第58話 爽やかな朝
「映真、何してるんだ?」
風呂を出た俺は、リビングのソファの上で体操座りをしていた彼女に問いかけた。
彼女の手の平には、例の宝石。
放たれる穏やかな翠緑の輝きを、映真は優しい表情で見つめていた。
「……この宝石の光はきっと、俺の心とリンクしてるんだと思う」
目線を変えぬまま、映真は徐ろにそう呟く。
「映真の……心と?」
「うん。俺が生まれて以来、この宝石の光はずっと明滅を繰り返してた。思い返せば、輝きが激しい時はいつも、俺は悩んだり苦しんだりしていたのかもしれない。
でも今は……」
映真はそのまま宝石を目の高さまで上げ、笑みを浮かべた。
「こんなに安定して光るようになった。
相変わらず、この宝石が何なのかは分からないけど……この輝きを見ると、とても落ち着くような、そんな気がする」
「そっか……」
宝石の輝きは『分身の精神状態を示す』もの。
俺も、その大抵の予想はついていた。
そもそも、人間1人の分身を生み出せるような力を持つ宝石だ。分身の心と繋がっていても、なんら不思議ではない。
そして今、まっすぐな瞳をした映真の表情を見て、改めて俺はその想定が正しかったことを認識した。
「……良かったよ。映真がそう言ってくれるなら。
その……なんだ、以後は擦れ違いとか起きないように、本音はちゃんと言い合おう。
お互いに苦しむのは御免だ」
俺が顔を綻ばせてそう言うと、映真はなぜか苦笑を浮かべる。
「なんというか……思ったんだけどさ。
彼氏みたいだな、ムーブが」
「なんて発言してんだおい。そういうことは言わないお約束だろ。
せっかく良い雰囲気だったのに」
「えっ? 『良い雰囲気』って、もしかしてそういう……?!」
「……なるほど分かった。誤解が解けるまで徹底的に話し合うか? あ?」
俺が軽く映真を睨みつけると、彼女はくすくすと笑う。
「ごめんごめん、冗談だよ。つい調子に乗っちゃって。『片鳥 観己』を揶揄うのってなんか楽しいんだよなぁ」
「お前のメンタルは一体どうなってんだか……」
分身元の人間を揶揄って愉悦する映真のなかなかの狂人ぶりに呆れつつも、ここしばらくは大人しかった彼女が気兼ねなく軽口を叩けるようになったことに、俺はどこか嬉しさと安堵の感情を抱くのだった。
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翌朝の目覚めは、いつも以上に爽快だった。
快晴で尚且つ気温も比較的低かったから、というのも勿論だが……
俺の隣に居る映真の表情が、明らかに和やかだったからというのが大きいだろう。
軽い足取りで家の中を巡りながら支度を終えた彼女は、玄関で靴を履く俺の元に合流する。
「ふー、髪の手入れに手こずったよ。長い髪って本当に大変。男子は支度に時間が掛からなくて羨ましい限りで」
「まあ、俺は手入れに時間を掛けるような所が無いからな……って、それくらいお前も知ってるだろ。ま、男女関係なく、支度に時間掛ける人はとことん掛けるんじゃない?」
「木星 会長とか?」
「まさにな」
俺は我が校の生徒会長の姿を思い浮かべながら、扉を開けて外に出た。
俺が校内で木星を見かける時、彼の風体はいつも完璧に整っている。
すっきりとした短髪は歪みなくセットされているし、シャツやネクタイには皺一つ無い。肌の手入れも徹底されており、清潔感の塊といったところだ。
木星は立場上、人前に立つ機会が多いということを彼自身が最も理解しているからこそ、人一倍の努力であの身だしなみを保っているのだろう。
もう少し身なりに拘るべきかもしれない、と俺は意を強くし、通学路を進んで行く。
そこからは、整容の話になり、最近 オシャレ度が上がっている姉の話になり、対照的にいつまでも少年みたいな格好をしている妹の話になり……
としているうちに、俺たちは学校の正門前まで辿り着いた。
鏡高校の生徒が利用できる入り口は、この正門以外には無い。
この門をくぐり、生徒玄関までの数十メートルを雑談しながら歩く生徒の光景は、まさに鏡高校の代名詞だ。
そして今日は、先ほど話題に挙げていた木星が門前で挨拶運動を行なっていた。
「おっ、2人ともおはよう。今日も頑張ろうね」
いつも通りの爽やかな彼の挨拶に、俺と映真は「おはようございます」と笑顔で返す。
そしてそのまま俺たちは、学校の敷地内に足を踏み入れ、お洒落に舗装されたレンガの道を進んで行く。
普段は特に何も起きないこの道なのだが……
「……なんか、妙に視線が集まってるな」
周囲を歩く生徒の眼差しを感じ、俺はそう呟いた。
俺と映真のように男女2人で登校している生徒が珍しい……というのは確かに人の目を引く原因にはなるが、そんなこと今に限った話ではない。
最近はむしろ目立たなくなってきたところだ。
しかし、今日はやけに、『釘付け』という言葉が似合うような、そんな視線を感じていた。
「本当だ。みんなどうしたんだろう」
映真も不思議がって周囲を軽く見渡すと、直後、溌剌とした声が背後から聞こえてくる。
「え〜まちゃん! おはよっ!」
カナに抱きつかれた映真は、少し前傾によろめいた後、振り返って「おはよう」と笑いかける。
カナの前半身が完全に映真の背中に密着しているのが、俺としては気になるのだが……
当の映真はそういった身体接触にはもう慣れたらしく、全く動揺の見られない表情だった。
そんな映真は、カナの後方に居た万華に気づく。
「万華もおはよう」
すると、万華は何やら深刻そうな顔つきで、映真の元に歩み寄ってきた。
「……宝生さん さ……」
「ん? どうかした……?」
「なんかめっちゃ可愛いよ!」
ぱっと恍惚の表情に切り替わった万華に、映真は呆然とする。
「か、可愛い……?」
「うん。なんかこう、いつもより雰囲気が柔らかいというか、天使や女神みたいというか……
……彼氏でもできた?」
「んなわけないよ」
「あはっ、ごめんね。
宝生さんには片鳥くんしか居ないもんねそうだもんね」
後半の方が小声で早口だったので、映真は聞き取れずに「え?」と返す。
が、万華はそのまま
「テイウカ キョウノ カタドリクン ト タカラギサン ノ キョリカン ナンカヨクナイ? コノフタリノアイダニ ワッテハイッチャツタノガ チョット モウシワケナインダガ」
と何やら呪文のようにブツブツと呟いていた。
「えっ、何……?」
「……とりあえず先進むぞ」
女子2人に構い続けていると時間が溶けてしまうので、俺は映真を催促して再び歩き始める。
「そうだね。ほら、2人とも行くよ」
そう声を掛けて、映真は玄関を向く。
すると、彼女の耳に、カナはそっと顔を近づけた。
「良かった、映真ちゃんが元気そうで」
「……っ」
カナの囁きに、映真は少し目を見開いて……
カラオケでの一件を思い出し「ありがとう」と笑顔で返すと、カナは器用にウィンクをし、そのまま駆け足で進んで行く。
その様子を、木星は遠目から眺めていた。
(相変わらず仲が良さそうでなにより。
ただ……宝生さんだけ、いつもと雰囲気が違うような……。
……どこかで見たような、自然と惹きつけられる不思議な笑顔だなぁ)




