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さて。
「ただただ単に、死にたいだけですから」と言った相馬賢次のこころを佐倉八千代の共感能力はうまく捉えることが出来ていなかった。彼女は言った。
「だめです! 自殺なんて! 絶対にしちゃだめ!」なぜなら彼のこころの闇/虚無を、彼女はイコール死への欲望/希死念慮であると勘ちがいしたからである。「なんで? どうして死にたいなんて想うんですか?」
「べつに――」と彼は答えた。「生きている理由もないから」と、なんの覚悟も考えすらもなしに、「べつにいいでしょ」こころの闇と虚無に促されるままに、「どうせあなたには関係ないんだから」
静かな雨がふたたびふり出したクリスマスの路上で、彼らの会話は平行線をたどって行った。八千代はどうにか彼に自殺を想い止まらせようとしたが、その想いは結局、相馬に自身のこころが生にも死にも向かっていないことを気付かせるだけであった。
「お願いです」彼女は続けた。「やめて下さい」と、「どうすれば自殺しなくてすむんですか?」と。
彼女の言葉に相馬はいら立ち、彼女を困らせてやりたい、このへらず口を叩きのめしてやりたい、そんな風な想いに囚われた。
「あのね」ようやく彼女をまともに見た。「それ……サンタクロース?」彼の闇が囁きかけた。「だったら、プレゼントくれるかい?」
彼女は首をたてに振った。涙を流しているのが分かった。彼は闇に取り込まれていた。
「君が欲しい。君がそばにいてくれたら、こんな僕でも生きていけるかも知れない」
*
扉を開けると八千代ちゃんは眠っていた。きっと緊張の糸が切れたのだろう、なみだで顔をぐちゃぐちゃにして、廊下の床にすわり込んで、壁に背中を預けている森永さんの胸に顔を埋めるようにして。
「ほんとに殴りたおさなくていいのかい?」和登先生が訊いた。「佐倉くんが無事だったからいいようなものを、あの男、性根の部分から鍛え直した方がいいんじゃないか?」
「別に構わないさ」柊木さんは答えた。「それよりもっと根本の部分を壊してやった。あれで治らなければなにをやってもムダさ」
「ふーむ」和登先生は続けた。やっぱりなんか消化不良、振り上げた拳の行き場に困っている様子だった。「しかし、きみ、五千万を破っちまって、鍛冶さんになんて言い訳を――やっぱり戻って、あいつなぐらないか?」
うん。だから先生、それはあまりに昭和過ぎますし、柊木さんの顔見て下さいよ。
「うん? なにを笑ってるんだ? 陽介」
「うん?」柊木さんは答えた。彼をからかうように、「君はまったく、単純な男だね、和登さん」とコートの下、パーカーの下、紫のカーディガンのポケットに入れておいた本物の『青いカーバンクル』を取り出しながら、「さっき破いたのは、急遽手づくりしたコピー、偽物だよ」
*
さて。
と以上が、二〇二五年のクリスマスに起きた『青いカーバンクル事件』の一部始終であるが、念のための補足をふたつほど。
まずひとつ目。
問題の『青いカーバンクル』については、もちろん本来の持ち主である鍛冶修平さんのもとに返された。柊木さんと和登先生がどれくらいの謝礼・報奨金を鍛冶老人から受け取ったかは、柊木さんは微笑して、和登先生は苦笑して答えてくれなかったが、年をまたいだ二月のある日、例のブックサンタプロジェクトに、匿名で五百万円近い寄付があったことは、ここに書き残しておいてもいいだろう。
次にふたつ目。
森永さんと八千代ちゃんの関係について。どうやらあの日、ふたりはようやく互いの気持ちに気付いたらしいのだが、そこは、ほら、どちらも恋愛超初心者なので、なかなか、こう、ドーンッと行って、ブチューッとキスして、はいラブラブ……と行くわけもなく、
「ですのでそこは、やさしく見守ってあげて下さいよ」と柊木さんも言うことになる。「女性同士の恋愛について私はまったく分かりませんし、そこは樫山先生が先達として上手に」
うんうん。たしかに。なんだかんだでいまだに偏見とかありま――なんですって?
「いえ、ですから樫山先生なら十分な経験もおありでしょうしーー」
え……? あれ……? わたし、柊木さんにそのこと話しましたっけ?
「え? いいえ、別に直接はお聞きしていませんが、適切な観察と推論の結果として――」
は?
「あなたは、基本的なコミュニケーション能力には優れていますし、本来の気質としては、スキンシップも強めの方のはずですが、例えば女性、なかでも森永さんや坪井君と言った方々とは、適度な距離を取るよう自制されています」
はあ。
「きっと彼女たちがあなたの本来の好みに近いため、変な間違いが起こらぬよう気を付けていらっしゃるんでしょうね」
は?
「また、顔のつくりに反してメイクは薄め。小ぎれいにされてはいますがネイルはなし。もちろん爪はきれいに整えられていますが、うん。そういうパートナーのことをきちんと考えられる態度には好感が持てますね」
はあ……。
「ああ、そう、それから、いつだったか、大変晴れやかな顔をされていた時がありました。が、足と腰にちょっとした筋肉痛を感じられているようでもありました。あそこの筋肉が痛むということは、男性相手ではなく女性相手の……なにか私的なしあわせを――」
うっぎゃーーーーーーーーーー!!!
「あれ? 違いましたか?」
だめ! だめ! 柊木さん! それ以上はダメ!!
「え? でも、全て適切な観察と推論に基づーー」
ダメ! ダメ! ダメ! はい! 今回はここまで!
「え? いや、しかし、せめて正解かど――」
(おしまい)




