紫煙の蹂躙、無魔の双星
「――これでよし。三人とも、四時間は指一本動かせないはずだ」
地下電子書庫室の前。クロウは潜入部隊長を含む生き残りの工作員たちに『点穴』を打ち終え、物静かに立ち上がった。完全に神経を遮断され、物言わぬ肉塊のようになって床に転がる男たちを見下ろす。
「マスター。……データ室の安全を確認。これより北側校舎の、主戦場へと転進します。――オーバー」
「ああ、そうしよう。あちらの『騒音』も、そろそろ片付ける時間だ」
◇◇◇◇◇
一方、学園の北側校舎の中庭は、凄惨な防衛戦の舞台と化していた。
「くっ、お姉様……! 防御魔術が、展開した傍から霧散していきます……!」
「落ち着きなさい、ギルバート! この紫の煙――マナの結合を強制解除しているわ。煙の中へ術式を編み込んではダメ!」
緋色の髪を乱したエレノア・ヴァレンタインは、弟のギルバートと共に、数十人の生徒や教師たちを背に防壁の陰に伏せていた。
彼ら名門魔術師の足を引っ張っているのは、ウロボロスが撒いた対魔術無力煙幕。さらには、事前に魔力増幅剤を投与されていた一部の生徒たちが、煙の中で魔力を暴走させて敵味方の区別なく暴れ回り、防衛線は完全に崩壊していた。
煙幕の影響を受けない自動人形や契約魔獣を盾にして辛うじて戦線を維持していたが、それも限界だった。
『目標、時計塔の若造どもだ。一斉に叩き込め!』
煙の向こうから響く、冷酷な傭兵たちの声。
直後、複数の自動小銃による銃撃に加え、空間を埋め尽くすほどの自爆ドローンの群れが羽音を立てて殺到する。さらに、容赦のない携帯対戦車弾の業火が、ゴーレムたちを次々と鉄屑へと変えていった。
「嘘……そんな、私たちの魔術が、こんな、野蛮な鉄の塊ごときに……!」
エレノアの瞳に、深い絶望が広がる。
世界最高峰の魔術を学び、誇り高く生きてきた。だが、魔術を封じられた自分たちは、2026年の近代兵器の暴力の前に、あまりにも無力な「ただの子供」でしかなかった。
次の一斉掃射で、すべてが終わる。誰もがそう確信し、目を瞑った、その時だった。
「――実に効率的な戦術だな。魔術師の傲慢を挫くには、おあつらえ向きだ」
立ち込める紫煙の奥から、あまりにも場違いな、物静かで透き通った少年の声が響いた。
『な、何だ!? 煙の中から声が――あ、ぎゃあああッ!?』
突如、銃声の合間に、肉が潰れ、骨が激しく砕け散る異様な音が混ざり始めた。
視界の効かない紫の煙の中。そこは魔術師にとっても、暗視ゴーグルを頼る傭兵にとっても「見えない死角」のはずだった。
だが、その暗闇を、無魔のバケモノたちが音もなく蹂躙していく。
『しまっ、どこから――ガはッ!?』
『腕が、腕がああり得ない方向に――ぶっ!?』
何が起きているのか、外側にいるエレノアたちには全く見えない。ただ、煙の中でウロボロスの傭兵部隊が、まるで見えない死神に刈り取られるかのように、次々と悲鳴を上げて沈んでいくことだけが伝わってくる。
襲いかかろうとした複数の自爆ドローンすら、煙の奥から音もなく放たれたクロウたちの『点穴針』によって、爆発することすら許されずシステム中枢を正確に貫かれ、ただの鉄屑となって地面へ次々と落下していく。
やがて、銃撃もドローンの羽音も完全に途絶え、中庭に急速に静寂が戻っていった。
夜風が紫の煙を完全に吹き消した。
「……あ……」
エレノアは、目の前の光景に息を呑み、完全に言葉を失った。
そこには、先ほどまで自分たちを絶望の淵に追い詰めていた武装傭兵たちが、一人残らず床にのたうち回る凄惨な光景があった。ある者は肘の関節を逆に折られ、ある者は膝の骨を完璧に砕かれ、二度と武器を握れない状態でうめき声を上げている。
そして、その中心。
返り血すら浴びていない綺麗な制服のまま、ポケットに手を突っ込んで佇む、銀髪の三つ編みの少年――クロウ。
その背後には、寸分の狂いもない姿勢で、無表情に付き従う銀髪の少女――レイラ。
月光を浴びる美しい双子だけが、圧倒的な静寂を纏って、そこに立っていた。
「あなた……たち……どうして……魔術も使えないはずなのに……」
エレノアはガタガタと唇を震わせながら、クロウを見上げる。
それは恐怖であり、同時に、自分たちの常識を根底から覆されたことへの、底知れない驚愕だった。名門ヴァレンタイン家の魔術すら無力化した絶望の戦場を、彼らはただの「五体」だけで、一瞬にして終わらせてみせたのだ。
「言っただろう、お嬢さん」
クロウは灰色の瞳をエレノアへと向け、表向きはどこまでも物静かに、しかしその奥に強者の余裕を湛えて微笑んだ。
「挑むならいつでも来い、と。……この程度の玩具(兵器)に手こずるようでは、俺の『死合い』の相手には、少しばかり退屈が過ぎるな」
魔術の権威が完全に失墜した夜、少年が秘める「純粋な武」の狂気が、学園の全員の脳裏に、消えない恐怖と憧憬として刻み込まれた瞬間だった。
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