第56話 映真と柳井の言葉
俺は、純の隣でゆっくりと口を開いた。
「…………映真の考えていることが、最近は全く分からない。
俺の知る映真と、現実の映真の言動に、大きな乖離が起きてる」
すると純は、俺の顔を覗き込む。
「でも、2人はまだ出会って一ヶ月ちょっとなんでしょ?」
「まあ、それはそうだけど……」
「なら、宝生さんの考えることなんて、分からなくて当然なんじゃないの?」
「…………」
違うんだよ純。
口から出そうになったその言葉を、俺は慌てて飲み込んだ。
映真は いとこ なんかじゃない。『片鳥 観己』の分身なんだ。
だから、俺は彼女のことを理解できて当たり前なはずなんだ……
(…………本当にそうなのか?)
俺の頭にふと、その疑問が浮かんだ。
……もしかしたら、俺が勝手な思い込みをしてる……だけなんじゃないのか?
俺は、本当に映真を理解できているのか?
一度でも、映真の口から彼女の心情を聞いたことがあるのか?
俺が生徒会長になるという夢に向き合えない理由は、それと関係しているんじゃないのか?
「…………」
純の顔を見た後、俺は改めて考え込んだ。
俺が今、映真に対してするべきことは……
「……そうだね。ありがとう、純」
俺は、そう小さく呟いた。
純は、それから詮索してこようとはしなかった。
彼にはそういう所があるからこそ、俺は映真のことを口にできたのだろう。
(俺はずっと、やるべきことから目を逸らし続けていたのかもしれない)
俺は1つ、決意を固めた。
ーーーーーーーーーー
生徒の影が見られなくなった一年生の教室棟を、柳井はポケットに手を突っ込みながら歩いていた。
(宝生さん、1人で教室に戻って委員の作業する、みたいなこと言ってたよな。
頼むから俺にも手伝わせてくれよぉ)
決して部活をサボりたいからとかそういうんじゃないからな、と柳井はブツブツと独り言を発しながら、 1年2組のホームルームに到着する。
柳井が廊下から窓を通して室内を覗くと……
そこには、奥の方に位置する映真の席に座っている、彼女の姿があった。
映真は右肘を机上に突き立て、その手を頭に当てている。
そのせいで、柳井からは彼女の表情が分からなかった。
(なんか手詰まってそうだな……。
よし、俺も援護に行こーっと)
そう決心し、柳井が教室後方の扉を開けた、その時だった。
「俺は……誰?!」
必死に抑えつけたような小さな映真の叫び声が、柳井の耳に届いた。
「……?」
柳井が呆然としている中、映真は慌てて振り返る。
「えっ?! や、柳井くん?! どうしたの?!」
「ど、どうしたもこうしたも、俺は宝生さんの仕事を手伝おうかと……」
そこで柳井の言葉は止まり、辺りが沈黙に包まれた。
(ま、まずい……もしかして、柳井にさっきの聞かれた……?)
軽いパニックに陥り、身動きが取れない映真。
彼女の元に、柳井は言葉を発さないまま一歩ずつ近づいて来る。
「あ、あの、私は、その……」
「一回 深呼吸してみろ」
「……えっ?」
「だから、深呼吸」
柳井に言われるがまま、映真は口を開いてゆっくりと空気を吸い込む。
そこで初めて、映真は自分が過呼吸気味になっていたことに気が付いた。
「はっ、はっ……」
「大丈夫か?」
「ま、まあ、うん……」
「分かった。大丈夫じゃないんだな」
「え?」
「だってそうだろ。いくら1人だけの教室とはいえ、周りに意識も向けずに叫んで過呼吸になるだなんて、絶対に大丈夫じゃない。強がったらダメだろ。
それに、最近の宝生さんは元気無さそうな感じだったし……」
至近距離で見据えてくる柳井に、映真は反論できない。
彼の言う通り。映真は大丈夫ではなかった。
ずっと息苦しかった。
それも、耐えられる程の小さな悩みや苦痛が、着実に映真のメンタルに傷を付け続けている。
でも、それについて柳井に話すのは……
「悩みは1人で抱えるもんじゃないぞ」
まるで映真の心を読んだように、柳井がそうきっぱりと告げた。
映真の脳裏に、昨日のカナの言葉が過ぎる。
——『1人で抱え込んじゃダメだよ?』
映真は、間を置いて口を開いた。
「……柳井くんは、観己についてどう思う?」
突然、彼の名が出てきて、柳井はきょとんとする。
「片鳥か? あいつはまあ……すげぇヤツだな。少なくとも俺と同じ人間とは思えねー。学年問わず色んな奴から好かれてるし、それでいて謙虚だし。
片鳥がどうかしたのか?」
映真は俯いた。
映真は『片鳥 観己』の分身。単なる分身。
だから、映真は自分の存在を見失ってしまっていた。
片鳥 観己にとって、映真にとって、周囲の人にとって、『宝生 映真』という人物は、一体 何なのだろう、と。
そして、その感情はどう柳井に伝えれば良いのだろう。
「……まあ、宝生さんの気持ちも分かるよ」
柳井のその呟きに、映真は顔を上げる。
彼はそのまま、窓から校庭を見渡した。
「片鳥は俺にとってただの同級生のはずなのに、俺はアイツをとてつもなく意識してる。勉強とか陸上とか、そういう話が出たら、真っ先に浮かぶのは片鳥の顔だし。
だから、もしも いとこ に片鳥みたいなやつが居たら、俺は相当な劣等感を抱くだろうな。『あんなすげぇヤツが親族なのに、俺はアイツの下位互換にもなれねーのか』って」
「……っ」
「でも、その考え方って間違ってると思うぞ」
「……?」
映真が目を見開くと、柳井は彼女の顔をじっと見つめる。
「だって、片鳥は『片鳥』で、俺は『俺』じゃん。もしも血がどれだけ似通ってても、例え双子だったとしても、みんな違いが存在するのは当たり前だろ? だって、それぞれ独立した異なる人間なんだからさ。
宝生さんが実際にどんな悩みを持ってるのか、それをどうやったら解決できるのか、俺には分からねーけど、これだけは言える。
宝生さんは『宝生さん』。誰とも違う、世界にただ1人しか居ない存在。だから、自分らしく好き勝手にやってけばいいんじゃねえの? って」
「…………」
「……やべっ。なんかめっちゃ恥ずいこと口走った気がする……
とてつもない羞恥心がっ……!」
頬を赤らめた柳井は、右腕で口元を隠して目線をずらす。
映真はそんな彼を呆然と眺めた後……
気が緩んだように小さく笑った。
「ははっ、確かに共感性羞恥、凄いかも」
「な、なんかすまん……」
「いいよ、ありがとう。お陰でなんか元気になった。
柳井くん、たまには良いこと言うじゃん」
「た、『たまには』……?」
柳井が赤い顔で眉をひそめる中、映真は続ける。
「私の方こそごめんね、変に心配かけちゃって。
『委員の作業がある』っていうのも嘘。柳井くんが来なかったら、私たぶん1人でずっと考え込んでたよ。
でも、柳井くんのお陰でもうじき解決できそう。
さっ、荷物片付けて教室を出よ?」
そして映真は笑顔のまま、席から立ち上がった。
(ありがとう。カナと柳井が俺の目を覚ましてくれた。
必ず、観己に会って話をしないといけない)
そう考える映真の後ろを、柳井は困惑しながらついて行く。
(なんか宝生さんの役に立てたみたいで良かったけど……
宝生さん、最初に自分のこと『俺』って言ってなかったか? もしそうだったとして……
……もしそうだったとして、なんだろう?)
柳井は、軽く首を捻るのだった。




