点穴の針、遠き一撃
「ネズミどもめ……! ヴァレンタイン家の、時計塔の誇りを汚した罪……その命で購えぇぇ!」
咆哮とともに、男子生徒の背後から噴出した黒い霧が、巨大な大蛇の姿を形作っていく。
歪な魔力が廊下のガラス窓を激しく振動させ、どす黒い殺気が容赦なく肌を刺す。
「チッ、ウロボロスの呪術かよ! 完全に正気を乗っ取られてやがる!」
ギルバートが鋭く叫びながら、背中の『リー・エンフィールド』を滑らかな動作で構えた。ボルトを引いて薬室に弾丸を送り込む。その弾頭に刻まれた魔法陣が、彼の魔力を吸って青白く発光した。
「クロウ、下がってろ! 正面からあの霧を浴びたら、魔力のないお前はひとたまりも――」
「いや、問題無い。ギルはそいつの足留めだけを考えてくれ」
クロウは一歩前に出ると、自身の長い銀髪から、一本の毛髪をぷつりと引き抜いた。
ギルバートが「は?」と目を見開く中、クロウはその銀髪に、ホムンクルスの肉体が得た澱みのないエネルギー――『気』を鋭く通す。
ただの柔らかい髪の毛が、極限まで圧縮された闘気によって、一瞬にして鉄をも貫く鋼の剛針へと変貌した。武の深淵が紡ぐ暗器――『点穴針』。
「ハァァァァッ!」
男子生徒が腕を振るうと同時に、黒霧の大蛇が牙を剥いてクロウへと襲いかかる。
「ギル、そこから動かすなよ」
「応っ! 『氷結結界』!」
ギルバートがトリガーを引き、リー・エンフィールドが鋭い銃声を響かせた。放たれた弾丸が大蛇の足元の床に着弾した瞬間、刻まれた魔法陣が炸裂。猛烈な冷気が噴出し、大蛇の動きを一瞬だけ凍りつかせて縫い止める。
「上出来だ」
その隙を見逃すクロウではない。
シュッ、と鋭い鞭の音が鳴るようなスナップで、指先に挟んだ銀の髪の毛――点穴針を放った。
極小の銀閃は、襲い来る霧を切り裂き、男子生徒の右肩の付け根へと正確に吸い込まれた。肉体を傷つけるためではない。人間のエネルギーの分岐点である『経絡』を正確に穿ち、気の流れを堰き止める『点穴』。
「ガ、ぁ……っ!?」
呪いで暴走していたはずの男子生徒の動きが、まるで糸の切れた人形のようにピタリと停止した。右半身の魔力回路が、点穴によって完全に遮断されたのだ。
「なっ……何をしたんだ!?」
ギルバートが驚愕の声を上げるが、まだ終わらない。男子生徒の背後の黒霧は、未だ健在で蠢いている。
距離は十メートル以上。縮地で踏み込むには、大蛇の残滓が邪魔だった。
「――ならば、これで届かせる」
クロウは右拳を大きく引き、深く息を吸い込む。
全身のバネを連動させ、踏み込んだ足の威力を拳へと伝える。だが、その拳は男子生徒の手前、何もない虚空に向けて突き出された。
古流武術の絶技――『遠当て』。
ドォン!!!
大気を爆裂させるような衝撃波が、目に見えない大砲の弾丸となって一直線に疾走した。
激しい突風が廊下を吹き荒れ、男子生徒を覆っていた黒霧の大蛇が、その圧倒的な圧力によって木っ端微塵に吹き飛ばされる。術式そのものを空気の塊で圧殺したのだ。
「ひ、あ……」
呪いの霧を完全に剥ぎ取られた男子生徒は、点穴の効果も相伴って、そのまま白目を剥いて床へと崩れ落ちた。首筋の黒い呪紋が、綺麗に消え去っていく。
「ふぅ……」
クロウの胸の奥で、拳聖の魂が久々の実戦の余韻に歓喜していた。しかし、表の表情はどこまでも物静かなままだ。ゆっくりと拳を引き、何事もなかったかのように背中で銀の三つ編みを揺らした。
『……周囲の脅威判定、消滅。個体名『ウロボロスの呪い』の完全霧散を確認しました。――オーバー』
レイラからの脳内念話を聞きながら、クロウは倒れた男子生徒を見下ろす。
一方のギルバートは、愛銃を構えた姿勢のまま、完全に石化していた。
「……おいおい、嘘だろ。髪の毛で相手を縛り付けた(ように見えた)と思ったら、今度は拳の風圧だけで魔法を吹き飛ばしたのかよ……」
ガチガチとボルトを引いて空薬莢を排出させながら、ギルバートは額の汗を拭い、心底恐ろしいものを見る目でクロウを見つめた。
「お前、本当に何者なんだ? 現代の魔術の常識が、全部ひっくり返っちまうぜ」
「言っただろう、ただの『ネズミ』さ」
クロウは男子生徒の懐から覗くウロボロスの紋章が入った謎の小瓶を、素早くポケットに回収しながら、底知れない余裕を乗せて静かに微笑んだ。
「さあ、パブのジンジャーエール、期待しているよ。ギル」
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