光明
「なあ。冷蔵庫の中を見る前に話し合いてぇんだけど」研究室で究助は言う。「椿以外の犯人の可能性を……」
「逆に椿が犯人の可能性があると思っているのか痴れ者がっ!」
「急に怒るなって! 怖ぇんだよ!」
綴は悲観的に呟く。
「峯岸さんの言い分に、僕は言い返そうと思えば、もう少し言い返せました。負け惜しみに聞こえるかもしれませんが……」
「じゃあなんで言い返さなかったんだ? ボロ負けだったじゃねえか」
「たとえば、彼女が廊下の監視カメラに映らなかったことについて、峯岸さんは《縮小》を使っての回避が可能であること、実際には警備室のレコーダーの細工で映るはずのないことを述べました。
あの点に関して、僕は1つの疑問を呈することもできたんです」
「八見綴。それは、エレベーターの監視カメラの件だな?」
「はい」
「エレベーターの?」
究助だけ取り残されているが、構わず解は言う。
「1階の男子トイレから昏倒した、如何野博士の助手が発見されたが、犯人は彼からカードキーを強奪し、18階に向かった。もしも仮に……仮に! 椿が犯人だとすれば、そんなことをする必要はないのだからな」
「そのとおりです。それこそ峯岸さんが言った方法、助手さんのポケットに入るなどの方法で、椿さんなら18階に向かえたはずなんですよ。それに、エレベーターの監視カメラだって、どこかで制御されているはず。レコーダーに細工するなら、エレベーターのカメラも細工してしまえばいいのに、何故か、彼女は映っているんです」
「あぁー確かに! 廊下のカメラだけ改ざんって、なんか中途半端だもんな! ……いやだから、なんで言い返さなかったんだって!」
「結論は変わらないからだろう」
「はい」
綴はあのときの状況がまざまざと蘇り、気落ちする。
「違和感ではありますが、決定的な矛盾点とは言えません。結局のところ、椿さんが犯人ではないという証明にはなり得ませんから。言い返しても、時間稼ぎ程度にしかならないと判断しました」
「ぐぐぐ……そうか……」
「だが、それも裏を返せば、細部に疑問が残っているということだ。峯岸部長の推理にも、わずかながらの穴がある。そこを突ける反証を、私たちは用意しなければならないのだ」
峯岸部長、と彼の名を呼んだとき、解は少し眉根を寄せた。
「解さん。峯岸部長を……今もまだ、信じていますか?」
「……当然だろう。自らの上司を信じないでどうする」
「……そうですか」
解は自分の腕を見下ろす。服の下には、わずかに火傷跡が残っているのだろう。
「あの方は……自分が焼かれても、腕を撃たれても、躊躇わず、私たち人質を救った英雄だ。彼の絶対的な優しさと、正義が……人々を救った。私情を挟んではならない……妹を逮捕したのも、駒を1つ、動かしたに過ぎない……」
「駒……」
「チェックメイトに至る道筋には、いくつかの犠牲がつきものだ。妹も、それを承知のはずだ……」
とてもじゃないが彼の表情は、言葉どおりの覚悟を決めたものには思えなかった。俯いた彼の視界は、自らの足下しか見えていないようだ。
「……否定はしねぇけどよ。もっと自分に正直になった方がいいんじゃねえの」
「……ふん」
究助は露骨な溜息を吐いてから、冷蔵庫に歩み寄る。
「さて、じゃあご開帳と行くか! 底が二重底なんだよな」
扉を開け放していじっていると、底面がズレた。ガタリと音を立て、底の板が1枚剥がれた。
「おっ、金庫じゃねえか! マジであったぜ!」
黒い立方体の金庫が、底板の下の隙間にぴったり収まっていた。金庫を隠すためのスペースなのだろう。金庫の作りはがっしりしている。安価な金庫ではない。暗証番号はテンキーを使って解錠するタイプだ。研究室の入口のタッチパネルとは異なり、ボタン式だ。
「これだけハイテクなセキュリティが使われていて、金庫の隠し場所と暗証番号はローテクか。おいおい、いったいなにが隠されてるんだよ?」
「論文のコピーとかですかね?」
解はボタンに手を触れる。「適当にやっても開かねぇだろ」と究助は茶化す。
「間抜け。ここまで爆発は及んでいない。よって、私の異能力を使っても影響はない。もしこの金庫が数日以内に開けられていれば、どのボタンがどの順番に押されたのか、記憶から読み取ることが可能だ」
「うえぇ。お前にゃパスワードがバレバレってことかよ。俺のスマホ触るんじゃねぇぞ!」
「誰が貴方の秘密など曝くか阿呆が!」
解は迷いなく番号を入力する。最初から鍵など付いていなかったかのように、金庫は内容物を3人に晒した。
「おお……」
「開いたが……中身は、なんだこれは……」
一同、目を丸くする。
「紙が2枚……なにかのコピーかな。それからUSBメモリです」
「紙の方は、とても論文には見えねぇな」
片方はコピー用紙にちまちまと文字が書かれたメモ紙のようで、もう1枚はインターネットのページを印刷した紙だ。レイアウトから、ネットニュースの記事のようだった。
文字も数行しかなく、厳重な守りに対して、見合ってない情報量だった。しかし、これがなんの意味もないはずがない。
「USBの方は持って帰って確認しようぜ。紙は、なんだこれ。ネットニュースの記事……なんかの事件の記事っぽいぜ」
究助はニュースの見出しを読む。
「なんの事件です?」
「いや……なんか、見たことあるニュースだな……担当した事件以外はすぐ忘れちまうんだけど、これはなんか、覚えているような……」
「いいから、なんの事件か言ってください!」
究助が高く掲げているせいで綴は読めない。
「『10月31日 鬼灯山異能力者強盗事件』だってよ。10年前の事件だ。鬼灯山……そんで、強盗事件か。調べてみるか……」
綴は紙を受け取ると、メモに全文を書き写した。常人なら5分はかかるが、綴の手にかかれば10秒だ。
「確か、犯人が亡くなった事件だな」解は思い出したようだ。
「マジ? どういう流れで?」
「そこまでは記憶に無いな。10年前となると、特能が設立される以前の異能力事件だ。犯人が亡くなったという話題性で、少し有名になった。だから私も知っていはいるが、詳細は定かでない」
「鬼灯山……もしかして、近くに鬼灯新聞社があったりしません?」綴は言う。
「ん? ああ、あるんじゃねぇの。鬼灯市って場所にある山で、新聞社もあったような。でもなんで新聞社?」
「天野さんって覚えてます? サザンクロスの事件で、天野春雨さんという、僕と一緒に遺体を発見した……」
「あ、そういえばいたな。そういえば編集者か。その新聞社に勤めてんのか?」
「もし鬼灯山と近い場所にあったら、事件の資料もありそうじゃないですか。名刺をもらっていたので、ちょっと訊ねてみましょうか」
「もう1枚のメモ用紙を調査しよう」
そこにはとても汚い字で、いくつか文が書かれていた。
「汚っ! 読めねぇよ!」
「東博士の筆跡なんでしょうか」
「努力すれば読めないこともないぞ」
じっくり、一筆ずつ筆跡を追う。自分でも真似て書いてみて、そこに書かれている文字を推測した。かろうじて読めた単語は。
『鬼灯山の事件』『東弾』『闇病院』
「なんか、不穏なワードが出てきたな……」
「この文章を見てください」
『あの事件には続きがある』
「あの事件ってのは、鬼灯山事件のことか? これ、東博士はなにを調べてたんだよ?」
「それから、ええっと、こっちはちょっと長い文章っぽいんですよね」
本当に汚い字で、解読に時間がかかった。
「最初は『私が』かな。『私が研究を』……えーっと……何々した理由……」
「始めた、じゃねぇ?」
「……あ、そうかも!」
「『私が研究を始めた理由』……なに? いや、まさかな……」
すると、解は顔を曇らせ、貧乏揺すりをしだした。複雑に絡みついた紐を解くような、苛立ちと焦りの入り交じった様子だ。
「……思い出したことがある。東博士が遺伝子研究のために、センターの20階に研究室を構えたのは、だいたい10年前だという……」
「10年前って、この事件と同じ……」
「流石に偶然じゃ……い、いや……」
10年前の強盗事件、遺伝子の研究。到底繋がりようもない2つの点。
だが、なんらかの目的を持った研究室の爆破と、東博士の殺害。異常な出来事が、2つの点の間に薄い線を引いた。
「なあ、どっちにしても手がかりが薄いんだ。ちょっと調べてみねぇか? この事件について……」
「最上究助、私も……同じ考えを抱いていたところだ。認めたくないがな」
「なんでだよ! スッと認めろよ!」
綴は東の書いた、最後の単語を読む。
『コピー能力』
ふと綴は、どこかで聞いたことのある単語だ、と思った。しかしメモを簡単にめくっても見つからない。もっと前のメモ帳を引っ張り出さないといけないかもしれない。
綴は1人、無言で思索に耽る。目を逸らしてはならない、おぞましい懸念。
この事件は、漠然と調査しているだけでは解決しない。このままでは、真犯人を見つけ出すこと、椿を助けることはできないのではないか。
今までの事件とはなにかが決定的に異なる。殺害手段の凄惨さや、複雑さもそうだが。なにか……スケールのようなものが、違う。
謎を解くためには……新しい視野を持たねばならない。
「調べてみましょう」
意見が一致する。新たな方針を見つけ、やる気がみなぎる。
──光明が見えた、かもしれない。




