聴取その3
王樹家の長、ユグドラCEOの王樹大地は、白く長い顎髭を蓄えた、堂々たる迫力を持った老人だ。
曲がった腰と、杖を突いている様子は日常でよく見る老爺そのものといった風体だ。しかし鋭い目と、年季の入った傷跡のような皺は、否応なく、頂点の景色を見てきた者の雰囲気を醸し出している。下ろし立てのように美しいスーツがその印象を強くする。
その齢と脚のため1階まで行くのが難しいとのことで、綴が東館の3階まで上っていくことになった。王樹家の当主がいる階層。綴は階段を上っていくごとに、周囲の空気が厳かになっている錯覚を感じた。
重い扉を両手で開けて、大地の寝室に入室する。息を呑むほど静謐で、きめ細かく掃除が行き届き、綴が3人縦に並んでも届かないほど天井が高い。よく眠れそうな香りまでする。
マホガニー製の椅子に腰掛けた大地は、綴の目を刺すように見つめ、綴は、本当に穴が空くのではないかと恐怖した。
「──お主は……」
「はっ、はい!」綴の背筋が自然と伸びる。
「──なんだったか? 新しい使用人だったか?」
「え?」
「いえいえ大地様!」側にいた薪原が訂正しようとする。「そちらは事件のことで来てくださった探偵様でございます! えーっと。なんと呼ばれていましたかな。確か……米びつ?」
「なるほど。米びつ殿か」
「ち、違います違います! ハチミツです!」
実を言えば、自分からハチミツと名乗るのは未だに恥ずかしい。
「おお! 失礼。和ではなく洋風であったか」
「いや、洋風とか和風とかじゃないですよね……」
「して、ハチミツ殿……今日はいったいどのような……ハチミツの押し売りなら間に合っておるぞ」
「それも違います……え、ハチミツの押し売りって間に合うものなんですか?」
先ほどまでの威厳はどこヘやら。大地は子供のようにゲラゲラ笑い出した。
「ほほほほ! すまなんだ、ハチミツ殿。ワシも塔十郎も揃ってボケてきていてな! これがまあ使用人たちの手に負えなくて! ほほほ!」
「ワハハハ! 困りましたな大地様!」
老人2人の笑い声に包まれる。笑っていいのか、いや、おそらくダメだろう。じゃあ泣いていいのか?
「あの、哀根さんが殺された事件についてです。大地さんと塔十郎さんに伺いたいことが──」
「──ワシは事件が起こった時間、寝室、つまりこの部屋にいたのだ。ここは東館の3階。西館の3階まで行くことは不可能だろう。この脚だしな」
「あ……」
なんという表情の変化だろう。CEOの顔になった。
「東館と西館を繋ぐのは1階の渡り廊下のみ。それを除けば1度外に出るしかない。また東館と西館の間はどうやっても届かぬ距離。ワシには、どの方法も使えぬ。まるで疑いから逃れるために必死と思われるかもしれぬが、事実、ワシは事件に関わることはできなかったのだ」
「は……はい。念のため、伺います。大地さんにも異能力が備わっているはずですが、それを教えてください」
「ワシの異能力は《植物成長促進》という大仰な名が付けられている。土に根ざした植物を自在に成長させるのだ。屋敷を取り囲む巨木も、ワシが育て上げたものなのだ。それなりに広い土壌がなければいかんがのう」
「スケールの大きい人には、スケールの大きい能力があるものなんですかね……。土に根ざした、というと、土以外に種を埋めたりしても育たないんですか?」
「うむ。あくまで成長の促進である。植物が充分に育つ環境がなければ能力は発動しない」
3階から見下ろした、槍のような巨木を思い出す。
「そうだ、薪原さんは蛇谷さん、枝亜さんと一緒に遺体を発見したんですよね」
「え、ええ。はい。そうでした。私は東館にいたのです。停電後、すぐに風馬と合流を」
薪原の話を聞くと、蛇谷の証言との食い違いがないことが分かる。
「そういえば、皆さんの様子を見回っていたとき、東館1階で幹高様が、2階の自室で燈花様がお眠りになっていたのを確認しました」
「幹高さんは蛇谷さんも言ってたな……。燈花さんのアリバイは薪原さんが保証していると」
「そういえばあのとき、奇妙なことに梢様が……」
「え?」
「……いえいえ! 事件とは関係ないことですな。気にしないでくだされ」
もやもやするところで話を打ち切られてしまった。追及する前に、大地の口が開かれる。
「怪しいのは、真洞だ……。しかし、ワシは真洞が哀根を殺したとは思っていない」
「大地様……」
「ワシには分かる。真洞は恐ろしい異能力を持ってしまった子供だが、彼の心は優しい。3階に閉じ込められてこそいるが、家族に恨みを向けたりしない」
「大地様は真洞様を閉じ込めることに決めた会議の際も、異議を唱えていらっしゃいました。結局は多数決で押し切られてしまいましたが」
真洞が犯人だとしたら、動機は不明。謎は増え続けていく。
「して、塔十郎。こんな事態ではあるが、そろそろ就寝の時間だ。ワシは夜0時に床につかないといかんのだ。もう1時間も過ぎておる」
綴はひっそり、「自分と同じだ……」と共感する。
薪原は胸ポケットから懐中時計を取り出した。
「ああ大地様……それは大変でございます。現在はええと、1時10分……」
「あれ?」綴は応接間の隅に突っ立っている、これまた古めかしく瀟洒な振り子時計を見やった。「まだ1時ですよ。薪原さんの時計、10分進んでるんじゃないですか?」
「やや?」塔十郎は自分の時計と振り子時計を交互に確認した。「こ……これは失礼いたしました。確かに、私の時計はズレていたようです。これは参りましたな……いつからでしょう。哀根様にも迷惑をおかけしてしまったようです」
「……? どういう意味です?」
「私は哀根様に、21時30分になったら紅茶を持ってきて貰えるかと頼まれ、その通りにしたのです。そのときも私は自分の時計を見たのですが……10分早く持って行ってしまったようです」
「それで、受け取ったんですか? 哀根さんは……」
「はい。確かに。ちなみに、哀根様は東館2階の部屋にいらっしゃいました」
21時30分に紅茶を持って来い、と頼まれた薪原は、言われたとおりに持って行ったが、実際は20分に紅茶は運ばれた。そのとき哀根は東館の部屋にいた。
その10分から20分後に、哀根は西館の3階で亡くなった。
「なんか、おかしい気が……」
「探偵殿、塔十郎は少しボケているのだ! 許してやってくれ!」
「え」
「なにしろこの屋敷に40年近く勤めているからな。家電ならとっくに寿命だ!」
「ワハハハ! まったくですな、大地様! ガタがきていますから! ワハハハ!」
「ま、ワシも同じなのだが。ほほほほほ!」
「……あは、あはは……」
苦笑いでお茶を濁す。お願いだから、早く終わってくれと、綴は必死に祈り続けた。
***
今更抱く感想でもない、と思いながら、広い屋敷だと唸る。迷いなく目的地へ、とはいかない。
綴は西館の1階の娯楽室に向かった。
「本当に遅いな、究助さん。なにしてんだろ」
嫌な予感がしつつ、娯楽室に入る。
その部屋は、娯楽室と聞いて一般的に想像する部屋とは一線を画していた。ここまで何度も想像を上回られてきたが、最後まで一般的な感覚から抜け出せなさそうだ。
団体の宿泊客でも想定しているのか? 卓球台やダーツ、メダルゲームまである。奥にはゲームの筐体が並んでいて、町中のゲームセンターをそのまま持ってきたかのような光景だ。
ゲーム筐体の近くから、男女の声がする。男の方は聞き馴染んだ騒がしい声、究助のものだ。
「だぁーっコイツ! 全っ然勝てねぇ! んだよその即死コンボは!?」
綴は呆れながら近寄る。「究助さん?」と呼びかけると、ぎくりと肩を揺らし、こちらを振り返った。
「お……おお……は、ハチミツ。なんか、ひ、久しぶりだな……」
「ええ、そうですね。30分くらいですか。確かに久しぶりですね」
究助は目を逸らすが、ちらちらと綴を見て、口元を引きつらせる。
「しょ、しょうがねぇんだって! あ、あの《ドラシア》と格ゲーで直接対決できる機会なんて普通はないんだ!」
「ドラシア?」
究助が使っていた筐体の、向かいの筐体から女性が顔をのぞかせた。顔立ちは王樹家の人々の面影があった。幼さの残る容姿をしているが、おそらく年齢的には30代だったはずだ。
「……王樹枝亜さんですね?」
「んー? あ、君が探偵って奴? そーそー! どーも、枝亜ちゃんでーす!」
軽薄な口調と陽気な振る舞いで、こちらの調子が崩される。
「枝亜さんは確か、プロゲーマーなんですよね。燈花さんから聞きました。察するに……ドラシアというのはネット上での名義ですか?」
「ナイス理解! いいね、話が早いや。分かりきってるテキストはスキップしたいもんね」
筐体からは古めかしいゲームボイスが流れている。それ以外にも娯楽室の音は、ゲームセンターよりは大人しいものの、集中力を失わせる。
「それでは、手早く本題に入ります。事件について聞きたいことがあります。哀根さんが殺害された時刻は21時30から40分までの間とされています。そのとき、枝亜さんはどこにいましたか?」
「ここ」
「娯楽室ですか? ずっと?」
「そー。あたし、ここ数ヶ月はこの屋敷で親のすねをかじってるんだけど。やっぱこの娯楽室はサイコーだね! 今のゲームセンターにはない筐体が置いてあるんだもん。ずっと遊んでるよ。暇があればずっと。あのときも」
「なあハチミツ。マジでスゲぇよこのゲーセン!」
「ゲーセンではないですが……」
「あの知る人ぞ知る超高難度王道STG、『怒盆鉢』があるんだよ! 俺がガキの頃メチャクチャ遊んだんだぜ。しかも、枝亜はこの『怒盆鉢』の世界的プレイヤー! さっき超ウルトラプレイを見せて貰ったんだ。感激ものだよ!」
子供の頃に戻ったような目の輝きだ。
「よく分かりませんが、凄いんですね……」
「馬鹿ハチミツ、よく知れ! 凄さを! 今のゲームと違って途中セーブも許されず、難易度イージーなんかもない! 究極的硬派なSTG! それが『怒盆鉢』なんだぜ!」
綴は職業病というのか、メモを取りながらも、おそらく数分で忘れるだろうなと感じていた。
「……それはともかく、枝亜さん。そのとき、あなたがずっと娯楽室にいたと、証言できる人。つまりアリバイはありませんか」
「ないよ。あーでも、塔十郎と風馬がやってきて、3階に行くように言われたよ。それからはずっと一緒だった」
「停電がありましたよね。そのときまで娯楽室にいたということですか」
「停電……あったっけ?」
「暢気な……じゃあ、現場でなにか目撃したとかは……」
「ないね!」
「はぁ……で、では……あなたの息子、真洞さんについて教えてください」
核心に迫る質問だ。枝亜は居住まいを正すとか、話を聞く姿勢を一切変えようとしない。
「いーよー。真洞のなにが知りたいのさ?」
「真洞さんが、哀根さんを殺害する動機に、心当たりなどはありますか?」
「え? ないない!」
「……本当ですか」
「だって真洞は哀根と全然接点がないし。アイツもそーいう殺意? みたいなもんも、持ちそうにない感じじゃん。まあ、閉じ込められてるうちに変わったりしたかもしれないけど」
綴と究助は同時に顔をしかめる。
「あんた……自分の息子が殺人犯かもしれねーってのに、なんか、他人事? って感じじゃねぇか? もうちょっと心配するとかよ……」
「そんなこと言われても。真洞がなに考えてんのかも分かんないし。どうしようもなくない?」
「……ゲーマーとしては尊敬してるが……親としてはどうかと思うぜ、それ」
綴は気まずさを感じ、片腕をさする。
「枝亜さん。真洞さんが閉じ込められると決まったとき、あなたは異議を唱えなかったんですね」
「そうだけど? 今度はその件であたしを非難する気ー? あんたらに関係ないんだし、どうでもよくない?」
「あんたなぁ……」
「じゃあさ。逆に聞くけど」
「あ?」
枝亜はこちらを茶化すような表情から、一変する。その目は、大地の鋭い眼光を彷彿とさせた。
「自分の子供が異能力者で、しかも《洗脳》だよ。目を合わせただけで相手を操る。自分ちのブランドを傷つける。もし君たちがあたしだったらどうすんの? 育てられる?」
「あ……? そ、それは……あんたなぁ……」
真洞の年齢的に、枝亜は10代のうちに出産をしたようだ。
「正直さー。あたしは子育てなんか向いてないんだよ。でも実家で育ててくれるってんだから、活用しない手はないっしょ? 閉じ込めてるっていえば聞こえは悪いけど、これが最善だと思うんだよねー」
「……けど。あんた。真洞とコミュニケーションは取ってんのかよ」
「いや?」
「じゃあダメじゃねーかよ! 究極的に!」
「だってー。風馬がやってくれてたんだもん」
悪びれる様子はない。このまま問答を続けていてもしかたないようだ。
「それでは、枝亜さんの異能力について教えて──」
「ほら、これー」
枝亜はさっと右腕を前に突き出す。手を開くと──。
「うわっ!」
「なんだ!?」
鋭く、白いものが手のひらから噴出された。
「こ、これは? 糸?」
まるで蜘蛛の糸のようだ。それよりは太く、電気コードくらいはある。娯楽室の照明にキラキラと反射していた。
「あんま触んない方がいいと思うよー。結構ネバネバするし、くっつくから。ちなみに、束ねたら布くらい太くなる」
「あれ……このネバネバ……3階の壁にあったの、これ?」
現場の部屋を出た綴が触れて驚いたものだ。メモ帳にしっかり、感触も見た目も記録されている。
「あたしが3階に行ったとき、現場を見た風馬に頼まれたんだ。『この階全体に糸を張り巡らせてください。誰かが潜んでいても、逃げられないように』って」
「言われたとおりにしたんですね。それで、糸に引っかかった跡は……」
「あったら言ってるっしょ」
「ですよね。そのとき、3階から抜け出した人物はいないと」
「あんたの異能力って、勝手に消えたりしねぇの? 未だに3階の壁にくっついてたけど」
「あー……そうなんだよ。そこが辛いところでさ。あたしの糸は出したらちゃんとゴミ箱に捨てなきゃいけないんだ。3階のは風馬が簡単に掃除してくれたけど。燃やせば簡単に消えるよ」
枝亜はやや決まりが悪そうにする。取り繕うように、糸をまた発射し、天井から垂れ下がらせた。
「こんな感じで出しては、風馬とか塔十郎が捨ててくれる。家ではあたしが捨ててるけど。夫に怒られるから。ここなら気楽でいいねー」
「出さない方がいいんじゃねぇのって思うけどな……スパイダーなウーマンってわけか」
「楽しーんだもーん」
歳不相応に幼い、というのが印象だ。しかし、聡明な内面を隠している。すべてをこちらに開示していない。警戒を怠ってはいけない人物だ。
──ひとまず、王樹家の人間への聞き取りは終了した。




