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雑草令嬢は野獣令息の腕のなか〜背徳契約から始まる復讐錬金術〜  作者: gen.


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03. 煉獄の夜会





 その夜会は社交シーズンも、そしてアカデミーの夏季休暇も終わりを迎えつつある頃に催された。一見するとごく普通の立食形式の食事と演奏とダンス、歓談を楽しむ夜会。

 しかしその主催者がシルベストレ男爵家先妻方の中でも最も権威のある先妻リリアナの従兄アランサバル伯爵であり、招待客もほぼシルベストレ男爵家の縁戚となれば、それが実質的な親族会議(ファミリー・コンシル)であるのは明白だった。

 そのためだろうか。招待客たちは和やかに歓談をしながらもどこか空気はひりつき、特に会場の一部には不自然な空白が出来ていた。ほかならぬシルベストレ男爵家現夫人のアデラと、その娘アデリナの周囲である。カミロも当然参加していたが、父ベニート子爵が目を光らせている以上アデリナの元へ近づく勇気はないようだった。

 そんな中、ほとんどの招待客が集まりいよいよ本格的に夜会が始まろうとしたとき、伯爵邸の前に一際豪奢な馬車がつけられた。

 従僕が緊張した面持ちで、馬車から降りてきた人物から招待状を受け取る。そして読み上げられた入場者の名前に、エントランスの小さなささめきがざわめきとなり、ホール内へ広がっていった。


「バルラガン侯爵令息、イシドロ氏。シルベストレ男爵令嬢、レディ・ロサ。御入場です」

「ごきげんよう、おじ様、おば様方も」

「ロサ!」


 アランサバル伯爵が歓談を急ぎ切り上げ、早足で二人の下へとやって来る。

 アデラとアデリナ、それにカミロもまたそれぞれに表情を強張らせ二人の登場を凝視していたが、彼らは一歩も動くことができなかった。


「紹介いたしますわおじ様。私を保護してくださってたアカデミーの学友、イシドロ・バルラガン侯爵令息です。イシドロ、こちらは私のお母さまの従兄にあたるアランサバル伯爵」

「君が……!亡きリリアナ、ロサの母に代わって礼を言わせてほしい。心から感謝している。ありがとう……!」

「いえ、親交厚い学友の窮状へ、手を差し伸べるのは当然のことです」


 アランサバル伯爵の感激に震える声に対して、イシドロと呼ばれた青年は淡々とした態度で応じた。艶やかな黒髪を大きく右側へ流し、後ろ髪を一つに束ねたイシドロは在学中の学生ということが信じられないほどに、服の上からでもその逞しさが見て取れた。

 また彼の腕に寄り添っているロサも、伯爵の記憶の中のお転婆さが前面に出たおさげ髪の少女ではなく、その艶やかな髪は豪奢に巻かれ、瞳と同じ青草色のドレスに白のグローブ、真珠のイヤリング、それに伯爵も見覚えのあるネックレスをしていた。


「ロサ、そのネックレスは……」

「覚えておいででしたのねおじ様。ええ、お母様のネックレスですわ。私もこのネックレスが似合う年頃になったと思われません?」

「ああ、とても、とてもよく似合っているよ」

「でも不思議なんですおじ様。このネックレス、シルベストレ男爵家のジュエリーボックスからではなく……()()()()()()()で見つかりましたのよ」

「何……!?」


 ロサの一言に、会場中の視線が一点に集中する。

 そこにはロサの首元を見て顔面を蒼白にしたアデラと、信じられないものを見る目で母を見つめるアデリナがいた。


「ねえお義母様。まさか嫡出子が行方不明になっている間、管財人はその財を一銅貨も動かしてはいけない、という法律をご存じなかったなんておっしゃいませんよね?」

「そ、れは、もちろんよ――でもロサ、あなたが自分で質屋に売り払ったわけではないと、どうしていえるのかしら?今の今までどうしていたか知れないけれど、あなたが勝手に持ち出して」

「いやですわ、お義母様」


 扇を広げながら、にこりと微笑んだロサの目が細められる。


「私が寮から帰省したその日に、私を厩舎(ミューズ)へ閉じ込めて鍵までかけさせたのは、お義母様ではありませんの」


 会場が波打つようにどよめいた。


『なんですって……!?』

『ロサを厩舎に!?』

『厩舎って、あの炎上したっていう……』


 アランサバル伯爵もまた、今回ロサから "アデラを追い出す準備が整ったため、イシドロ宛に招待状を送ってほしい" という旨以外は手紙には書かれていなかった新事実に、目を見開いている。


「何とか脱出したものの、生命の危機を覚えた私が咄嗟に頼れたのは、私の境遇に同情してくれる親愛なる学友だけでしたわ。だって、シルベストレ家のつながりではどなたにお義母様の息がかかっているかわかりませんでしたもの」


 ゆっくりと扇を揺らしながら、傍らのイシドロと目を合わせたロサが微笑み合う。

 そしてその瞳だけがゆるりと動き、震えるアデラを捉えた。


「さぁお義母様、教えてくださいな。このネックレスを売り払って手に入れたお金を何にお使いになったの?もちろん、帳簿にすべて記していらっしゃるのでしょう?」

「それ、は――――あ、ああ、思い出したわ。新しい厩舎を設えるための資金が入用で、それで……」

「ああ、そうだったのですか」

「ロサ、そんなあっさりと……!」


 アランサバル伯爵の非難を帯びた声へ、ロサは静かに扇を傾けた。まるで落ち着くように、と言い聞かせるかのような堂々たる態度に伯爵も思わず口を閉じる。


「ネックレス一つの行方については、後日改めて帳簿を拝見すれば済む話ですわ。それよりも今夜は、我が家のもっと大事なことについてお話になると伺っていたのですけれど?」

「あ、ああそうだ。ルシオの準正の正当性について――――」


 ロサの一言で、我に返ったようなベニート子爵が声を上げる。

 準正とは、婚前に母が設けた子供が、子供の父親である貴族との結婚後、その家の嫡出子として認められることを指す。ただしこれはあくまで、父親も母親も独身の状態でその子が生まれた場合に限り、不倫によって生まれた子は両親が結婚しようと庶子のままだった。

 ルシオが生まれたのは五年前。そして先妻リリアナが没したのは十三年前である。つまり現男爵もアデラも独身の状態でルシオは生まれた。だからこそアデラは、ルシオの準正を主張できたのである。


「まだそんなことを仰っているのね、ベニート子爵……!」


 しかしここでアデラの顔色が血色を取り戻した。その笑みは引きつっていたが、振り上げた扇に応じて壁際から一人の老執事が進み出てきた。シルベストレ男爵家の執事、セバスティアンである。彼は懐から一通の折り畳まれた紙を、扇の代わりにアデラの手に乗せた。


「さぁよくご覧になって皆さま。あなた方が散々に仰ったルシオの洗礼記録の写しでしてよ!父親の欄に誰の名前が記されているか、よくよくご覧になることね!」

「なんだと……ッ?」

「どういうことだロサ、あそこは確か……」


 先ほどまでの震えが嘘のように、つかつかと歩み寄ってきたアデラがベニート子爵やアランサバル伯爵へと確かに司祭の署名、捺印が施された洗礼記録の写しを突き付ける。そこの "父親" の欄にははっきりと、現シルベストレ男爵の名前が記されていた。

 最も動揺したのはベニート子爵で、彼は写しとロサを交互に見遣る。一方ロサはというと、その写しが出てきたときから笑みを消し、たった今、ぱちりと扇を閉じた。


「ええ、おかしいですわね。私、お父様と五年前にお約束しましたの……親族会議でお二人の結婚に賛成する代わりに、入籍は出産後にする……つまり、お義母様はあくまで独身でルシオを生んだこととし、 "父親" の欄を空欄にしておく、と」

「あらそうだったの?残念ね。あなたとの約束より、ルシオへの愛情の方が勝っていたということだわ!」


 歪んだ笑みを深めたアデラが、勝利宣言の代わりのようにロサの眼前へと写しを突き付ける。まだインクの香りも残っているそれに、ロサは表情を動かすことなく、傍らへ扇を差し出した。大きな手が、その繊細な細工の扇を受け取る。


「そうでしょうか?」

「……なんですって?」


 ロサの下げていた小さなパーティバッグの金具が外される音が、場違いに大きく響く。


「お義母様、これがなにかお分かりになって?」


 そう言って彼女が取り出したのは、ごく小さな試験管のような小瓶だった。中には小さな紙片と、薄くピンクに色づいた液体が入っている。紙片には何かの綴りが書かれていたが、輪郭が曖昧ではっきり読み取ることはできなかった。


「な、なんなの、それは……」

「洗礼記録の原本から抽出した、インクの酸化反応を示した溶液ですわ」

「!?」

「皆さまもご存じの通り、今流通しているインクは書きたての時は青みがかった黒ですが、時間と共に純粋な黒または深い茶褐色へと変化いたします。これはインク内の成分が酸化するために起こる現象です」


 先ほどまでアデラの金切り声が響き渡っていたホールに、ロサの朗々たる声が響く。


「私はシルベストレ男爵家の洗礼記録が保管されているメリダ教会の記録保管庫に代理人を派遣し、洗礼記録の原本の "父親" 欄から吸い取り紙を使ってインクの成分を取り出しました。そして専用の試薬に浸して、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を確認したのです」

「ロ、ロサ、その結果は……」


 ベニート子爵に振り返ったロサは、にこりと微笑んだ。


「洗礼記録から吸い取ったインクからは真新しいもの特有の、激しい酸化反応が見られましたわ。五年前に取ったノートとは、まったくの別物――――」

「う、嘘よ!!」


 甲高い声と共に空を切る音が続いた。が、アデラの振り上げた手は小瓶を掲げたロサの手元に当たる寸前で、イシドロの手によって拘束されていた。

 咄嗟に振り払おうとしたアデラだったが、自身の手首を掴む手は力強く、まるで鉄製の手枷でも嵌められたかのようにびくともしなかった。


「放しなさい!私を誰だとッ」

「イシドロ、放して差し上げて」


 かと思うと、ロサの一言であっさりと解放された手首をかばいながら、アデラは恐れをなしたように二人から一歩遠ざかる。


「ぎ、偽証だわ!そんなッそんな小瓶いくらでも用意できるじゃないの!」

「でしたらお義母様、今度はお義母様と司祭様も同席の上で、原本に直接試薬を垂らしてみましょう。大丈夫です。酸化が終わっている五年前のインクであれば、透明な液体が垂れるだけですから、すぐ拭きとればいいのですわ」

「ッ……!……!!……ぁ、ああ……!」

「!奥様!」


 穏やかに微笑むロサから数歩後退り、そこで力尽きたかのようにとうとうアデラはその場に座り込んでしまった。その手から抜け落ちた洗礼記録の写しが、床を滑り、アランサバル伯爵のつま先へこつりと当たった。

 彼は冷厳とした目で座り込むアデラを見つめながら従僕たちに命じる。


「……写しを回収し、男爵夫人を拘束しろ」

『はっ』

「!お母様!待ってください、なにも拘束なんて……!」

「証拠隠滅の恐れがある。帳簿の確認などが終わるまでは、我が家の一室に軟禁させてもらう」

「そんな……!」


 思わず声を上げたアデリナは助けを求めるようにカミロの方を見遣ったが、カミロは反射的に彼女の視線から目をそらしていた。

 そして父の陰から抜け出すとロサの元へと駆け寄ろうとし――――イシドロの鋭利な一瞥で、その場に立ちすくんだ。それでもなんとか声を絞り出すと、本当に今更ながらの一言をロサへ向けた。


「ろ、ロサ!無事でよかった!」

「あらカミロ、あなた心配してくださってたの?」

「な、なにを当然のことを……僕たちは婚約者じゃないか。それなのに君は――」


 まるで "そこにいたのか" と言わんばかりのロサの冷めた一瞥を浴びながらも、カミロは言葉を振り絞って、非難するようにロサの傍らに立つイシドロを見遣った。


「ああ。その婚約ですけれど、破棄させていただきますわ」

「へ?」

「何……!?」

「フィッツランド男爵の夜会、オペラ、チャベス子爵の演奏会、ほかにも色々と……私を心配してくださってる傍らで、随分アデリナと親しくなられていたようですから。親切な方々が、私に教えてくださったのよ」

「き、君はそんな、そんな奴らの言葉を信じて」


 見る見るうちに青ざめていくカミロに構わず、小瓶をバッグへしまったロサが次に取り出したのは、一通の封筒だった。


「言葉は信じ切れませんけれど、物証は信じられますわね」


  "カミロ・デ・ベニートから親愛なるアデリナ・デ・シルベストレ嬢へ" と署名が入った封筒を扇のようにひらりと閃かせたロサに、カミロは今度こそ絶句し、目を見開いていたベニート子爵はその顔を真っ赤に染め上げた。


「カミロッ!貴様、何という……!!」

「ち、父上ッこれは、これは違うんです!」


 婚約破棄は婚約解消とは訳が違う。前者は法的に訴え慰謝料も請求されるケースがままあるのに対して、後者は互いに贈り合ったものを相手に返却し円満に終了するというものだ。

 当然、破棄の場合は理由が必要になって来るが、男性側の不貞は十分にその理由になり得た。まして、ロサとカミロの婚約は親族会議で決定し履行されていたものである。婚約者であったという時間を無駄にされたロサ側の損失は明らかだった。


「安心なさって?シルベストレ男爵家にはアデリナという()()()()()()跡取り娘がおりますもの。あなたが結婚した相手が、ちゃんと男爵位をもってきてくれますわ。あなたの成績を、私が運んできていたように、ね」

「っ!!ろ、ロサッ君は」

「貴様、まさか――カミロ!!」


 ますます激昂するベニート子爵がとうとうステッキを振り上げたのを見て、慌てて周りの男性陣が止めにかかる。ベニート子爵は何よりも貴族の格というものを重視する人間だ。だからこそアデラを嫌い、その血が入っているルシオを攻撃した。結局、シルベストレ男爵家を心配していたというよりも、自分の縁戚に平民の血が混じることを厭っていたにすぎない。

 そんな人間に対して、ロサもまた配慮をする気は起きなかった。

 手紙をバッグに仕舞ったロサは、あらためて目の前の騒ぎを呆然と見ているアデリナへと視線を向けた。傍らから差し出された扇を受け取りながら。


「おめでとうアデリナ。憧れの男爵夫人の座はあなたのものよ。ただし、シルベストレ家の金銭、家財、その他財産の一切は私が相続させていただくことになりますから、明日にでも管財人を派遣して『安全な場所』へ運び出しをさせていただきますけど」

「な、なんですって!?」


 そこでようやく、アデリナが我に返ったように声を上げる。父親似の青い瞳を大きく見開いて、肩を震わせる彼女の周りには今や誰もいなかった。男爵家の執事であるセバスティアンすら、アデラが従僕たちに連行された後は、ただ棒立ちになったまま事の成り行きを見ているだけだ。


「何も不思議ではないでしょう?爵位は男子に、財産は嫡出子に、法に則った正当な相続ですわ。ああ……あなたの母親の横領金については、もちろん賠償していただきますし、横領金の使い道についても追及させていただきますけれど」

「な、な、こ――――この魔女ッ!!」

「まあ、心外だわ」


 ぱん、と空気を張る音がした。びくりと肩を竦めたアデリナに、広げた扇で目元以外を隠したロサが、静かに小首を傾げて見せた。


ロサ(いばら)を握り締めて血が出ないとでも思っていたの?」


 絶句したアデリナから、もう見る価値もないとばかりに視線を外したロサは、傍にいる苦渋の顔をしたアランサバル伯爵へと顔を向けた。


「おじ様、私喋り過ぎて喉が渇きましたわ。別室ですこしお休みされませんこと?」

「ああ……今宵の夜会はここまでとしよう」


 こうして、大混乱と騒動を引き起こした夜会はお開きになったのだった。







「そうして、皆さま欲しいものを手に入れてめでたしめでたし、というわけですわ――――お父様」

「……そうか」


 まあ、それ以外の言葉なんて出ないでしょうね。

 私が座っている椅子の後ろには、まるで騎士のようにイシドロが立っている。そして私の目の前には、現シルベストレ男爵、ブラウリオ・シルベストレが枕に埋まるようにしてベッドの天蓋を仰ぎ見ており、こちらへは一瞥もくれやしません。

 もっとも、今まさに管財人たちを邸に入れて財産の一切合切を持ち出そうとしている娘にかける言葉なんて、大したものも浮かばないでしょうけれど。


「ああそれと……お父様のご体調、これから回復に向かうと思われましてよ」

「……なに?」

「献身的なあなたの愛妻の部屋から、とある薬品が見つかりましたの。少量ではただの薬ですけれど、常用すると身体を蝕む類のものですわ」

「ッ――――まさか……」

「本人は黙秘を貫いておりますけれど、まあ、そのうち答えも出るでしょう。ついでに新しい医者をお探しすることをおすすめしますわ」


 立ち上がる私を、初めて愕然とした表情で見上げるお父様。優れた容姿は見る影もなく、二人の妻には置いて行かれ、残るのは何の権利もない庶子の娘と名ばかりの爵位、やって来るのは間抜けな婿。

 ああ、なんて――――胸のすく光景でしょう。


「ねえお父様、こういう時、人は "ざまぁみろ" と言うのでしょうね」


 だから私は、お母様によく似ていると言われた顔にとびっきりの笑顔を浮かべて見せてさしあげたのです。


「お前……だから、五年前に……」

「あら、今更お気づきになったの?」


 私は五年前、アデラとの結婚で協力を求めたお父様に約束をさせました。一つは、アデラを独身として出産させること。そしてもう一つが、「遺言状に爵位を除く一切の財産をロサへ相続させる」と明文化すること。それは私が男爵夫人として納まっていたなら、なんの問題もないはずの文言でした。

 ええ、その時から、いいえもっと前から始まっていました。

 お母様を裏切った愚か者たちに対する、私の復讐は。


「精々惨めたらしく長生きしてくださいまし。間違っても、お母様と同じ場所に行けるなんて勘違いを起こさないほど、長く」

「ロサ……!」

 

 私はドレスの裾を持ち上げて、緩やかに一礼を。

 そして呼ぶ声に振り返ることもなく、父と呼んだ男の寝室を後にしたのです。




 階下に下りると、小さな鞄を抱きしめた榛色の小さな頭が座っているのが見えました。


「荷物はそれだけなの?ルシオ」

「はい、ねえさま」

「そう、じゃあ」


 そう遠くない部屋からは、アデリナとカミロの口論の声が聞こえてきます。カミロは勘当同然でベニート子爵家を追い出されて、もう男爵家(ここ)以外に行き場所がないそうです。あとはアデリナと結婚するしか道がないというのに、あんな調子で大丈夫なのかしら。

 まあ、彼らには彼ら用に用意したプランがあるから、いまのうちに精々暢気な喧嘩を楽しんでいればいいわ。


「いきましょう、ルシオ、イシドロ」

「はい、ねえさま」

「ああ」


 私の差し出した手を迷いもなく握る小さな手。私だけをまっすぐ見つめる青い瞳。これからこの手と目はたくさんのことを勉強して、アカデミーの特待生枠に入って、そうして一生私に感謝しながら生きていくのです。

 両親のことも姉のことも、家のことなんて思い出さないほど、私で染め上げて。

 それが私の、アデラに対する最後の復讐。そして――――

 

「さあ、これから侯爵様にご挨拶にいくのよ。いいこで座ってられるわね?」

「はい、ねえさま」


 馬車に乗り込んだ私の対面にはイシドロ、隣にはルシオ。

 側戸が閉じられ、ガタゴトと馬車が動き出します。私は窓の外に夢中になっている微笑ましいルシオの背中から、対面のイシドロへと視線を戻しました。

 彼の満月色の瞳は穏やかに、私の眼差しと重なり合っています。


「――――これからも、見届けてくれますね?」

「……ああ」


 私の最後の願いは、この復讐劇を見届けてもらうこと。

 その報酬は――――私の首から上へ、自由に触れられる権利。

 伸ばされた手に、私はようやく頬を預けます。イシドロの指先が、私の髪をそっと除けていきます。

 そして、私たちは、互いに長く待ちわびた口づけを交わしたのでした。

 この長い長い復讐の、一区切りに。





ここまでお読みくださり、ありがとうございます。次回から連載版の書きおろしパートへと突入します。

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