精神支配の罠と、切り裂く気の刃
深夜の学生寮、クロウの自室。
薄暗い部屋の中で、一つのモニターだけが青白い光を放っていた。画面の前に座るのは、無表情な魔導人形のレイラだ。彼女の細い指が、スミスから支給されたMI6特製の高スペック・ノートPCのキーボードを、人間離れした恐るべき速度で叩き続けている。
「――暗号化ウォール、突破。生徒会室のメインサーバー、および生徒会長ハリー・モントゴメリーの個人端末へのバックドア構築を完了しました。データ抽出に移行します、オーバー」
「ご苦労、レイラ。どうだ、例の『マンドラゴラ』の証拠は出たか?」
「マスター。モントゴメリー家から学園の研究用として納品されたマンドラゴラの総数と、実際の実験消費数に『三十七株』の乖離を確認。しかし、生徒会および個人PC内に、横流しを記録した別帳簿のデータは存在しません。外部記憶媒体に物理的に隔離保管されている確率が極めて高いです、オーバー」
レイラの報告を受け、クロウはベッドに腰掛けたまま口角を上げた。
「なるほど。ネットワークには繋がず、手元に隠しているわけか。なら、直接拾いに行くしかなさそうだな」
その日の深夜。
クロウとレイラは、静まり返った学園の最上階、生徒会室の前に立っていた。レイラが特殊な電子キーで物理鍵を解除し、音もなく扉を開ける。
二人が室内へ足を踏み入れた、その瞬間だった。
――キィィィン……ッ!
微かな耳鳴りのような音が響き、床に描かれていた不可視の幾何学模様が一瞬だけ赤く発光した。
「……マスター。不可視の魔術的侵入者感知トラップを踏みました。術者に私たちの侵入が伝達された模様です、オーバー」
「焦らなくていい。これで相手も、証拠を隠したままじゃいられなくなったはずだ。動くのを待とう」
クロウの予想は的中した。
翌日の放課後。ハリー・モントゴメリーが、普段持ち歩かない重厚なアタッシュケースを手に、足早に旧校舎の裏手へと向かう姿があった。USBメモリ等のデータを別の隠し場所へ移す気だろう。
だが、その行く手を塞ぐように、クロウとレイラが立ち塞がった。
「お急ぎのようですね、生徒会長殿。そのケースの中身、MI6(こちら)で預かりたいのですが」
「……貴様ら、最近編入してきた落ちこぼれの孤児か。あの忌々しいスミスの猟犬だったとはな」
ハリーは端正な顔を醜く歪め、クロウを睨みつけた。
「モントゴメリー家を嗅ぎ回ったこと、後悔させてやる……! 『深淵の掌握』!」
ハリーが詠唱を放った瞬間、彼の周囲からどす黒い魔力の波が放射状に放たれた。モントゴメリー家が誇る得意魔術――『精神掌握』。対象の脳内に凄惨な幻想を植え付け、精神を破壊して肉体の動きを完全に停止させる恐るべき魔法だ。
「が、ぁ……ッ!?」
突如、クロウたちの背後十メートルほどの茂みから、くぐもった呻き声が上がった。
クロウの動向を監視するため尾行していた同級生――ウロボロスのスパイであるルシアン・エインズワースだ。哀れな彼は精神攻撃の余波をモロに食らい、白目を剥いて彫像のようにピタリと硬直してしまった。
「ははは! 見ろ、これがモントゴメリーの力だ! 貴様らも永遠に悪夢の中で――」
狂ったように笑うハリーだったが、その声は徐々に尻すぼみになっていった。
目の前のクロウとレイラが、欠伸でも出そうなほど平然と立っていたからだ。
「……な、ぜだ? なぜ精神が崩壊しない!? 魔力を持たない貴様らが、なぜモントゴメリーの精神魔術に耐えられる!?」
驚愕するハリーに対し、クロウは内心で呆れ返っていた。
(……なんだこの児戯は? これが魔術師の精神攻撃か? 俺の魂は九十年、血の滲むような鍛錬で練り上げられた武術家のそれだぞ。それに、俺の力の源は魔力じゃない。丹田から練り上げられた『気』だ。強固な気の防壁の前に、薄っぺらい魔力の精神干渉などそよ風にもならん)
ホムンクルスであり、そもそも人間の精神構造を持たないレイラに至っては、完全にノーダメージである。
「どうやら、お前の手品は俺たちには効かないらしいな」
クロウが冷たく言い放つと、ハリーはパニックを起こしたようにアタッシュケースを放り投げ、懐から禍々しい血のルーンが刻まれた札を取り出した。
「ふ、ふざけるな! ならば物理的に肉の塊に変えてやる! 『いでよ、血肉を喰らう暴鬼』!!」
空間が歪み、ドス黒い瘴気と共に、身長三メートルを超える巨体のオーガが召喚された。筋骨隆々の肉体と、丸太のような腕を持つ化け物だ。
「殺せ! そいつらを原型がなくなるまで叩き潰せ!!」
ハリーの絶叫と共に、オーガが咆哮を上げ、巨大な拳をクロウの頭上から振り下ろす。
だが――クロウの顔には、隠しきれない獰猛な喜悦の笑みが浮かんでいた。
(……いいねえ。実戦での実験には、ちょうどいいサンドバッグだ)
クロウは一歩も退かず、振り下ろされる巨腕にスッと右手を添えた。
――【化勁】。
激突の瞬間、オーガの莫大な物理的破壊力を『気』で包み込み、円を描くように完全に受け流す。オーガの巨体がバランスを崩し、前のめりに大きく体勢を崩した。
「なっ――!?」
「さあ、見せてみろよ。お前らの言う『魔術』の強度を」
クロウは低く沈み込み、全身の『気』を一気に右脚へと集中させる。空間がビリビリと震え、不可視の気の刃が脚の周囲に形成された。
――【魔殺脚】。
空気を切り裂く鋭い風切り音と共に、放たれた蹴りがオーガの太い首元を薙ぎ払った。
ズパァァァンッ!!
肉を断ち切り、骨を砕く鈍い音が響く。強靭な魔力で構成されていたはずのオーガの首は、『気』の刃によっていとも容易く切断され、ゴトゴトと地面に転がり落ちた。
主を失った巨体が、遅れてドスゥンと地響きを立てて倒れ伏す。
「あ……あぁ……?」
ハリーは腰から崩れ落ち、信じられないものを見る目でクロウを見上げた。
最強の精神魔術も通じず、召喚した凶悪なオーガは、魔力を持たないはずの少年に『蹴り一発』で首を落とされたのだ。
「レイラ、ケースを回収しろ。こいつはMI6のスミスに引き渡す」
「了解しました、マスター、オーバー」
這って逃げようとするハリーの首根っこを掴み、クロウは息一つ乱さずに夜の闇を見据える。
(やはり、『気』を使った実戦は最高に馴染むな。ウロボロスの幹部とやらは、もう少し骨のある奴だといいんだが)
老練な拳聖は、さらなる強敵との死合いを夢見て、満足げに微笑んだ。
その傍らでは、精神攻撃を食らって棒立ちになったままのルシアンだけが、夜風に吹かれながらピクピクと痙攣を続けていた。
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