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雑草令嬢は野獣令息の腕のなか〜背徳契約から始まる復讐錬金術〜  作者: gen.


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15. 鉄槌





 シルベストレ男爵の急死で、この忙しい時期にするべき仕事が一気に増えてしまいました。まあ、それを捌くことぐらいは簡単なのですが、ルシオたち家族とゆっくり始めようとしていた生活が突然忙しなくなってしまったことは否めません。

 本当にいい迷惑です。もともと準備していたこととはいえ。


「奥様、こちらはどうされますか」

「完全に破壊して頂戴。残骸は捨てて」

「畏まりました」


 まだ冷たく締まった土を掘り起こす音の中に、金づちが振るわれ、石碑を破壊する音が混じります。

 夜闇に交じりそうな漆黒の毛並みの馬たちの息遣いが低く震え、霊柩馬車の四隅を照らし出す真鍮のカンテラの明かり届く範囲のみが、冷たい夜霧のなかの墓地を浮き上がらせていました。

 ここは教会内にある、シルベストレ男爵家の私有墓地。今私は、ここにある唯一の用事を片付けるべく使用人たちと繰り出しているのです。土を掘っているのは葬儀屋(アンダーテイカー)の職人たち。墓守はこの深夜の出来事について見ないふりをしています。彼らの口を塞いでるのは、懐に収めた札束です。


「奥様、出ました」

「傷一つ付けないで頂戴ね」

「はい」


 周辺の土も掘り起こされ、投げ渡されたロープがしっかりと結ばれて、職人たちがそれを引っ張り上げます。

 十三、いえ十四年ぶりの再会です。私は手が土で汚れるのも構わず、その棺に手を添えていました。


「お久しぶりです……お母様」


 棺は布に包まれて、用意されていた霊柩馬車へと乗せられます。


「騒がしくて申し訳ありません。でも、これでようやくお母様を綺麗な土地へお返しできますわ」


 掘り起こした土を戻す職人たち、お母様の墓石を破壊する使用人たちを眺めながら、私はこれからのことを考えていました。

 棺の所在を変更するには遺族全員の同意が必要であり、この場合お母様の遺族はあの男と私だけだったのであれが死んだ今一刻も早く手続きをしなくてはいけませんでした。あんなものとお母様を並べるなんて考えるだけでおぞましいこと。

 あれは愛する()()のアデラとでも並べられていればいいのです。

 あと、墓石は一家の財産であるため、こちらはいつでも破壊可能。なのでこの場で叩き壊しておきます。

 お母様にはアランサバル領の清浄な墓地で、新しい墓石を誂えさせていただきます。もちろん費用は私の持ち出しです。

 全ての作業は時間との勝負でした。あの貧乏男爵家に貴族らしい盛大な葬儀を上げる時間も金もないのは分かり切っているので、あれの埋葬までは三日程度の猶予しかありません。

 私は訃報を聞いてすぐアランサバル伯爵のおじ様に連絡を取り、前々から決めていた段取りに従って教会へ棺の所在変更を多額の寄付と一緒に申請し、即日許可を得ました。

 そしてしきたりに従い、その日の深夜から早朝にかけて、つまりいま、こうしてお母様を掘り出して霊柩馬車に載せたのです。墓石だったものはズタ袋に入れられていきます。

 さあ、すべての作業は完了しました。


「お前たちは家に戻って連絡を待ちなさい」

『畏まりました』


 不自然にへこんだ墓地に一瞥をくれて、私は霊柩馬車の後ろに並んだ喪客馬車に乗り込み、深夜の墓地から出発させるよう命じたのでした。







 アデリナは古すぎて蝶番が軋むトランクにドレスを詰め込んでいた。カミロがそうしろと命じたからだ。三日前、オフィスから早すぎる帰宅をしたカミロは、蒼白の顔でオフィスの階段から転げ落ちて父ブラウリオが死んだと告げた。そして、笑った。

 笑い出したのだ。かと思えば食卓にある唯一の燭台を叩き落し、食卓すらもひっくり返した。

 暴れるカミロが朝出て行ったときのカミロとは違い過ぎて、アデリナはカミロの姿をした別人なのではないかとすら思った。

 食堂をめちゃくちゃにしたカミロは、肩で息をしながらアデリナに荷支度をするように言った。そこでようやく、アデリナはなにがあったのかと問うことができたのだ。


 騙されていた。

 それに気づいたブラウリオは逃げ出そうとした。

 逃げ出そうとして、足を滑らせて階段から落ちた。


 訥々と、カミロが語る言葉を繋げるとそういう意味になった。

 さらには、あと数日もしない間に投資家たちが金を返せと押し寄せてくるだろうと。そうなる前に葬儀を済ませて、ここを発たねばならないと。

 カミロはそう言った。カミロがそう言ったのだ。

 喪服などアデリナは持っていなかった。カミロもそんなものは要らないと言った。

 だから一番地味なドレスに身を包んで、母のものだった黒いレースのショールだけ頭からかぶった。カミロが葬儀屋(アンダーテイカー)に最速で、最低額で用意させた労働者用の、安物の棺に父だったものが納められていくのをただ見送った。


 いったいこれは何時醒める悪夢だろう。

 アデリナは荷馬車に載せられたパイン材の棺を見ながら自身も馬車に載せられ、墓地へと連れていかれた。

 だが、墓地で待っていたのはただこれが現実だと叩きつける惨状だった。

 シルベストレ家の墓地だというそこ、いずれ母や自分も収まると思っていたそこに、大きな縦長の穴が開いていた。

 白く細かな石の欠片が辺りに散乱し、それが朝日を受けて鈍く光っていた。


「ッ……もう気づいたのか」


 カミロの苦々しい声だけで、それが誰の仕業かアデリナは理解し、そして全身の血の気が引いた。

 父が死んだのは、今日を含めてたった四日前だ。それから自分たちは一歩も外に出ず "準備" に明け暮れていたし、もちろん親族たちへ報せる手紙など出していないのに、一体いつ知ったのか。

 そして自分の母の墓穴を掘り起こし、墓石を破壊するなどという尋常ではない行いをいつの間に完了させていたのか。


 何があの義姉(あね)をそこまでさせるのか。


 全身に震えが来たアデリナにしっかりしろとカミロは叱責し、葬儀屋(アンダーテイカー)たちに早く済ませてくれと急かした。

 無口な職人たちによって、無残な縦穴の横に新しい穴が掘られていく。布を使って下ろされていく棺に、最初の土をかぶせるのはカミロとアデリナの役目だった。

 その時アデリナは、まるで自分が殺した死体を埋めているような錯覚を覚えた。

 そんなはずがない。そんなはずはないが、父が死んでくれたらと、思ったことはなかっただろうか。一度でも、もはやロサよりアデリナをかわいがることすらなくなり、酒浸りになって愚痴を吐き散らかす父から解放されたいと願ったことはなかったろうか。


「アデリナ!」


 カミロの叱責で、アデリナは自分が土をかけ続けていることに気づき、はっとシャベルを手放した。

 彼女が手放したシャベルは職人たちの手に渡り、彼らは何事もなかったかのように残りの土を速やかに埋め戻した。

 彼らの仕事は、それで終わりだった。カミロたちの、故人に対する最低限の勤めも。

 アデリナは再び馬車に乗る。揺られる。手に染みついた冷たい土のにおいがいつまでもまとわりついてくるようだった。

 あの義姉(あね)の冷たい視線が、いつまでも自分を追いかけているような気がした。

 タウンハウスの前には、幸いと言っていいのかまだ投資家たちは押しかけていなかった。だが時間の問題だ。今夜だ。今夜自分たちはここを発つ――――


「ひっ」


 居間に入ったところで、立ち止まったカミロにアデリナはぶつかった。文句を言おうとした口から出たのは、引きつった悲鳴だった。

 居間に人がいる。そこだけ切り抜かれたように、黒い人と、いつだったか、アデリナの宝石付きドレスがすべて持っていかれたときに、立ち会っていた男が。


「お勤めご苦労様」


 立ち上がった黒い人が口を開いた。黒いコサージュの載った黒いヴェールをおろす帽子。ジェッドのイヤリングに、首元までを完全に隠す完璧な仕立ての黒のドレス。

 顔を隠されたくらいで見間違えるはずもない。


「お、義姉、さま……」

「何の用だ、平民」

「気が早くてよ。男爵の遺言状の公式な読み上げが終わるまでは、まだ私は令嬢なの。子爵家の次男さん」


 唸るようなカミロの声に対し、微塵の動揺も見られない。黒のレースの扇でゆっくりと自分の口元を隠す仕草の、上品なこと。

 そして徐に閉じた扇の先を持ち上げると、彫像のように立っていた紳士が鞄から書類を取り出した。


「お互い忙しい身でしょう?だから、手早く済ませてしまいましょう。遺言状読み上げリーディング・オブ・ザ・ウィルを」


 そう言い残し、彼女は踵を返した。ヒールの音ががらんとした居間に響く。当たり前のように、彼女はそれが行われるべき場所を知っているようだった。いや、それは当然だった。

 義姉(ロサ)はこの家に暮らしていたのだ。アデリナたちが追い出すまでは。

 階段を上り、幾つかの扉を過ぎて、ドアノブに薄っすら埃の溜まったそこを、彼女は付き添いの紳士――――弁護士に開けさせた。途端に舞った埃が、どれだけそこが使われていなかったかを示していた。

 無理もない。所有者が寝たきりになっていたのだから。


「埃臭いこと」


 だが日差しはよく入るように、設計されている。だからこそ舞い散る埃もわかったのだが。ロサはやはり勝手知ったる手つきで窓を開け放った。日差しのわずかな温もりなど奪う、冷たい空気が入ってきたが、彼女はそちらの方がマシだと考えたらしい。

 アデリナは、その冷たさにぶる、と身を震わせた。


「始めてくださいな」


 弁護士がハンカチで書斎机の埃をぬぐい取ると、椅子に腰かけ、咳払いをした。


「こちらが、ブラウリオ・デ・シルベストレ男爵の遺言状です」


 封蝋の紋章が全員に見えるように示したあと、弁護士はその封蝋を破った。

 読み上げが始まる。いつかの夜会で、アデリナはその内容のおおよそのことを知らされていた。

 だが、それから事態は大きく動いた。時間もたった。

 だから、なにか、一つでも希望が見えるのではと。

 父が自分に遺してくれたものがあるのではないかと。


 ――――少女の見た夢は、わずか数分間で無残に打ち砕かれた。







「……それだけ?」


 アデリナの震える声が、埃っぽい空気の中に転がりました。

 遺言の内容は実に明瞭簡潔(シンプル)


"男爵位は親族会議の決定に従い、カミロ・デ・ベニート氏への相続とし、シルベストレ男爵家の名を冠する動不動産含む一切の財産は、長女ロサ・デ・シルベストレ氏への一括相続とする。なお、カミロ・デ・ベニート氏、アデリナ・デ・シルベストレ氏へ財産は一切遺贈されない。"


 私は埃が舞う空気を追い立てるように、扇をゆっくりと動かしていました。これはルシオがまだアデラのお腹の中にいるときに、結婚に賛成するという条件で私が書かせた条件そのままの遺言状です。

 いつぞやの夜会でも知っていたはずなのに、何をそんなに驚いているのでしょう。

 私はパチリ、と音を立てて扇を閉じ、立ち上がりました。踵を返すと、自然と視界に入るカミロもまた震えています。


「ではベニート()()。このタウンハウスも私の財産となりましたので、一週間以内に退去願いますわ」


 それより先に、脱け出す必要があるでしょうけれどね。

 私は座ってた部分に埃がついていないか曇った鏡で一応確認すると、弁護士と頷き合って書斎を出ようとしました。

 が、その瞬間、唯一の出入り口が両手を広げた人影で塞がれてしまいました。


「ルシオを返して!」

「……なんですって?」

「お、お義姉様が誘拐してった私の弟よ!勝手に連れてかれた間、どれだけ心配したか……!」


 その言葉の一ミリでも、私と学舎を同じくしていたカミロから出ていたなら信憑性もあったでしょうが。


「る、ルシオの身柄と、それに、慰謝料を要求するわ!姉として――――」

「何か勘違いしているようね」


 私は広げた扇で再び口元を覆いました。笑みを堪えるのがこんなに大変だなんて。


()()()()()()()()()()()()()()()

「…………え?」

「弁護士さん、この子の頭で解るよう説明して差し上げて」

「大変申し上げにくいのですがアデリナ嬢、あなたは庶子。先妻リリアナ・デ・シルベストレ様がご存命だったころ、男爵閣下とアデラ夫人の間に生まれた不義の子です。そして法的には、庶子は "誰の子でもない" とされています」

「……だれ、の、こでも……?」

「一方でルシオ・デ・シルベストレ氏は明確に独身となった男爵閣下とアデラ夫人の間に生まれた準正のご令息。よって姉弟関係にあるのは、ロサ嬢とルシオ氏のみなのです」

「――――」

「分ったかしら。未来の男爵夫人なら、この程度は弁えておかないとね。いざというとき、恥を掻いてよ」


 こんな風に。

 広げた扇の上から見下ろしたアデリナは、はくはくと魚のように口を動かしたかと思うと、父に似ているとよく自慢していた青い瞳を限界まで見開いて後退りました。


「邪魔よ。退いてちょうだい。これからそのルシオをマナーハウスへ連れていってあげなくちゃいけないんだから」


 それでも動こうとしないアデリナの腕を引っ張ったのは、意外にもカミロでした。そうね、お互いに時間がないもの。アデリナも呆けている場合じゃないでしょうに。


「それでは、ご機嫌よう。男爵閣下」


 今度こそ弁護士が開いた扉から、私は埃臭い書斎を後にしました。

 次に訪れるときは、この部屋を完膚なきまでに破壊するときだろうと思いながら。







 ブラウリオ・デ・シルベストレの葬儀から二週間後のある日。

 それは警察と怒れる投資家がシルベストレ家のタウンハウスに踏み込み、もぬけの殻となったそこに気づきカミロらを指名手配してから八日後の日であり。

 ロサが王都にいないうちにと、偽名で取った馬車で山道を走らせたカミロたちが、落石に遭って谷底に消えたと警察が結論付けてから、四日後の日だった。

 たった数日で捜査が打ち切られた理由としては、雪解け水で増水した激流に呑まれた馬車の、下流で打ち上げられたバラバラになった残骸に残っていた血痕などが決め手となったらしい。一方 "落石" が周辺の岩肌と質の違う巨石であることは、誰も指摘しなかった。


 そして今、抱えきれない憤怒を乗せてシルベストレ系列、父方の親族たちと、アランサバル系列、母方の親族たちが、ロサの財産となったマナーハウスの応接間に詰め掛けていた。

 飛び交う怒号の中、針の筵に座らされているように青い顔でいるのは、半ば引きずり出されたようなベニート子爵家夫妻である。

 犯罪者を出すなど一族の恥だだの、投資者が自分の家まで押しかけてきた、だの、次々と埋まる席とその度に飛び出す新しい怒号を一通り聞き終えたロサは、ヴェール越しの視線を傍らの使用人に向けた。

 それまで彫像のように控えていた従僕らしきその男は、鞄の中から二通の書類を取り出すと、それを一族が囲む机の上に並べたのである。

 悠然と揺らしていた扇を閉じたロサが、その黒い先端で一つ目の書類をぴしりと指した。


「落ち着いてくださいな。おじ様方――――カミロとアデリナは死にました。死人はなにをすることも出来ませんが、私たちから働きかけることは可能です」


 それは警察による、指名手配犯が馬車転落による行方不明――死亡推定――状態に陥ったとする通知書だった。

 怒号が一転して、ざわめきに変わる。特に隣の夫人が立ち上がろうとしたのを、ベニート子爵は必死に抑えた。

 さらにざわめきが治まるのを待つこともなく、ロサの扇の先端がその隣の書類を指す。


「即ち、一族からの追放。この同意書への全員の署名を以て、カミロ・デ・ベニートという存在は我らの家系図にはいなかったものと致しましょう。また新聞の社交欄へ大々的にその旨の広告を。それによって、我らへの全ての調査、追跡、追及は終焉を迎えます。そして――――」


 服喪のドレスに身を包んだロサは、その冷徹な声の響きを初めて柔らかく解きほぐすと、自身の隣に座っている人形のように無表情な少年の肩を抱いた。

 礼装姿の少年もまた、艶のない黒いシルクのハンカチを胸にさし、完璧な服喪の装いをしている。


「――――男爵位は再び正統な者へ。我が弟ルシオが継ぐこととなるでしょう」


 おお、と誰ともなく声が零れた。一族会議の中央に座ってはいるが、発言者はいまだ十八の少女である。そんな彼女のパズルのピースを埋め合わせていくような、隙もなければ情け容赦もない措置に大の大人たちが息を呑んでいた。

 先ほどの従僕が、インク壺とペンのセットをロサの前に配置した。

 扇をペンに変えたロサは、率先して書類にサインを施し、そしてそれを自身の左隣へと滑らせた。インク壺とペンのセットもである。


「ご意見がないのであれば、署名を」


 署名を断るのならば、代案を出せという意味である。

 ロサの静かな、だが明確な威圧によって、書類は速やかに回された。

 その流れが、一席の夫婦の前で止まる。ペンを握らせられたのは、ベニート子爵だった。

 これにサインするということは、自身の息子が "一族にいてはならない恥" と自ら認めることだ。隣の妻からの縋るような視線が彼に突き刺さっていた。しかし、だが、しかし。


「……躊躇してらっしゃいますね、ベニート卿」


 ロサの手元には、再び扇があった。緩やかに前後するそれは、黒のヴェールを微かに揺らせはしても、その声の凍てつきを溶かしはしない。


「ご意見が?」

「――――ッ……!!」


 ロサの緑の瞳が扇の弧の上で同じ形を描いた。ベニート子爵はそれをあらゆる屈辱と怒りをない交ぜにした思いで睨み返したが、彼女から返るのはただの笑み。それだけだった。


「…………意見など、ない。カミロは――――息子は、我が家に生まれてこなかった」


 その宣言に、隣のベニート夫人がついに卒倒した。夫人、と焦る声と寝かせられるところへ、と気遣う声が入り乱れる中、ベニート子爵は震える手でサインを終えた。

 その後もサインは続き、ついに卓を一周した書類はロサの前に戻された。


「確かに」


 一族の署名が連なるそれへ、ロサが軽く扇を振うと、その風を受けて舞い上がった書類はくるくると回りながら、やがて背後の従僕の手へと納まった。インクの乾きを確認した従僕が、鞄の中に書類を仕舞う。


「それでは皆さま、お茶の時間と致しましょう」


 扇を閉じたロサが手を打ち鳴らすと、応接間へ続くドアが開かれ、ティーセットの一式を載せたワゴンを押した従僕たちが入ってきた。

 それまでの憤怒や悲嘆などが入り混じっていた空気を強制的に洗い流すかのように、華やかな香りに満ちた紅茶が供され、茶菓子が卓へと並べられていく。

 そんな中、ルシオを連れてそっと席を立ったロサは、部屋の隅に置かれた椅子に腰かけて一部始終を見ていたイシドロに目配せをし、彼らを伴って応接間を出て行った。


「十数年ぶりの出番がこんなことになるなんて、驚いたでしょう」


 応接間を出たロサは、あの冷徹さを拭い去り、マナーハウスの管理人へ労いの言葉をかけていた。

 管理人はとんでもない、と人好きのする顔を横に振り「重要なお役目を全うできましたこと、誇らしく存じます」と胸を張った。

 ロサはそんな彼に笑みをこぼして、ルシオの背中に手をあてた。


「これからはこの子が新男爵よ。お披露目はまだ遠いけれど、よろしくね」

「畏まりました。お嬢様。男爵閣下……いえ、お嬢様ではなく、もう奥様とお呼びすべきでしょうか」

「ふふ、どちらでもいいわ」

「ではまだ、いましばし、お嬢様と」


 片眼を瞑って見せた管理人が、使用人たちの指示のためその場を辞すると、ロサはルシオとイシドロを連れて二階のバルコニーへと向かった。

 三月も末を迎え、若緑に花びらの色が多くみられる。風も少しずつ温かさが出てきたそこに立ち、ロサは大きな目を瞬かせているルシオに囁いた。


「領地を一望できる場所よ」

「……わあ……」


 先ほどまでの会議での無表情が嘘のように、表情を綻ばせたルシオがバルコニーの縁に手をかけて背を伸ばす。

 その後ろ姿を見守りつつ、ロサは傍らのイシドロに語りかけた。


「……四年後、改装の終わったここで結婚式を挙げたいと思うのだけれど、意見はありますか?」


 蝶ネクタイを抜き、襟元をラフに寛げさせながら、イシドロは笑みを浮かべて傍らを見下ろした。


「どうせもう、緻密な設計図が出来上がっているんだろうが」

「ないとはいいません」


 ク、と喉元で笑ったイシドロがその黒に際立つ白い顎先を掬いあげた。


「好きにしろ。その方が――――お前らしい」


 そして風景に夢中になっているルシオの背中を横目で確かめてから、二人の唇は重なったのだった。





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