10. 昇格
王立アカデミーの秋という季節がいつも駆け足で去って行くように感じるのは、この中間口頭試験があるせいだ、と言い出したのはフアナだったでしょうか。
確かに似たような試問形式のテストが連続するので、試問形式が苦手な生徒はそれに備えては迎え撃つ、を繰り返しているだけで季節などあっという間に過ぎ去っていくでしょう。
私は以前なら普段の成績との落差が目立たぬよう、適当に準備して適当に失敗するだけだったので、空いた時間に本当に読みたい研究書を読み耽ったり結構充実した時間を過ごしていたのですが。
「シルベスト嬢、あの……ここがよく解らなくて……」
「シルベストさん、あの地域の競合についてなんだが」
「ロサさん、ちょっとここから出題してくれないかしら……」
「ロサ~~~~!!」
という具合にいつもの勉強会グループメンバーの質問に答えていたり、実践形式の相手になったりしているうちに、あっという間に時間が過ぎていきました。ある意味これも充実した時間です。学友たちとわいわい過ごすというのが、私にはとても新鮮な体験だったので。
意外だったのはイシドロもなんだかんだグループメンバーの勉強に協力していたことでしょうか。
協力というか、私が別のメンバーにかかってる間、フアナに泣きつかれてあしらってるうちに他のメンバーも巻き込まれた、といった感じでしたが。
これもまた良い傾向だと思って私は放置しました。イシドロ自身の考えはともかく、彼の優秀さはもう少し周囲に還元されてもよいと思ったので。
そんな賑やかさの中で迎えた中間口頭試験。生徒は己で選んだ科目の出題範囲からランダムで選ばれる議題について、次々飛んでくる質問へ制限時間中、回答し続けなければいけません。それも他の生徒や、大勢の教授や専門家たちを前にしながら。
以前は制限時間中、心を無にして、晒し者になるのを耐える時間でした。
けど、いまはそんなことを考えなくていい。思う存分自分の知識で戦っていい。
それがこんなに爽快なことだなんて!
「ミス・シルベストレ。特殊指定宝飾品『恋多き女王の指輪』の効力と取り扱い危険度、錬成難易度を述べてください」
「はい教授。当該品は装着者の魅力を引き立て最終礼儀作法塾のように洗練された人物へ導く助言をしてくれます。しかしながら常に嵌め続けていると、次第に装着者は数多の人物を誘惑しはじめる洗脳性があるため、取り扱い危険度は特級Sクラス。錬成難易度は特級SSクラスです」
「よろしい。錬成難易度の根拠を述べなさい」
「当該品は大まかに分け三つの核で構成されていますが、そのいずれもがSクラス以上の素材であるためです」
「具体的にその三つの核とは?」
「二十カラット以上のブルーブラッドルビー、魔術回路を焼き込んだマジックゴールドインゴット、精霊石英純度百パーセントの珪砂です」
「よろしい。それぞれが当該品のどの部位を構成するか答えなさい」
「ブルーブラッドルビーは女王の王冠を、マジックゴールドインゴットは台座を、精霊石英の珪砂は女王の顔を焼き付けるエナメル素材です」
「あなたが挙げた三つの核にはSSSクラスの素材が含まれますが、その個数とクラス根拠を答えなさい」
「はい。SSS素材は一つだけ、ブルーブラッドルビーです。クラス根拠は本素材の錬成に採血から三日以内かつ七百ミリリットル以上の美男子の生き血を要求するためです」
「エクセレント!ミス・シルベストレ、私は怒っています。何故かわかりますか?あなたはいままで何故その深遠な知識を披露してこなかったのか!」
「光栄です。アリスリンジャー教授」
自身も大ぶりながらも洗練された魔法宝飾品で身を飾った初老の女教授は、私の答えに満足そうに頷くと退席してよろしい、と目で合図をくれました。
拍手を浴びながら清々しい気持ちで演台を降りると、同じ錬金術科目を選択したクラスメートたちが出迎えてくれました。中には卒業査定試験の制作を一緒にやらないか、なんていう気の早い人もいたりして、思わず笑ってしまいました。そればかりは教授たちがチーム決めをするのだから、約束なんてできないのに。
他の演台でも、次々と試問を終えた生徒たちが拍手とともに退席しています。中には他の科目の試問を傍聴するために移動する生徒たちもいるので、私もその流れにのって、そっと講堂を後にしたのでした。
「――――お疲れ~~!!」
フアナの音頭でカップを掲げた私たちは、乾杯の真似事をしてその紅茶を一服しました。
場所は中間口頭試験後の賑わう大食堂。その片隅に、もはや恒例となってしまった勉強会メンバーでのささやかな打ち上げが行われています。
「演台の上に立ったら頭真白になるかと思ったけれど、意外となんとかなるもんだね!」
「フアナのそれはこれまでの成果でしょう。その様子だと、上手くいったみたいですね」
「んふふふ、まーね!みんなのおかげ!」
胸を張るフアナの横では、薬草学のノートを広げたミレーラ・デ・ブランケル伯爵令嬢がほう、と溜息をついています。
「フアナさんのその自信を分けてほしいです……」
「いくらでも!というかミレーラも得意科目選んでるでしょ?何が不安なの?」
「答えは間違えてないと思うんですけど、もっとハキハキ喋れたら、と……」
「中間口頭試験は……そこも、加点要素ですもんね……」
ミレーラの溜息に同調するようにぼそぼそと呟いたのはセフェリノ・デ・コンテスティ子爵令息。彼は錬金術と数学が得意なので、私と同じく錬金術を試験科目に選んでいましたが、何分声が小さく引っ込み思案な方だったりするので、そこが減点されていないか気が気ではないようです。
「コンテスティくんはそこさえどうにかなればな。しかし先生方の反応は悪くなかったのではないか?」
「何を根拠に……オルネラス氏は別講堂だったでしょう……」
「そこを失敗していたら、君の首はいまより前に傾いてるだろうからな」
「あう」
オルネラス氏こと、ルイ・デ・オルネラス男爵令息にきっぱり言い切られたコンテスティ君は耳を赤くして紅茶のカップを持ち直しました。かくいうオルネラス君は外交官を目指していると明言してるだけあり、この手のテストは得意で何の心配もない、という風です。
彼の得意分野は語学と地政学。今回は地政学を取ったようですが。
「先生方の反応と言えば、バルラガンくんの詩の暗唱は大喝采だったな」
「まぁ、そうだったのですか?」
「ええ」
「ああ、あれはすごかったね!」
「……たまたま覚えてただけだ」
ぼそりと対面で呟いたイシドロの試問を、残念ながら私は別講堂でタイミングも悪く傍聴できませんでした。イシドロが選んだのは語学。なので異国の言葉での暗唱を求められたということらしいですが、うーん惜しいです。今度お願いして再現してもらいましょうか。
でもどちらかというと拍手喝采を浴びるイシドロの姿の方が見たかったかも。私は欲張りなので。
いつかそういう光景を撮っておける魔法道具を開発してみようかしら。
そんなことを考えつつ紅茶の残りを飲み干していると、隣のフアナが伸びをしながら「次はチーム分けかぁ」などと早速ぼやいています。
「気が早いですよ、フアナ」
「でもさ、この中間口頭試験の成績で最終的にチーム分けされちゃうわけでしょ?」
「ロサと一緒になれるといいなぁ」なんて、嬉しいことを言ってくれてますが。さすがにこればかりは運任せですね。
「本当。できるだけ……このグループで集まれたら、いいですね。みんな、得意分野がちがいますし」
「それは大いに同意だな」
ミレーラとオルネラス君もフアナに同意しつつ、食卓中央の焼き菓子に手を伸ばしてます。
みんなが言っているのは最終関門として名高い卒業査定試験のこと。この試験は単純な筆記ではなく、各クラスで成績バランスを見たチームを組まされ、代表科目の研究成果を一つ以上提出しなくてはいけません。選んだ科目が錬金術なら、希少アイテムの錬成だったり、保健学だったら体力強化した上で召喚モンスターをどれだけ速攻で制圧できるかの実演だったりと、実に様々。
しかしチームメンバーが気の合う人間ばかりとは限らないですし、成績優秀者はかつての私とイシドロよろしく成績弱者と組まされがちなので、これは本当に天へ祈るしかありません。
とはいえ、この試験がストレートに進路へ関わってくるわけですから、みんな必死なのは同じです。
「私は保健学やりたいんだよねえ。体力強化魔術、がっちがちの味わってみたいし」
「フアナは士官学校志望ですものね」
「そうそう――――で、バルラガン君。君も士官学校を目指してみないか」
「興味ない」
「言うと思った!!勿体ない!どうせロサと一緒なんでしょ~~?そういやロサはどうするの、進路」
あら、思わぬところから水が向けられました。
「私は……市井におりて、錬金術師として働いてみようかと」
『えっ』
あら、あら。みんな――イシドロ以外――の声が重なります。
まあ、確かに、貴族として『働く』という選択肢は、宮廷任官などの高等職ならともかく、相当切羽詰まった人間がとる選択肢です。ましてや市井なんてもっての外。基本は領地から上がる地代をやりくりする経営者生活が貴族のというものですから。
「大学部いかないの!?教授たち顎外れるよ!?」
「ええ、やってみたいことがあって……実はもう、工房も抑えてあるんです」
「うそお……いや、でもロサらしいといえばらしいかも」
「ふふ――――そうだ。皆さん人に言えない悩みが出たときには、一回無料で相談に乗りますよ?」
「わー営業だー本気だ……」
こっそり作ってポケットに忍ばせておいたカードを、グループメンバーに配ります。ごく普通の、厚みのある上等なカードサイズの紙に私の名前をエンボスで刻印し、裏に工房の住所を書いただけの紅いカード。名前の周囲の装飾はもちろん手書きです。あまりに面倒だったので、このメンバー分しか作りませんでした。
「これ……在学中は、無効ですか……」
「早い。早いぞコンテスティくん。もう少し惜しめ」
そんなオルネラス君のツッコみにみんなが笑ってる間に、打ち上げの時間は過ぎてゆきました。
こんな楽しい生活も、あと残り半分かと思うと、さすがの私でも惜しむ気持ちが出てきます。
ですが、それ以上にやりたいこと――――いえ、やらねばいけないことが多すぎるので、こればかりは仕方がありません。ええ。
秋の彩りも落ち、寂しい枝ばかりが目立つようになった頃。中間口頭試験の成績発表が行われ、そして。
『ロサ・デ・シルベストレ 昨今の成績良好及び教授推薦により、本日付で下記特待生寄宿舎への早急な入寮、および一般寮棟からの退去を命ずる ……』
とうとうこの日がきたと、私は管理人の案内を受けながら少ない荷物の入った鞄を引っ張りつつ、特待生寄宿舎の階段を上りました。
最終学年の半分も過ぎて、と笑う声があったのも確かですが、そんなものは無邪気に喜んでくれる勉強会メンバーたちの声で掻き消されてしまいました。
遅すぎたと思わないといえば嘘になりますが、私は自分の本当の価値を証明できたことが、なによりも嬉しかったのです。
それに、特待生寄宿舎は全室が個室。これから私がやりたいことにこの上なく都合がいい環境です。
私は渡された真鍮の鍵を手に部屋へ入ると、まず鞄を置いて扉に閂をかけました。そして部屋の四隅に防音魔法をかけおえると、真新しいリネンの張られたベッドの上にぼすり、と背中を預けました。
「……ようやくだわ」
ようやく手に入れた――いえ、奪い返した、私に相応しい待遇。寒がりな誰かがストーブに火を入れているのか、私の部屋は少し暖かいくらいです。
私の部屋のストーブはまだ沈黙したまま、傍にある外套かけには何もかかってないハンガーが並んでいましたが、一つだけ。特待生であることを示す紋章刺繍いりのガウンが、私に着られるのを待ってそこにかかっていました。
こみ上げる笑みのままに寝返りを打ったところで、コツコツ、と窓を叩く小さな音が。
「――――まあ」
ガラス窓の向こうをノックする角ばったシルエットが、私の笑みを深めました。
「丁寧なご招待をありがとう」
「……遅かったな」
「支度に手間取ってしまって」
談話室で待つ、という破かれ三角折りされたノートの一ページの言葉通り。
悠然と談話室の長椅子に座るイシドロは、私の返事に満足そうに笑うと、隣を目で指しました。
私はクッションを隅にやって、当然の権利として、彼の隣に座ります。が、それを待ち構えていたかのように、談話室の別方向から声がかかりました。
「風紀を守ってくれ。特待生寄宿舎の品位が疑われる」
暖炉側の長椅子から立ち上がったのは、……名前は解りませんが、同じ最終学年のタイを締め、特待生のガウンを羽織った男子生徒。と、彼にくっついてきた数名が、私たちの座る長椅子を取り巻きました。
「入寮して早々か。校内ならいざ知らずこの寄宿舎の談話室で、婚約者でもない男女が……」
「情報が遅い」
「何?」
長くなりそうだった男子の口上を断ち切ったイシドロは、そちらを向いてすらいませんでした。
ただ、私の左手――――その薬指に嵌る金の蛇を指先で弄びながら、もう一方の手を私の方の後ろ、背もたれに回したのです。その瞳は、私のそれを捉えたまま。
「俺たちは婚約した。正式に」
「な……」
「品位を疑う行動ってのは――――事情も知らない婚約者同士の会話へ無遠慮に割り込んでくることだと思うが、早くも自己紹介か?寮長」
「ッ……!!」
ああ、この人寮長だったのですか。
私が横目で一瞥すると、かっと顔を赤くしたかの人物はずれてもいない眼鏡をかけ直すような仕草を見せつつ、それでも何かを言おうと口を開きました。
「風紀を……」
「守らせたいなら、一度でも俺に "勝って" から言うんだな」
それが最後でした。アカデミー、まして特待生寄宿舎では実力がすべて。彼はおそらく、総合成績でイシドロに勝ったことがないのでしょう。
レンズ越しでも解る、大いに歪められた顔は赤黒いまでに変色していましたが、結局それ以上の言葉はなく、彼はガウンを大げさに翻して元いた場所へと戻っていきました。お取り巻きも連れて、ぞろぞろと。
「手厳しいですね」
「手間を省いただけだ。これでお前も過ごしやすくなったろう」
たしかに、一人でいるときにあの寮長集団に絡まれていたら少し面倒だったかもしれません。
思わずくすくすと笑みをこぼしながら背もたれ、いいえ私思いな婚約者様の肩に頭を預けると、不意にイシドロが声を潜めました。
「お前の実家につけた "目" から報告があった」
「――――どのような?」
「『名前貸し』が出入りして小金が入ってるらしい」
「……なるほど、それで」
ふらふらと定まらなかった近頃のカミロが、またあの男子生徒グループとつるむようになったのはそう言うわけですか。
私の可愛い義弟をあんな目に遭わせてくれたからには、相応に上乗せを考えて居たのですけれど。
こちらを気にする素振りも引っ込めて堂々振舞るようになった理由が、少し解りました。
『名前貸し』とは近頃よく見られる困窮した貴族が行う商売の一つで、銀行などからの信用がまだ得られない新興企業の起ち上げ人が、企業名に箔を付けるため――そして銀行の融資や投資を取り付けるため――社長として何某男爵と名前だけを借り、その代わりに企業の利益の一部を支払う、というものです。
それだけなら大変簡単な仕事、というか商売に思われますが、この『名前貸し』、その八割は計画倒産を狙って融資や投資金を持ち去る詐欺だと言われております。
当然、企業が倒産したら銀行や投資家は責任者に返金を求めますが、その頃になれば発起人は雲の彼方。残された何某男爵にすべてが被さってくる、というわけです。
「どうする?」
「どう、とは?」
「お前が望むなら、蝿叩き程度わけもないが」
「……いいえ、放っておきましょう」
いまのカミロたちは、私がわざと見逃してあげた領地からの地代で細々と生活していたところに、小金が入って来て相当気が大きくなっているでしょう。
こちらの準備が整うまでは、精々勝手に穴を掘るなり泥船で航海なりしていてください。その方が、自分の掘った墓穴の深さや、泥船が溶けだした時の絶望が深くなるでしょうし。それに、いざ邪魔になっても『名前貸し』でシルベストレについた借金程度、私の個人財産から払えてしまえますから、計画に、大した問題もありません。
「腐臭に蝿が集るのは自然の摂理ですから」
私の答えに、イシドロはふ、と笑って額へ掠めるような口づけをくれました。
●
その部屋は扉を開ける前から、ぷぅんと臭っていた。
「っ少々……呑み過ぎでは、ありませんか?」
部屋の主はもはや椅子に座ることもせず、寝台の上で重ねたクッションを背もたれに杯を傾けていた。寝台脇の床――サイドチェストにはもはや乗り切らないのだ――には空になったシェリー酒の瓶が林立している。辛うじてカーテンが開いているのは、使用人が開けていったのだろう。
差し込む白い日差しに、季節が冬間近でよかった、とカミロは思った。これが夏場なら、甘い香りを嗅ぎつけた虫どもの巣窟になっていただろう。
そしてこの惨状を産み出した張本人――――ブラウリオ・シルベストレは落ちくぼんだ眼窩に納まった黄色く濁った眼でカミロを睥睨すると、手の中の杯をまた一息で飲み干した。
「酒ぐらい好きにさせろ」
ブラウリオは、既に寝たきりの病人ではなかった。アデラの逮捕後、病状は日に日に回復へと向かい、自由に歩けるようにまでなっていた、はずだったが。とうの本人が実の娘にほぼすべての財産を差し押さえられて以来、完全な無気力になっており、惰性のように入ってくる領地からの地代で生活の全てを賄っていた。実際に差配してるのはカミロやアデリナだったが。
そこへやって来た『名前貸し』の話も、ろくに聞かずサインしてしまったのだ。
カミロは当初、この傾き切った家を切り盛りしていた自分たちに相談もせず決定したブラウリオに憤慨していた。
「誰のおかげで、学費を賄えたと思っている」
「ッ…………」
だが、『名前貸し』で入ってくるようになった金額は、決して安いものではなかった。それこそカミロの母が親戚から工面した学費を返済し、使用人を雇い直して、貴族の体面をハリボテでも保てる程度の額ではあった。
すべては男爵という爵位のおかげ。そしてその爵位はまだ、目の前で酒にふくれた腹を掻くブラウリオのものなのだ。
自分が――――カミロ・シルベストレ男爵になれば、もっと『名前貸し』どもともうまく交渉できたのにと、カミロは大した根拠もなく信じていたが、ブラウリオは酒浸りになった以外は全くの健康そのもので、まだ当分カミロの代は訪れそうにない。
すべての計算が狂ってしまった。そう考えるカミロを、ブラウリオは再度睨みつけた。
「お前こそ、卒業認定は問題ないんだろうな」
「!無論です。僕たちの研究は……」
「中間口頭試験での成績さえよければ、お前が陣頭指揮をとれたものを、ベニート家の名誉挽回の機会は潰えたな」
カミロがこぶしを握った。握っただけでどうしようもできないのは、本人が一番よく知っている。
「お前はロサがいないとなにもできんッ!!」
それはあんただって同じだろうと叫び出したくても。
「もういい、下がれ。酒が不味くなる――――瓶を片付けさせろ!」
額縁を外された日焼け跡が残る壁紙の部屋に、怒鳴り声が響いた。
「――――カミロ、お父様にはお会いしたの?」
「酒瓶を片付けさせろだとさ。クソっ」
「また?スレマに今朝も言ったのに……まだやってないのね」
この家に、使用人を統率する執事はもういない。よってアデリナが女主人として指示しなければいけないのだが、十六の彼女はどうも新しい使用人たちに侮られている節がある。苛立ちながら金切声で怒鳴りつける以外の解決法を知らないのが、その一因だったが、アデリナ自身には気づきようもないことだった。
カミロが窓から見る中庭の向こうには、かつて立派な厩舎と防風林があったが、今はその骨組みの一部を残してただの瓦礫の山になっている。片づける費用が捻出できないので、そのままになっているのだ。その手前にある台所から煙は出ているが、かつてのようなカミロを満足させる食事が出てきたことはない。
「帰るよ」
「もう?昼食は食べていかないの?」
「卒業認定のチームの連中と相談があってさ」
街角で小金を出して外食した方がマシだという本音は隠し、アデリナの腕をすり抜ける。彼女はシルエットこそ流行に乗っているが、さして上等ともいえない仕立ての新しいドレスを着ていた。もとが美形なので成り立っているが、貴族の娘というよりそれを演じる女優の風情だ。
ここにいると息が詰まる。貴族という看板を背負わされて、ぜいぜい息をしているという現実が形になって動いているから。
それでも、ルシオの一件がこのまま露見しないまま卒業すれば、『名前貸し』の事業が上手くいけば、自分が爵位を継げば……
まだ、希望はある。あるのだ。
カミロは表で辻馬車を拾うといい、酒と埃の臭いがするようになった家から逃げ出した。
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