↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

45/60

第44話 小さな認識の相違

「ただいま」


日が傾き、空が茜色に染まり始めた時間帯。

俺が帰宅して玄関に入ると、正前からトットッと足音が聞こえてきた。


「おかえり」


廊下を歩いて来たのは、エプロン姿の映真。

今日は、彼女に夕食を作ってもらっていたのだ。


(なんか新婚夫婦 感あるな)と俺が言葉に出すか迷っていると、映真が先に口を開いた。


「とりあえず、炊き込みご飯はもう炊き始めたよ。あとは、弁当に入れられる天ぷらやカレー用の材料も準備してある」


「サンキュー。助かる」


「んで、観己の方はちゃんと買えた?」


「もちろん」


そう答えて俺が突き出したのは、『sweetwins』というスイーツ店の店名が印字されたビニール袋。


俺が夕方遅くになって帰宅したのは、この袋の中身を買いに行っていたからだった。


袋の中から、俺はそのブツを取り出す。


「はい。これがかの有名な……『ホールアップルパイ』!」


「うおー!……って、ケーキ箱のせいでまだ中身見えないじゃん」


「まあまあ、そう早まるなって」


俺は映真を宥めながら、靴を片付け、ひとまず手を洗う。

ダイニングテーブルまで移動した後、その机上に白いケーキ箱を置き、そしてゆっくりと開いた。


「良い匂い……!」「美味しそー!」


箱の中から現れたのは、直径15cmほどの、網目模様のアップルパイ。

エアコンの効いた涼しい部屋の中で、ホワホワと柔らかい湯気が立ち上っている。


俺と映真は、口角を上げて目を輝かせた。


「これを2人だけで食えるとか最高か……!」

「予約しといて良かったよ!」


普段 俺が愛食しているのは、ホールサイズを4分の1にカットしてあるミニアップルパイ。

完成度が高く、この上ない贅沢品だ。


しかし、唯一の不満点があった。


それは、『焼き立て』を食べられないということ。


最も美味しい『焼き立て』を食べるには事前に予約をする必要があるのだが、予約を出来るのはホールサイズのみという制限がある。

1人暮らしをしていた夏休み以前の俺では、ホールサイズとなると流石に大き過ぎて、美味しく食べ切ることはできなかった。

そのため、どうしても焼き立てを手に入れられなかったのだ。


しかし、映真が居るとなると話は別。

2人でならホールサイズも食べられる。このメリットを活用しないわけにはいかない。


「よし、とりあえず食べよう!」


映真は手際よく小皿とフォークを取り出し、パイを半分に切り分ける。


そして俺たちは席に座って、「いただきます!」と手を合わせた。


一口かじってみれば、パイとリンゴとシナモンの調和が俺の口内を満たす。

「ん〜、至福!」


「毎日食べたいくらいだな」


「破産するって」


「まあ、両親からの仕送りを増やしてもらえれば余裕で……」


「おい」


「冗談だってば」


そう笑う映真の後ろ、窓の向こう側からは、ツクツクボウシとヒグラシの鳴き声が小さく聞こえてくる。


夏が終わり、少しずつだが日も短くなってきた。


夕焼けの風景も相まって、なんともしんみりとした雰囲気になるものだ。


その時、ふと俺は、昼休みの玲華の言葉を思い返した。


——『1人で抱え込まない方法を——』


俺はフォークを握る手を止め、映真の目を見る。


「あ、あのさぁ、映真……」


「ん? どうした?」


「その…………」


一瞬、俺は喉に何かが詰まったような感覚がした。

自分は何を言いたかったのだろう。何を言うべきなのだろう。

途端に、漠然として分からなくなる。


「……今日の体育祭運営委員会、どうだった?」


俺は、咄嗟に話題を変えた。


映真はどこか違和感を覚えたような表情をしたが、すぐに答える。


「委員会? まあ、基本の流れは想像通りだったよ。木星(きぼし) 会長から、体育祭当日までのおおまかな予定を教えてもらったくらい。

 委員としては、明日の朝に縦割り種目のアンケートをクラスに配布して、それ以降も頻繁に仕事が続く感じかな」


「なかなか大変そうだな」


「大変ではあるかもしれないけど、問題は無いよ。だって、俺は観己の分身。観己が求めるような仕事は、俺1人でも必ずこなせるから。

 だから、観己は学級委員の仕事に集中しなよ」


カラコンを外した映真の翠緑の瞳が、キラリと光る。


その目はまるで『心配されるようなことは何も無い』と訴えかけてくるようだった。


俺は息を呑む。

「……言われなくても分かってるよ、映真。


 ただ、自分が女子である自覚はしっかり待てよ」


「と言うと?」


「テンションが上がり過ぎて暴走したりするなよ、ってこと。無意識のうちに、周囲との距離感をミスったりしたら、困るのは映真だろうし」


「いやいや、それくらいはもう調整できるわ……」


軽口を叩くのも良い加減にしような、と呟く映真は、残り少なくなったパイを物惜しげに口に運んだ。



ーーーーーーーーーー



「ふぅ……」


夜8時を回って風呂に入った映真は、バスチェアに座って髪を洗い流していた。


1ヶ月前よりも確実に髪は伸びており、今は肩甲骨の下辺りまでの長さがある。


顔を上げれば、そこには鏡に映る映真の体。

この体は、妙に視線を吸引する力がある。

鏡が曇っていてよく見えないのが、映真にとっては救いだった。


(さっき、パイを食べていた時の観己……何か別のことを言おうとしてたような気もしたけど、よく分からなかったな。

 もしかして、学校で何かあったとか?

 ……そういえば、今日の昼休み、観己は生徒会室に行ってたっけ)


映真は泡立てネットで体を洗いながら、そのことを思い出した。


体育祭運営委員会を終えた映真が1年2組教室に戻った時、観己は不在だった。

本人に聞くまでもない。こういう時、観己は生徒会の手伝いをしている。


『生徒会長になる』というかねてからの夢の為だ。


(だけど……それは『観己』の夢。観己が居る以上、俺はどうしても生徒会長にはなれない。それは当然のことで、覆らない事実だ。それは、観己も理解しているはず。

 観己が学級委員としての仕事に励むなら、俺は俺なりに、体育祭運営委員として尽力をしないといけないな……)


その時、映真の手がピタリと動きを止めた。


(……『尽力』?

 ……なんの為に?

 俺はもう夢を叶えることはできないのに、俺が尽力する理由は何? そもそも、俺の今の夢は何?

 それに、俺は観己の分身。じゃあ、『俺なりに』ってなんだろうか? 俺が出来ることは観己にも出来る。むしろ俺には、女体化のせいで出来なくなったこともある。観己が居るなら、俺の存在意義は何?

 俺はどうすれば良い?

 俺は……弱い人間なのか?


 ……落ち着け。夜だから、ネガティブな思考回路になってるだけだ。毒されちゃいけない。

 それに、そういう虚無感や躊躇を無くす為に、俺は委員になったんだろ)


少なくとも、観己の前ではしっかりしないと。


そう胸に刻んだ映真は、一度 自分の頬を軽く手で叩き、シャワーを手に取った。



映真と観己との間に、かすかな認識の齟齬が生まれ始めた瞬間だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。