チェックメイトへ
全速力で階段を駆け上った。息も絶え絶えで、真洞の私室に到着する。相変わらず寂しい部屋だが、この部屋に秘密があるという。
「ハチミツくんも、執事の薪原さんから聞いたかな。この屋敷の間取り、東館と西館でだいたい左右対称になっているって。部屋の間取りもほぼ変わらないって」
綴はメモを素早くめくり、塔十郎の発言を読み返した。
《王樹邸は《東館》と《西館》がございます。東館は主に王樹家の皆さまの居住スペース、西館はお客様の宿泊スペースとして扱っております。間取りや部屋の形はほぼ左右対称となっておりますので、覚えやすいかと》
「あ……はい。確かに。言っていましたね」
「ずっと変だと思ってた。真洞さんの部屋は、妙に狭いって」
「狭い? まあ……比較的、ですが」
「厳密に言えば、天井が低い。さっきあげた上面図を見て。この部屋の反対側は、東館の、大地さんの寝室」
綴は頭上を見上げ、察する。
「天井……あ! 確かに、大地さんの部屋は天井が高かった……けど、それに、どういう意味があるんですか……?」
「王樹家はエレベーターを設けることも、幽閉するために壁を作ることも容易。天井をわざと低くすることも可能ってこと」
「天井……元々は高かったのに、低く作った? そんなことをして、なんの意味が?」
「こっち来て」
椿はラックの上に靴を脱いで上がった。天井の角を手で押す。居酒屋の事件での、ダクト内捜査を思い出す。
擦れる音がして、天井の一角が揺れ動いた。
「あ……天板が……!」
ズレた。
天井に四角の穴が生まれる。
「ここから天井裏に行ける。中はわたしの能力がなくても通れるくらいに広い」
「でも、なんでこんな仕掛けが?」
「これも聞いたことない? 元々この部屋は、子供の頃の枝亜さんの部屋だった。活発な彼女の子供時代、大地さんは彼女のことを考えて部屋を改装したの。遊び心をくすぐるような、仕掛けを作ったんだね」
《真洞さんの部屋、昔は子供の頃の枝亜さんが使っていたんだって。昔の彼女は今より数倍は奔放だったらしくて、父親の大地さんは特別に部屋を改装したらしいよ》
「聞きました……椿さんから」
「そうじゃん、わたしが言ったんだったね。まあいいや。じゃあハチミツくん。ここに入って、どこに着くのか……確かめてみて。ああ、ちなみにわたしは、小さくなって通ったから」
「はい……」
椿に見送られ、天井裏に入っていく。獣のように四つ足になりながら、暗闇の中を進んだ。椿の言うとおり、中は大人でも移動できる広さがある。
普段、誰も通らないであろう通路。しかし、ほんの少し前に人が通ったような跡がある。小さくなって通った椿が通った跡ではない。
「……うっすら、光が見える……」
やがて突き当たりにたどり着く。下から光が浮かび上がっていた。
話の流れから分かってはいたが、目の当たりにすれば、驚愕するばかりだった。
「……これは……まさか……」
現場の倉庫だ。哀根の遺体をかたどった白の枠が眼下に存在する。
倉庫は密室なんかじゃなかった。真洞の部屋から天井裏を通って、中に入ることができたのだ。
板が動く。なるべく音がしないように動かし、抜け出る。天井の一部が、通路の出口になっているのだ。
綴が床に降り立った瞬間、部屋の中に彼が入ってきた。
「なっ!? ……は、八見綴。あ、貴方は今、どこから……?」
解だ。突然天井から降りてきた綴に、流石の解も動揺を隠せないようだ。
「天井裏です。……真洞さんの部屋と繋がっているんです」
「……なんだと? 馬鹿な、そんなこと……」それがなにを意味するのか、瞬間的に理解している。
「これを見つけたのは椿さんです」
「……嗚呼、我が妹よ……能力故に、隙間や通路の調査など、児戯に等しいものだったな……流石だが……なんという発見を……」
解は天を仰いで狼狽している。
「……この密室のせいで、事件は真洞さんと哀根さんの間だけで起きたものと考えられていました。鍵のかかった倉庫に2人しかいなかったから、他の誰かの介在する余地がなかった。でも、この通路の存在で、一気に話が変わってしまいました」
現場に、第三者が介入する余地が生まれた。
「……そう、なるな……しかし……」
「ハチミツくん……あ、兄さん!」椿が入ってきた。「抜け道があったの。どう? 分からなくなってきたと思わない?」
「……そう、だな」
分からなくなってきた。
いや逆だ。
──ようやく、真実が見え始めてきた。
「解さん! 椿さん!」綴はメモ帳を倉庫の木箱の上に並べた。事件のすべてを記録した文字の山だ。「少し失礼します。これから、僕の能力を使います!」
椿はすでに知っているが、解は目を丸くしている。
「兄さん、見ていて。今から彼は、ちょっと……倒錯した行動を取る。けれど、それが彼なりの推理なの。常軌を逸しているように見えるけど……なにも言わないで」
「すでに正気の沙汰ではないが……」
「……さ、さんざんな言われようだ……えっと、今までに僕が集めてきた記録すべてを見直して、なんというか……繋げていくんです。そうですね、チェスのように……」
「なにを……」
「一手ずつ手がかりを動かして、チェックメイトまで持っていきます。僕は名探偵じゃないので、とても効率の悪い詰め方になってしまいますが……なるべく、急いでやるので」
「君の『急ぐ』は、普通の人の何倍?」
「と、とにかく、始めます」
ペンを掲げる。大きく息を吸い込んで肺に力を込める。
手を振るった瞬間、頭がかっと熱くなった。1文字書くごとに、頭がすっきりする。
ありとあらゆる可能性を書き出し検討する。最後に残された物が、真実になるのだ。
《凶器のナイフは何処から出てきたというのだ?》
《上手く点かないから変だなと思って手をかざしたら、なんか、ちょっと火傷しちゃって》
《抜け道があったの。どう? 分からなくなってきたと思わない?》
一手一手、駒を動かし、何度もやり直し、気が遠くなるような牛歩戦術で、チェックメイトに歩みを進めていく。
《まさに異能力者一族だ。そいつらが住む家は、いわば《異能力館》だな》
そこで一瞬、速記の手が止まる。
究極速記は、記録の検討と、新たに導き出される推論の書き出しを高速で行っている。
そのため、謎が多ければ多いほど、熱が籠もり、脳に限界が来る。
──掴めてきた、のに。足りない。
時間が、体力が、手がかりが。自分の能力の非力さを痛感する。
「う……!」
「ハチミツくん!」
肩を引っ張られ、綴の意識は現実に引き戻された。椿が不安と焦燥の混じった目で見つめている。
「だ、大丈夫……? 血、止まってないよ……!」
「……あ……ま、まだ、証拠が……」
足りない。だが、もう1度究極速記を行うには体力が残っていない。
「それより、1回休んで! 続けたら大変なことになる……」
「す、すいません……」ふらふらと、頭を揺らす。「うぁ……」
解は綴を見下ろす。引いているような、考え込むような。鈍痛に苛まれて、綴には彼の思惑は推し量れなかった。
「せっかく……椿さんが見つけてくれた、突破口なんです……意地でもやらないと……」
「……」
唇まで噛んでいたらしく、口元から血が流れている。
「──八見綴。貴方は今、こう言った。『まだ、証拠が』と。逆説的に、証拠以外、謎は解けたと言いたいのか?」
「……」綴の口は重い。「自信はありません」
「苦しいものだな。だが……言ってみろ。あれだけのパフォーマンスを見せておいて、なにもない、などと戯けたことを抜かすつもりはないだろう?」
「……哀根さんと、真洞さんがこの部屋で対面した。そして停電が起こった。暗闇の中で殺人が起こってしまった。
けれど、もし、そのタイミングで、誰かが部屋の中に入れたとしたら……事件の流れに、大きなバツがつきます!」
綴は痛みに耐え、大きく息を吸って、声と共に吐き出した。
「真洞さんは、犯人じゃない!」




