特別聴取
病院の待合室で、2人はカウンセリングの終わりを待つ。一緒になって話を聞ければ又聞きにならないのだが、残念ながら栞の身内でないため同席は禁じられている。
「そうだ、ここに来る前に、留置所にメメの様子を見に行った」
椿が話し始めた。
「どうでした?」
「千牙が心配なのか、一睡もしてないみたい。彼女が言ったこととはいえ、待たせているのが申し訳なくなるね……」
「早く解決したいですね」
そのとき、見知った顔が廊下の向こうに見えた。
「ん……ハチミツと……誰だ?」
「あ、紫雲さん」
紫雲が現われた。珍しく……いや、本来の正装なのだろうが、白衣の下は医者の仕事着だった。
「どうも。あなたが廃谷紫雲さんですね。わたしは特能所属の白金椿です。ハチミツくんと協力して調査を行っています」
「あぁ……? どーも……特能……」
彼の脳裏には、山犬の粘着質がこびりついていることだろう。特能には良い思い出が1つたりともないはずだ。
「……まあいい。ハチミツ。伝えといてやる。沓木の容体だ」
「沓木さん、無事なんですよね。後遺症は残りそうですか?」
「いや、数針縫うことにはなったが、たいしたことはない。で、だ。どうやら円形の鈍器で殴られたんじゃないかって話でな」
「円形の鈍器……」
「綺麗に円形だそうだ」
「なるほど。ありがとうございます」
紫雲はうんざりだ、とでも言いたげに髪をかき上げた。
「沓木の件は以上だ。
時尾栞のカウンセリングはまだ続いているんだな?」
「そうみたいです」
「事前に聞いた話だが、彼女は画家らしいな」
「あ、はい。そう言っていました」
「だからか……。自分の記憶を絵として描くなら、言葉で喋るより容易らしい」
「言葉じゃなくて、絵にして描く? すみません紫雲さん、どういう意味ですか?」
「今日、ここに来るにあたって、時尾栞の母親と連絡を取った。彼女が言うには、子供の頃に行った暗記テストで満点をたたき出し、それから何年も経った今でも、そのテストの答えを言えるらしい」
「そう聞きました……けど、苦痛も多そうですね」
「それだよ。良いことも、悪いことも無限に記憶できちまう。だから、一種の防衛機制なのか、時尾栞は《忘れる》ことができない代わりに、記憶の一部を《封じる》ことができるようになったらしい」
「忘れると封じる、は違うんですか?」
「感覚的な話だが、喩えるなら……ハチミツ、お前のメモ帳とペンを貸してくれ」
言われるがまま、紫雲に手渡す。
「忘れるってのは、書いた文字を消すことだ」
文字をぐちゃぐちゃの線でかき消した。
「封じるってのは……こうして、隠すことだ」
今度は指を、書いた文字の上に置いた。
「栞さんは消すことができないけど、隠すことはできる、と。それってつまり……必要に応じて、隠す指を置いたり、どけたりできるってことですね」
「ああ……できるっつーか、せざるを得なかった、って話らしいがな。とにかく、彼女は一部の記憶を封じている。10年前の、帆波静流の件についても、その力が働いているようだ。だが忘れたわけじゃないから、指をどかすこともできる」
嫌な記憶も忘れられない。だから隠すことでなんとか精神を壊さないようにしている。綴は自分の能力と比較して、羨ましいと感じていたが、撤回した。生きていく上で辛いことの方が多そうだ、と。
椿が隣で重さを感じる溜め息を吐いた
「……栞さんには悪いけど、期待できるね。封じてしまいたいと思ったほど、嫌な記憶として刻み込まれているってわけだから。重要な情報が得られるかも」
「……お」
紫雲が顔を上げた。綴たちもその視線を追う。すると、部屋から栞が出てきて、部屋の中に向けてお辞儀をしているのが確認できた。カウンセリングは終わったようだ。
彼女は小脇にスケッチブックを抱えている。
「あ……た、探偵さんと刑事さん」
「栞さん、お疲れ様です。ごめんなさい、僕の都合で辛いことを思い出させてしまって……」
ふるふると栞は頭を横に振る。振る、というか振動する、といった方が合っている。
「わ……わたしが、め、迷惑をかけてしまって……」
「迷惑? まったくそんなことないですよ」
「いや……わたしがそもそも……10年前に……言えばよかった……」
「10年前に?」
「い……言えば……よ、よかった、のに……」
栞はぎゅっと握り拳を作る。紫雲が彼女の手を引いた。
「大丈夫だ。今日はもう帰ろう。
ハチミツ、俺はこのまま出口へ送っていく。お前たちはカウンセラーから話を聞いてくれ」
そのまま2人は去って行った。忘れそうになるが、紫雲は医者であって、監察医は手伝いのようなものだ。患者の扱いにはとても慣れている。
「あらあらあら! あらまあ! お2人さん!」
紫雲たちが消えて、今度は綴の背後に影。ぎくりと振り返れば、白衣の女性が微笑んで立っていた。
「も、もしかしてカウンセラーの?」椿も驚いている。
「ええ、ええ! アタシがそう! 栞ちゃんのことよね? 大丈夫! 彼女の絵をカラーコピーしたから、一緒に見ましょう!」
継ぎ目のない言葉に圧倒される。のけぞってしまいそうになるが、今はこの人に頼る他に手がない。本来、カウンセリングの内容を第三者に明かすのは禁止だが、今回は事前に許可を得ている。栞の描いた10年前の記憶を読み解くために、カウンセリングルームに入室した。
「とっても良い匂いがしますね。アロマですか?」
「ええ、ええ! 心が安らぐフレーバーを貰ってるの。これのおかげであの子も話しやすくなったのよ」
不思議と気持ちが楽になる匂いだ。かなり特別な成分が混ざっているのだろう。
綴と椿に紙が渡される。色鉛筆で描かれたであろう風景画だ。彼女は絵を描くことを、過去の映像から模写するようなものと述べていたが、これがそういうことなのか。
「……封じた記憶を、なんとか描いてもらったのよ。だからところどころ、穴あきみたいになっているでしょ? 流石に1回のカウンセリングじゃ、これが限界よ。もっとやれば鮮明になっていくでしょうけど!」
「それだと時間がありません。この絵から、読み取ろうと思います」
「彼女が描きながら言っていたことを伝えるわね! アタシはよく分かんないから、解読は任せるわよ!」
「ええ、頑張ります……って……ん?」
苦しみが表れたような掠れた線と、薄い色の絵。それがどこの風景なのか理解するには、少し時間を要した。
2人が理解したのはほぼ同時で、また、驚きの声をあげたのも同時だった。
***
《あの日……わたしは、絵の練習をしに川に行った》
《少し……雪が降っていて、地面にちょっとだけ、積もっていた》
《橋の上で風景を描いていたら、川の上流の方に2つの人影が来た》
《最初は……見間違いだと思った》
その「見間違い」を描いた絵は、とても奇怪なものだった。
まず、綴たちが驚いた理由は、栞が事件が起きたとき、現場となった川にいた事実だった。
「言えばよかったってのは、こういうことだった、と」
「もし……静流さんが亡くなった瞬間を目撃してしまったとしたら、ショックを受けたことでしょう。正直、彼女はメンタルが強いようには見えませんでした。言えなくとも無理はないと……僕は思います」
「わたしもそう思う。それはそれとして、この絵は……どういうことだと思う?」
「……」
カウンセラーは栞の言葉を静かなトーンで告げる。
《そのうち、1人が、川の上でしゃがみ込んでいた……ように見えた》
そう。柔らかな線で描写された川の流れの真上に、おぼろげではあるが、人影がしゃがみ込んでいるのだ。
「はっきりとは見えません。これは栞さんの記憶のデッサン。彼女もよく見えていなかったということでしょうか」
「もしくは封じた記憶の再現が完全じゃないか。どっちにしても、曖昧だね。それでも人影が川の上にいる、という奇異な状態は間違いなさそうだけど」
「もう1人は……こちらは普通ですね。河原かな? 川沿いに立っています」
手前の橋の欄干、遠方の街並み、河原の砂利と、それに積もる雪。細部は丁寧に描かれているのに、人影に近づくにつれて薄くなる。記憶の封じ込めが強い部分と推測できる。
これだけでも充分だと思えてしまうが、コピーされた紙はもう1枚ある。
「あらあら、あらあら。そうなの。あの子は続きを描いたのよ。それが2枚目。次に起こった出来事……」
《変な幻覚かなにかだと思いました……後から事件を知って……幻覚じゃなかったって……》
栞の言葉はそこで途切れたらしい。
「2枚目は……はぁ。なんかもう、逆に笑っちゃうくらい、わけ分かんない」
2枚目はほとんど変わっていない。唯一変わったのは川の上でしゃがみ込んでいた人影。
人影の下半身は、川の線の中に消えている。
「まさか……川の中に落ちた……?」
「つまり、この影が帆波静流。そしてもう1つの影は……」
「分かりません。でも、川の中の影が静流さんだとすれば、とても怪しいです。静流さんが川に落ちた瞬間、近くに人がいたことになり……でも、そんな人がいるなんて、今までまったく話に出てきませんでした」
「俄然、静流さんが事故死というのも怪しくなってくる。いったい誰なの、このもう1人の影は……」
「カウンセラーさん。栞さんはなにか言っていましたか?」
「あらあらあら……えっとね」
《川の中に1人が落ちました……溺れているような……でも、よく見えなくて……》
《怖くなって……わたしは……逃げてしまいました……》
「あらあら。栞ちゃんを責めないでね。よく見えなかっただろうし、仮に橋の上から助けに行っても間に合わなかったと思うわ。その後、静流さんとやらが亡くなったのを聞いてからは……確かに誰かに伝えるべきだったと思うけど、彼女は仲が良かったクラスメイトもいなかったらしいし、かなり勇気がいることよ」
「分かっています。記憶を封じ込めたくらいです。正常な判断は難しかったでしょう」
カウンセラーが会話している間、じっと絵を眺めていた椿が、「あっ」と小さく声を漏らした。
「ねえ、ハチミツくん。この静流さんじゃない方、もう1人の影だけど……ほんの少し、黄色く塗られているように見えない?」
「え? 黄色?」
言われてみれば、確かに。遠くておぼろげなせいもあり、人影の色はかなり淡い。だが目を凝らせば薄く塗られた色が見える。
「人影の頭部……かな。うっすら黄色い。これって……まさか」
「髪が黄色、ってことですか」
「そういえば沓木さんも金髪だったけど……まさか、彼の事件となにか関係が……?」
「……いや」
栞の絵によって混乱し、複雑化していった謎。
けれど綴の脳は、徐々に整理されていく。
カウンセラーが伝えた栞の言葉。絵の細部の情報。椿が口にした謎。それらすべてをメモに記録していく。文を1つずつ書いていくたびに、不自然な点が浮かんで残る。
「椿さん、間違いないです。これは……事故ではありません」
「──殺人、ね」
綴のポケットでスマホが鳴動する。
「わっ! ……究助さんか……そういえば、どこに行ってたんだろ」
綴は急いで電話に出る。
『ハチミツ! やっと終わったぜ!』
「究助さん、なにをやってたんですか?」
『研究センターだよ』
「まさか異能力研究センター……? え、どうして?」
『ほら……俺に異能力の情報を教えてくれる、墨塗って奴がいるだろ?』
「あ、そういえば前に聞きました」サザンクロスの事件のときに聞いた名前だ。
『そいつは研究センターにいて、俺はいつもそこに問い合わせて、情報をもらってる。だが今回は丹の野郎に口止めされてる……』
「……! まさか究助さん、直に……!?」
究助は強引な手段を取ったようだ。
『ああ! 直接押しかけりゃ折れるしかねぇだろ? それで情報を得られた。カラス公爵にいた異能力者の能力情報だ』
「さ、流石、究助さん……」パワープレイの極みだ。
『それより、聞いて驚くなよ。ヤツらの異能力だが……』
「え?」
『俺らは、究極的な勘違いしてたみたいだぜ』




