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相馬賢次は小柄な、ネズミのような顔をした男で、いつも大きな丸眼鏡をかけていた。相手の顔を窺いながらしゃべる癖があり、なんだかいつも緊張しているような印象を周囲に与えた。そうして、その根性の悪さ、性根の曲がり具合という意味では、彼はあなたがこれまで出会った人間という生き物の中でもトップクラスに入るだろう。ただ、もちろんそれは、先述した彼の容姿や態度から、うまく隠され誤魔化されているわけだが。そう。彼は別に臆病な人間でもなければ、頭の悪い・弱い人間でもなかった。どちらかと言えば頭の良い、悪知恵の働く人間であったし、他人と話すとき、自分が他人から見られていると知っているとき以外の彼は、いたって普通の、どちらかと言えば堂々とした態度・行動を取るような人間だった。学校の成績は中の上、運動は苦手ではないが積極的に何かに取り組むタイプでもなく、アニメやゲーム、マンガなどに興味はあったが、これにも彼は没頭、のめり込むようなことはなかった。幸い実家は裕福で、普通に進学、就職、これと言った挫折を味わうようなこともなかった。未来や将来を考える習慣はなく、世代的にも恋愛や結婚に真剣にならなくても周囲は許してくれた。稼いだお金の使い道も定まらず、アニメやゲームや映画、それらに関するグッズへと――もちろんそれらに没頭、のめり込むこともないままに――流れて行った。彼の内面を知らない第三者から見れば、彼は所謂「コレクター」「グッズオタク」と言われる人種に属しているのかも知れないが、彼のひとり暮らしのマンションには、彼が、それほどの熱意も持たぬままに集めた、カードやオモチャ、CDやDVD、ヴィンテージと言ってもいいような時計やライター、非売品のコーラのおまけなんかがあった。これらを私は先ほど「集めた」と書いたが、この言葉の中には、「購入した」と「盗んで来た」の二つの意味が入っている。そう。彼は、点数は少ないものの、様々な他の「コレクター」「グッズオタク」たちから、彼らの持つ高価なコレクション・収集品を盗んで飾る窃盗犯でもあった。もちろん、そこに、それほどの熱意があったわけでもないのだが。
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「あの四階の角部屋ですね」と手もとのスマートフォンと目の前の建物を確認しながら柊木さんは言った。「会社には昨日から有休を取っている。エアコンの室外機が動いているし、たぶん部屋にいるだろう」
「どうする? 踏み込むか?」和登先生が訊いた。「警察に届けても時間が掛かるだけだろ?」
「踏み込んでどうする?」
「決まってるじゃないか、相手はひとりだ。君と僕で二三発殴れば静かになるから、その間に佐倉くんを逃がせばいい」
ここは、相馬賢次の自宅マンション前。例の防犯カメラの映像から、ブレッキンリッジのメンバーに彼の身元と住所を特定して貰ったわけだが、
「本当なら腕の二三本も折ってやりたいところだがね」と和登先生。「どんな文句を言ったか知らないが、あのネズミ野郎、きっと単純な――いや、純真な佐倉くんの乙女心に付け込んで彼女を脅すか何かしたんだよ。でなけりゃ彼女が、あんな男について行くはずがない」
そう言って両手の指をパキポキ鳴らすが――って、気持ちは嬉しいけど、先生、流石にそれは昭和過ぎます。すると、
「ふむ」と柊木さん。「たしかに。彼女の単純さと、その単純さに相馬の『なにか』が付け込んだであろうことは、僕も同意見だがね」と一瞬、うしろにいる私たち――というか森永さんの方を見てから、「ただ、それでも、映像を見る限りでは、佐倉さんの方からあいつに声をかけたのも事実だ」
「だからそこだよ」和登先生が言った。「そこが彼女の優しいところさ。夜中、暗い顔で、寂しそうに石神井池をのぞき込んでいる男を放っておけなかったのさ」
とどうやら彼は彼で、例の『某国殿下のスキャンダル』事件で彼女に会って以来、その魅力というか性格をかなり高く評価している様子だった。
「もちろん、それも」柊木さんは応えた。「もちろん、それも、その彼女の『優しさ』――いや、『共感力の高さ』とやらには僕も同意だがね」とふたたび一瞬、森永さんの方を向き、「だからこそ――」と言いかけ言葉を止めた。
太陽はすでに落ちていて、周囲には十分過ぎる程の闇が、冷たい闇が私たちを取り囲もうとしていた。柊木さんが言った。
「“風に吹き払われぬよう”」とそうして、「“闇に取り込まれないように”――森永さん!」
「は、はい!」森永さんは応えた。突然のことに驚きながら、それでもまっすぐ、はっきりと、「ここにいます!」
「一緒に来て下さい」柊木さんは続けた。「あなたの力が必要だ」と彼女に微笑し、「私たちにも、そうしてなにより、佐倉さんにもね」
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二〇二五年のクリスマスイブ、彼女、佐倉八千代は幸せだった。
その日彼女は、あのいつもの喫茶店で、いつものお客さまを相手に、いつもより少しはしゃいで、飲み物を運び、食べ物を運び、笑顔をふりまいていた。みんながみんなしあわせそうで、みんながみんないつもよりちょっとだけ他人にやさしく接しているのを見て、そんなみんなの様子に彼女のこころは大変なしあわせを感じ、ひょっとしたら自分も、もっとしあわせになってもいいのではないか? とそんなことを、きっとたぶんに無意識に、想った。彼女は言った。
「えー、森永さんもう帰るんですかー?」と彼女の大好きなひとに、「八時半には上がれますから、一緒に帰りましょうよー」
言った後で彼女は、そんなことを言った自分に大変おどろいたが、大変おどろくと同時に、なんだかとても熱いもの、いや、なんだかとても暖かいものを彼女との間に感じ、そのため、
「え? あ、でも――」とためらう相手を無理やり引き止め、
「駅前のライトアップ、昨夜見たら結構よくてー、一緒に見に行きません?」といつもの彼女からは考えにくい強引さでその人を誘った。
そう。二〇二五年のクリスマスイブ、彼女、佐倉八千代は幸せだった。
その夜彼女は、赤と白の奇妙な格好のままに、いつもの喫茶店を出ると、彼女の大好きな人と一緒に夜の街を歩いた。小さな雨が降り、そこは真冬の冷たさだったが、それでも彼女は幸せで、出来れば横にいる相手にも幸せであって欲しいな、出来れば相手にも自分と同じ気持ちであって欲しいな、ときっとこちらも無意識に、想っていた。そこはうつくしい夜だった。駅前のライトアップ/イルミネーションは、お世辞にも出来がいいとは言えなかったが、それでも。それでもそこがいつものあの駅前だと言っても誰も信じてくれないほどに、少なくともその夜の彼女には見えていた。
隣に立つひとを見た。相手のその横顔を。それはとてもうつくしく、神秘的で、彼女はそこに不思議を感じた。自分でもいまだ気付いていない不思議を。彼女の目に世界は、あるいは自分は、どのように見えているのだろう? そんなことを、とこちらもやはり無意識に、考えた。不意に相手がこちらを見た。途端に彼女は何も考えられなく、想えなくなった。この気持ちにどんな名前を付ければいいのだろうか? 彼女には分からなかった。分からないまま、相手を抱きしめたくなり、それを止め、なにかを相手に伝えようとし、それも止めた。その気持ちを上手く表現したり言葉にすることが出来るとはとても想えなかったからだ。この幸せを態度や言葉に変えられるとはとても考えられなかったからだ。
そう。そのため彼らは、そのまま、いつもの友人同士のようにそこで別れたし、それでも、二〇二五年のクリスマスイブ、彼女、佐倉八千代は幸せだった。とても幸せだった。あまりに幸せ過ぎて、いつかのクリスマス、大好きな人形を手放したときと同じような感覚を抱き――そこを闇に、あるいは虚無に、付け込まれた。
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二〇二五年のクリスマスイブ、彼、相馬賢次は幸せでも不幸でもなかったが、もちろんそれは、二〇二五年のクリスマスイブに限ったことでもなかった。
そう。彼、相馬賢次はずっと、幸せでも不幸でもなかった。
実家は裕福で生活に困ったことはなく、学校の成績も適当に授業を聞いていれば中の上をキープすることが出来た。運動やゲームもちょっとやればコツをおぼえられたし、人並みにアニメやマンガに興味を持つふりをしていれば、「ああ、まあ、そういう人なのね」くらいに想って付き合ってくれる友人も出来たし、なんなら彼女がいたことだってある。がしかし、それでも――というかだからこそ、彼、相馬賢次は幸せでも不幸でもなかった。彼が抱えていたもの、本当の友人、彼の隣にずっとあったもの、それは、敢えて言葉にするならば、『大いなる暗闇』あるいは『偉大なる虚無』とでも言えるようなものだった。それが出来る立場や才能を持ちながら、社会的な成功や心を狂わせるような恋を追い求めるのではなく、常に一歩引いた視点から世界を眺め、ある意味冷徹かつ飄々とした態度でそこを生きて行く。そのため彼は、現実の社会や生活、世間の人々が持つ一般的な価値観に対して何の熱意も執着も持っていなかった。彼の部屋にはカードやオモチャ、CDやDVD、ヴィンテージと言ってもいいような時計やライター、非売品のコーラのおまけなんかがところ狭しと置かれていたが、もちろんそれらも、彼にとっては集められたから集めた、盗められたから盗んだ、ただのゴミくず、意味のないガラクタ、彼の暗闇あるいは虚無を肥え太らせるだけのものであった。集めれば集めるほど満たされなくなる、現代のリモスであった。
そう。二〇二五年のクリスマスイブ、彼、相馬賢次は幸せでも不幸でもなかった。
彼は、この数日前、とある老人から一枚の『青いカーバンクル』を盗んだが、それを家に持ち帰る途中、通りがかった古本屋で廃棄を待つだけだった絵本の間にはさみ込んだ。特に何か考えがあったわけではない。そのカードの価値も知っていた。が、ただただ、その重みに、虚無の重さに、耐えられそうになかったからである。
そう。そのおかげで、それから数日、彼は生き延びた。夜、石神井池のほとりでたたずみ水面に映った自分――それは大いなるガラクターーと目を合わせていると声をかけられた。赤と白の不思議な少女に。
彼女は彼に、「大丈夫ですか?」と訊いた。彼は答えた。なぜだか生まれて初めて正直に、「いえ、別に」と「僕なら大丈夫ですよ、全然」と「ただただ単に、死にたいだけですから」と――このクソ野郎が――それが、その言葉が、彼女を、闇に、虚無に、取り込む言葉だとは、これっぽっちも分からぬままに。
*
「森永さん! 佐倉さんを連れて外へ!」柊木さんが叫んだ。「絶対に彼女を離さないように! 和登さん!」
「おうよ! 殴るか!」
「まだだ! 扉を閉めて! 誰も入れないようにしろ! 樫山先生!」
「は、はい!」
「あなたもふたりと一緒に外へ!」
「え?」とここで私はためらった。「あ……でも……」と何故なら、自分はここで、彼の行動を最後まで見ていなければと想ったからだった。作家的好奇心とはまた別の、純粋な不安・心配・危惧の念によって、「大丈夫……なんですか?」
「え?」と柊木さんがこちらを見た。おどろき、微笑し、苦笑して、「なるほど。あなたも不思議な方だ――和登さん!」
「おうよ! ぶん殴るか!」
「ちがう! 君は樫山先生を! こいつは僕が!」
「な、なんですか、あなた方は!」相馬賢次が叫んだ。集め、盗んだ品でいっぱいの彼の部屋で、ソファから起き上がりながら、「ふ、不法侵入! け、警察! 警さ――」
「止めておくんだ、相馬賢次!」柊木さんが叫んだ。手にした杖で彼の上半身を押さえながら、「お前のことは調べが付いてる。数々の窃盗、盗難、三日前の古本屋のこともな」
「み、三日前?」相馬が訊き返した。「な、なんのことで――」
「これだよ」柊木さんは答えた。コートのポケットから一枚のトレーディングカードを取り出した。「『青いカーバンクル』。おまえはこれを三日前、鍛冶修平さんのマンションから盗んだな?」
「そ、そんな、そんなの、ぼ、ぼ、わ、わた、わたしは知らな――」
「たしかに。鍛冶さんのマンションに証拠は残っていないだろうな。防犯カメラに細工をし、鍛冶さん本人は盗まれたことすら気付いていなかった。大した腕前なんだろうさ、知らんがね、このクソ野郎」
「だ、で、しょ、証拠、証拠が残ってい、いない、いないのなら、ぼ、ぼ、わ、わたし、は無実――」
「古本屋向かいのコインランドリー」柊木さんが言った。「そこの防犯カメラにお前の顔が映ってたよ、この『青いカーバンクル』を絵本の間にはさむ――捨てようとしているところがな」いまにも相馬に嚙みつきそうな勢いだった。「やれやれまったく、これでブレッキンリッジに新しい借りが出来ちまった」
「な、で、だ、だったら、だったら」相馬賢次が言った。「け、警察、警察にれ、連絡、連絡す、するなりす、すれば――」
「いいや、警察じゃお前は救えないさ」柊木さんが言った。「もちろん佐倉さんでもな」
「さ、さく? さく? あ、あの子?」
「ほらな、名前すら聞いていない。お前を救おうとしてくれた相手に対して」
「な、あ、あな、あな、あなた、は一体」相馬が訊いた。
「柊木陽介」柊木さんは答えた。「この名前を絶対に忘れるなよ」――『青いカーバンクル』を相手の眼前に突き付けた。「お前を救ってやる男の名前だ」
それから彼は、相馬賢次の上に覆い被さるようにすると、一瞬息を止め、
「あっ! おい! 陽介!」と叫ぶ和登先生の言葉も無視して、
『風に吹き払われぬよう、
闇に取り込まれないように。』
と先ほど言った言葉をくり返し、
ビリッ。
と、手にした『青いカーバンクル』を引きちぎった。
(続く)




