第57話 自分の思うままに
その帰り道は、1人で歩くどんな路地よりも長く、静かに感じられた。
擦れ違う人々の話し声、車の通る音、その全てが耳には届かない。
俺はただ、隣を歩く映真だけに意識を向けていた。
数分間、周囲の景色だけが変わっていく。
まるで俺と映真の周りだけ、時計の針が止まっているように感じられた。
静寂を破ろうと、俺は口を開く。
「……あのさ」「ねえ」
言葉が被り、俺と映真は顔を見合わせる。
その時、そこはかとなく儚い映真の表情が、俺の目に映った。
「……いいよ。映真から話して」
俺がそう言うと、映真は少し驚いたような表情をした後、すぐに前を向いて口を開く。
「……『今さら』って思うかもしれないけどさ……俺、やっぱり受け止められていなかったんだと思う。自分が『宝生 映真』になった、ってこと」
それは、初めて聞くような、少し震えた振り絞るような声だった。
そのまま映真は、無理やり作ったような笑みを浮かべる。
「本当に、今さらごめん。でもやっぱり、『分身になる』とか、『女子になる』とか、表面上では受け入れたつもりでも、どうしても本心では割り切れなかったままで……。
それでも俺は、観己にも、誰にも心配を掛けたくなくて、嘘を吐き続けてた。自分の心をも騙してた。でも本当は……
自分が一体『誰』なのか、ずっと悩んでた。
だって、俺の隣にはいつも、『片鳥 観己』が居たから。
観己が勉強をして、部活をして、友達と話して、学級委員の仕事に励んでいる時、ずっと俺は心のどこかで虚しかった。
きっと、自分の存在意義が分からなくなってんだと思う」
そこで、映真の言葉は止まった。
寂しさや哀しさという言葉だけでは表せない、複雑な表情だった。
俺は息を深く吸い、黙った映真に代えて口を開く。
「ありがとう、話してくれて」
「……」
「俺は……映真のことを理解しているつもりだった。
明るく振る舞う映真を見て、勝手に『映真はもう大丈夫だ』と妄信して、気に掛けようともしなかった。
でも、映真の言う通り。それは間違いだった。
だから俺は、もっと早く、映真の口から、映真の本心の言葉を聞くべきだった。
他人の心の中なんて、到底 分かるはずが無いんだから」
そう話していくうちに俺は、心のどこかに引っ掛かっていた蟠りのようなものが抜けていくような、そんな感覚を覚えた。
ようやく映真と言葉を交わせた、という、不思議な実感があった。
俺は、そのまま彼女の方を向く。
「それで……映真。まだ悩んでるんだろう? もし俺に出来ることがあれば、何か——」
「ううん、特に無いよ」
俺が尋ね終える前に、映真は首を横に振った。
思わず、俺は唖然とする。
「えっ……?」
「俺はね、ようやく自分の感情を言語化して、観己に伝えることができた。それだけで、本当にそれだけで、とても心が楽になったような、そんな強い感覚がある。
もちろん、まだ苦悩はあるよ。『女子として生活できるのか』とか、『正体がバレないように演技しないと』とか、『分身になって生きる意味があるのだろうか』とか、色々……。
でも、今、観己に話してみて気づけた。『そんなに大した悩みじゃないのかも』って。
観己と心を通わせてる今が、何よりも自分の心の支えになる、ってね」
そして映真は、少し駆け足で前へ進み、振り返って俺の顔を見る。
「俺は『宝生 映真』。それ以外の何者でもない、1人の女子高生。だから、自分の思うままに、自由に好きに生きることにする」
夕日が映真の顔を照らし、茜色の輝きを見せる。
俺の目の前に居たのは、今までに無いほど純粋な笑顔を浮かべた、ただ1人の緑髪の少女だった。
目を見張る俺は、息を呑み、ただひたすら彼女の眩しい瞳を見つめることしかできなかった。
「…………」
すると映真は、思い出しように声を上げる。
「あ、そうそう。俺から観己に頼みたいことが、1つだけあった。
観己も、自分の好きなように暮らしてほしい。俺への配慮なんて必要ない。だから、観己 自身の夢を追いかけて」
「俺の……夢……」
俺は心の奥を必死に探して、そして見つけた。
薄れていた熱意に、再び火が点く。
その火を消そうとする蟠りは、もう俺の中には無い。
映真の本心を聞くことができた。だから俺も、自分の望みを……。
「……分かった。
俺は必ず、鏡高校の生徒会長になる。
必ず、夢を叶えてみせる。
だからその第一歩として、体育祭は必ず優勝しよう。
一緒に頑張ろうな、映真」
「……もちろん!」
俺が伸ばした手を、彼女は微笑みながらしっかりと握り返した。




