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第36話 映真はフレンドリーな女子

ドサッ。


午前の校内にて、背後で何かが落ちる音を耳にした映真は、先ほど廊下ですれ違った生徒の方を振り返る。


そこには化学の授業ファイルを抱えて歩く1人の男子がおり、彼と映真のちょうど間の床にはブックカバーのついた一冊の本が落ちていた。


「……ん? ねえ、これ高井くんの?」


「えっ?」


映真が声を掛けると、クラスメイトの彼——高井は慌てて振り返り、そして自分の手元に目を移す。


「あ、あれ、本、いつの間に落として……」


「はい、どうぞ」


映真が屈んでその本を拾い上げると、高井は眼鏡の裏で目を泳がせながら、ぎこちない挙動で本を受け取った。


「す、すみません、宝生さんに拾わせてしまって……」


「いいよ〜、これくらい。高井くん、手が塞がってたでしょ?」


「まあ、はい……」


「なら、拾ってあげるくらい普通のことだよ。

 それにほら、私って委員に立候補した身でしょ? もっとみんなと関わり持たなきゃなと思って」


(カナの口調を参考にして話すと意外としっくりくるな)と思いながら、映真が微笑んで高井の手元を見ると……先ほどの本のブックカバーが外れていることに気付いた。


「……? あ、その本って……」


「えっ、わっ、ちょ……!」


ばっ、と映真の視界から本を隠すように背を向けた高井だったが、既にその題名は映真の目に焼き付いていた。


『となりのかくざとう④』


3ヶ月ほど前に、妹の双葉が観己にめちゃくちゃ薦めたラノベだ。

確かこの本は……


(悶え死ぬほど糖度が高いラブコメ……だったはず……)


双葉があそこまで『面白いよほらほら』とうるさく言うものだから読んでみれば、登場キャラ達のあまりのイチャコラに脳を焼かれ、観己が絶叫してコーヒーをがぶ飲みしたというのは記憶に新しい話。


しかし今ではすっかりストーリーに惹かれてハマってしまい、新刊が出るのを待ち望んでいるというのは家族には内緒だ。


そう、つまり所謂いわゆる『隠れ趣味』である。


そんなラノベを、高井が愛読していると言うのだ。映真としての印象が若干変わるかもしれないが、ここで話を止めるわけにはいかない。


「私も読んだことあるよ。その本、とても面白いよね!」


前のめりになった映真が微笑むと、高井は面食らったような表情を見せた。


「えっ……し、知ってるんですか? この本……」


「もちろん! 私が好きなキャラは白神 雪かな。3巻の最後に、幼少期のトラウマを克服するシーンが良かったよね」


具体的な感想を挙げた映真をようやく信用してきたのか、高井の頬が段々と緩んでくる。


「……そ、そうですよね。あのシーンの前後は作中屈指の神展開だったと思います。雪のヒロイン力は最高ですし。

 でも、やっぱ僕の推しキャラは堂本君ですかね」


「えっ、主人公の?」


「ええ。ラブコメってやっぱり、主人公にも魅力がなきゃダメなんですよ。その点、雪の為だけに努力を重ね続ける堂本君は名主人公だと思って」


「あー、確かにそれも分かるかも」


うんうんと頷く映真。

そんな彼女を見て、高井はほっと溜め息を吐く。


「でも良かったです。僕がこういう恋愛ラノベ読んでて、宝生さんに何か思われるんじゃないかと心配でしたから……」


「そんなことないよ。人の趣味は自由なんだからさ。

 今度 新刊が出たらまたお話しようね!」


「え、あ、はい……」


映真が笑みを浮かべて顔をぐいっと高井の顔に近づけると、彼の頬がほんのりと赤くなる。


一方の映真は、(とはいえ人に趣味を明かすのは久しぶりだな……。にしても、俺ちょっと子供っぽ過ぎたかなぁ)などと考えながら、「授業準備してくるね」と言って廊下を進んでいった。


(宝生さんって……なんというか、親しみやすい人……だな……)


しばらく呆然と立っていた高井だったが、はっと我に返ってすぐに顔をぶんぶんと振り、早足で理科室を目指していった。



ーーーーーーーーーー



「うぅ……アシタ、タイカイ アル……」


ガクガクブルブル、という擬態語でも聞こえてきそうな勢いで震えながら、折りたたみ式ストレッチマットを抱えて校内の駐車場を歩く柳井。


彼が目指しているのは、夏休みの頃と比べて日が短くなった夕方の空と同じような赤色の車。陸上部顧問・手間本の愛車である。


「あー大会やだやだぁー」


「……一応聞くけど、柳井は体育祭運営委員だよね? なら、いかなる時もポジティブ思考が出来るようにならないと」


隣を歩く純の呆れたような一言に、柳井は「今はそれ関係ないだろ!」と素早く返す。


そうこうしていると、車の影からぬっと手間本が現れた。


「柳井、荷物運びありがとうな〜。助かるよ。明日の1500m、楽しみにしてるぞ〜」


「ア、ガ、ガンバリマス、ハイ」


手間本の温かい笑みとは対照的な凍りついた表情の柳井は、マットを手渡すとすぐに来た道を引き返していった。


そして柳井は部活着のポケットに手を突っ込み、眉を顰めてブツブツと呟く。


「あの顧問、さては俺たちの会話を盗み聞いてた上で、『楽しみにしてる』とかいう意地の悪い一言をかけてきただろ。

 あの冷血漢め!」


「それ言葉の使い方 合ってる?

 ていうか、手間本顧問は女性だけどな」


「でもあの人、男勝りすぎてもはや男だろ」


「まあ……別にそう思うのは勝手だけど、今の時代、発言には十分気をつけた方が賢明だと思うよ。なんでもかんでも口にして何か揉め事起こされたらたまったもんじゃないし」


「……ハイ」


「あと、俺からしたら手間本顧問は良い顧問だと思うけどね」


「いや待て町嶋、それはない。ヤツは間違いなく性悪だ」


「それって、柳井の普段の態度が良くないのが原因なんじゃ……」


「なんだと?!」


「いや自覚はあるでしょ」


ワイワイと議論を交わす2人。

それを尻目に、映真も片手に荷物を運んでいた。


(『時代』、か……。

 『映真』という存在が世間に許容される時代も、いつか来るのかな……。

 もし来れば……)


「映真。どうした? ボーッとして」

何やら上の空な様子の彼女の思考が珍しく読めなかったので、俺が声をかけると、映真は虚を突かれたような顔をしてすぐに手のひらを小さく振る。


「ごめん、ちょっと練習で疲れただけだよ。別になんでもない」


「……そうか。

 あ、そういえば映真に聞きたいことがあったんだけどさ」


なんだろう、と少し身構える彼女に対して、俺は話を続ける。


「映真ってさ……なんか男をたらして楽しんでる?」


「…………は?」


俺の質問が拍子抜けだったのか、映真は目を丸くして声を上げた。


「男たらし?……俺が?! ないない! なんで突然そう思ったの?!」


「だってお前、『休憩時間に高井君と話した』って言ってたろ?ラノベの話だっけ?

 その高井君だけど、午後の授業以降から明らかに映真のことチラチラ見てたぞ」


「え?は?」


「映真が何か気を持たせるようなことでも言ったんじゃないの?」


当たり前だが、映真は女子高生だ。

純や柳井が相手なら多少馴れ馴れしく接しても問題無いものの、他の男子と話す時の距離感をミスれば、あらぬ誤解や感情を生み出す可能性もある。


「そ、そんなこと言ってないよ!…………多分。

 まーでも、高井君は、俺のこと『趣味の合う女子だな〜』くらいに思ってるだけだと思うけど……」


「どうだろうね。

 人って、どこで恋に落ちたりするか分からないからなぁ」


「男子のこと舐めすぎだろお前」


「別に舐めてるつもりはないんだけどな。映真の方こそ、男子に告白されたらどうするんだ?」


「『告白』て、そんな……」


俺のムーブって思わせぶりだったのかな……と、映真は頭を悩ませつつ、男子との恋愛を想像しては首を大きく横に振りながら歩くのだった。

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