第46話 純の疑問/小枝と心配
純は、映真の机から床に落ちた一枚の紙を拾い上げた。
『物理 小テスト 宝生 映真 50点』
「……え……?」
純は目を疑ったが、すぐにこれが本物だと察する。
(宝生さんの小テストが……満点……?
学年でも数人居るかどうかのレベルのはずなのに……?
たまたま物理だけが得意なのか? それとも、まさか観己に並ぶほどの頭脳を……?)
映真の頭が良いことは、彼女と一緒に過ごす中で、純も分かっていた。
しかし、純の目の前に現れた『50』という具体的な数値は、彼の想像を優に超えていた。
数秒間 呆然としていた純だったが、とりあえずその紙を映真の机の中に戻す。
純の頭の中には、疑問が浮かんでいた。
(……宝生さんはこんなに頭が良いのに、学年1位の
観己がそれに一切の言及をしないのは何故?
さっき、宝生さんがテストの結果を秘密にしたのは何故?
単に個人情報を明かすのが恥ずかしいから? それとも他に何か理由が……?
……ただの違和感の段階だし、詮索するわけにもいかないかな)
そんな純の脳内を知る由も無い俺は、廊下まで映真を見送った後、振り返って教室の中に戻った。
「映真のやつ、まさか食中毒とかなんじゃ……いや、でもそれだったら俺も腹痛起こしてなきゃ変か。
……とりあえず、2人で清掃始めとく?」
「そうだね」
微笑んだ純と共に、俺は用意したホウキや布巾を使って掃除を始めた。
鏡高校はお金のある私立高校なので、清掃業者を雇い、毎週金曜日に校内の清掃をしてもらっている。
生徒が掃除をする時間は設けられていないが、大きなゴミなどは気付いた人が捨てるし、整理整頓の意識も高いので、教室がそこまで汚れることはない。
が……
「なんでこんなにきったないんだ」
新学期が始まったばかりでまだ夏休みの気分が抜けてないからなのか、体育祭が近づいて浮かれているからなのか、教室が汚いこと汚いこと。
俺が不平をこぼすと、純も苦笑いを浮かべる。
「よく『部屋の乱れは心の乱れ』って言うよね。皆んなの精神状態、あまり良くないんじゃない? 学級委員はどう思う?」
「流石に分かんないよ。俺は別に精神科医じゃないし。
まあ、教室を使ってるのは高校生なんだから、これくらい散らかるのもよくあることなんじゃない?」
「んじゃ、これも高校生なら普通のこと?」
そう言って純がくすくす笑いながら見せびらかしてきたのは、見るも無惨なしわくちゃのプリント。
氏名欄には、読みづらい字で『柳井』とあり、裏面には教師の似顔絵と思われるカオスなイラストが描いてあった。
「アイツ、またプリントをこんなザマに……。これ許されるの中学生までだろ。良い加減、鏡高校の生徒としての自覚を持ってほしいな……。
それ、どこにあったの?」
俺が呆れて質問すると、純はすぐ右下を指差す。
「ロッカーの下。多分、柳井のロッカーから転げ落ちたんだと思う」
「うわ、コイツのロッカーパンパンじゃん……」
こりゃあ成績伸びないに決まってるわ、と俺が呟くと、純は笑みを浮かべる。
「なんか、こういうの懐かしいな」
「懐かしい?」
「うん。中1の時はさ、2人で一緒にクラスの学級委員やってたでしょ? あの時も、よく放課後に残って教室の整理整頓をしてたな、って思って」
「そういや、そんなこともあったっけ……。
あ、いつだったかな、持ち込み禁止の漫画が赤城のロッカーから落ちてきて、それ読んでたら才木 先生に見つかって怒られたことあったよね」
「あー、俺たちが持って来たと誤解されたやつか。
才木 先生は怖かったからなぁ。誤解を解くのに苦労したよ」
「結局、赤城がこっぴどく怒られたもんな」
「自業自得だね」
2人で笑い合いながら作業を進めるうちに、教室も少しずつ綺麗になっていく。
やっぱり純と居ると、俺はどこか童心に帰れる気がする。こんな相手は、純の他にはほとんど居ない。
「そういやさ、あの時は……」
そのまま意気揚々と話を続けようとした所で、俺の言葉が止まった。
「……観己、どうかした?」
「いや…………
……あの時は『掃除残しがある』って先生に指摘されたこともあったしさ、今日は必ず綺麗にして帰ろうな」
俺は、純に笑顔を向けた。
ーーーーーーーーーー
「いてて……」
トイレに10分近く籠っていた映真は、トイレから出て来てからも、いまだ腹痛の余韻に苦しんでいた。
映真は廊下の壁にもたれ掛かり、左腕で腹部を押さえながら、右手でスマホを取り出し検索をする。
(……あー、やっぱり。『脂っこい食べ物は、腹痛を引き起こすおそれがあります』って書いてある……。天ぷらとカレーを一緒に食べたのは間違いだったか。
……ていうか、俺の消化器官が観己より弱いことが証明されたの、地味にがっかりなんだけど)
はぁ、と映真が溜め息を吐くと、遠くから足音が聞こえてくる。
ほとんどの生徒が帰った後の校内だったので、映真は自然と顔を上げた。
「あれ、小枝さん?」
そこに居たのは、1年5組の小枝だった。
「あら、宝生さんですか」
「まだ帰ってなかったんだね」
「ええ。いつもなら、下校時刻ぴったりに、家の者が鏡高校まで車で迎えに来て下さるのですが……どうやら道中で事故が発生し、その影響で渋滞に巻き込まれてしまったそうです。
少し前に、『15分ほど遅れる』と運転手から連絡がきました」
「それは災難だったね……」
「そうですね。
まあ、いくら不測の事態であるとはいえ、迎えが遅れているのは事実。後で不満を申し立てます」
「あ、あのイケメンの運転手に?」
「はい。彼は私の伯父です」
「えっ、そうなの」
あの人が小枝の3親等なのか、と映真は彼の顔を思い返しながら驚いた。
そんな映真の様子を、小枝は訝しげに観察する。
「宝生さんこそ、どうされたのですか? トイレの前を徘徊されて、どこか挙動不審なように見えますが」
「き、挙動不審?……うっ」
その時、映真は再び腹痛の余波に襲われてズキっと痛み、耐えるように少し前屈みになる。
小枝は「あー、なるほど」と呟き、肩に掛けていた鞄の中身をガサゴソと漁り始めた。
「はい、どうぞ」
彼女が映真に手渡したのは……
「……え、ナプキン?」
映真が呆然としていると、小枝は続ける。
「はい。ワタシが使ってるものです。高品質ですし、恐らくサイズも合うと思うので、是非 宝生さんに……」
小枝が手にしているのは、水色の袋に『生理用ナプキン』と書かれたもの。
そこで映真はようやく、小枝が勘違いをしていることに気付いて慌てた。
「あ、ご、ごめん、違うよ。別に私、あの日なんじゃなくて……」
「あら、そうなのですか?」
「うん、その……トイレに来たのは、ただの腹痛で……」
「そ、それは大変失礼致しました! ワタシ、てっきり……」
「ごめんね、ややこしい挙動とってて」
「いえいえ、宝生さんが謝ることではありませんよ。
それに、腹痛だというのでしたら……」
小枝はナプキンを鞄に戻し、再び鞄を漁り始める。
「どうぞ。こちらは『腹痛にも効く万能飲み薬』です」
「小枝さんって何でも持ってるね!?」
「心配性なお父様が、ワタシに様々な物を携帯させているのです」
「良いお父さんだこと」
片鳥家で最も心配性な希美でさえ、腹痛薬を常備していることはないな……と映真は感心しながら、両手を広げる。
「腹痛もだいぶ治まってきたから、薬は大丈夫だよ」
「本当ですか?」
「うん。親切にありがとう」
「困った時はお互い様ですからね」
微笑む小枝。
女子が予備のナプキンを持っているのは普通のことだとはいえ、小枝に気を遣わせてナプキンを出させた自分が恥ずかしいな……と、映真は少し気まずくなった。
「そ、そうだね」
映真が苦笑いを浮かべて返事をすると、小枝のスマホがブーッと鳴る。
小枝は、ゆっくりとその画面を覗き込んだ。
映真は問いかける。
「……もしかして、小枝さんの迎え?」
「はい、迎えが学校に着いたそうです。想定より早かったみたいですね」
「良かったね。じゃあ、また明日」
「ええ、さようなら」
手を振って廊下を進む小枝。
だったが、途中で足を止めて振り返った。
「……そういえば宝生さんは、片鳥くんとは仲がよろしいですよね」
「まあ、そうだね」
「片鳥くんに、何か悩みはあると思いますか?」
「……え、悩み?」
突然の質問を受け、映真は咄嗟に、観己の顔を思い浮かべた。
彼は、映真が居ようとも今まで通りに生活している。
陸上も順調だし、生徒会の手伝いもこなしている。
悩みがあるとしたら例の宝石に関することとかだろうが、それは小枝には言えない。
「……悩みなんて無いと思うけど」
「……そうですか。ありがとうございます」
そう残して去って行く小枝の後ろ姿を見て、映真は首を傾げた。




