武の深淵、魔を穿つ
「燃え盛りなさい――『緋炎の槍』!」
エレノアの鋭い詠唱とともに、彼女の樫の木の杖から、目も眩むような深紅の劫火が噴き出した。
炎は瞬時に一本の巨大な槍へと形を変え、激しい熱風で演習場の空気を歪ませながら、一直線にクロウへと襲いかかる。高等部一年生が放つレベルを遥かに超越した、名門ヴァレンタイン家の面目躍如たる一撃。
「消し飛べ、ドブネズミ……!」
エレノアの確信に満ちた呟き。
観客席の生徒たちも、勝負は決したと誰もが確信した。――ただ二人を除いて。
「ふむ」
迫り来る死の炎を前にして、クロウはただ、小さく息を吐いた。
魔力は無い。だが、彼には九十年の星霜をかけて魂に刻み込んだ『気(闘気)』がある。そして、ホムンクルスの肉体が得た、淀みのない完璧なエネルギー。
(熱量、速度、術式の密度――悪くねえ。だが、直線的すぎる)
クロウは一歩、前に踏み出した。
それは、ただの歩行に見えて、古流武術の歩法『縮地』。
ゴォッ! と音を立ててクロウの残像を焼き尽くす緋炎の槍。しかし、本物のクロウの肉体は、すでに炎の熱線のわずか数センチ横、完全に死角となる内懐へと滑り込んでいた。
「なっ……よけた!? いえ、突っ込んできたの!?」
エレノアが驚愕に目を見開く。
至近距離。反射的に杖を引いて防御術式を展開しようとするエレノアに対し、クロウは優雅に、まるで挨拶でもするかのように右手を差し出した。
「魔術というのは、発動してしまえば大層な威力だが……」
クロウの掌が、エレノアの持つ杖の先端に、トン、と軽く触れる。
次の瞬間、クロウの足元から全身の筋肉、私、して骨盤へと伝わった凄まじい『勁力』が、掌の接触面から一気に炸裂した。物理的な破壊ではない。衝撃波を内部へと浸透させ、エネルギーの循環を強制的に遮断する武の奥義――『寸勁』。
パリン、とガラスが割れるような乾いた音が響く。
「……え?」
エレノアの杖に集束していた、発動間際の第二撃の魔術術式が、霧散するように一瞬で弾け飛んだ。それどころか、杖を通じて彼女の体内の魔力回路に強烈な「不協和音」が叩き込まれ、エレノアは練り上げた魔力を完全に霧散させられる。
「私の……魔術が、消された……!?」
理解不能の事態に、エレノアの思考が真っ白に染まる。魔力ゼロの人間が、素手で、時計塔の高等魔術を物理的に「叩き壊した」のだ。
「発動する前の『根っこ』を叩けば、どんな大それた魔術もただの煙だよ」
クロウは不敵に笑うと、呆然と立ち尽くすエレノアの首筋へ、音もなく右手の五指を突きつけた。指先が、彼女の白い肌に触れる寸前でピタリと止まる。
放たれる圧倒的な死の気配(殺気)に、エレノアは呼吸をすることすら忘れ、ただカタカタと身体を震わせる。
「そこまで……! 勝者、クロウ・ラングリー!」
教官の、どこか上ずった声が演習場に響き渡った。
シン、と静まり返るコロシアム。
誰一人として、今起きた現実を言葉にできない。名門ヴァレンタイン家の天才が、一歩も動かせぬまま、魔力を持たない編入生に完敗したのだ。
「うへえ……。魔術の術式そのものを、純粋な『打撃の衝撃』で文字通りブチ壊したのかよ。とんでもねえな、あのお兄さん」
観客席で、ギルバートはリー・エンフィールドの銃身を叩きながら、呆れたように、しかし興奮を隠せない様子で口笛を吹いた。
『……当然の帰結。我がマスターの武の前に、あのような未熟な術式は、均一に整えられたただの標的に過ぎません。――オーバー』
レイラは脳内の念話で淡々と誇り、ただ静かに石舞台を見つめていた。
舞台の上、クロウはスッと手を引くと、背中で銀の三つ編みを揺らしながら、再び両手をポケットに戻した。
「良い死合だったよ、お嬢ちゃん。……またいつでも相手になるとしよう」
そう言い残し、悠然と歩き去るクロウ。
その背中を、エレノアは屈辱と、恐怖と、そして生まれて初めて味わう「敗北」の動揺が混じり合った青い瞳で、ただ見つめ返すことしかできなかった。
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