深淵の謀議、揺らぐ算盤(そろばん)
西暦2026年、初夏の混迷。対魔特務学園ロンドン校への強襲作戦が失敗に終わった翌夜。
世界のいずこかにある、窓のない漆黒の円卓会議室。ホログラムによって投影された、魔術秘密結社『ウロボロス』の幹部たちのシルエットが、重苦しい沈黙の中で揺れていた。
「――報告は以上だ。『オペレーション・パペットマスター』は完全に瓦解。拉致対象であったヴァレンタイン家を含む五家の子息はすべて無傷。地下電子書庫室の『英国霊脈コード』および『大精神魔術式』のデータ回収に赴いた潜入部隊も、全員が生体反応を喪失……いや、拘束された」
円卓の端に座る『魔術師』が、苦渋に満ちた声で告げる。
完璧な現代戦術だったはずだ。魔力を奪う煙幕を撒き、近代兵器と魔獣の暴力で圧殺する。学園の防衛隊や、いくら優秀とはいえ実戦経験の浅い生徒どもなら、それだけで容易く詰んでいたはずだった。
「無様にすぎるな、魔術師」
闇の奥から、別の幹部が冷酷に嗤う。
「我らウロボロスの至上命題は、全知の『魔術の根源』へ至ること。あの学園に集う、膨大な魔術知識と血統を刻まれた名門の『魂』は、根源の扉を開くための『鍵』の材料。そして、それを一つに融合し、巨大な負荷を受け止めるための器が、我が組織の最高傑作たる『ホムンクルス』だ。……その計画が、特務学園の子供騙しに阻まれたと?」
「違う! 学園の防衛魔術ではない!」
『魔術師』が机を叩いた。その顔は、敗北の悔しさよりも、未知の事象への純粋な恐怖に強張っている。
「魔術は完全に封殺していた。だが、生存者の通信記録に残されていた音声……そして現場の損壊状況が示している。煙幕の闇の中、音もなく傭兵たちを蹂躙し、上位魔獣オルトロスを一撃で両断し、自爆ドローンの群れをなんらかの方法で爆発すらさせずに機能停止させた『何か』がいる。それは魔術の術式ですらない、まったく別の理で動くバケモノだ」
円卓が俄かにざわめいた。
「……対魔特務学園が秘密裏に擁する、未知の規格外か?」
「分からん。だが、奴らが学園に潜んでいる限り、次の『鍵』の材料の回収(拉致)も、鍵の為の器の量産計画も、『魔術の根源』へ至る『精神の魔術式』も、すべて水泡に帰す可能性がある。まずは、その脅威の正体を秘密裏に突き止めねばならん」
その時、円卓の中央に座る最上席の幹部――フードを深く被った『世界』が、物静かに右手を挙げた。一瞬にして会議室が静まり返る。
「ならば、学園の内部に我らの『眼』を置く必要があるな。――入るがいい」
『世界』の言葉に応じるように、会議室の重厚な自動扉が開き、一人の少年が静かに歩み出てきた。
対魔特務学園の制服を身に纏い、一見すると名門校に通う優等生そのものの佇まい。しかし、その瞳の奥には、すべてを見透かすような冷徹さと、歪んだ忠誠心が宿っている。
「学園の独自の編入試験を首席で突破し、明日からロンドン校へ潜り込ませる我が組織の最高傑作だ。血統、魔術の才、座学、どれをとっても名門ヴァレンタイン家に劣らぬ『質の高い魂』を持ちながら、我らの思想に共鳴した特級の魔術師だ」
少年は円卓の幹部たちに向かって、洗練された美しい一礼をして見せた。その所作には、一切の隙がない。
「ウロボロスが忠実なる狗、ルシアン・エインズワースと申します。偉大なる幹部の皆様。明日より、ロンドン校の内部から、その『イレギュラー』の正体を暴いてみせましょう。もし、その者が組織の脅威となるならば――私の手で、内側から完璧に排除いたします」
少年の声は、どこまでも澄んでおり、同時に冷酷だった。
『魔術師』は、ホログラム越しにその少年を睨み据え、ふん、と鼻を鳴らした。
「期待しているぞ、ルシアン。学園に潜むバケモノが、お前のその高貴な『魔術』の常識で測れる相手なら良いのだがな……」
ウロボロスが誇るエリートスパイの投入。
しかし彼らはまだ知らない。自分たちが作ろうとしている「数千の魂を融合させた鍵の器」のプロトタイプが、すでに一人の「90歳の拳聖の魂」によって完全にハイジャックされ、自分たちのすぐ近くで平穏なセカンドライフを満気がてら、お茶をすすっているという、最大のバグ(絶望)を。
新たな波乱の種が、対魔特務学園ロンドン校へと蒔かれようとしていた。
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