大英帝国の頭脳、夜霧の接触
ゲートを突破したクロウとレイラは、地下二階の駐車場から直通のエレベーターへと滑り込んだ。
作動音とともに静かに上昇し、やがて目的の一階に到着する。開いた扉の先は、広大で近代的なエントランスホールだった。
「……静かだな」
高い天井を見上げ、クロウは小さく呟く。
ホールは必要最低限の関節照明だけが灯っており、すでにこの場所が夜間の閉館時間を迎えていることを物語っていた。
入り口へと向かうが、ガラス張りの自動ドアは前に立っただけではピクリとも動かない。すでに夜間ロックがかかっているようだ。
クロウは隣のレイラに視線で促した。
レイラは無表情のまま、先ほど研究室のロッカーから拝借した研究員の認識票(IDタグ)を、ドアの横にある非常用扉のセンサーにかざす。
ピッ、と短い電子音が響き、カチリと小気味よい音を立ててロックが外れた。
外へと繋がる重い非常扉を押し開け、二人はロンドンの冷たい夜気の中へと一歩を踏み出す。
「ほう……」
外に出て、クロウはふと足を止め、自分たちが這い出してきた巨大な建築物を振り返った。
石造りの歴史ある意匠と近代的なガラス建築が融合したその入り口には、重厚な文字でこう刻まれていた。
『ロンドン大学(University of London)』
「ロンドン大学、か。世界的な名門大学の地下に、堂々と秘密結社の研究室を構えていたとはな。大英帝国の闇も、なかなか根が深い」
中身が日本の老人であるクロウですら知っているほどの有名大学だ。灯台下暗しとはこのことだろう。
感心しているクロウの斜め後ろで、レイラが周囲の闇を油断なく見据えながら、脳内の念話で静かに告げる。
『マスター、この場からの早期離脱を推奨します』
「そうだな。まずはここを離れるか」
二人は夜霧の立ち込める敷地内を滑るように移動し、大学の敷地を区切る高い鉄製の正門へと到達した。鍵はかかっているが、そんなものは関係ない。
クロウとレイラは、呼吸を合わせたかのように同時に地面を蹴った。
ホムンクルスとしての強靭な脚力に、武術の身体操作を乗せた跳躍。二人の体は夜空を舞う鳥のようにふわりと浮き上がり、人が見上げんばかりの高度の正門を、とんでもない高度で軽々と飛び越えてみせた。
だが、着地したその瞬間だった。
クロウの脳内にある魔術感知の網に、ピシリと鋭い気配が引っかかった。
(……並木の影、人間の気配。それと、微かに練られた『魔力』の残滓――!)
クロウは即座にレイラの手を執り、いつでも相手の喉元へ縮地で肉薄できる構えをとる。
静まり返った通りの並木影から、一人の男がゆっくりと姿を現した。仕立ての良いトレンチコートを着た、いかにも英国紳士然とした渋い中年の白人男性だ。
「……驚いたな。鳥かと思えば、若い男女か」
男は敵意を示さないように両手を軽く上げながら、穏やかな、しかしどこか油断のない声音で語りかけてきた。
「君たちは秘密結社『ウロボロス』のローブを着ているが、どうも様子が違うようだ。何しろ、通常彼らは人前でそんな目立つ真似はしない。……よかったら、少し話を聞かせてくれないか?」
男はコートの内ポケットから、一つの警察手帳に似た特殊な電子身分証を提示した。そこには『イギリス情報局秘密情報部(MI6)』の紋章と、彼のデータが表示されている。
男の名はボンド・スミス。MI6の凄腕工作員だった。
スミスは内心、驚愕を通り越して戦慄していた。
ロンドン大学の地下で、突如として大規模な魔力反応が発生したと思えば、それが一瞬で消失。何事かと付近を監視していたところ、大学の非常口から、堂々と秘密結社の黒いローブを纏った若い男女が出てきたのだ。
時計塔の魔術師どもは、神秘の隠匿を絶対とする。人前で結社の正装を晒すなどあり得ない。さらに、今しがた見せた、重力を無視したような人間離れした大跳躍。
(バディのカリナを待たせて、俺一人で接触したのは正解だったか……。完全に規格外だ、この二人は)
スミスがそんな冷や汗を隠して微笑む中、クロウはフードの奥の灰色に澄んだ瞳で、じっと中年男を観察していた。
MI6。現代の英国国家機関。
中身が九十歳の拳聖であるクロウにとって、目の前の男がどれほど修羅場をくぐってきたかは、その足の重心の置き方、呼吸の細さだけで全て理解できた。銃を隠し持っているが、自分たちへの明確な殺意はない。
「MI6か。なるほど、国の役人というわけだ」
クロウはふっと不敵に唇を吊り上げ、レイラの手を離して歩み出た。
「いいだろう。こちらも、この街の『裏の常識』を教えてくれる案内人が欲しかったところだ」
夜霧のロンドン、街灯の薄明かりの下で、国家の盾(MI6)と世界を揺るがす二体の魔導人形が、運命的な邂逅を果たした瞬間だった。
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