廃病院
綴は究助の運転する車に乗り込み、鬼灯山に向かった。麓にあるはずのコンビニは、もう閉店しており、事件のせいで買い手が付かないのか、取り壊されていた。犯人が通ったであろうルートを辿り、タイヤは山道を回る。
地図と景色を見比べ、犯人の車が突き抜けたガードレールの場所に到着する。当然、すでに補修されていた。崖下は森になっていたが、車が落ちたと思われる地点は木々が剥げていた。地表が見える。
──車が落下したとき、犯人と刑事の車は爆発炎上した。犯人が亡くなった原因が落下にあるのか、炎上にあるのか、それは定かでない。そのときの炎で木々が炎上したのだろう。山火事になっていたかもしれないと考えると、消火は早かったようだ。
「下、降りてみるか……面倒だけど」
「そういえば天野さんが、こんなことを言ってたんです」
ガードレールから森を見下ろしながら、綴は究助に言った。ファミレスで天野が別れ際に告げた、気になることを。
***
「忘れてた。資料に、こんなメモがあってね」
天野は正方形の付箋をファイルから取り出した。ボールペンで走り書きがされている。
「重要かどうか分からないけど、念のため教えておこうか」
「あ、お願いします、なんですか?」
デザートのプリンを食べ終わり、浸っていた満足感から抜け出す。
「犯人と刑事たちの車が落下した森の近くに、謎の建物が発見されたんだよ」
「な、謎の建物って……不気味な表現ですね」
「そう書かれているんだから仕方ない。昔の記者らがあの森に取材に行ったとき、発見したんだ。中には誰もいなかったが、つい最近まで使用されていたような清潔さがあったとのことだ。なんの建物かは分からない。まるで夜逃げしたかのようだ。
事件とは関係がないからこの程度のメモしか残ってないけど、どう? 行ってみる? ついでに」
「つい最近までってことは、車が落下したときまで、人がいた可能性も……?」
「あるかもしれない。もしそうなら、事件の目撃者だね。でも、警察も捜査してないんじゃないかな。なんていったって、犯人はその場で死亡。事件は解決したんだし」
***
森の手前に車を止める。ガードレールを乗り越え、明らかに人が歩くことが想定されていない木々の隙間を行く。鬼灯山の足下に向かって2人は突き進んだ。
注意書きなどはなかったが、獣でも出そうな雰囲気だ。枯葉をキシキシと踏みしめる。野鳥の声が上空で響く。こうも暗いと、聴覚が敏感になっているようだ。
森に入って1㎞ほどだろうか。体感としてはそのくらいで、現場の崖下に到達した。そこだけ木が切り倒され、地面が裸になっていた。いくつか、黒く焦げた木も残っている。
「ん……こりゃ、異能力でもないと助からんだろうなぁ」究助が山を仰ぐ。「弾力付与だっけか。物体を柔らかくして弾ませる異能力。それで車を弾ませて助かったってわけか」
現場の観察はほどほどに、天野が言っていた謎の建物を探した。こんなひとけのない森の中に建物があるというのは不自然だ。それに、強盗事件のあった日の直近に、まるで夜逃げしたように人が消えている。なんだか、人から隠れているようではないか?
事件と関係あろうがなかろうが、気になる。
探すのに苦労するかと思ったが、それは、自然の中に突然現れた異物であり、大きさこそたいしたことないが存在感があって、発見にさほどの時間は要さなかった。灰色の立方体、と言い表すのが端的で適切な建造物だ。
「ありました。確かに、謎の建物ですね。少なくとも一般的な住宅ではない。1階建てで……塀も門も表札も看板もない。屋根とかベランダとかも……」
「窓はあるにはあるが、ブラインドがしてあるな。とことん、隠れ家って感じだぜ」
「どうします? 入ってみましょうか……これって、不法侵入に当たるんですか?」
「俺がいるから当たらねぇよ。いくぞ!」
そんな理屈が通っていいわけない……口にはしなかったが、綴は苦笑した。
扉に鍵はかかっていなかった。何年も人が住んでいない状態だったようで、10年前の記者たちが言っていた清潔さは、もうどこにもなかった。埃と蜘蛛の巣、電気は点かず、あちこちがひび割れている。つまりは、廃墟だ。
「夜じゃなくて良かったぜ……究極的に怖すぎる。森の中ってだけで充分だが……」
間取りは存外、普通だ。三和土があり、下駄箱と思しきものがあり、廊下の途中にトイレがある。だが家具に生活感はなく、やはり住宅ではない。
「お、トイレにカレンダーがあるぜ。10年前のもんだ。やっぱり、事件の直近で夜逃げみたいなことをしたんかね……って、おいおい……」
「どうかしましたか?」
「これ、検尿カップじゃね? うええ。10年前とはいえ、使用済みだったら触りたくねぇぜ……」
「検尿カップ、ですか……」
この建物の正体に、1つの予想を立てる。
生活感はないが、下駄箱など、人を招こうとはしている。ところどころにソファがある。椅子ではなく、複数人が座れるソファだ。多くの人が訪れることを想定している。
奥にある部屋は、多くの物が取り残されていた。
「ぎゃあああ!?」
究助がそれを発見し、飛び上がった。
「な、なんですか?」
「ほ、骨! 骨だ! 人骨!?」
「……骨格標本ですよ」
「骨格標本? ってか、ハチミツ。全然ビビらねぇな。ホラー強いのか?」
「強くないですけど……たぶん、ここ、病院だったんですよ。なにがあるか、予測できます」
「あ!? 病院!? ま、まあ確かに、それっぽいもんがいくつかあるが……」
綴たちがいる部屋は、おそらく診察室だったのだろう。カルテのような紙がいくつか、ボロボロに劣化して残されていた。机上に聴診器が発見される。
また別の部屋には──。
「うわっ……」
天井から照明が吊り下がり、その真下には寝台のようなものがある。広さや周りの物からしても、ここは手術室だ。
それにしても不思議だ。建物の規模からしてせいぜい小さな診療所くらいのものかと思っていたが、立派な手術室がある。かといってベッドなどの入院設備はないし、ちぐはぐな印象を受けた。
「こいつは……闇病院だな」
「闇病院ですか? ……あっ」
『闇病院』と、東博士のメモにあったじゃないか。ここが、そうだというのか。
究助は物を漁る。
「こんな隠れた場所にあるのもそうだし、ちっぽけな規模のくせに金は儲けてそうだ。裏社会の人間とか、表の病院にかかることのできねぇワケあり患者を取る病院ってわけだ。
ああ……合点がいったぜ。例の事件のせいで、警察が車の落下地点を調査しに来た。そのとき、ここも発見されたんだ。だから病院関係者は夜逃げした……いや、俺が知らねぇだけで、捕まったのかもな」
「強盗事件で割を食ったってわけですね」
「そういうこった……ん?」
究助は適当にカルテを読んでいたのだが、手が止まり、目を丸くする。
「んー……この名前、どっかで……」
「え。なにか、見つけました?」
綴は究助からカルテを受け取り、名前を見た。
『担当:葉島里香』
「え……」
「なあハチミツよ。お前ならなんか覚えてんじゃねぇ? どっかで見た名前だと思うんだよな。お前と一緒にいたときに聞いたか見たかした……」
「覚えてるに決まってるじゃないですか!」
「うっ!?」
綴は怒る。
どうして忘れられようか、この人の名前を。
「究助さんと初めて会ったとき起こったあの事件! 尾割南代さんが殺害された事件! あの犯人の名前が、葉島里香さんでしょう! 忘れちゃったんですか!?」
「……あーっ! あいつ!? あいつか!」
もう半年以上前のことだ。マンションで老人が毒を盛られ、転落死した。犯人はホームヘルパーだった女性で、《治癒》の異能力を持った女性。葉島里香。
「ちょ、ちょっと待ってください、今、昔のメモを見ます……」
そう言い、綴は上着の内ポケットから大量のメモ帳を取り出した。表紙に記された日付から、当時のメモ帳を探り当てる。
「……その数のメモ帳持ち歩いてんだな。重くね?」
「……そうだ。彼女、詳しくは言ってなかったけど、病院に勤めていたんです」
「でもよ、そいつって治癒の異能力者なんだろ。そんなやつ、どこの病院でも雇って貰えそうだけどな。こんな闇医者……ん? いや、逆か? こんな闇だからこそ……」
「そう、逆なんです。葉島さんの治癒は、世界中の医者が喉から手が出るほど欲しがる能力ですが、一方で、そんな能力者が病院で働いていることを世間が知れば、患者は殺到し、病床は溢れかえり、他の病院は廃れる。社会のバランスが崩れます。彼女の能力が活かせるのは、限られた患者しか来ない闇病院だったんですよ」
「はぁ……まさか、こんな場所に繋がるとは……って!」
究助は突然、弾かれたように振り返ると、手術室の物を勢いよく漁りだした。顔面は蒼白で、切羽詰まっているのが明らかだった。
「ど、どうしたんですか?」
「そういうことかよ……! あいつ、ここだ、ここから持ち出したんだ!」
「なにがですか──」
──葉島が起こした事件。それは、未だ解決に至っていないことを、綴は思い出す。葉島のことが記されたメモ帳を急いで見直す。その先のページに、究助の発言が残っていた。
《未だに葉島が手に入れたヘビ毒の入手経路が不明なんだ》
「ヘビ毒! 葉島さんはここから毒を持ち出したんですね!?」
「そうだ! 紫雲が言ってたぜ! ヘビ毒は薬に使われることもある! 普通の病院じゃまずあり得ねぇことだが、闇ならどうだ!? どこかに隠されてるかもしれねぇ!」
もしあるとするなら、東博士の研究室にあった隠し金庫のように、厳重に隠されているはずだ。無闇に探すのは得策ではない。とすれば……。
「究助さん、葉島さんは今、刑務所ですよね?」
「あ? ああ……裁判で判決を受けた。当然、有罪」
「面会に行きましょう。本人から隠し場所を聞いた方が早いはずです。もはや隠す意味もありませんし、きっと話してくれます。それと……もしかしたら、強盗事件について、目撃したのかも。なにか知っている可能性があります!」
「……! よっしゃ。その案、乗ったぜ! 今すぐだ、行くぞ!」
迷い猫が街を歩くように、無軌道に思える道のりで、どこにたどり着くのかも定かでない。けれど家路という終着点を目指して、曲がり角を曲がる。
──自分たちもそうでありたいと、綴は願う。




