64. 祝福の日
結婚式の当日、王都の空は雲一つない晴天だった。
会場となる、王宮そばの大礼拝堂。そこへ続く白い石畳には、朝早くから豪奢な馬車が次々と到着している。
私は控えの間で、身支度を整えていた。
広々とした部屋には大きな姿見が置かれ、侍女たちが慣れた手つきで、ドレスの裾や長いベールを整えていく。
真珠のアクセサリー類と純白のオペラグローブを着けると、侍女たちが私から離れる。
姿見に映った自分を見て、私は息を呑んだ。
純白のシルクを惜しみなく重ねたウェディングドレスは、柔らかな輝きを放っている。裾へ向かって広がるスカートは壮麗で、とても優雅だ。
胸元から裾まで贅沢に縫い込まれた、極細の銀糸と白金の糸の刺繍が、光を受け繊細にきらめく。
肩から流れ落ちる長いベールには、ヘルミーナ夫人や職人たちが何ヶ月もかけて仕上げてくれたという精緻なレースが、惜しみなくあしらわれていた。
胸元を彩るのは、何連もの真珠を基調に、大小様々なダイヤモンドを散りばめた豪華なネックレス。頭上には、蔓草を思わせる優美な曲線を描いたティアラが載せられ、透き通るベールを美しく支えている。
「これが自分の姿だなんて……信じられないわ……」
思わずそう呟くと、侍女たちが小さく微笑む。
「本当にお美しゅうございます、リエラ様。ご準備はこれにて整いましたので、まいりましょう」
「え、ええ」
その言葉に、心臓がドクンと跳ねる。いよいよだ。今から私は、レオン様との結婚式に臨む。
純白のドレスの裾をそっと持ち上げ、私は一歩踏み出した。
大礼拝堂の長い回廊には柔らかな陽光が差し込み、磨き上げられた大理石の床に美しく反射していた。やがて、重厚な扉の前へと辿り着く。
私は胸の前でそっと両手を重ね、大きく息を吸い込んだ。自分の鼓動が聞こえてきそうなほど、高鳴っている。
すると、扉の前で控えていた侍従が静かに一礼し、厳かに声を響かせた。
「リングレン辺境伯夫人リエラ様、ご入場でございます」
大きな扉が、ゆっくりと開かれた。
大礼拝堂の天井には荘厳な彫刻が施され、高く伸びる窓から差し込む陽光が、色鮮やかなステンドグラスを透かして降り注いでいる。
祭壇へと続く赤い絨毯の両脇には、大勢の列席者たちが着席し、こちらを振り返っている。
心臓が口から飛び出しそうだ。助けを求めるように、私は最奥に視線を向ける。
そこには、愛しい人の姿があった。
漆黒の礼装と純白のクラバットが、彼の気品漂う端整な顔立ちを、一層引き立てていた。
(レオン様……なんて素敵なんだろう……)
愛情に満ちた眼差しで私を見つめている彼の姿を目にして、小刻みに震えていた体がすっと落ち着く。
早くそばに行きたくて、私は自然と足を踏み出した。
一歩、また一歩と、祭壇に向かって歩いていく。
視界の端に映る列席者に、時折視線を向ける。フリッツおじさんとベラおばさんは、ハンカチで涙を拭いながら、目を真っ赤にしていた。その姿を見ただけで、鼻の奥がツンとした。ヨハンは満足げに、エマは潤んだ瞳で食い入るように私のことを見つめている。私は思わず、エマに微笑みかけた。すると彼女はくしゃりと顔を歪め、両手で顔を覆い肩を震わせる。……もうダメ。私も泣いてしまいそう。
けれど、前列の方へと近付くにつれ、緊張感が戻ってくる。
ユリアーネ様は上品で優美な笑みを浮かべ、優しい眼差しをこちらに向けている。その隣ではテオ先生が目を細め、嬉しそうにしていた。隣を通り過ぎる時、小さな声で「おめでとうございます、リエラさん」と言ってくれた。
最前列にいる国王陛下夫妻のことは、直視できなかった。それでも威厳たっぷりのオーラがひしひしと伝わってきて、そばを歩くだけでもとてつもなく緊張した。
ようやく辿り着いた祭壇の前で、私は静かに深く息をついた。
片時も目を離すことなく私を見つめていたレオン様が、小さな声で言う。
「……途方もなく美しい姿で現れることは分かっていた。けれどまさか、ここまでとは……」
「レ、レオン様」
その言葉に、私は身構える。案の定、彼は砂糖菓子の海に溺れるほどの甘い甘い褒め言葉を囁きはじめた。
「扉が開いた瞬間、息をすることさえ忘れた。私は君の真の美しさを誰よりも分かっていると自負していたが、まだ足りていなかったようだ。君の魅力には際限がないのだな。今日の君は間違いなく、これまで見てきた中で一番美しい」
「ど、どうかもう、そこまでにしてくださいレオン様。お願いですから……!」
とても耐えられず、私はついに彼の言葉を止めた。ベールの下の顔はきっと、真っ赤に染まっていることだろう。今の彼の言葉は、最前列にお座りになっている国王陛下夫妻の耳に届いていないだろうか。頭がクラクラする。
「分かった。じゃあこれで最後だ」
恥ずかしがる私の姿に、レオン様は小さく笑う。そしてその後、噛みしめるように言った。
「綺麗だよ、リエラ。私の妻になってくれてありがとう」
(……レオン様……)
率直なその言葉に胸がいっぱいになり、私はそっと顔を上げ、彼を見つめる。
その時、司教が小さく咳払いをした。
「……進めてもよろしいですかな?」
「っ!! は、はい」
焦って返事をすると、ますます顔が火照った。
祭壇へと向き直ると、司教の厳かな声が大礼拝堂に響き、婚儀は粛々と進められていった。
列席者たちに見守られる中、私たちは互いの想いを言葉にし、生涯をともに歩むことを神に誓った。
その後再び向かい合い、レオン様が一歩、私との距離を縮めた。
そっと見上げると、彼の澄んだ青い目が、私を熱っぽく見つめている。
彼の手が、ゆっくりと私のベールに伸びた。
薄絹越しに差し込んでいた光が、鮮明になる。
嬉しさも、愛しさも、今日という日の喜びも、レオン様の眼差しから伝わってくる。
こんなにも幸せそうに微笑むレオン様を見たのは、初めてだった。きっと私も今、同じ表情をしているのだろう。
私は自然と、瞼を閉じた。
彼の手が、慈しむように私の頬を撫で、次の瞬間、唇が優しく重なった。
私たちの未来へ向けた、誓いの口づけ。
祝福の鐘が鳴り響き、大礼拝堂は大きな拍手に包まれたのだった──。




