異常事態
特別研究フロアにいたのは、亡くなった東博士を除くと2人の博士と1人の助手だけ。警備主任もいたはずだが、行方不明とされている。
「魔女……あ、いや。紅花博士の助手の、白滝修子さんですね」
「はい! 邂逅遭遇、まさか探偵さんや刑事さんと話すことになるとは思いませんでした。一期一会、この出会いを大切にしたいです!」
「かいこう……あ、はい。そうですね……?」
博士らは一筋縄ではいかない相手だったが、付き従う助手もまた、独特な人間性らしい。そうでもないと、助手など務まらないのかもしれない。
「白滝さん。あなたは19階にある紅花博士の研究室にいらっしゃったんですよね。博士の手伝いをなさっていた?」
「ええ! 二人三脚で資料をまとめていましたよ。爆破が起きたときは喫驚仰天でした!」
「ええっと……」いちいち、言葉遣いが面倒だ。「あなたはずっと研究室に?」
「そうですね……あ、いえ、一度、外に出ました」
「いつ、どこに?」
「爆発は13時15分でしたっけ。だから、30分前くらいでしたかね。17階に用があったので、エレベーターを使って下へ。あ、18階と17階には、《階段が繋がってない》んですよ。非常階段を除いて。この階層は門外不出、徹底的な秘密保持がされているので、入る手段は限られているんですねー」
「18階から17階へは、エレベーターでしか行き来できないと。18から19階、20階の間には……?」
「あります。あくまで、特別研究フロアとそれ以下の階層が階段で繋がってないという話です」
白滝は研究職だけあってか、落ち着いた雰囲気で整理しながら話す。
「なるほど……それで、白滝さんはどれくらいで戻ってきましたか?」
「10分くらいです。静寂閑雅、静かな廊下でしたが……あ、でも、帰りに東博士を一度だけ見かけました」
「え。ど、どんな様子で、なにをしていたんですか?」
白滝が研究室の外に出たのが爆破の30分前、12時45分頃。被害者の死亡推定時刻は55分から15分の間、と考えていいかもしれない。
「18階のエレベーターホール横には自販機があるんですよ。そこでコーヒーを買っていました。いつもそうなんですよ。それがあの人にとって日常茶飯ですので。すぐに階段で20階に帰って行くのを見ました」
「そうですか……あの、18階には警備室もあるんですよね? 警備主任の方を見かけませんでしたか?」
未だに行方が分からない、警備主任はどこに行ったのか。
「帰りには警備室の前も通りましたが、たぶん、いませんでした。あの人、1人で喧々諤々、喧しい人なので、いるかどうかは警備室の外からでも分かるんですよ。でも静かだったので、たぶんいませんでした」
「なるほど。どこに行っていたんですかね。警備室には、警備員以外の人も入れるんですか?」
「入れますよ。あの人、施錠しないので」
田舎の家みたいに不用心だが、場所は研究施設の警備室だ。頭を抱えたくなるような防犯意識だ。18階まで上ってくる不審者などいないだろうから、油断しきっているのか?
「わたし、その10分以外はずっと博士と一緒でした。あの方は生気溌溂とした方ですが、お婆ちゃんなので、支えてあげないと危ないんですよね」
「……なるほど、ありがとうございました」
究助に目をやると同時に、刑事の1人が駆けつけてきた。
「お、どうした?」その刑事と究助はひそひそと話し合う。「あ? ……え、マジ?」
「──なにがあったんですか?」
究助は報告を聞き終え、綴に向き直る。
「警備主任が見つかった。普通に生きてる」
「え! どこにいたんですか」
「んー……それがよく分からねぇんだけど、非常階段から発見された。ついさっき、やっと上から降りてきたんだと。ずっと特別研究フロアにいたっぽいんだよな」
「……変ですね。しかもずっと? 爆破の瞬間まで上にいたってことですよね。詳しい話を訊いてみたいんですが、どうです?」
「あー……無理っぽい。これもまたよく分からないんだが、昏睡状態になっていたせいで、しばらくは安静にしないと駄目らしい。昏睡した理由は不明。火事で出てきた煙でも吸ったんかな?」
「昏睡……?」
「そいつを上階からここまで運んできた、つまり救出した奴がいるらしいんだが、誰なんだろうな。今の刑事は簡単な報告だけだったから、詳細は俺らの目で確かめねぇと」
「じゃあ行きましょうか。聞き込みもひとまずは終わりですし」
「おい」
綴が立ち上がると同時に、男の声に呼び止められた。
「貴方たち。急いでこっちに来い」
ずいぶん久しぶりに感じる声だった。声色は落ち着いているが、表情は憔悴している。
「解さん!」無事に再会できた、と綴は喜ぶ。「どちらに行っていたんですか」
「いいから、可及的速やかに、私について来い。……何故こんなことになっているのか、皆目見当も付かないが……」
「?」
わけも分からず、解に言われるままに移動する。目的は5階だ。エレベーターは使えないため、階段を昇って5階まで向かう。
「あれ……!?」
そこにいたのは、倒れている男性と、座り込んでいる女性。男の方は、警備員と同じ格好をしている。昏睡していたという警備主任だろう。
問題は、もう1人。
「おい、椿じゃねぇか! ……あいつも非番で来てるんだっけか」
座り込んでいるのは椿だった。どういうわけか、汗をかいてふらふらしている。
椿の服はいつも小綺麗なものだったが、今の彼女の服は皺が目立ち、争いごとがあったかのようだ。なにかあったとしたら最上階だが……と、嫌な疑念が綴の脳内で渦巻く。
「椿さん、な、なにをやっていたんですか?」
綴の声に椿は顔を上げる。しかし、息が荒く、声が出ていない。やっとの思いで呼吸を整えて、枯れたような声で彼女は言う。
「……なにを? ……ええっと……」
呆けたような声色で、うわごとのように呟いている。
「つ、椿さん……?」
「……この人が、倒れていたから、助けた。非常階段を降りて……」
「救出したのは椿さんだったんですね。その……特別研究フロアにいたってことですか?」
「……たぶん、そうかも」
何故だろう。他人事のようで、判然としない。
「たぶん? あの、どういう……」
「ごめん、自分でもよく分からなくて……」
嘘をついていたり、なにかを誤魔化しているわけではない。彼女は心から困惑している。
「椿!」解が割り込む。
「兄さん」
「どうして上にいたんだ! お前が……どうして……」
「……信じてくれないと思うけど、わたし……なんで上にいたか、分からないの。気がついたら、警備室にいて、火事が……隣で倒れていたこの人を、助けないといけないと思って……」
「……とにかく、こっちに来い。詳しい話を──」
「それはできないねぇ。彼女は本事件の重要参考人なんだ」
「……は?」
解は、声がした方角を呆けた顔で振り返った。
落ち着いた声だった。淡々と、冷徹に、綴たちの頭を手で地面に押し付けるような、低い声で彼は言った。
「……あ、み、峯岸、嶄巌部長……!」
綴が外で見つけた、特能の英雄。峯岸嶄巌が、背後に部下を引き連れて現れた。
「ど、どういう意味ですか、部長。彼女は貴方の部下で、私の妹です。重要参考人? なにかの誤りでしょう?」
すると部下の1人がどこからか椅子を持ってきた。しっかりした木の椅子だ。峯岸はおもむろに腰かけ、まるで自室にいるかのような鷹揚さで、解と向かい合った。
「解くん。君には酷な話だと思う。だが、これを見て欲しいんだ」
峯岸の喋り方は、まるで子供に語りかけるようだった。
「これは……?」
「エレベーターに設置してある監視カメラの記録だよ。現像してみたんだ。なにが写っていたと思う?」
「……な、なに……を、貴方は……」
峯岸が手渡した写真を、解が震える手で受け取る。綴と究助が両脇からそれを覗き込む。3人が息を呑んだのは、同時だった。
エレベーターのモニターに表示された数字は18だ。つまりこのエレベーターは18階に向かっている。そして乗り込んでエレベーターを動かしている人物は、彼女だ。
椿が、特別研究フロアに向かっている映像だ。
「どうだい? 行き先は、一介の警察が行けるはずのない特別研究フロア。そして、映像が撮られた時刻はなんと、15時50分。爆破の25分前だ。僕たちはこの謎に、椿さんの取り調べという形で答えを導き出そうとしているのだけれど、どうだろう?」
「ばっ……馬鹿な……!」
解は写真と妹の顔を見比べる。椿は夢でも見ているような、虚ろな目で中空を見つめている。自分が渦中にいると気づいていないのだろうか。
「椿……! どういうことだ!」解は駆け寄り、肩を掴んで揺する。「何故、18階に行った!? いや、何故行けたんだ!?」
エレベーターは職員専用のカードキーがなければ稼働しない。さらに言えば、18階以上はまた別のカードキーが必要なはずだ。
「彼女のズボンのポケットを探ってみるといいよ」
「なに……?」
解は戸惑いながら言われたとおりにする。目当てのものはあっけなく出てきた。
「2枚のカードキー……! 1つは、特別なものだ! これは選抜された職員しか所持できない……椿が持っているはずのないものだ!」
「わたし……は……」
椿はここに至っても、はっきりせず座り込んでいる。まるで彼女も警備員と同じように昏睡していたかのようだった。
「白金椿さん。この場で答えてみてくれるかい。答えられるなら。どうして君が18階に? なにが目的で?」
「……」
椿は答えられない。
「……残念だが、君を逮捕するしかなさそうだ。緊急逮捕だ。連れて行ってくれ」
「ま、待ってくれ、峯岸部長! これは、なにかの間違いだ、罠だ! 何者かが罪を着せようとしているに違いない!」
「何者かって? 解くん。気持ちは分かるが、僕たちは正義の特能で、刑事なんだ。私情を挟んではならないよ。無論、君の妹が潔白の可能性もある。絶望しないことだ。……もっとも、無関係とは到底思えないけれどね」
「そんな……ば、馬鹿げている……!」
「あ、あの!」
それまで黙って成り行きを見ているだけだったが、やっとの思いで声を発した。
「……君は? 誰だい?」
「八見綴と申します。探偵です。解さんと椿さんとは少し交流があります。僕も、椿さんの逮捕には納得できません。彼女は、間違っても人を殺したりする人ではありません!」
突如現われた探偵に戸惑うこともなく、峯岸は灰色の髭を触り、脚を組んだ。
「八見……なるほど。君か。では、少し議論をしようか」
「議論……ですか」
「その写真の人物は間違いなく白金椿さんだよ。加工などあり得ないし、しっかり写っている」
「写真は……真実かもしれません。でも、それはなんらかの理由があって……それに、いくらなんでも椿さんが爆弾を持ち込んで爆破したなんて、考えられません!」
「それについて……だよ。それについて議論をしよう。彼女が爆破したとは考えられない。それは僕も同感なんだ。動機がないし、殺人どころか、罪を犯すような人柄じゃないからね。
だから、君は彼女が潔白であると反論するんだ。異論はないかい?」
「……はい」
潔白であると確信するため。椿を信じるがゆえに疑いをかける。
泥濘の中のような心地の、議論が始まった。




