遠くを見つめるような、何かを懐かしむような目をしていた。

「何かあったんですか?」

気になって聞いてみた。

列車はまた一駅通過する。

広野さんはしばらく考えた末、口を開いた。

「東雲君は、ものに魂が宿るということを信じるかい?」

「え?」

唐突な質問が来た。

どうだろう、考えるだろうか。

ふとこの前の試合を思い出した。

あの日、グラブは磨いていったっけ…?

「信じます。」

「…そうかい。これからの話は、ただの私の戯言として聞き流してくれていいよ。そんな、たいそうなものでもないからね。」

広野さんはそう前置きすると、ぽつぽつと語り始めた。

「私は今から二五年前、つまり二〇〇〇年に、この会社に就職したんだ。」

列車が鉄橋を渡る。

「当時の私は大学を出たばかりでね。右も左もわからない新米運転士だったんだよ。でも、そんな私を優しく教えてくれた先輩の運転士がいたんだ。」

民家の明かりが後ろへ流れていく。

「そんな時、その先輩が急に病気で倒れてね。代わりに業務を受け持つことになったんだ。」

広野さんはゆっくりと、何かを思い出すように話し続ける。

「それで乗務したのが、さっき言ったキハ四〇。いや、ヨンマルと呼ばせてくれ。ヨンマルだったんだ。」

また一つ、駅を通過する。

「代わりに乗務し始めてすぐ、その先輩は体調が悪化しちゃってね…。退職することになったんだ。そして最後に会いに行ったときに言われたんだ。『ヨンマルを、任せた』って。」

その先輩運転士はどうなったのだろう。

気になりはするが、ここまでの話からしてあまりいい結果ではなかったのだろう。

俺は黙って話を聞き続けることにした。

「そしてその言葉を聞いた三日後、先輩は旅立たれてしまった。しばらく食事が喉を通らなかったよ。私とそんなに歳も離れていなかったな。今生きてたらちょうど五〇歳になるのか。」

「…。」

重たい。

普段あんなに優しく接してくれる広野さんに、こんな重たい過去があっただなんて。

「…重たい話ばっかりごめんね。嫌になったらすぐに言ってくれ。」

「いや、自分は最後まで聞きたいです。聞かせてください。」

「…そうか。なら続けるね。そしてその時私は神に誓ったんだ。『あの先輩の分まで、ヨンマルを運転しよう』と。」

列車は短いトンネルに入る。

そして抜ける。

「そんな感じで、私はヨンマルをずっと運転していた。毎日乗務の後には車体を磨いて、車内もきれいにした。あの先輩に胸を張ってヨンマルの乗務ができるようにね。」

まるで一つの物語を読んでいるかのようだ。

広野さんの話にどんどんと引き込まれていく。

「…ただ五年前、そんな私にとって最悪の知らせが届いたんだ。『ヨンマルの置き換え』だ。私は生涯を懸けてこの車両を愛そうとした。しかし現実は残酷なものだった。」

街灯の明かりに照らされ、案山子が不気味な光を放っている。

「…会社単位で決まったことだった。私はどうすることもできなかった。ただヨンマルがいなくなる現実を受け入れられなかった。ヨンマルとの別れ、それは即ち先輩との約束を果たせないことになる。社長に直談判もした。せめて解体だけはしないでほしい。そう頼んだ。でも、結局…。」

広野さんの言葉が詰まった。

ただ、俺にはどうすることもできない。

安易な慰めの言葉ほど人を傷つけるものはない。

運転台に突っ伏す広野さんを黙ってみていた。

ただ突っ伏しながら、広野さんは続けた。

「…結局、ヨンマルは廃車になって解体された。でも最終業務の後、私は確かにヨンマルから声を聞いたんだ。『さようなら』って。『後輩のことは、任せた。』って。」

広野さんは顔を上げ、前方の信号を確認した。

進行信号。問題はない。

「でも私はさようならとは言わなかった。そうすればせめて、心の中だけでも別れないでいられるから。」

もはや何の話を聞いているのかわからないぐらいだ。

ただ、どうしてだろう、心に響く。

「…今でもヨンマルのことを忘れる日はない。先輩との約束を果たしたかった。ただそれが叶わなくなった今、私にできることと言えば忘れないことだけだ。」

「…。」

「でも私は信じている。きっとどこかでヨンマルの部品を使った車両に再会できることを。だから今日も私は運転を続ける。いつかまた巡り合うために。」

列車は徐々に減速し、最寄り駅のホームへと入線した。

「おお、ついたね。じゃあお疲れ様。よく休んでね。」

「ありがとうございました。」

俺はホームに降りた。

ドアが閉まって気動車が発車する。だんだんと暗闇に消えていく車体を眺めながら、俺はいつまでも手を振り続けていた。

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