彼の背中は
「それにしてもよ」究助が言う。「曳刷の犯行と千牙の事件は、究極的な偶然で、関係はなかったんだな」
「いえ……究極的、ってほどではないですよ」
究助はきょとんとした顔になる。
「高校時代っていう、いろんな感情が混ざり合う時代を一緒に過ごしてきた人たちが……10年越しに一堂に会する場だったんです。復讐を企む人たちが2人いたというのも……あり得る話だと思います」
「……19歳のガキのくせに、知った風なことを……」
「あはは……それと、曳刷さんが事件を起こしたことが、皮肉にも、メメさんの犯行を暴いたんです」
「あ? そうか?」
「前にも言いましたが、曳刷さんの事件がなければ、千牙さんの体内にあった毒は、もっと不可解なタイミングと場所で溶け出しました。証拠も出なかったでしょうし。そうなればメメさんの障壁にたどり着くのは困難になったことでしょう」
「曳刷のおかげ、っていうのはアレだが……はぁ……なんとも言えねえなぁ……」
「ハチミツくん!」
「あ……」
綴は咄嗟に振り返る。椿の声だ。
「そんで、アイツのおかげでもある、か。特能のくせに、まともなヤツだなぁ」
椿は息を切らし、綴を追いかけてきた。
「お礼を言い忘れた。ありがとう。ハチミツくん。彼女の……メメの犯行を暴いてくれて」
ついさっきも、メメに礼を言われたばかりだ。
「そんな、お礼なんて」
「それに、君の推理がなかったら、わたしは栞さんを逮捕していた。そうしたら……わたしは、わたしが嫌いな丹や山犬たちと同じように、冤罪を生んでしまうところだったから」
「……椿さんなら、最終的に、真相にたどり着いたと思いますよ。他の人たちと違って、ちゃんと捜査もしていたし……」
「そうかもしれない。でも、そうじゃなかったかもしれない。だから、感謝してるの」
「おう! ハチミツがいて良かったな! 連れてきた俺にも感謝していいんだぞ?」
究助はふんぞり返る。
「……はいはい。ありがとう究助くん」
「なんか雑じゃねぇか!?」
綴は丁寧に頭を下げて言う。
「……僕も、お礼を言わせてください、椿さん。あなたの異能力があったから、曳刷さんの犯行を暴くことができたんです。ありがとうございます」
「あなたならそれこそ、そのうち真相にたどり着いたと思うけど」
「買いかぶりすぎですよ。僕は……皆さんに助けられてばかりですから」
椿はくすりと笑って、小首を傾げながら言った。
「──もっと自信持って。ハチミツくん。言ったでしょ。君なら特能に、わたしたちに勝てるって」
「……」
喜んでいいものか、複雑だ。椿は微笑んでいるが、冗談めかしているのか、本気なのか。いまいち掴みきれない人だ。
ただ、確信したこともある。
「それじゃあね、ハチミツくん。今度は……事件現場じゃなくて、カフェで会えたらいいね」
「──はい!」
椿は特能で、間違いなく正義の人だ。
***
椿は署に戻り、事務的な後始末を行っていた。椿のデスクには資料が山積みされているが、彼女の迅速な手捌きによって片っ端から役目を終えていく。
「──椿」
「……あ」
声に反応し、見上げる。そこに立っていたのは、彼女にとって誰よりも見慣れた人物だった。
外から帰ってきたばかりなのか、ロングコートを羽織ったままだ。
目つきは鋭い。背丈が高いため、座っていると威圧的に見下ろされている気分になる。
「解……兄さん」
椿の兄、白金解だった。
「なんだか、久しぶり。ずっと忙しかったみたいだけど、今日は帰れるんだよね?」
「然り」
解は疲れを滲ませた声色で言う。
「我が妹よ……嗚呼、なるほど。委細理解した。パトカー内で死者が出たと、我が耳朶に届いた。その件の報告書だな? 多大な災難があっただろう。実に大義だったな」
「……うん。まあ、いろいろあったよ」
兄の小難しく婉曲な喋り方は、疲労しているときに聞くと、なかなか堪えるものがある。
解は近くにあった椅子を転がして、静かに座った。
「片は付いたのか?」
「わたしじゃないけど、終わったよ」
「なに? まさか、丹ができるわけもなし。何者だ?」
この部屋に誰もいないのをいいことに、丹の陰口をたたく。それに、椿も小さく笑う。
「最近話したと思うけど、例の探偵と捜査一課の人。彼らがいなかったら解決は難しかった」
「……」
解は不機嫌そうに口をへの字にした。だが、椿にはそれが、不満によるものではなく、単に考え込んでいるだけなのだということを知っている。
「兄さんも、そのうち会うんじゃない? そんな気がするよ」
「……椿」
「そうしたら協力してあげなよ。けっこう頼りになる」
「私にとって、其奴らのことなどはどうでもいい」
「そう? その割には、興味津々って顔だけど」
「……重要なのは、虚言に惑わされず、真実まで歩みを進める執念だ」
解は立ち上がり、部屋から去ろうとする。革靴の踵を冷たく鳴らす。
「……どこに行くの?」
椿は兄の背中を見る。誰よりも優秀な兄の背中を。
その背中にのしかかるものは、黒く澱んだ塊のようで、重苦しい。
妹だけが知っている。彼の苦しみ。
優秀さ故の重圧と、綻びの見える正義感。
「峯岸嶄巌部長の下へ。報告がある」
「部長の……そう……」
「彼の恩に報いるため、私は脚を動かすのだ」




