詰みとバツ
千牙が病院に搬送され、亡くなり、数時間が経過した。事態は大混乱だ。綴と椿は病院へと同行する。
唐突に起こった最悪の出来事は、終わりを迎えようとしていたはずの事件を、再加速させた。
紫雲と合流する。
「紫雲さ──」
「あークソ! なんだってんだ一体!」
どうやら気が立っているようだ。大混乱なのは、医者も同様である。
「なにか分かりましたか?」
「ハチミツ! 千牙の死因は毒だ!」
それはそうだろう。状況から見てもっとも可能性が高いのは毒死でしかない。
「解剖まではできていないが、千牙の症状や、吐瀉物から検出されたもの、それらから毒の種類が概ね判明した。だが、それが問題なんだよ!」
紫雲は激昂する。普段は冷静な彼が、ここまで感情を露わにするのは珍しい。
「千牙零人の死因に、なにか不明なところがあったの?」
椿も苛立っている。混乱の発生に巻き込まれたのだから当然だ。
「千牙を殺した毒は、即効性の毒。致死量の青酸カリか、それに近い毒だ」
「え?」
紫雲の怒りの意味が、遅れて理解できた。
「あの……即効性って、どのくらい……」
「服毒して30分から1時間くらいで、症状が現れ、死に至る」
「は……!?」
椿は目を見開く。1時間で死に至る毒。
「そんなの……署内くらいしかタイミングがないじゃないですか!?」
あり得ない。どこよりも安全で、殺人など起こりようがない場所で。
「彼が亡くなる30分から1時間前、ずっと取調室にいたはず。そのままパトカーに乗った。彼に毒を飲ませられる人も、タイミングも……存在するわけない……」
「取り調べをしていた丹ってのは異能力者差別をしていたんだろ。嫌いすぎて殺したんじゃねぇか?」
「いくら嫌いでも殺人までするとは考えにくいですよ! そもそも丹巡査長は僕たちとカラス公爵にいました!」
「俺は推理は専門外だ」紫雲は匙を投げた。
椿は考え込む。その横顔から、わずかな焦りが読み取れる。
***
究助に連れられて、ある病室に入る。入室していきなり究助が声を荒げた。
「沓木虫太郎!」
沓木がベッドで寝たまま頭を持ち上げた。
「な……なんすか刑事さん。まだなにか……? 犯人は曳刷だって……」
「その事件は解決した! だがさっき、千牙零人が亡くなった、殺人だ! お前はアイツが殺された理由に、なにか思い当たることはあるか?」
「は? いや、い、いきなりなに言って……千牙が死んだ……?」
沓木は憔悴する。当然の反応だが、こちらとしては落ち着くのを待っているわけにはいかない。
「詳しくは教えられませんが、この数日、病室で入院していた沓木さんはシロであると思います。沓木さんの立場からお話を伺いたいんです」
「そ、そんなこと言われても知らねぇよ……! あいつは、ムカつくくらい、完璧なヤツで……誰かから恨まれるようなヤツじゃ……」
もしも千牙の本性を知っていれば、こんな評価は思い浮かびもしないだろう。
「それは、あなたの本音ですか?」
「は? ……いやまあ、ウゼぇけど、嘘言う意味もないだろ……」
「本性、本当に知らないみたいだな」究助は小声で綴に言う。
「あ……でも待てよ……恨んでいると言えば」
「なにか?」
「アイツ、浮気してたことあるんすよ。って、知ってた?」
「浮気!?」
「メメと付き合う前、2人の女と付き合ってたんだ。ヒヒヒ……さっき完璧って言ったけど、そういうところはカスだよな」
「……メメさんと付き合う頃には別れたんですか?」
「ああ。メメは知らねーだろうけど、浮気でゴタゴタした2人は、アイツのこと恨んでんじゃねーの? えーっと、5年前だっけな」
綴は可能性を探る。千牙の過去の恋人。なにがあったのかは分からないが、果たして、殺人に至るほどの恨みがあったのだろうか?
「……究助さん、念のため、過去の恋人についても調べてください」
「調べてって、お前な……結構メンドイぞ。でもお前、念のためってことは、あまり疑ってないっぽいな?」
「そう……ですね。その人たちが犯人の可能性は薄いと思います」
沓木は喉を鳴らして唾を飲み込み、また、なにか焦ったように視線を動かした。
「ところで沓木さん。それってどうやって知ったんですか? 千牙さんから直接聞いたわけではないでしょうが……」
「い……いやいや、本人。アイツ、酒に弱くて。昔に酔っ払ったとき、ポロッと溢したんだ。今回の同窓会でも、あんまり飲んでなかったんじゃね?」
「なるほど……」
沓木は徐々に汗をかき始め、歯をかちかち鳴らす。よく観察してみれば、彼の腕はボロボロだ。入院中に自傷でもしたのだろうか。
「な、なあ。刑事さん。あんた……」
「あ? なんだよ」
「いや、なんでも……」
そのとき、病室に男が入ってきた。彼の顔を見て、沓木は動揺し、喉の奥から高い音を発された。
「そ……鼠谷……」
「検査の結果が出た……ん、探偵さんと、最上刑事」
「鼠谷さん。どうかしたんですか?」
「検査ってなんだよ?」
鼠谷は居酒屋で見た格好とは違い、かなりフォーマルに寄っている。そういえば警察だったな、と綴は思い出した。
「同窓会の時から臭ってたんだよな。臭ってるってのは比喩じゃなくてさ」
「臭い……え、まさか」
沓木の様子がいよいよ挙動不審になっていく。
「薬物所持、および使用の疑いで逮捕だ。退院したら覚悟することだな」
鼠谷曰く、凶器を捜索していたとき、ゴミ箱まで徹底的に捜索した理由は、これにあった。
もしかすると沓木は同窓会で薬物を所持、最悪、販売までしていたかもしれない。どさくさに紛れて証拠が捨てられているかもしれない。
それらの可能性を考えた結果、必要以上に捜索したとのことだ。
「……ひっ、ひいいいいぃぃ……!」
沓木の悲鳴が病室に響く。綴は究助と目を合わせる。
「……まあ、アレだな。腐ったヤツってのは、大人になったら究極的に腐ったヤツになる……ってことだな。いい教訓だぜ」
「あ……鼠谷さん、1ついいですか?」
「ん?」
「鼠谷さんは千牙さんの取り調べに立ち会いましたか?」
「いや? 担当じゃないんだよ。俺はほら……地域部だって言っただろ? 薬物所持の疑いがある奴に職質とかするのがよくある仕事。それでコイツの罪が分かったわけだけど」
「なるほど……ありがとうございました」
***
ここに来て、新たな事件が発生した。
死因は明確なのに、服毒した時間が不明──。
「現状、手がかりは少ねぇ……」
綴の耳には、究助の言葉が遠く聞こえた。
手がかりが少ない。それは事実のようだが、実際はどうだ?
千牙の動向が分かっていないのであれば推理は難航したはずだが、幸いにして、直近の千牙はずっと警察署にいた。一挙手一投足は刑事たちに見張られていたはずだ。……だからこそ服毒の謎も生まれたのだが。
「究助さん。結局、千牙さんの過去の恋人たちは……」
「2人ともそれぞれ別の、遠くに引っ越してることが確認できた。流石に関われねぇな」
「……となれば」容疑者は減った。「手がかりは、案外揃っているのかも……」
「あぁ? 馬鹿言えよ、まだなにも分かってねぇだろ?」
「……」
メモを目の前に持ってきて、隅々まで凝視する。目が乾くくらい、じっくりと。文字の1つ1つに宿る、手がかりを整理する。
「ハチミツくん」
「あ……! 椿さん!」
椿が戻ってきた。自身が運転していたパトカーの中で人が亡くなったのだ。いろいろと厄介な報告をしなければならないのだろう。おかげでかなり疲労が溜まっているようだ。
「千牙さんがどうやって殺されたのか。わたしなりに考えてみたの」
「どうやって殺されたか……」
「先に言っておくけど、なにか間違いがあれば指摘してほしい。
1人、可能性があるの。犯人はあの人じゃないか、って」
「え!?」
椿は覚悟の灯った瞳をしている。
「おい、誰が犯人だって言うんだよ……」
「──時尾栞」
「……あ!? んな……嘘だろ!?」
「か、彼女が……?」
彼女が犯人? そんな、あり得ない。
「彼女は殺人なんてできる性格じゃないし……動機もありませんよ!」
「チェック」椿は人差し指を跳ねるように動かした。空中にチェックマークを作るように。「それは、誤り」
「チェック……?」
究助が微妙な視線を綴に向けた。
「……お前の指摘に似てるよな……」
「そ、そうですか? 気をつけます……」
「千牙さんを殺す動機を持った人物は限られている。彼を恨むような人物はいない。
……もっとも、彼の本性を知っているとすれば、話は別」
「……! もしかして……」
「静流さんを殺した現場を目撃した、栞さんになら、動機は生まれる」
彼女はそのことをカウンセラーの他に誰にも話していない。だからこそ苦しんでいた。とすれば、千牙の本性を知っているのは、彼女だけ。
「で、ですが、どうやっても千牙さんを毒殺することはできません」
「彼女なら警察署内にも取調室にも侵入できる」
「え……あっ!」
「彼女の本当の異能力、《気配遮断》。人とぶつかりさえしなければ、彼女は透明になってどこにでも行ける。警察署内にも、取調室にも。部屋で提供された水に毒を仕込むことも、彼女なら可能」
「……そ、そんな」綴は青ざめる。「確かに可能ですが……」
「──兄が言っていた。推理はチェスに似ている、と。盤上に手がかりと証拠を揃え、駒を動かすように、真実へと道筋を作る。わたしたちが得た駒を動かした先には……1つの答えしかないと思うの」
彼女の言うとおりかもしれない。綴は、栞のことをよく知らない。千牙の本性がそうだったように、栞の心の奥には人を恨み、人を殺せる意思があるのかもしれない。
「正直に言えば、栞さんが殺人を行ったという証拠は見つかっていない。推理に自信があるわけじゃない。反論があるなら、言って欲しい……」
椿は葛藤しているようだ。目を伏せて、迷いを見せる。
「チェック……ということは、まだチェックメイトではないんですね」
「……」
「まだ、詰みと言うには、バツですよ」
「……それは」
病院の廊下であっても構わない。いや、本当は構うべきだが、それどころではない。
メモ帳のページを破る。ページは落ち葉のように足下に散らばった。
沓木が殴られた、曳刷が犯人の事件。10年前に遡り、静流を騙して殺した千牙の事件。愛掘高校の45期生の闇。それらすべての情報が、散らばったページに記録されている。
「ハチミツくん? いったいなにを……」
「あんたは初めて見るよな」究助が得意げな顔で答える。「ハチミツの速記能力、その真価だ。究極速記、と俺が名付けた!」
ペンを掲げる。包帯をきつく締める。ペンは手のひらに馴染み、もはや手そのものだ。脳が命じたまま、思い浮かべた推理をそのまま、白紙に書き込んでいく。
推理はチェスと似ている。椿の兄の言葉を借りるなら、メモに刻まれた文字は盤上の駒だ。正しく整理し、順序立てて進軍させる。その先にあるのは、真実という名のキング──。
「椿さん。今度はあなたの番です。
これから僕が出す答えに納得できなかった場合、躊躇なく指摘してください」
返答は待たない。
それより先に綴の脳が動き、手が加速する。
《目の前にいても、喋っていても、関係ない。他者は栞の存在に気づくことが難しくなる。例外は、彼女に触れることだ。触れた対象は、彼女の存在に気づける》
栞が犯人なのか?
《彼が亡くなる30分から1時間前、ずっと取調室にいたはず。そのままパトカーに乗った。彼に毒を飲ませられる人も、タイミングも……存在するわけない……》
毒を飲ませるタイミングは本当に存在しなかったのか?
《アイツ、酒に弱くて。昔に酔っ払ったとき、ポロッと溢したんだ》
──千牙を殺す動機は、誰にもなかったのか?
指が痛み、腕が痺れ、頭が熱くなる。この速記はいつも辛い。全身が高熱でうなされたときのように疲弊する。けれど休むわけにはいかない。痛みが増すほどに、真実に近づいていく感覚があるから。
《代償はないとのことだ》
──どういうことだ?
あの発言は、過去の発言と矛盾してしまうではないか。
──紙の上の推理は繋がった。
床に突いた手の側に、自分の鼻血がポタポタと落ちる。目眩がして、床に倒れ込みそうになった。震える脚を支え、ゆっくり立ち上がる。
「……血、拭いたら?」
椿がティッシュを差し出す。どん引きしているようでもある。
「あ……しゅ……しゅみまへん……」
「……ねえ、これって大丈夫なの? 脳にダメージとか……」
「せっかく病院にいるんだから、検査させておくか……」究助も痛々しい物を見るような目をする。
少し待って貰って、頭をすっきりさせる。
完璧とは言えないが、喋れるようになって、綴は顔を上げた。
「──犯人は栞さんではあり得ません」
「……何故?」
「彼女の犯行かどうか、確かめる方法があります。警察署内の監視カメラです」
「……あっ」
「栞さんの能力は《透明化》ではありません。あくまで気配遮断による、擬似的な透明化です。僕たち生物の感覚を誤魔化せはしますが、機械による記録には対応できないはずです。もしもなにも映っていなければ、栞さんは無実と言えるのではないでしょうか」
「……そう、ね。確かにその通り……反論はない……」
「警察署内に入っても問題ない人といえば鼠谷さんもいますが、彼は千牙さんの担当ではないので取調室には行っていません。彼も容疑者から除外できます」
「じゃあ……あなたが犯人だと思う人は?」
「僕の推理では……犯人は、あの人しかいません……」




