13. 卒業
私とイシドロの最後の冬季休暇は、バルラガン家のカントリーハウスで過ごすことになりました。
もともと王都の主要な貴族たちは夏場の議会が終われば避暑地へ、秋が迫れば自領へと移っていくものですが、バルラガン侯爵はアカデミーに通う二人の息子のため、その冬季休暇が始まるまでは王都に留まることを例年選んでいるそうです。
私はというとただの居候ですし、カントリーハウスで催されるだろう様々な娯楽に付き合うだけの衣装の用意もないため当初はルシオたちと一緒に、離れへ残ろうとしていたのですが。
「そうおっしゃると思って、注文しておいたのよ」
という侯爵夫人のサプライズプレゼント、もとい冬用ドレスの山で、断り文句が無効化されました。
多分、私が残るといえばイシドロも残ると言い出すのを見越していたのでしょう。採寸は夏場、まだ名もなき朗読手として居座ってた頃に済ませてありましたし。
「うちは男の子ばかりでしょう?娘が出来ると思ってつい注文する手が止まらなくなってしまって……受け取ってくれたらうれしいわ」
などと遠慮がちに言われて、結構です、といえる居候がいるでしょうか。
それに侯爵夫人の選んでくださったドレスはさすがのセンスで、お披露目に数着着て見せたところ、カントリーハウス行きが決定してから不機嫌だったイシドロの表情を緩めさせるほどだったのです。
ルシオの服まで新調していただいて、完全に居残り理由を封殺された私たちはバルラガン家の馬車に揺られて、恐らく最初で最後だろうそのカントリーハウス、バルラガン家領地へと足を踏み入れたのでした。
カントリーハウスに集結していたバルラガン侯爵家所縁の家の人々は、当初突然くっ付いてきた小娘と少年に驚いた様子でしたが、夫人による「事情がありお預かりしている家の令嬢と令息で、令嬢はイシドロの婚約者である」という説明をそれなりに驚きつつも、わりとすんなり受け入れてくれました。ただし、私が名乗った途端「あの二十億グローの!?」という驚愕の方が勝ってしまったらしく、同じ年ごろの令嬢たちからは恐れをなしたように距離を置かれてしまいましたが。
一方で利発で礼儀正しいルシオは紳士たちに気に入られ、もみくちゃにされながら早速狐狩りや雉狩りといった紳士のスポーツに連れ出されていました。
私は乗馬の心得がないので、イシドロが引いてくれる馬に乗ってその様子を見守るだけでしたが、これはイシドロにルシオを任せた方がいいと思い下馬。事故で痛めた肩のギプスがまだとれないテオドロと一緒に、私と同じ乗馬と縁遠いマダム・セルダやお嬢さん方とテントに入ってはにこやかな歓談に花を咲かせてみました。
頬を薔薇色に染めたルシオが駆け戻ってきて戦果を報告してくれるまで、テオドロがお嬢さん方にせがまれて語る事故の詳細と引きつった笑みに相槌を打つのは、それなりに楽しいゲームでしたね。
他にもアイス・スケートや令嬢令息たちが古典の寸劇をする素人演劇など、大貴族らしい華やかな娯楽を楽しみながら、私は自分の――シルベストレ男爵家の所領がどうなっているかを考えていました。
マナーハウスにはもう随分帰っていません。イシドロの送り込んでる "目" の報告からしても、いまの父たちにまともな管理は期待できないでしょう。
早く『名前貸し』が動いてくれれば、こちらもやり様があるのですが。
「――――義姉さま、今日はビリヤードのルールを教えてもらいました」
「まあ、そう。楽しかった?」
「はい!まだ僕が持つにはキューが……ボールを打つ棒が大きかったんですが、大きくなったら僕もイシドロ義兄さまみたいに打ってみたいです!」
イシドロもすっかりルシオの兄代わりが板についてきて、悪乗りした大人たちに "悪い遊び" を仕込まれないよう目を光らせるのがお決まりになりましたね。
「それで……ふぁ……」
「ふふ、続きはまた明日きくわ。今日はもうおやすみなさい」
「まだ眠くありません……」
「眠くなくても、もう眠る時間よ。義兄さまみたいに大きくなりたいのでしょう?」
「はい……」
「じゃあしっかり眠らないとね、おやすみなさい。ルシオ」
「おやすみなさい……ロサ義姉さま……イシドロ義兄さま」
上掛けをしっかりかけ直して、ポンポン、と軽く叩くと、とろりと蕩けた青い瞳が白い瞼の向こうへと隠れていきました。それを見送って、私は部屋の隅の椅子でこちらを見ていたイシドロに軽く頷くと、ベッドの傍らから立ち上がりました。
暖炉の火は静かに部屋を暖めています。私たちはガウンの前を直してから、廊下に出ました。
しんしんと降り積もる雪が青白い陰影を落とす廊下はすっかり静まり返っています。
ぼんやり窓の外を眺めていると、不意に温かな手が私の手を掴んで、廊下を進みだしました。
「イシドロ?」
「……これが最後の冬季休暇だ」
「……ええ」
「だから、いまはしまっておけ」
「!」
いつのまにか、イシドロは私が黙っているときに何を考えているか、おおよそ伝わってしまうようになったようです。
私は、この冷たい季節の中へ永遠に奴らを放り込むことを考えていました。
けれどそれは、学生としての最後の季節を無駄にするようなもの。あとからでも、十二分にできること。
イシドロのいう通りです。今は少しだけ、この考えを眠らせておきましょう。春が来れば――――自然と、すべては動き出すのでしょうから。
「……少し太ったかしら」
「お前はもう少し肉を付けたほうがいい」
「こればかりはあてになりませんね、あなたも」
アカデミーにいるときは大食堂のビュッフェである程度自制をつけて食べていましたけれど、ここカントリーハウスで出てくる毎日のご馳走ラッシュときたら……!あっという間に侯爵夫人が贈ってくれたドレスの山がサイズアウトしそうで、少しばかり冷や汗がでました。
悠然と長椅子に座ってるイシドロだって地道にトレーニングして体を引き締めているの知ってますからね、私。
「お嬢様、お気になさるほどの差ではございませんよ」
「そう?マダムがそう言ってくれるのなら、そうなのかしら……」
私はいま、カントリーハウスの一室で侯爵家が王都から呼びつけた専属クチュリエールたちによる採寸を受けています。なんのためかというと、卒業パーティー用のドレスのためです。
こればかりは私が自腹で、と主張したのですが、侯爵夫人の「イシドロからのプレゼントだと思って頂戴?」という一言とイシドロの「俺が言うはずだった」という一言でこれまた流されてしまいました。たしかに、卒業パーティには深い仲の女性に男性がドレスを贈るなんていう伝統もありますが、面と向かって言われると何か面映ゆいものがあります。
あと、卒業後に私たちが住まう予定のタウンハウスは工房がメインの物件なので、そこまでドレスを詰め込んでおける場所はないのですが。まあ、そこはなんとかなるでしょう。多分。
「白の絹地に金のビーズで、野薔薇の刺繍を刺してほしいのよ」
「まあ、素敵ですわね……!でしたら白地の部分にも銀、いえいっそ白で薔薇の刺繍などいかがでしょう」
「素敵ね。それとリボンも金で、金の色は……これね、この満月みたいな色がいいわ」
「畏まりました。こちらの部位のレースはいかが致しましょう」
「ええと……これがいいわ」
「それでは――――」
「カナリアダイヤモンド」
「え?」
長椅子に座ったまま、黙って女たちのお喋りを聞いていたイシドロが、不意に口を開きました。
「野薔薇の中心には、カナリアダイヤモンドで意匠をつけろ」
「ちょ……イシドロ、それは」
「俺の贈るドレスだ。問題ないだろう?」
大ありだと思うんですが、お値段的に。
「す、素晴らしいですわ……!黄金の中にきらめくカナリアダイヤモンドの薔薇と白の薔薇に、たっぷりと重ねた金のリボン、白のキッドスキングローブ――――これはアクセサリーもゴールドで統一しなくては!」
「ああ、ブレスレットと、ネックレス……それにイヤリングはゴールドにするつもりだ。靴もな。それより、髪につけるコサージュも白薔薇に金のリボン、カナリアダイヤモンドで仕上げてくれ」
「畏まりました!」
興奮しきったクチュリエールと冷静ながら私に口をはさむすきを与えないイシドロの間で、どんどん話がまとまっていきます。なんだか私が想像していたものより、〇が一つ二つ増えた気がしないでもないのですが。
横目でイシドロを伺うと、口の端を持ち上げるあの満足そうな笑みが返ってきました。
これはもう、言われた通りにするしか私の道はなさそうです。
「……なんだかどっと疲れました」
「最後の機会なんだ。好きにさせろ」
「好きにする前に言う言葉ですね、それは」
あれから宝飾商人や靴屋までやってきて、ドレスの採寸だけと思ってた私は文字通りもみくちゃにされました。
結局一式で屋敷が一つ建ちそうなくらいの散財となったわけですが、イシドロが上機嫌なのでよしとするべきなのでしょうか。大貴族の感覚、わかりません。いえ、私も口座には二十数億が入っているんですけれど、使い道決まってますし。まだ全部搾り取ったわけでもないですし。
「まったく、イシドロぼっちゃまには驚かされます」
「……なんだそれは」
普段はまったくそんな素振りを見せないくせに、不意にどかんと爆弾を落としていくんですから。
イシドロの肩に頭を預けた私の髪を、彼の指が撫ぜていきます。ふと、その手が頬に添えられて、私の顔を上向かせました。
あ、これは、と思って私の瞼が降りかけた瞬間、部屋の扉が軽快にノックされました。
「義姉さま!もう入っていいですか?」
「――――え、ええ大丈夫よルシオ、いらっしゃい」
咄嗟に離れた私たちの間のスペースへ、足音も軽く駆けてきたルシオがちょこんと納まりました。イシドロが眉間を押さえていますが、まあこればかりは仕方がないことでしょう。
さすがのイシドロもルシオには強く出られないので、ルシオの午前中のお勉強についてあれこれと喋るのを大人しく聞いています。ああ、お勉強といえば、私たちも課題を片付けなくてはいけません。夏季休暇ほどの量はないにしても。
私たちの学生最後の冬季休暇は、こんな風に賑やかにすぎていきました。
新年を迎えた月も半ばになると、私たちの冬季休暇は終わりを迎えます。
バルラガン一家の皆さんもそれに合わせて王都にあるバルラガンハウスへ引き上げてきました。普通の貴族なら春先までカントリーハウスやマナーハウスで過ごすところを、なかなか忙しないスケジュールです。しかし「この忙しさもあと一、二年ね」と語る侯爵夫人のお顔を見る限り、本人たちはまんざらでもないのかもしれません。
さて新学期です。この時期になると最終学年はさらに明暗が分かれて、悠々と午後の時間を過ごしている集団と、阿鼻叫喚の集団に分かれてきます。
私たちはもちろん、この長い午後の時間を自由に過ごす組です。冬季休暇の課題提出も午前のうちに終わってますし、アカデミーの工房は今頃大混雑でしょうから個人的な研究もできません。
こうなってくるとやれることも限られてきます。すなわち、食堂でだらだらとお茶菓子を囲みながらの談笑です。
話題は大体進路か卒業パーティーの準備について。何度も話した内容ではありますが、もうそれぐらいしか話題がない、ということでもあります。
「ロサのドレス楽しみだなあ~リーダーのことだからなんかとんでもない飛び道具使ってきそ~~」
「飛び道具……ではありましたね、たしかに」
「え、なにそのもう知ってますっぽい発言」
「ふふ、私よりフアナはどうなんですか?パーティーなんて面倒、と言ってましたけど」
「パートナーはセフェリノに頼んだけど、ドレスについてはねぇ……家族がお祭り騒ぎでこっちの意見なんて無視だよ。無視」
「あらあら」
「うちは女が私だけだからさーみんな面白がってんの!ったく」
「フアナのドレスも期待できそうですね。ミレーラは、例の婚約者さんから……?」
「あ、ええ……パーティーにも出てくださると、仰ってたし。きっと、贈ってくださると、思うのだけど……」
おっと、何やら歯切れが悪い。ミレーラの実家ブランケル伯爵家は先代から旗色が悪く、今回ミレーラの婚姻でお相手の家から経済的な援助を取り付ける、という話だとか。
いわゆる政略結婚ですが、ミレーラ自身はお相手を憎からず思っている模様。
「そんなに心配なら、ロサに真実薬でも調合してもらったら?」
「!!い、いいの!その……あの方が、話し出してくださるのを待ってる時間……嫌いじゃないから……」
あらあら。赤くなってしまったミレーラにフアナが理解不能、という顔で首をかしげています。
「そっとしておきたまえ、アルバロ嬢。言わぬが花という言葉が世の中にはある」
「そういうルイは誰パートナーにするのさ?そろそろ教えてくれてもいいんじゃない?」
オルネラス君の一言に、フアナの矛先が変わりました。たしかに、オルネラス君のお相手についてはまだ誰も知らないようです。
「僕か。僕はアグアージョ嬢に申し込んだよ。了承ももらってる」
「ええ!!?アグアージョってあのアグアージョ!?」
「うちの学年にアグアージョという伯爵家が二つなければそのアグアージョ嬢だな」
「趣味わっる……あいつロサの陰口言ってたじゃん」
「シルベストレ嬢とのチーム作業を見ていなかったのか?本人もその件については反省していると言っていたし、なにより今の彼女は実に洗練された淑女だよ」
「えー……」
「ふふ、オルネラス君の言ってることは本当よフアナ。いまのアグアージョさんは素敵な淑女だわ」
「彼女、人を見る目も……確かみたいですしね……」
黙って紅茶を飲んでいたコンテスティ君の最後の一言がとどめになったのか、フアナは納得半分、という顔でクッキーを齧りました。
そんな悠長な日々もあっという間に過ぎて、いよいよ卒業査定試験の課題評価発表日となりました。
課題は最優秀賞から奨励賞までがリストアップされ、大階段の踊り場にある掲示板に貼りだされます。
そんな最終学年で混雑する階段の踊り場からチームメンバーと離れながら、私は思わず深いため息をついてしまいました。
「――――まさか、最優秀賞が二チーム入賞だなんて……」
「ま、うちもあっちも最高満点評価ときたら、そうなる、かあ」
「とるなら天辺と思っておりましたのに……」
「天辺ではあるな、一応」
「教授陣でも相当やりあった、という、噂……です……」
そこまでやりあったなら白黒つけていただきたかったというのが本音ですが、こればかりは致し方ありませんね。もう発表されてしまいましたし。
釈然としないものを抱えつつも、とりあえず食堂で簡単な打ち上げを済ませて、今度こそ卒課チームは解散となったのでした。
「でも、やっぱり最優秀賞がとりたかったんです」
「とっただろう」
「唯一のものを、です!」
特待生寄宿舎の談話室で長椅子の背もたれに身を預けながら、こちらを面白がるように見ているイシドロの胸板を叩いても、痛くもかゆくもないという顔をされるだけ。
はあ、余裕ですこと。たかが最優秀賞、というスタンスのチームリーダーさんはこれだから。
「何をそこまでムキになってるんだ、お前は」
「これは元から特待生のイシドロにはわかりません」
つん、と顔を背けても顎先をとられてすぐに向きを戻されます。
だって、特待生になって初めての全力実力勝負だったのに。
ここで唯一の最優秀賞をとったうえで任官のオファーを全部蹴ってやれば、それだけで十分なアピールになったでしょうに!
いろいろ言いたいことがありますが、どこまでも私を甘やかすだろうこの人に言ってもなんというか右から左へと受け流されておしまいな気がします。ああ、悔しいこと。
「もういいです」
「そういう顔には見えないがな」
クツクツと笑う声に唇が尖るのが自分でも分かります。わざと乱暴にその肩へ頭を預けたとき、ふと、暖炉前の長椅子――寮長を始めとするガウン組の皆さん――になにか暗雲が立ち込めているのが見えました。
「あれって……」
「触れてやるな」
特待生の寮長が入賞を逃したのも、史上初だろうからなと耳元で囁かれて、思わず二度見してしまいました。それは確かに、いろんな意味で史上初でしょう。
そしてあの寮長のリーダーシップを以てしてもどうしようもなかったのだろう恐らくの原因が脳裏に過ぎったのを、私は溜息で吹き消しました。
今朝も教室の隅で声高に投資がどうの利回りがどうのという話をしていたので、特に気にしてもいなかったのですが、実害を目にするとやはりお気の毒様、という気持ちにはなりますね。
さて、卒業査定試験の結果発表も終われば、あれだけ王都を冷え込ませていた雪と濃霧もどこかへ過ぎ去って、雲間を割って差した陽の光に、枝先の新芽が照らし出されます。
卒業のシーズンです。
アカデミーの卒業式典はまず午前中に制服を着た姿で、学長の式辞や表彰、在校生からの祝辞などを大講堂で受けるクローズドなものから始まります。それが終わると最終学年の生徒たちは退寮を完了させ――数日前に終えている生徒がほとんどですが――、王都にある実家のタウンハウス、あるいは仮住まいのホテルなどに移動し、夕刻から始まる卒業パーティーへのドレスアップに勤しみます。
「義姉さま……お綺麗です!」
「そう?ありがとう、ルシオ」
「本当に眩いばかりですわ、お嬢様」
「ありがとう、マダム・セルダ。なんだかそこまで言われると緊張してきてしまうわね……」
私はバルラガンハウスのメイドさんたちの手を借りて身支度を済ませると、抱きつこうとするルシオを止めるマダム・セルダにお礼を言いつつ、改めて鏡に映る自分の姿を確かめました。
最初この離れにやって来たときは少し煤けた夏用のワンピースで、髪もぼさぼさ、肌も何の手入れもされていなかったのに。
いまや香油で梳られた髪は緩やかに巻かれ、白と金を基調にしたこのドレスと同じコサージュで飾られて。白革のグローブの上には、金と貴石をあしらったブレスレットと扇を提げる繻子のストラップ。首元には金細工のネックレス。耳にも金と真珠のイヤリング。肌は香油入りのお湯とクリームで磨かれてしっとりつやつや。そこに今日は白粉と頬紅がのっています。
「……変われば変わるものね」
誰にも見向きもされなかった雑草令嬢も、装えばこんな風にもなる。
ああ、いいえ、一人だけ。雑草が名もなき雑草であったころから、見てくれていた人がいましたね。
「支度はできたか」
ノックの音と共に、扉の向こうから声がかかります。
「どうぞ」
開かれる扉の音、カツリとおろしたてだろう靴音も高く部屋に入ってきたイシドロが、衝立を片付けるメイドさん越しにこちらを見て息を呑むのが分かりました。
僅かな沈黙を挟んで、ようやく口を開いたかと思えば。
「……出席は見送るか」
「何を仰ってるんですか、もう……」
何のために財の暴力で人を装わせたのか、本末転倒なことを言い出すイシドロに思わず笑ってしまいました。そんなイシドロはといえば、シャツの清冽な白とジャケットの艶やかな黒が完璧なコントラストを生んでいます。彼の体へ完璧に沿うよう仕立てられたビスポークの逸品。イシドロ以外は着こなせない、彼の肉体美を損なうことなく、けれど格式も保っている姿。
ああ、いけません、いつまでも見つめ合っていたら、時間が無くなってしまいますね。
「完璧にエスコートしてくださるのでしょう?婚約者様」
「……お望みの通りに、我が婚約者」
やはり野薔薇の刺繍が施されたカシミアのショールを私にかけてくれたイシドロが、私がいつもお守りのように持っていたエメラルドのブローチでドレープを留めてくれました。
差し出された腕に自分の腕を滑りこませ、私も履きなれないヒールで粗相をしないように、ゆっくりと歩き出します。
馬車の前には、何故かバルラガン侯爵と侯爵夫人が待っていてくれました。
「楽しんでらしてね、ロサさん」
「ありがとうございます。侯爵夫人」
「お前の仕事は彼女の護衛だ。それだけを考えろ」
「言われるまでもない」
そんな会話を交わして、馬車に乗り込みます。向かうは王城。この日のためだけに解放される大ホールが卒業パーティーの舞台です。
クロークルームでショールを預け、再びイシドロの腕を取って大ホールへと向かうと、私たちの名前が侍従たちによって読み上げられました。
大ホールに入った瞬間走るどよめきも、イシドロへと注がれる女子たちの熱い視線も、全て心地よいくらいです。
「ロサ!」
給仕から飲み物を受け取っていたら、私たちを遠巻きにする人垣をかき分けるように、爽快な淡い青のドレス姿のご令嬢が現れました。彼女に引っ張られるように、見覚えのある小柄な令息も。
「……フアナ?」
「そうだよ!すごいすっごい似合ってるじゃん~~!さすがリーダー!会場で一番きらきらしてるよ!!」
「ありがとう……でもフアナこそ、そのブルーのドレス、すごく似合ってるわ」
「え?そう?あはは、ならよかったよ~全部家族に丸投げだったからさ」
あっけらかんと笑うフアナですが、きっとご家族は全身全霊で着飾らせようと苦心したのでしょう。彼女が軽やかに向きを変える度に、波打つドレープの優雅なこと。ドレスと同じ色の花のコサージュもとてもよく似合ってます。
「コンテスティ君、エスコートが大変そうね」
「アルバロさんについていくのが大変、という意味で、ですね……」
群がる連中には気づいていないので、というコンテスティ君の毒がこもった一言に、実にフアナらしいなと思いつつ会場を見渡していると、次第に顔見知りたちが集まってきました。
オルネラス君とアグアージョさん、グリンさんとハロペス氏。そしてミレーラと噂の婚約者殿も。
「……軍人だな」
額の上に大きな傷痕のある、無表情の婚約者殿の足運びをみるなり、イシドロが呟きました。なるほど、なかなかミレーラがお会いできないと言っていたのは、学生と軍人で時間がすれ違ってたからなんですね。
そんな風に大ホールが人で埋まるころ、トランペットの音と共に大ホール二階への注目が促され、姿を現した国王陛下へ全員が平服の礼を見せました。
国王陛下の挨拶は短く、今年の巣立ちにも栄えある未来があるように、と祈る言葉と乾杯の挨拶で締めくくられました。
『乾杯!』
ああ、けれど国王陛下。私にはその栄えある未来からつまみ出さなければいけないものがいるのです。掲げたグラス越しに、大ホールの隅で相変わらず自分のその先が解っていない顔を晒している愚か者を写した私は、そのグラスを一息で飲み干したのでした。
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