鉄砂の記憶、魔を穿つ掌
「――『魔殺掌』、か。悪くないネーミングだな」
その日の夜。再び静まり返った温室の中で、クロウは自身の右手の掌をじっと見つめていた。
月光に照らされたその手は、一見すると16歳の少年の綺麗な肌だが、その内側には常軌を逸した質量と硬度が秘められている。
『マスター。……『魔殺掌』の術理について、詳細な解説を要求します。レイラのシステムへの登録に必要です。――オーバー』
隣で、レイラが脳内念話で問いかけてきた。表情はいつも通り生真面目な鉄仮面だ。
「前世の俺の肉体は、数十年かけて毎日、高熱で焼いた硬い砂や鉄の粒に、この手刀を何万回と叩き込む狂気の鍛錬を行っていた。部位鍛錬の極致、古流武術でいう『鉄砂掌』だ。最終的に俺の手刀は、鋼鉄の鎧すら豆腐みたいに切り裂く暗器と化していた」
クロウは物静かに、しかしどこか懐かしむように語る。
「だが、今のこのホムンクルスの肉体は、生まれながらにして筋肉も骨の密度も完璧だ。そこに、俺の『気(闘気)』を極限まで集中させ、刃のように圧縮・硬化させる。前世の鉄砂掌を、今世のフィジカルと気で再現したのが――この『魔殺掌』だ」
クロウはスッと右手を引いて、手刀の構えを取った。
瞬間、彼の右手から陽炎のような、禍々しいまでの密度の『気』が立ち上る。
「魔術師どもがどれほど強固な防御魔術を張ろうが、関係ない。この掌は、あらゆる『魔』を物理的に切り裂き、その心臓(核)を貫くためにある」
シュッ――!
クロウが軽く手刀を振るう。
空気を切り裂く鋭い風切り音とともに、温室の片隅に置かれていた、厚さ数センチはある頑強な鋳鉄製の工具箱が、まるで熱したナイフでバターを切るかのように、斜めに一文字に、音もなく滑らかに両断された。
『……! 物理的な硬度だけでなく、気の鋭利化による分子結合の切断を確認。――凄まじい威力です。レイラの現在の出力では、再現率30パーセント未満と推計。功夫の不足を痛感します。――オーバー』
脳内念話に僅かな震撼を滲ませながら、レイラは両断された鉄箱の断面を指でなぞっていた。
「ハハッ、だから言っただろう? 毎日朝と夜、俺がみっちり功夫を仕込んでやるとな。お前がこれを扱えるようになった時が楽しみだな」
クロウはレイラの銀髪を優しく撫でた。
魔術を『化勁』で受け流し、障壁を『寸勁』で粉砕し、掴んだ敵を『合気』と『点穴』で無力化し、最後はこの『魔殺掌』で息の根を止める。
己の中で、この世界の魔術師を文字通り「狩る」ための、至高の武術コンボが完全に完成しつつあった。
――ガサリ。
「……また覗き魔か」
クロウが静かに温室の入り口に視線を向けると、そこには案の定、昼間に続いてまたしても二人の様子を隠れて見ていた、緩いウェーブのロングヘアの令嬢――エレノアがいた。
彼女は、両断された鉄箱のあり得ない断面を見て、今度こそ完全に言葉を失い、恐怖で顔を真っ青にさせていた。
「あ、あなた……本当に、本当に何者なのよ……! 人間の手があんな、名門の守護魔術すら切り裂きそうな鉄の刃になるなんて、そんなの、聞いたことがないわ……!」
「言っただろう、お嬢さん。挑むならいつでも来るといい」
クロウは月光を浴びながら、表向きはどこまでも物静かに、しかし胸の奥に鬼気迫る好戦的な狂気の炎を灯してエレノアを見つめた。
「お前たちの誇るその『最高峰の魔術』とやらを、この『魔殺掌』で骨ごと貫いて死合ってやるのが、今から楽しみで仕方がないな」
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第14話:密入国の残滓と、次なる獲物
西暦2026年、初夏のロンドン。
夜の帳が降りた『アンチマジック対策機関(対魔特務学園ロンドン校)』の校舎裏手は、日中の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
月明かりに照らされたレンガ壁の影で、俺――クロウは冷え切った夜風を吸い込んでいた。背後には、寸分の狂いもない不動の姿勢で佇むレイラがいる。
秘密結社『ウロボロス』の研究所から、溶解されかかっていた俺が自力で彼女を連れて脱出したあの夜から、レイラは俺の絶対的なバディであり、朝夜の功夫を叩き込む一番弟子だ。
平和すぎる現代日本で九十年を生き、東洋武術の最高峰を極めながらも、一度も『死合い』を経験できずに老衰で死んだ前世。あの退屈な檻のような日々に比べれば、魔術だの何だの、命のやり取りが裏に潜むこの2026年のロンドンは、俺にとって極上の遊技場に他ならない。
「待たせたな、二人とも。夜分に呼び出してすまない」
暗がりから足音もなく現れたのは、仕立ての良いスーツを着た男――MI6(英国秘密情報部)のスミス捜査官だった。脱出直後の俺たちを保護し、学園にねじ込んでくれた、食えない中年男だ。
スミスは周囲を警戒するように見回すと、手元のタブレット端末の画面を俺たちに向けて提示した。
「例のウロボロスの密入国ルートを追って、MI6と時計塔の共同部隊がキャナリー・ワーフの路地裏をガサ入れしたんだがね。一足遅かった。残されていたのは……これだけだ」
画面に映し出されていたのは、現場写真。廃棄コンテナの影でドロドロに溶けた『何か』の肉塊と、ひび割れたガラスの小瓶だった。
ウロボロスの常套手段である、証拠隠滅のための魔術溶解液。
それを見た瞬間、俺の胸の奥で、前世から引き継いだ狂気的な執念が微かに疼いた。
「俺を『失敗作』として溶解しかけ、ゴミのように処理しようとした連中の魔術だな。相変わらず陰気で、実に悪趣味だよ」
俺とレイラの本質がホムンクルスであることは、スミスには明かしていない。ウロボロス側が用意していた「ロンドンの孤児院出身」という本物のパスポートに基づき、俺たちは「ウロボロスに拉致され、非人道的な魔法実験の被検体にされていた孤児」ということになっている。だからこそスミスは、こうして手がかりの見覚えを俺たちに聞き込みに来ているのだ。
「おいおい、そんなに笑うなよクロウ。君たちをそんな目に遭わせた組織は、2026年の最新テクノロジーと魔術を融合させた、世界最悪の犯罪結社だぞ? 時計塔の魔術師連中だって、奴らの名前を聞けば顔を青くする」
スミスが呆れたように肩をすくめる。拉致の被害者であるはずの少年が、トラウマを見せるどころか、凶悪な笑みを深く刻んでいるのだから無理もない。
「スミス捜査官、ウロボロスの次の狙いは? 何か俺たちに知らせた方がいい情報があったから、わざわざ合いに来たのだろう」
「……察しがいいね。押収したデータの一部に、このロンドン校の『霊脈の基盤コード』に関する記述があった。近々、君たちの通う学園内で、奴らが大規模な仕掛けをしてくる可能性がある」
学園を、そして俺たちを狙うウロボロスの影。
エリート気取りの魔術師どもが、どれほどの絶望を味わうことになるか、今から楽しみで仕方がなかった。
「警告はした。何か思い出したり、敵からの接触があったらすぐに連絡をくれ」
それだけ言い残し、スミスは闇に溶けるように去っていった。
まだ俺の本当の『力』を知らない泳がせ役の中年捜査官を見送り、俺はゆっくりと拳を握り込む。
「レイラ」
「はい、マスター」
「明日の朝の功夫は、突き(寸勁)の回数を三千回に増やす。ウロボロスの奴らが来たら、その誇る魔術ごと、骨までブチ抜いてやる」
『了解。マスターの望む『死合い』のために、我が身を研鑽します。――オーバー』
2026年ロンドン、闇の宴の幕が再び上がろうとしていた。
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