第54話 分身とは何か
「映真ちゃんもさ……もしかして……演技、してる?」
カナから飛び出した予想外の言葉に、映真は動きを止めた。
(……『演技』……? 演技ってなんのこと?
まさか、俺が『女子の演技』をしてると、カナに勘付かれた?
いや、だとしたら『映真ちゃんも』って言ってたのは一体……?)
抽象的なカナの発言の意図が分からず、映真は急いで思考を巡らせた。
焦る映真が言葉を返せずに居ると、カナは続ける。
「あ、その、ごめんね。変なこと言っちゃったよね。
ただ、映真ちゃんの雰囲気が、昔のウチに少し似てたような気がして……。それで少し気にかかっただけだから」
「……?」
どこか寂しさや悲しさを含んだような表情のカナに、映真は首を傾げた。
普段から和やかなカナがここまで重い雰囲気を纏う所を、彼女と初めて会った時から一度も見たことがない。
カナが何を考えているのか、映真は全く想像がつかなかった。
「……カナの言う『演技』って何? 私は、昔のカナに似てるの?」
映真がカナの言葉の意味を問いかけると、場が静寂に包まれる。
カナはゆっくりと口を開いた。
「ウチにはね、双子の弟がいるの。
でも小さい時に、とある理由で、ウチらいじめられちゃってさ。
弟は心の傷があまり癒えなかったみたいで、それから滅多に家の外に出ないようになっちゃって。
弟はもう1人のウチみたいなものだったから、ウチは弟がまた学校に行けるように、明るくてポジティブな姉を演じてた。偽の表情を作って、自分を守ってた」
淡々と話すカナは今までの彼女とは別人のようで、映真は呆然とする。
カナに双子の弟が居ることですら初耳だったのに、いじめられた経験まであるというのは意外だった。
映真の固まった表情を見たカナは、いつもの笑みを浮かべる。
「もちろん、ウチの方はもう立ち直ってるよ。演じてるつもりはないし、いつものウチは普通に素だから。今はただ、ずっと弟の回復を待ってるだけ。
……って、ごめんね、こんな長話をしちゃって。実は、この話をしたのは映真ちゃんが初めて。なんでだろう。映真ちゃんを見ると、なんか昔のウチを見てるような気がするんだよね……。
だから、もし何か無理してるなら、1人で抱え込んじゃダメだよ?」
「わ、私は……」
そこで、映真の言葉が詰まった。
いつもなら、『大丈夫だよ』くらいすぐに言っていた。
ただ、今は違った。
カナの話が、どこか映真に通ずるものがあったからだ。
(俺がうっすらと感じていたこの苦しさは、『演技』から来るもの……?)
映真はもう一度、己の本心に意識を向ける。
と、その時……
「お二方とも、何の話をしていらっしゃるのですか?」
小枝が女子トイレに入って来たことで、映真とカナは同時に振り返った。
「え、えっと……」
「女子同士の他愛ない雑談だよ〜」
すっかりいつもの調子に戻っているカナは、両手を広げながら小枝に微笑みかけた。
「そうですか……そうそう、早く戻った方が良いかと思いますよ。柳井君が既に歌い始めていらっしゃったので」
「えっ、もう始めてんの!? 映真ちゃん、早く戻ってあいつの歌 聞こ!」
「えっ……」
カナの手に引かれるがまま、映真はそのままトイレを後にした。
ーーーーーーーーーー
「みんなぁ。もう夕方の5時だよぉ」
ちらりとスマホの画面を覗いた万華が、ソファの背もたれに寄りかかりながら時間を告げた。
マイクを握る柳井は、慌てて聞き返す。
「えっ、もう5時間も経ったのか?!」
「そうみたい。さすがに歌い過ぎて疲れたぁ。もうくったくた」
だらしない格好のまま、万華はそう言って溜め息を吐く。
12時から始まった打ち上げだったが、気付けば今は夕方。
1人につき数曲どころじゃないくらい沢山 歌ったので、全員のスタミナが切れ始めてきた所だった。
「じゃあそろそろ解散しよっか」というカナの声掛けに全員が賛同し、荷物を片付けて個室を去る。
そして会計が終わり、俺たちは店の外に出た。
「みんなで遊べてよかった〜」
「んじゃ、また明日ね!」
「バイバイ」「さようなら」
「体育祭練習 頑張ろうな!」
それぞれが別れを告げ、別々の帰路へと着き……
最終的に、俺の隣を歩いているのは映真だけになった。
眩しい夕日に目を細めながら、俺は呟く。
「まさか5時間もカラオケに居ることになるとは思わなかったけど、なんだかんだで楽しかったな。
俺もなんとか歌えたし、アップルパイも美味しかったし、普段は聞けない人の歌も聞けたし。特に、純とか小枝とかは…………どうした? 映真」
横を歩く映真が浮かない表情をしていたので、俺は言葉を止めて彼女に問いかけた。
「えっ、あ、ごめん。ちょっと考え事をしてた」
そう言って笑う映真。
彼女の表情を見て、俺は数時間前のことを思い出す。
「そっか。
……そういえばお前さ、カナに昼食を分けないか聞かれた時に、『辛い物が苦手』って答えてただろ。あれ、なんでそう答えたんだ?」
「あー、あれ。あれは、良い返しが頭に浮かんでこなかったから、咄嗟に出てきた言葉を言っただけ。まあ、お陰でそれっぽいキャラ付けになったし。
それがどうかしたか?」
「いや……別にどうにも」
俺は小さくそう返して、再び前を向いた。
その時、何が俺の腑に落ちていないのか、それがはっきりと分かった。
(……映真の考えていることが分からない)
映真は俺の分身だ。
それこそ映真が生まれてから一ヶ月くらいは、俺は彼女の考えなんて手に取るように分かっていた。
しかし、ここ最近は違う。
映真の心理が全く読めない。
彼女の言動を予想外に感じることが多くなっている。
俺は『理解』ではなく『思い込み』で彼女の心情を推し量っている。
会話の中にも、今までは無かったような『問い』が増えている。
映真はあくまでも他人なのだから、それらの現象は至って普通のことなのかもしれない。
だが、俺の中で何か、漠然とした不安や焦燥感が湧き上がっていることが、たまらなく心地悪くて仕方なかった。
改めて『分身』というものがどのようなものなのか、俺は次第に分からなくなってきた。
ーーーーーーーーーー
自宅の寝室。
同居人が寝息を立てている側で、映真は真っ暗な天井を見上げながら布団に横たわっていた。
カラオケのトイレで見たカナの言葉や表情が、映真の脳に焼きついて消えていなかった。
(『演技』……か……)
映真は『宝生 映真』という役を演じている。
自分の正体を隠すために、明るく優しく真面目な女子の役を。
でも、それだけではない。
心を空にして、深く考えて、ようやく気がついた。
(俺が最も演技をしている相手は……観己じゃないだろうか……)
彼には一番『素』を見せられる。
でも、彼には一番 心配をかけたくない。
彼のことは『分身』として割り切って接している。
でも、彼に対して劣等感を感じることがある。
自分は女子として生きることに覚悟を決めている。
でも、自分の存在意義が分からない。
そんな心情が絡み合った結果、自分でも何が何なのか分からなくなって、混乱して、
行き先不明で漠然とした『映真』という仮面を被ることで、自分の本心を包み隠している。
そして、その仮面を全面に見せている相手が、片鳥 観己なのではないのか。
映真はようやく、脳内で自分の状況をそう言語化することができた。
(『分身』も『性転換』も、初めこそ困惑すれど、時間とともに慣れるものだろうって、俺はそう思い込んでたんだけどな……。
俺はどうすれば良い?
観己にとって、俺は何者? 分身? きょうだい? 親友?
俺は、何になれば良い?)
そんな思考が頭を回ったまま、映真は月曜日の朝を迎えた。




