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雑草令嬢は野獣令息の腕のなか〜背徳契約から始まる復讐錬金術〜  作者: gen.


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12/16

12. 伝説





「――――どうなってるんだよ!レポート期日は今日までって言っただろ!?」


 そんな声が聞こえてくる時期になりましたか、と思いながら私はコンテスティ君とハロペス氏に送られて特待生寄宿舎(スカラーズハウス)への道を歩いていました。

 グリンさんはアグアージョさんの付き添い、もとい護衛で一般寮の女子棟へ帰ってもらってます。私は指輪の保管係なので、男子たちが護衛役を買って出てくれています。

 私たちのチームのレポート作成は実に順調なのですが、順調な分、日ごと洗練されていくアグアージョさんの魅力にとち狂った輩の発生率も上がっており、中々にフィジカルを使う日々を送っております。もとが美少女ですしね、彼女。

 さて、視点を現在に戻して、こんな人が行き交うところで叱られてるのはどこのだれかと思ったら。


「弛んでるぞベニート!」

「ごめんごめん、投資の話が盛り上がっちゃってさ……明日には持ってくるよ」

「またそれか……!いいか、冬季休暇まであと一週間もないんだぞ。明日は絶対忘れるな!」


 忘れると思いますよ。寮まで追いかけない限り。

 私は我らが寮長殿と、彼を始めとするチームメイトに取り囲まれながらもへらへら笑ってるカミロを一瞥して、小さく息をつきました。


「退いてくださる?」

「!ッ……!!」


 石畳の上を占拠している一団が、こちらを見てはっとした顔になり、左右に割れていきます。特に苦い顔になったのは寮長殿でしたが、私としては彼にはなんの思い入れもないのでスタスタと前を通り過ぎるだけです。


「バルラガンだけじゃなくて、他にも()()を始めたのか?平民らしく小賢しい生存戦略だな、ロサ」


 そのまま、口を閉じていれば良かったものを。

 男子二人に両脇を固められた私に対して口笛を吹きながら声をかけてきたカミロに、先に反応したのはハロペス氏でした。


「無礼な――――」

「いずれ平民落ちする、たかが男爵家の令嬢に子爵家の僕が礼を尽くす必要がどこにある?」


 そのたかが男爵家に縋りついて息をしているにしては、随分口が大きくなったものです。

 コンテスティ君が無詠唱魔法を実行しようとしたのを私は片手で制して、突然の展開へ目を見開いている寮長へと視線を移しました。


「この場の責任者はあなたですよね」

「ッ……ベニート、特待生の席を喪った途端礼節まで無くしたのか?シルベストレ嬢に謝罪するんだ」


 咳払いを挟んで、寮長がカミロに注意を飛ばしますが、カミロのへらへらした笑みが消えることはありませんし、謝罪をする気配など微塵もありません。

 仕方がないので、溜息交じりに私がカミロの方へ顔を向けました。


「タウンハウスと地代」

「……は?」

「差し押さえられていないのは誰のおかげか、よく考えることですね。それとあなたと私の間にはもう何の関係もないのですから、馴れ馴れしく呼ばないでいただけますか。ベニート氏」

「――――!このッ……」

「ベニート!いい加減にしろ!!」


 かっと顔を赤くしたカミロがこちらへ掴みかかろうとしたため、寮長、ハロペス氏、コンテスティ君が臨戦態勢に入りかけたその時でした。


「喧しい」


 何時の間にここまで来ていたのか。私たちの背後、というより頭上から降ってくる低い声に、カミロを含む全員の動きが止まります。

 特にカミロは、耳まで赤くしていた顔を器用にもざっと青ざめさせて、私に伸ばしかけていた手を引っ込めると数歩後退りました。

 寮長もまた、声の主の方へ目をやると苦い顔になりながらも、小さく息をつくのが分かりました。


「失せろ」


 イシドロの言葉は端的でした。私からその表情は見えませんが、さぞ獰猛な目つきになっていたのでしょう。ひくっと喉を引きつらせたカミロが、青を通り越し紙のように白くなった顔で慌てて石畳の道の外、枯れた芝生の上を駆けて行きました。


「……バルラガン」

「躾はちゃんとしておけ」


 寮長が浅く唇を噛むのを見つつ、私は足音と共に傍らを通り過ぎていくその背中を追うために、ハロペス氏とコンテスティ君へ目をやりました。


「二人とも、ありがとう」

「なんのことだか。では、また明日」

「……お疲れさまです」


 手短な別れの挨拶と共に、私は小走りに先を行く大きな背中を追い駆けたのでした。



 特待生寄宿舎(スカラーズハウス)は談話室から伸びる階段で男子棟と女子棟が分けられています。振り返ることなく男子棟への階段へ向かおうとする背中へ、私は飛びつくように抱きつきました。

 ぎょっとした顔をした他の生徒たちが、すぐ何も見なかったようにこちらへ背を向けます。賢明ですね。


「やきもちですか?」

「…………」


 足を止めたイシドロの胴体は厚みがあるので、とてもじゃないですが腕が回り切りません。それでも離さないまま背中に話しかける私の、鞄を持っていない左手の上に大きな手が重なります。


「……あいつらは」

「チームメイトです。コンテスティ君は解るでしょう?」


 最近はそうでもなくなったと思ってましたが、感情をため込む癖は相変わらずのようです。これは私が気にしておくところなのに、つい卒課にかまけてしまいました。


「あと五日ですよ。イシドロ」


 ぽんぽん、と彼の左手ごと、軽く胴を叩いて宥めます。

 そう、あと五日待てば冬季休暇。そうしたら、私たちはバルラガンハウスの離れに帰ることになるでしょう。いえ、もしかしたらカントリーハウスの方へお邪魔することになるのかもしれませんが。

 なんであれ、あと五日。だからもうすこし我慢してくださいね。

 そんな気持ちが伝わったのかは分かりませんが、私の手をぎゅっと一度強く掴んだイシドロの手が離れて行きました。私もそれに合わせて、彼を解放します。

 イシドロが細く、長いため息を吐くのが分かりました。


「長い」

「そういわずに――――それと」


 振り返ったイシドロが身をかがめたのを見て、私はそっとその肩を空の左手で押し留めます。


「また風紀が、と、怒られてしまいますよ」


 遅れて入ってきた寮長たちが視界の隅で顔を赤くしています。不満げに鼻を鳴らしたイシドロに笑って、その隙に彼のこめかみへ口づけを贈りました。


「さぁ行って。着替えたらここに戻ってきますから」


 そう言い残すと、私はイシドロの返事と、あと寮長の復活を待たずに女子棟への階段を駆け上りました。

 そして宣言通り、私服に着替えたイシドロと思う存分談話室の長椅子で時間をとって近頃の自分たちについて――お互いそれとなく卒課について探り合いながら――語り合ったのです。



 翌日――冬季休暇まであと四日――のボールルームで、私たちはアグアージョさんが外した『恋多き女王の指輪』を特別な封印が施された小箱の中にいれ、ようやく終わった観察記録期間に歓声を上げていました。


「お疲れ様でしたアグアージョさん!頭がふらつくとか、なにか後遺症のようなものは感じられますか?」

「いいえ、大丈夫ですわ。我ながらグリンさんを口説こうとしたのはいまだに信じられませんけれど……」

「ま、ここしばらくあんたの騎士やってたのは私だからね。謹んでご辞退させていただいたけど、光栄ではあったよ?」

「まっ……!」


 頬を赤くしたアグアージョさんは、洗脳段階までレポートしなくては意味がない、と言い張ってどんどん装着時間を長くしていったのですが、その効果というか結果はばっちり現れてました。ケラケラと笑うグリンさんに肩を叩かれ、両手を頬にあてる彼女の姿は、もう指輪なしでも立派な淑女そのものです。

 さらにはそんな彼女とお近づきになろうとする有象無象が、ボールルームのあちこちからこちらの様子を窺ってるのに、ハロペス氏が睨みを利かせているのでした。


「魔力反応……減衰……沈黙……指輪、機能停止……です」


 封印箱に入れられた指輪の魔力観測を終えたコンテスティ君が、自分のノートのグラフに最後の記録を書き加えました。

 これで私たちの卒業査問試験用のデータとレポートとアイテム、全てが揃ったことになります。


「あとはこれを一つのレポートにまとめ上げて、教授たちに提出できたら、今度こそ私たちの作業は完了ですね」

「あと四日かぁ……冬季休暇前までに仕上げたいよね」

「そればかりはこれからの頑張り次第だな」

「場所を移しましょうか。教室あたりが今は空いているんじゃなくて?」


 無関係者は入ってこれませんし、とさっくり周囲の有象無象を切り捨てるアグアージョさんの発言に皆笑いつつ、結局は彼女の提案通り、私たちの教室に移動してレポートのまとめ作業に入ることになりました。

 ボールルームから教室への道すがら、レポートの方針についてあれこれと相談しながら渡り廊下を歩いている時でした。

 ズン、と足元が揺れるような振動と、音を感じたのは。


『!?』


 チームメンバーや周囲を行き交っていた他の生徒たちの様子から察するに、これは私だけが感じたものではなさそうです。

 そのうち誰かが声を上げて、窓の外を指さしました。


「――――訓練場の方だ!」


 見れば、確かに訓練場の方からもうもうと煙が上がっています。ただ物が燃えるときの煙ではなく、土煙のようなものが。


「行ってみようぜ!」


 誰かが言い出し、誰かがそれに追従する、そんな流れの中で、私たちは、教室へ向かおうとしていた私たちは。私は。


「……あの、見てきてもいいですか?」


 チームメンバー全員の意外そうな視線を受けつつ、そっと手を挙げたのでした。



 結局行くなら皆で行こう、という話になり、私たちのチームは階段を下り外へと出ました。訓練場へ向かう生徒たちの流れの一部になりながら、逸る気持ちを押さえて訓練場の外縁へと向かうと、既にそこには私たちと同じような野次馬で人垣ができていました。

 人垣の向こうには薄れた土煙と、何やらでこぼことした小山のようなものが見えます。


「出遅れたね」


 グリンさんが惜しそうな声を出しながらつま先立ちしています。


「ハロペス氏、見えまして?」

「……ああ、ストーンゴーレムだ。また、ずいぶんと巨大な奴を作ったものだ」

「魔力感知……完全に停止を確認……あれを、倒したってこと、ですか」


 巨大な、石のモンスター。ストーンゴーレムなら巨石に紋様さえ刻めば召喚条件は整います。

 私が脳内に描いた可能性を裏付けるように、聞き覚えのある威勢のいい声が人垣の向こうから飛び出してきました。


「ほら散った散った!見世物じゃないよ!本番が観たけりゃ三日後に来な!」

「フアナ……」

「!ロサ~~!セフェリノもいるじゃん!!え、どしたの!?もしかして敵情視察!?だったり!?」


 散らした野次馬を文字通り飛び越えて、本格的な防具を装備したフアナが私の前に降り立ちました。額には汗、頬は紅潮し、見るからに激しい運動をこなした後ですが、彼女の笑顔と呼吸は全く乱れていません。


「視察というか、すごい大きな音と震動があったので、何事かと思って……」

「あ、そだったの?いやーアレが結構派手に倒れてくれちゃってさ」


 と、親指で指さした先、人垣が消えて露になったストーンゴーレムは、直立したらアカデミーの三階まで届きそうな巨大なモノでした。

 呆然とゴーレムを見ていた私の目が無意識に探したものに気づいたのでしょう。フアナがにんまりと笑うと、くるりとゴーレムの方を向きました。


「おーいリーダー!ロサが来てるよ~!!」

「!ちょっと、フアナ……!」

「いいのいいの、今日のテストはもう終わったから!」


 するとゴーレムの小山の上に、見慣れた、いえ顔こそ見慣れてはいるけれど、初めて見るシルエットの人影が現れたかと思うと、文字通り一足飛びでこちらへと跳躍してきました。

 降り立った瞬間の風に、吹き乱される髪を押さえるのも忘れて。


「イシドロ……」

「どうした。ロサ」


 フアナと同じ、本格的な金属の防具に剣を帯びたイシドロを、私はただ見上げていました。前髪を掻き上げてセットしているのもいつも通りですが、長い後ろ髪を今は一本に括っています。

 あの、なんていうか。その。


「いえ、あの、用があった、とかでは、なくてですね……大きな音がして、それで……」

「…………」


 言葉が上手くつむげません。それを処理する脳内の部分まで、別のことでいっぱいになってしまっていて。


「様子見に来たらリーダーがカッコよすぎたもんだから、見惚れちゃったんだってさ」

「ふ、フアナ!」


 正しいけど正しくない!


「へぇー、うちのリーダーにもあんな一面があったんだねえ」

「……教室ではもっと明け透けですのに」

「ほう、そうなのか」

「まあ……わりと……分かりやすく……」


 うちのチームメンバーたちまでなにやら笑み交じりの声が聞こえます。あ、なんでしょう。何か大事なものが喪われている気がします。そう、威厳というものが。

 フアナの発言に慌てる私の姿を無表情に見下ろしていたイシドロでしたが、不意に身をかがめたかと思うと。


「三日後昼明け、訓練場(ここ)に来い」

「!」


 いつもより低めた声で囁かれて、私の背筋が反射でびくんと震えました。それにクツクツとやはり低い声で笑うイシドロに、私は自分の顔が、きっと耳まで赤くなってるだろうことを感じながら思わず「イシドロ!」と声を上げてしまったのでした。



 イシドロたちの卒課テストを見た翌日、レポート作成のための集合場所になった教室では、カリカリとペンを走らせる音だけが満ちていました。

 レポートは方針に合わせて、各自のノートの内容の適当な部分をコラージュし作成した見本誌を、さらに清書担当分ごとに分割して、チームメンバー全員で清書にかかっているのですが。

 なんでしょう、こう……私の知らないうちに鬼気迫る雰囲気が生み出されているというか。

 集中して作業してくださるのはもちろん有り難いのですけれど、私たちのチームの周囲だけ何かオーラのようなものがでているような。


「……皆さん、少し休憩しましょうか?」

「休憩?あーあたし後でいいや」

「わたくしも」

「僕も……」

「私もだ」


 声をかけてみても、この調子。どんどん清書ページが仕上がってくるのは最終編集担当として有り難い限りですが、今日を含めて残りあと三日あるのに、この調子では途中で燃料切れを起こしてしまいそうです。

 チームメンバーのペース管理もリーダーのつとめ。ということで半分ほど清書ページが貯まったところで、私はぱん、と手を打ち鳴らしました。


「お疲れ様です。ここで一旦休憩を取ります。食堂に行きますよ」

「えー?」

「決定事項です」


 若干不満顔のメンバーをせかして席を立たせると、清書されたてのページたちをくるくる回し乾かしていた風魔法が向きを変え、ページを一か所に集めます。

 私はその束をとんとんと整えて鞄に仕舞い、見本誌なども厳重に片づけさせると、一堂を連れて食堂へ向かったのでした。


「うあ、甘さがしみる……」

「本当に……」


 ココアを注文したのはどうやら正解だったようです。

 グリンさんとアグアージョさんが息をつく対面で、息を吹きかけながら無言で飲んでいるコンテスティ君と、頷きながら飲んでいるハロペス氏。


「集中力を使ったあとは甘いもの、特にココアなんかが有効ですから」

「あー、そういえば薬草学でそんなこと言ってたかも」


 私も濃厚なココアに息を吹きかけつつ、一口。甘さの中のほろ苦さと香ばしさ、微かな酸味がフル回転させていた脳に染み渡るようです。


「それにしても……皆さん、先ほどまでのあのハイペースはどうしたんです?あとは清書だけなのですから、もし終業式を超えてしまっても休暇明けで充分間に合う量ですのに」

「甘い。このココアより甘いねリーダー」

「ええ、まさかリーダーの口からそんな甘い考えが出てくるなんて思いませんでしたわ」


 あれ、なんでしょう。なにか責められてるような。


「三日後……いや、二日後は……あのチームの卒課提出がある……」

「あんなものを見せられて、提出速度まで遅れをとるなど、このシルベストレチームの矜持が許さんというわけだ」

「……ああ、なるほど」


 つまり皆さん、イシドロ達のチームの卒課テストを見て火がついてしまった、と。

 確かにあんなものを見せられたら、特級SSSクラスの討伐をしようとしてるチームがどこかなんて丸わかりですし。おまけに向こうは本番が見たいなら三日後、つまり終業式後に来いと堂々触れまわってるわけですから。


天辺(テッペン)とるのはあたしたちだって、教授たちにもよくよく解ってもらわなくちゃね」

「そうですとも」


 すっかり呼吸が合うようになってしまった女子たちの頼もしさといったら。


「あの……体力強化魔法、一つ二つじゃない……全身の筋肉、パーツに、ばらばらにかけてあった……」

「ああ、如何なる負荷も受け止められるように、かつもてる全力を出せるように工夫されていたな。ぜひ間近で見てみたい」


 男子たちはどうやらライバルの課題内容のほうに興味がいってるようですが。

 いずれにせよ、やる気がでているのはいいことです。惜しみなく、使わせてもらいましょう。


「……では皆さん、この一杯を飲み終えたら、特級SSクラスの錬成アイテムとレポートを最速で提出したチーム、という伝説を作りに参りましょうか」

『おー!』



 そんなやり取りをしたのが本日を入れて二日前。

 私は分厚いレポートを綴じた革ひもをギュッと縛り終えると、死屍累々といった様子で机に突っ伏しているメンバーたちへ声を掛けました。


「皆さん、お疲れさまでした。レポート、完成ですよ」

「あ゛~~……だめ、指がマヒしている~~……」

「も、もう、カトラリーも持てませんわ……」

「びりびり……ひりひり?」

「全力を出し切るとは、こういうことか……」


 四者四様の疲れ切った様子にくすくすと笑みをこぼしながら、私は教室の時計を確認しました。陽が落ちるのがすっかり早くなったので窓の外は暗いものの、この時間ならまだ教授たちは各執務室にいらっしゃるはず。


「それでは、どうします?今日中に提出して伝説になるか、明日朝いちばんに提出してタイになるか」

『!!』


 途端に、生気を取り戻したメンバーたちがガタリと音を立てて立ち上がります。


『今日中で!』

「はい、それでは行きましょうか」


 にっこり笑った私に連れられて、メンバーたちはそれぞれの鞄を引っ掴むと錬金術科目を担当するアリスリンジャ―教授の執務室へと向かったのでした。

 そして狙い通り、私たちはアカデミー史上最速で高難易度アイテムの錬成からレポートまでを作成したチームとして教授の絶賛を受けたのです。



 明けて、終業式の日の朝。

 私はイシドロと、夜半にうっすらと積もった雪と、その上に残る無数の足跡を踏みながら校舎へ、というかまず朝食をとるべく大食堂へ向かって歩いていました。


「余裕があるな」

「そう見えます?」

「ああ」


 それはそうでしょう。とまでは言いませんが、にっこり笑って見せた私に、イシドロもまた口の端を持ち上げて笑います。


「清々しい気持ちなのは確かですね」

「そうか。三日前に言ったことは」

「忘れてませんよ。特等席を用意しておいてください」

「いいだろう」


 私が鞄を持つ手を左に変えて、少し上にある大きな手のひらへ右手を滑りこませると、イシドロは目を細めてその手を握ってくれました。

 そんな私たちを抜かしていく人影があったかと思えば、十歩ほど先でフアナが振り返りました。そんな彼女を早歩きで追いかけてるのはコンテスティ君。


「おーいお二人さん、仲がいいのは結構だけど、そろそろ急いだほうがいいんじゃなーい!?」

「食堂の席……なくなりますよ……」

「ふ、フアナ待って……!きゃっ」

「大丈夫かブランケル嬢、足元には注意したまえ」


 ミレーラを危うげなく支えたオルネラス君たちも通り過ぎていきます。


「あーリーダーおはよー!」

「おはようございます、その、お二人とも……」

「おはよう、リーダー」

「おはようございます。皆さん」


 グリンさんやアグアージョさん、ハロペス氏も通り過ぎていき、私も挨拶を返しながら思いがけず賑やかな朝を迎えました。


「……ねえイシドロ」

「なんだ」

「……この生活も、あと少しなんですね」

「ああ。……楽しんでおけ」

「はい」


 つないだ手の力が少しだけ強くなるのを感じながら、私も遅れないように、一歩を踏み出すのでした。



 朝食が終われば、まずは各科目の授業、という名の休暇中の課題提示があり、それが終わると終業式というセレモニーを経て昼食をとった後、いよいよ生徒たちは解放されます。

 ここでかなりはっきり明暗が分かれるのが最終学年で、一学年や二学年の生徒たちが無邪気に帰途へつくのに対して、清々しい顔をしている一団あり、どんより暗雲を背負った一団あり、または言い争いが止まらない一団あり……と様々です。

 無論私たちは清々しい顔をしながら、颯爽と歩くグループの筆頭。遠くからベニートだのなんだの声が聞こえた気がしましたが気のせいでしょう。

 それより、今私たちが向かっているのは訓練場。少なくない生徒たちがつま先を同じ方へ向けていますから、自然と早歩きになります。

 だって特等席を約束してもらってるんですから、一番に着かないと。

 卒課のチームメンバー以外にも、フアナが出るということでいつもの勉強会メンバーも久々にそろってぞろぞろと向かった先、訓練場にはすでにロープが張られ、部外者の立ち入りを制限する区画が出来上がっていました。ロープ間際には呪文学や保健学の教授たちが揃っています。


「おい、あれなんだ……?」


 最前列をとった私たちの後ろから、当惑気味の声が上がります。

 それもそのはず。訓練場の長方形に区切られた最奥には、半ばで崩れた白い石柱がどんと置かれていたのです。

 本来訓練場にあるはずもないそれにざわめきが小さく広がっていきます。


「ストーンゴーレムじゃないのか?」

「ゴーレムならもう少し量が……」


 そのざわめきを掻き消すように、ロープを飛び越えて訓練場に入ってくる五名の人影。その中でも一際大きな背丈のあの人が、四名を引き連れて教授たちの方へとやってきます。


「おいバルラガンだぞ……!」

「アルバロもいるってことは……」


 その程度の情報は事前に把握しておいてほしいものですが、まあ良しとしましょう。

 どこか面倒そうな無表情だったイシドロが、こちらに気づいたのか目を細めるのが見えました。そして改めて教授たちに向き直ります。


「当該チームはこれより召喚モンスタースプリガンの討伐を実施。討伐担当者はイシドロ・デ・バルラガン、フアナ・デ・アルバロの二名。その際両名に体力付与及び補助の魔術を重ね掛けします。内容は事前に提出したレポートの通りです」


 淡々とした宣言に、事前に知らされていた教授陣以外からどよめきが上がります。


「スプリガン!?ゴーレムじゃなかったのか!?」

「お、おい、この距離で見てていいのか……?」

「それより召喚者(サモナー)は誰だよ!?」


 ああ、耳に心地いいこと。そうです。その通り驚愕と共に目に焼き付けなさい。

 私の唯一のライバル、愛しい人の為すことを。

 どよめきを無視するように踵を返したイシドロたち、フアナと肩を並べたイシドロの背後で、三名のチームメンバーが詠唱を始めます。イシドロ達の足元に浮かんだ魔法陣は、浮かんではすぐに消え、を繰り返しながら彼らの肉体に光を帯びさせ、やがて静かに消えて行きました。

 私の傍にいたグリンさんが目をこすりながら、光の消えた足元を見つめています。


「いま、いくつ重ねた……?十八までは数えたんだけど……」

「詠唱破棄した分も合わせて、四十八はかかってますね」

「四十八!?」


 そして、その体力付与及び補助魔術で三名はほぼ魔力を使い切っています。肩で息する彼らを振り返ることなく、石柱へと歩いていくイシドロが懐から何かを取り出し、たどり着いたその柱の上に置きました。


「あれは精霊鉱石……じゃあ、スプリガンを召喚するのは……!」


 アグアージョさんが信じられない、と言わんばかりの声を上げました。

 ええ、戦闘担当が召喚まで担当するなんて、前代未聞でしょう。

 イシドロは周囲の喧騒などまるで聞こえていないように、その手を石柱にあてました。


『 "目覚めろ。古の精霊よ。我の声、我が泉の一滴を以って手繰り来給え" 』


 途端、地鳴りのような音と共に地面が揺れ、石柱がまるで粘土のように形を変え始めました。イシドロが飛び退いた位置を踏みつぶさんばかりに、脚が、石柱と同じ素材で出来ているのだろう大剣を帯びた腕が、さらに古代の王のような冠を被った厳めしい頭部が。

 召喚者へ跪く形で現れた、特級SSSクラスの召喚モンスター、スプリガン。

 既にあちこちがひび割れていますが、その威容だけで歓声が上がります。


『 "汝の主が命ずる。標的を設定――――召喚者特権を破棄。進め" 』


 始まりました。特権を破棄したということは、自分も攻撃対象に含まれるということ。

 鉱石の目を光らせたスプリガンの咆哮が空気を震わせます。召喚者からの枷を解き放たれたスプリガンはもはやそこらのモンスターと大差ありません。

 万が一、最初に設定した標的を潰してしまえば、そこら中で暴れ出すことでしょう。

 まあ、そんなことは起こり得ないのですが。


「アルバロ!」

「はいよ!」


 標的に設定されているのだろうフアナが一瞬でスプリガンの眼前に現れました。

 スプリガンは迷わず、フアナ目掛けてその巨大な鈍器めいた剣を振り上げます。


「遅い遅い!」


 しかし、剣が頂点を指した瞬間、フアナは振り下ろされる剣とは反対方向からその巨躯へと跳躍し、肩まで一気に駆け上ります。半拍遅れて、地面の砕ける音と大剣が埋まる轟音が震動と共に響き渡りました。


「どうしたどうした?」


 消えた標的はどこかと頭を左右に振るスプリガンの肩の上を、フアナは危なげもなく跳躍しながら駆け回ります。ついに苛立ったスプリガンが、剣を持つのとは反対の腕で自身の肩を叩き始めましたが、その頃にはフアナは大地に埋まった剣の上に立っていました。


「ほら、こっちだ!」


 フアナの挑発に乗ったスプリガンが、巨大な拳骨を彼女に向かって振り下ろします。

 ですが、それも空振り――――いいえ、スプリガン自身の剣を握る手を叩き砕いてしましました。


「リーダー!」


 自らの右の拳を喪い、スプリガンが怒りの咆哮を上げます。痛覚はないと聞きますが、自分が弄ばれていることは解るのでしょう。フアナが立ったまま一部始終を見ていたイシドロの背後に下がります。駆け出したイシドロの抜き放った剣が、自分へ突進してくるスプリガンの脚の内側にあるひび割れを広げました。しかしいくら体力強化を受けているとはいえ、硬度に秀でたスプリガンの脚を斬り落とすまでにはいきません。


「こっちだ、こい」


 その斜め背後に立ったイシドロが挑発すると、スプリガンも標的目掛け再度身を捩じりながら拳を喪った右腕を突き出します。それをわずかな脚運びでかわし、再び背後を取ったイシドロが先ほどと同じひび割れに向かって剣を振いました。


「……まさか」


 ハロペス氏が愕然とした声を漏らしたのが聞こえました。ええ、きっと、そのまさかでしょう。

 ひび割れはさらに大きくなり、再びスプリガンの斜め背後を取ったイシドロが剣を振います。


「どうした、その程度か」


 その一言に、スプリガンの両腕が暴風のように振り回されます。何度も何度も、身を捩じりながら、イシドロの刃を受けて。

 そしてその度にひび割れは広がり――――終わりは唐突でした。暴れ続ける上体だけが、ゴキリと音を立てて太い脚の上から滑り落ちるように落下し、訓練場の地面に叩きつけられ土煙が上がったのです。

 それでも、スプリガンは痛覚がなく、石柱自体に精霊が宿ったモンスター。折れた両足はたたらを踏みながらも動きまわり、上半身は這いずってイシドロを追おうとしますが。


「ご苦労だった」


 上半身の、いえその頭部の上へ瞬時に移動したイシドロの声に反応し、上へと顔を上げたスプリガン。その煌めく両目、精霊鉱石の嵌ったそこを、イシドロの剣が一閃したのです。

 瞬間、スプリガンの咆哮、というより悲鳴が上がり、持ち上げられた両腕が失われた両目があった箇所を覆ったかと思うと――――そのまま、動きを停めて、ボロボロ崩れ去っていったのでした。

 崩れていく山から再び跳躍したイシドロは、一瞬で三人のチームメンバーが控える場所まで戻ってきました。フアナも。そして懐中時計を手にしたまま唖然としている教授陣に向かって、剣を納めながら口を開いたのです。


「制圧完了を宣言します」


 教授陣が反応するより早く、集まっていた野次馬たちからワッと歓声が上がりました。

 私はというと。ええ、やはり一刻も早く、こういうシーンを記録する道具を開発しなくてはと、そんなことばかりを考えていましたね。





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