王の器
グレンは、はぁはぁと荒い息を吐きながら、ようやく地下牢の突き当たりにたどり着いた。
薄暗い通路の先に、ぼんやりと鉄格子の影が見えてくる。
あそこに、お姉様がいる。
「お姉様っ!!」
鉄格子の隙間からお姉様の姿が見え、僕は叫んだ。
「グレン!!何故あなたがここに!」
牢屋の地面に座っていたお姉様は、僕を見ると驚いた表情で立ち上がった。
鉄格子をよく見ると、バチバチと青白い火花を散らし、電流のようなものが走っているのが分かる。
あれが、ジークさんの言っていた結界か。
お姉様を牢獄から解放しようと、扉に駆け寄ろうとした、その時だった。
ズンッ!
重い足音とともに、1体のモンスターが鉄格子の前に降り立ち、僕の視界を遮った。
こいつは……ナイトドラグル!
龍人型の上級モンスターだ。
ドラゴンの顔をしているが、体は人間と同じで二足歩行をしている。体格も人間と同じほどの大きさで、モンスターとしては小柄な部類だ。
だが、その小ささは弱さを意味しない。無駄をそぎ落とし、戦闘のためだけに凝縮された肉体。鱗に覆われた腕には、岩のように硬い筋肉が盛り上がっている。
右手には鈍く光る剣、左手には直径30センチほどのまん丸な鋼鉄の盾を構えていた。
さっきの大型の悪魔型モンスターなんかより、遥かに高い戦闘力を持つ相手だ。
背筋を冷たいものが這い上がる。
「よくここまで来たな。だが私がここにいる限り、王女は渡さんぞ」
ナイトドラグルが、地を蹴った。
ガキィィィンッ!
振り下ろされた剣を、僕は剣で受け止める。
だが、重い。
腕の骨まで響く衝撃に、思い切り踏ん張ったはずの両足が石畳を削り、ずるずると1メートルほど後ろへ引きずられた。
なんて怪力だ……!
力じゃ敵わない。スピードで撹乱するんだ!
僕は床を蹴り、ナイトドラグルの周りを軽快に駆け回った。右へ、左へ、死角へ。
隙を見計らい、鋭い斬撃を繰り出す。
しかし、その攻撃は届かない。
最小限の動きで身体をずらされ、あるいは小さな盾に弾かれ、すべて空を切った。
くっ。スピードも互角か……いや、あいつの方が少し上か!
息が上がる。額から汗が流れ落ちる。
このままでは、じり貧だ。
こうなったら、一か八か。
全ての力を込めて斬りかかる!
この一撃に、すべてをかけるんだ!
「はぁーー!」
僕はナイトドラグルの目の前で高く跳び上がった。
自分の体重、落下の勢い、そのすべてを剣に乗せ、渾身の一撃を振り下ろす。
ガァァァンッ!
しかし、その一撃は、ナイトドラグルの小さな盾に、いとも簡単に受け止められた。
手応えが、まるで巨大な岩を叩いたかのように硬い。
しまった――!
ナイトドラグルが即座に反撃に転じる。
僕はそれを剣で受け止めたが、空中にいたため、踏ん張る足場がない。
「ぐあっ!」
衝撃が全身を貫き、僕の体は弾丸のように吹き飛ばされた。
通路の壁に激突する。
ドガァァァンッ!!
石の壁が轟音とともに砕け散り、勢いを殺しきれないまま、僕は壁を突き破って隣の部屋まで転がり込んだ。
背中に激痛が走る。視界がちかちかと明滅する。
それでも、這うようにして顔を上げた。
そこは、牢屋などではない、広い空間だった。
なんだこの空間は……。
地下に牢屋以外にも、こんな部屋があったのか。
だが今は、そんなことを考えている暇はない!
軋む体に鞭を打ち、なんとか体勢を立て直して、ナイトドラグルの追撃に備える。
その直後、砕けた壁の穴から、ナイトドラグルが飛び込んできた。
速い!
反応するより先に、飛び込み様の一撃が、僕の身体を捉えた。
ズガァァァンッ!!
「がはっ……!」
肺の空気がすべて押し出される。
僕は再び壁に叩きつけられ、さらにその壁をも突き破って、更に隣の部屋へと吹き飛ばされた。
床に倒れ込み、砕けた石の破片が、ぱらぱらと降り注ぐ。
ダメだ……
まったく敵わない。
立つのもやっとな状態だ……。
剣を握る指に、もう力が入らない。
血の味が口の中に広がる。
僕は結局、何もできなかった。
王国もお姉様も救えないで、ここで死ぬのか!?
悔しさに、視界が滲んだ。
地面に倒れたまま、ふと横を向くと、そこには女神を模した石像が立っていた。
女神像か……。
なんでこんな所に……。
でも、今はそんなことどうでもいい。
人生の最後を飾る場所には、ちょうどいいかもしれないな。
そう思い、諦めて体の力を抜いた、その時。
ふと、頭上から微かな物音が聞こえてきた。
ガキン、ガキィン……
武器がぶつかる金属音。
そして、戦っている人たちの怒声。
微かだが、確かに聞こえる。
上の階では、みんなが戦っているんだ。
自分たちの国を取り戻すために、必死に。
僕が諦めちゃ、駄目じゃないか!
胸の奥で、消えかけていた炎が、再び燃え上がった。
闘志が、体の底から滾ってくる。
みんな……ありがとう。
みんなのおかげで、僕はまた立ち上がれる。
剣を杖代わりに突き立て、ボロボロになった体を無理やり引き起こす。
膝が震える。それでも、立った。
その時だった。
“汝、王の器と認める。選ばれし者よ、こちらへ”
頭の中に、不思議な女性の声が響いた。
この声は……?
ふと女神像に目をやると、石像が、ぼんやりと青白い光を放っていた。
“早くこちらへ”
その声に導かれるように、僕は引き寄せられるまま、女神像の前に立った。
「あなたは一体?」
“わたしは、ブァルファーレの王の選定人。誠の王と認めし者に、力を与えし者”
「王の……ちから?」
すると、女神像を取り巻いていた青白い光が、ふわりと僕の方へ流れ込み、僕の体をすっぽりと包み込んだ。
なんだ……!
体の奥底から、力が漲っていく!
傷の痛みが引いていき、血が熱く脈打ち始める。
「王の力って、一体?」
僕が女神像に問いかけた、その瞬間。
ドゴォッ!
ナイトドラグルが、この部屋に飛び込んできた。
先ほどと同じく、僕めがけて飛び込み様の一撃を叩きつけようと、剣を振りかぶる。
僕は反射的に、剣でそれを受け止めた。
ガキィィンッ!
火花が散る。
しかし、今度は――吹き飛ばされない。
これは……!!
ナイトドラグルも驚きに目を見開いた。
だが、すぐに力任せの連撃を繰り出してくる。右から、上から、袈裟懸けに。
見える。
ナイトドラグルの動きが、さっきよりもはっきりと見える!
一撃一撃も、先ほどまでのような重さを感じない。
僕はそのすべてを受けきり、反撃に転じた。
体が軽い。
さっきまでとは、明らかにスピードが違う!
いや、スピードだけじゃない。パワーも、動体視力も、すべてが強化されている。
これなら、何とかなるかもしれない!
剣と剣がぶつかり合う金属音が、高速で何度も、何度も響き渡る。
キィン、ガキン、ギィンッ!
火花が連なって散り、薄暗い部屋を一瞬一瞬照らし出した。
だが、攻撃を焦った僕は、つい大振りで剣を振るってしまう。
ナイトドラグルは軽やかに後ろへステップして、その斬撃を躱した。
そして、口を大きく開く。
しまった、ブレスか!
ゴオォォォォッ!
喉の奥から、灼熱の炎が吐き出された。
肌がちりちりと焼けつくような熱さに、僕は思わず大きく跳び上がって、炎を避ける。
だが、それこそがナイトドラグルの狙いだった。
上空には、すでに先回りしたナイトドラグルが待ち構えていたのだ。
読まれていた……!いや、誘われた!
剣が、頭上から斬りかかってくる。
空中では身動きが取れない。僕は剣で受け止めるしか術がなかった。
ガキィィンッ!
受け止めた一撃の勢いのまま、僕は地面へと叩きつけられた。
ドォォンッ!
床が砕け、衝撃が背中を貫く。
息ができない。
そこへ、ナイトドラグルが上空から急降下してくる。
地面に伏せている僕を、真上から串刺しにしようと、剣の切っ先を向けて。
迫る刃。
僕はとっさに身を捻った。
ザシュッ!
剣は、僕の頬をかすめ、すぐ横の床に深々と突き刺さる。
その隙を逃さず、僕は床に激突したナイトドラグルを、渾身の力で蹴り飛ばした。
「ぐぅっ!」
ナイトドラグルの体が、壁際まで転がっていく。
その後も、しばらく一進一退の攻防が続いた。
斬り、受け、躱し、また斬る。互いの剣が何度も交錯し、石の床と壁が、二人の衝撃で少しずつ削られていく。
流石は上級モンスターだ。
僕がこれだけの力を手に入れても、まだ互角か……。
いや。最初に大きなダメージをくらっている分、僕の方が部が悪い。
呼吸が苦しい。
腕が、鉛のように重くなってきた。
そろそろ、体力も限界に近い。
だけど、僕はここで負けるわけにはいかないんだ。
お姉様を、王国を、国民を、救わなければならない!
「僕の邪魔を……するなぁーーー!」
残された力のすべてを込めて、僕はナイトドラグルに向かおうとした。
だが、足が止まった。
このまま、ただ斬りかかっても、あの盾に阻まれるだけだ。
そのとき、ふと、幼い頃の記憶が、頭をよぎった。
『グレンや。この技は、一族の誰にも教えておらん』
庭の稽古場で、剣聖と呼ばれた祖父が、小さな僕に、そう囁いた。
この技を教えても、使える才能ある者が一族にいなかったと言っていた。
『一撃に、己のすべてを込めろ。迷いも、恐れも、すべて刃に乗せてな』
祖父が、たった一度だけ見せてくれた、あの技。
気の弱い僕には、一生使うことはないと思っていた、あの型。
そうか。
今こそ、使う時だ。
僕は剣を低く構え、深く腰を落とした。
全身を包んでいた青白い光が、静かに、剣へと収束していく。
「剣聖の孫として……ブァルファーレの王として……!」
ナイトドラグルが、剣と盾を構えて、突進してくる。
僕は、息を止めた。
地を蹴る。
たった一歩で間合いを詰め、すべてを込めて、横一文字に剣を振り抜く。
「ブァルファーレ流、剣聖奥義――『蒼天一閃』!!」
剣から放たれた蒼い閃光が、一筋の線となって、空間を切り裂いた。
ナイトドラグルは、剣と盾を重ねて、咄嗟に一撃を防ごうとする。
だが――。
バキィィィンッ!!
盾が、真っ二つに割れた。
その後ろの剣も、へし折れ、閃光は勢いそのままに、ナイトドラグルを斬り伏せた。
ナイトドラグルの体が、ゆっくりと崩れ落ちる。
やがて、静寂が部屋を包んだ。
「はぁ、はぁ、はぁ……勝った……?」
倒れたナイトドラグルは、もう動かない。
「勝ったぞーーー!」
全身の痛みも忘れて、僕は拳を突き上げ、喜びの声を上げた。




