第32話 雨といえば
「随分と荒れた天気だなぁ……。どうやったらこんなに予報が大外れするんだか」
俺が空を見上げて溜め息混じりに呟くと、映真は苦笑を浮かべる。
「誰かが雨乞いでもしたんじゃない? 『雨が降りますように』って」
「そんなんで天気を操れる人がいるなら会いたいね」
雨乞い……と聞いて、俺は昔 双葉が試していた逆さてるてる坊主を思い出した。
「マラソン無くなれー!」とか言っていた双葉だったが、当然、そんな浅はかな おまじない ごときで雨は降ることはなかったのだけれど。
後から家を出た俺は玄関の鍵を閉め、雨でビショビショになったアパートの廊下を一歩ずつ進んで行く。
先に階段を降りる映真に続きながら、俺も傘を開いた。
ボロい折り畳み傘……とはいえど、傘は傘。流石に穴が空いたりしているわけではないので、思っていたよりは雨水から俺の身を守ってくれている。……気がする。
それにそもそも土砂降りである以上、どんな傘を使おうが、どうしても足元や鞄などは濡れてしまうものだ。
必要だったのは傘ではなく、長靴やカッパなどだったのかもしれない。ここに来てちょっとした俺の吝嗇が裏目に出てしまった。
脱水用のタオルを持ち物に入れておいてよかった……と思いつつ、俺と映真で並んで水たまりを避けながら通学路を歩いていく。
まあ、これ以上 天気が悪くなることはもうないだろうし、なんだかんだで大丈夫だろう、と慢心したその時……
バギャッ。
「あぁっ!」
突風に大敗して、俺が握っている傘の骨組みがいとも簡単に逝ってしまったのだ。
「やべっ、壊れた!」
「えぇ?! やっぱり父さんのボロ傘じゃあダメだったか……。
濡れちゃうからとりあえず避難しないと」
残念ながら傘がただの布きれと鉄屑になって機能を失ってしまったので、俺は映真に手を引かれるがまますぐ近くにあった建物の軒下に駆け込む。
「学校へ向かう途中なら、ここから5分の所にコンビニがあったはず。そこで傘買うしかないか……」
大破した傘の水気を切って紺色の袋に仕舞いながら、俺は低いトーンで呟いた。
せっかく映真の傘を新調するなら専門店でちゃんとした立派な物を……と思っていたのだが、こうなるなら始めからコンビニへ向かっておけばよかったのかもしれない。
そんな後悔をしたところで、今さら遅いのだけど……
「はい」
ふと映真に声を掛けられたので俺が顔を上げてみれば、彼女は笑顔で俺の頭上にビニール傘を添えていた。
「相合傘。コンビニの所まで」
「……え? あいあい……?」
「だって、そうする以外もう方法ないでしょ?」
「ああ……確かに」
映真の持つこのビニール傘なら、密着すれば2人 入ることも可能だ。
俺だけ何も無しでコンビニまで向かうわけにもいかないので、彼女の判断は至って合理的である。
それでも俺が少し躊躇ってしまったのは、『男女での相合傘』を見た人間の大半が恋愛関係を想像してしまう、という事実があるからだろう。
先週 高校内で少し話題になった謎の『俺と映真の交際疑惑』がせっかく止んだ直後なので、相合傘にはあまり乗り気では無いのだが、状況が状況なので致し方ない。
同級生に見つからなければいいだけの話だし。
映真にも遅れてその考えが過ったのか、苦笑いしながら軒下を出る。
「まあ、まだ朝早いから。鏡高校の生徒は居ないでしょ」
「そうだな。誰かに出くわすなんて滅多にないし」
「しかもコンビニまでたった5分だしね」
そう話していると、再び少しずつ雨足が強くなり、ベチベチと鋭い針のような雨粒がビニール傘に突き刺さり始めた。
傘の守備範囲内に体を収めよう、と俺は思わず右隣の映真にぐっと身を寄せてしまう。
「…………」
咄嗟に、俺の視界に映真の顔が写り込んだ。
彼女の頬は暑さで少し火照っており、綺麗な髪や睫毛は水気でしっとりと光っていて……妙に艶っぽい。
自然と当たる肩はとても柔らかく、傘の柄を握る彼女の手は滑らかだ。
さらに、雨の匂いに紛れて、彼女からは微かに花のような良い匂いが漂ってくる。コンディショナーの香りだろう。
周囲の薄暗さでぼんやりと浮かび上がる映真の瞳は、じっと俺を見つめて……
「きもっ」
そう吐き捨てた。
「……え? なんで?! 俺何もしてないよね?!」
まさか映真に罵声を浴びせられると思っておらず慌てて反論する俺とは対照的に、彼女は真顔で顎に手を当てる。
「んー、なんというか……観己の視線? というか、思考がきもい」
「なんだ『思考がきもい』って。適当なこと言うな」
「適当なんかじゃないよ? 分身である観己の考えくらいお見通しだから。
さては俺の隣でやましいこと考えてたでしょ?」
「馬っ鹿かお前は。映真に欲情するほど俺が落ちぶれた覚えはないんだけど」
「え? でもドキドキくらいは……」
「してない。女装した自分を見て興奮する人なんて居ないでしょ? それと同じ」
「……興奮する人も世の中には存在するんじゃ……」
「と・に・か・く! 映真を不快にさせたことは謝るから、二度と俺を変態呼ばわりするなよ?」
いつの間にか俺を揶揄ってくるようになった映真に、いずれ反撃を入れてやろうと思いながらも、ひとまず俺は謝罪を入れる。
まあ今のところは、自分自身と相合傘をしてくれている映真に俺がどうこう言える立場じゃないしな。
と、しばらく沈黙が続いた後で、前方から聞き馴染みのある声が聞こえてきた。
「ん? あっ、あれっ、片鳥くんに宝生さんじゃん! き、奇遇だね!」
「「……え?」」
数分前の会話のフラグ回収とともに何故か目の前に現れたのは、映真の女子会メンバーの1人である夢原 万華。
ベージュ色のカッパに身を包む彼女は、今 最も俺が遭遇したくない人物だった。
「な、なんで万華が……」
「って、2人で相合傘してる?! もしかして雨の日はそれで登校してるの?!」
俺の問いを掻き消しながら、案の定 万華があらぬ誤解を抱いてしまったので、俺は深く溜め息をついた。
「違う。俺の傘が今さっき風で壊れちゃったから、一時的に映真の傘に入れてもらってるだけだよ。一時的にね。今からコンビニで傘買うの」
「へー、なんかラブコメみたい!」
「それ本気で言ったわけじゃないよね? こっちはラブでもコメディでも無くてただただ大変なだけなんだから」
恋愛脳の万華のペースについていってはこちらが押されてしまうので、俺がバッサリ切って言葉を返すと、万華は笑顔を見せる。
「そ、そりゃあもちろん冗談で言ったんだよ!」
「…………」
以前、柳井が例の噂についてキッパリと断ってくれたお陰で、万華は俺たちの関係を『普通のいとこ兼 同居人』だと思ってくれているはずだ。
だけど……実際のところ、万華が何を考えてるのかは全くの未知数なんだよな。怖い怖い。
そう俺が考えてると、俺が先ほどし損ねた質問を映真がしてくれる。
「ていうか、万華の通学路はここら辺じゃないよね? どうして今ここに居るの?」
「あ、あ~、ちょ、ちょっと気分転換? みたいな? いつもと違う所歩いてみたかったんだよね~……。
(『せっかく雨が降ったし、片鳥くんと宝生さんに何かイベントが起きていないか気になって待ち伏せしてた』なんて言えない……!)」
「「へぇ……」」
声が上擦る万華に対して俺たちは言語化できない妙な不信感を抱きつつも、3人でコンビニへ向かい、ビニール傘を購入するのだった。




