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吁、無情  作者: 調彩雨
36/43

第三十五話 幸せに包まれて 

今週二回目の更新です

前話未読の方はご注意下さい

 

 

 

 人生最後の自由な日に、何をしようか。


 やるべき事は昨日の内にほぼ終ってしまって、整理し過ぎた部屋には暇潰しの道具も無くて、封をした遺言の束に手を伸ばす気にもならず、かと言って今の段階では誰に別れを告げる事も許されて居ないわたしは、何をするでも無く途方に暮れた。


 春田さんから伝えられた刻限迄、後、三時間。


 ふと、今日で契約の切れる携帯電話に目が留まって、今時珍しい二つ折りの其を開いて、明日誕生日の友人が居たと気付いた。

 過去親しかったけれど、今ではもう誕生日のメール位しかしない相手。


 しかし今日行くわたしには、明日の彼女の誕生日を祝ってやる事が出来ない。


 多分わたしからのメールが無くても、彼女はさして気にしないだろうけれど。


 彼女の番号を呼び出して、通話ボタンを押した。


 出るか、出ないか。


 数回のコールの後留守電に切り変わった通話に、迷った挙句御祝いのコメントを遺す事にした。


 此で最後だと知らない人へ最後の言葉を遺すのも、また一興かも知れない。


「あ、久しぶりー。萩紗です。明日誕生日だったよね?わたし明日忙しくてさ、メール送れそうにないから今電話したの。おめでとー。って、もうおめでたく感じる歳でもないかな?ふふっ、まぁ良いや。また今度、お互い暇な時にでも会おうよ、ケーキ奢ったげる。じゃあね」


 ぷち


 留守録して、携帯を閉じた。

 此が多分、地球上に残る、白波瀬萩紗、最後の声。まぁ、彼女は直ぐに消してしまうだろうけれど、其もまた、運命だ。


 くすくすと笑った所で、携帯が鳴いた。


「え?」


 びっくりして見れば、今まさに電話した彼女の名前が表示されて居た。


「はい、もしもし?」

『あ、萩紗ー?』


 懐かしい声が響いた。

 訳も無く、笑いたくなる。


「うん。どしたの?」

『どしたのって、突然電話して来たのは、其方そっちでしょー?どーしたのよ、いきなり』

「特に意味は無いよ?」


 変わらず話す友人に、ついつい笑って言うと呆れた声が返って来た。


『あんた意味も無く電話する様な人種じゃないじゃない。極力メールで済まそうとしてさ。一体如何したっての?メールも出来ない位忙しいとか言うし』

「うん」


 いっそばらしてしまおうか。

 駄目だな。迷惑が掛かるし。


 無難な真実で、誤魔化す事にする。


「まだ本当は内緒にしてなきゃいけないんだけど…ちょっと、国外に出る事になったんだー。研究でね。其で、今日出発でさ、明日は日本に居ないのよ。で、彼方あっちまでメール届かないし、正直何時帰って来れるかも微妙でさー、メール送ったのに返信無いとか嫌じゃん?だから電話したの」


嘘は言っていない。

日本国外で、人質の有用性について研究するのだ。まあ、研究者としてではなく、被検体としてだけれど。


『へー、研究で海外…凄いじゃん』

「そうだよ。凄いんだよ」


 何せ救世主サマだ。


 心の中で呟きながら、冗談みたいに明るくわたしはうそぶいた。


「折角留守電遺したから、とっといてよ。未来のノーベル受賞者の肉声音源かもよ?スクープスクープー」

『テレビ出てるあんた指差して、あたし此奴と知り合いなんよーって?』

「そうそ。其にさ、」


 誤魔化しには真実を一掬い。法螺吹きの鉄則だ。


「遺言になるかも知れないじゃん。わたし飛行機に良い思い出無いしさ。タイタニックしないか心配なんだよ。日本より治安悪いかもだしー」

『何其?死ぬの?』


 懐かしい会話のテンポが嬉しくて声が震えそうになるのを、くすくす笑って隠した。

 世界の危機だと言うのに、其を話題にしない友人に、無性に安堵感が湧く。


「死なないよー。言ってみただけ。全ての可能性を疑うのが、科学者の鉄則でしょ?誰もがバルジャンに助けて貰えるって訳じゃないじゃない?わたしはコゼットやマリウスじゃなくて、ファンティーヌやアンジョルラス、名も無い学生かも知れない」


 好きな演目で例えれば、直ぐ様理解して意図を酌んでくれる。


『サンジェルマンで死ぬって?パリにでも行くの?』

「そう。フランスは花の都、羨ましい?」


 わたしは笑って言ったのに、彼女は笑わなかった。


 唐突に真剣な口調になって、呟く。


『エポニーヌだけは、辞めときなよ』

「ええっ?」

『コゼットになれと迄は言わない。ジャベールなら格好良いよ。でも、エポニーヌは辞めな。…報われない』


 あんたはエスパーか。


 内心の動揺をわたしは笑って吹き飛ばした。

 わたしの顔が見えないから、電話で良かったと思ったけれど、彼女の顔が見えないから、電話じゃなければ良かったと思った。


「何言ってんの?死なないってば。何?わたしに死んで欲しいっての?虐めか!?」

『死んで欲しいなんて思ってないけどさ』


 駄目だよ。あんたは其以上、追及しちゃ駄目だ。


 次の言葉は待たずに、きっぱりと断言した。


 まるきりの嘘と、今でも思う本音を。


「わたしは死なないよ。愛する人の為に死ぬなんて馬鹿馬鹿しいじゃない。狂ってる」


 叶わない恋の為に死のうなんて、わたしは本当に狂ってる。


『動物としての本能に反してる?』

「そうそ。我が子や姉妹を守るなら兎も角、血の繋りも無い他者一人守って死ぬなんてさ、如何考えても可笑しいじゃん。コゼットがエポニーヌより遺伝的に優れて居るとも思えないし。何でテナルディエ夫妻からあんなに自己犠牲精神猛々しい娘が生まれたかねぇ」

『ハッピーエンドをハッピーエンドにしない為でしょ。惨めな人々の、筆頭として。報われない初恋に、身を散らす乙女。お涙頂戴には、持って来いね』


 でもきっと…エポニーヌは幸せだったのだろう。


 愛する人の腕の中で、消せない記憶を心に遺して死んだのだ。


 後の誰が彼女を哀れもうと、疑う余地無く彼女は幸せに包まれて死んだはずだ。


「理想の為に若い命を棄てる若者達も?」

『悲惨なら悲惨な程、強く心に残る作品になる』


 題名が惨めな人々だしね。惨めな人々が出て来ないと、題名に偽り在りになってしまう。


「死んで、神様に救われましょうってエピローグだもんねぇ」

『天国が憧れた世界よ。本当に、信じる者は狂ってる』

「其、熱心な信徒さんに言ったらたれるよ?」


 喩え其が、何の根拠も無い盲信だったとしても。


 神に救われると信じて死ねたなら、幸せだろう。

 狂って居るとしても、確かに救われて居る。死への恐怖と言う、誰もが囚われる極悪な牢獄から。信じる者は、救われるのだ。


 何とは無しに、笑った。


「ねぇ、わたしさ、幸せだったよ」

『ええ?』


 唐突だ。唐突な言葉だ。


 まるで、死ぬとでも言うみたいな。


『いきなり、如何したのよ?』

「んー?誰に哀れまれようと、友達には、同情されたくないなーって」


 わたしは、死ぬ。喩え運良く死なずとも、此の地球上から存在が消えるのだから、死んだも同然だ。

 わたしは、死ぬ。其の死を、多くの人から望まれて。


 けれど其の死を、友人に哀れまれたくは無い。


「振り返っても失敗や後悔ばかりで、此と言って特出した事も無い、恥の多い人生だったけど、楽しかったよ。幸せだった」

『なんか、自殺でもしそうな台詞ね』

「あはは。自殺する度胸なんて無いって」


 死にたいと口にするのは癖でも、一度も死んでみた事は無い。自殺に走れる程には、度胸に溢れて居ないのだ。


 其に、死ぬには世界は楽し過ぎた。


 別に此と言って素晴らしい人生だった訳じゃないし、失敗と後悔ばかりで、何度も捨ててしまいたいと思ったけれど、其の度思い留まってしまう程、私にとって世界は面白かった。

 こんなに、下らなくも面白い世界に生まれ落ちて、幸せだった。

 本当はまだ、死にたくなんかない。


「ただ、うん。何と無く、伝えて置きたいなって」

『あんた、本当に何か、』

「うん…」


 幸せだった。本当は、本当はまだ、生きて居たい。

 でも、其の気持ちより、優先したいと思ってしまったから。後は、疲れてしまったと言うのも多分に有ると思う。綺麗事なんて全部嘘で、本当はこっちが理由かも。


「ちょっとね、怖くて」


 思っても,未練は山程有るし、わたしが犠牲になったって、必ずしも彼が救われるとは限らない。


「重要なプロジェクトなんだ。そんなのに、わたしで大丈夫かなとか、失敗したらとか、思ったら…不安で」


 涙が零れそうになって、言葉を止める。


 片手で口元を覆ったわたしに聞こえたのは、笑みを含んだ声だった。


『大丈夫じゃん?』


 そんな、適当な。


 わたしが思ったのが伝わったのか、彼女が言葉を続けた。


『あんたが何を不安がってるかとか知らないけどさ、大抵の事は何とかなるしやり直しも利くじゃない。あんたが取り返しの付かないミスした所なんか、あたし見た事無いけど?あんたさ、結構神様に愛されてんじゃない?何とかなるって』

「神様なんて、信じてないくせに」

『まあね』


 笑いと共に一粒だけ零れた涙は、見なかった事にした。


 明るい声が装えたかはわからないが、明るく聞こえる様に言う。


「あー、もう。悩んでるの馬鹿らしくなったわ。行って来る。凱旋帰国したらさ、会おうよ。奢って」

『ケーキ奢ってくれるんじゃなかったの』

「んー、お茶して買い物して晩御飯。お茶は奢るから高級ディナー奢って」

『あほか』


 あははと、声を上げて笑う。


 呼び鈴の音にぎょっとして、慌てて話を畳む。


「まあでも、ほんとに暫くは連絡付かなくなるから。なんかあったら実家に手紙でも送っといて。結婚報告とかwww」

『今、草生やしたでしょ』

「生えてない生えてないww…じゃあね」

『うん』


 彼女の頷く気配を最後に電話を切る。


 息を吸って、吐いて、目元を拭った。化粧してなくて、助かった。


 もう一度鳴った呼び鈴に、はーいと叫びながら扉に走り寄る。


「…お迎えが随分早くないですか、春田さん」






拙いお話をお読み頂き有難うございます


此の回の意味は!?と訊かれると答えに窮するのですが

萩沙ちゃんにも人間関係がちゃんと有ったんだよ!と言う事で


結構初期から決めて居たエピソードなので

無事投入出来て良かったです


続きも読んで頂けると嬉しいです

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