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もう戻ることはありません! 〜 実家と婚家で冷遇されてきた地味令嬢は、辺境伯領で薬学の知識を振るいます 〜  作者: 鳴宮野々花


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最終話. 私の帰る場所

 胸いっぱいの幸せに包まれた結婚式。

 その余韻に浸る間もないほど、翌日からは再び慌ただしい日々が始まった。

 王妃陛下からは案の定、サロンへの招待状が届き、私はそのサロンへ出席するための準備に忙殺された。

 数日後、訪れたサロンには、王妃陛下や王女殿下方をはじめ、大勢の高位貴族家の女性たちが待ち構えていた。


「リエラ様……! お待ちしておりましたわ!」

「先日の結婚式は素晴らしかったですわ!」

「本日はぜひ、リングレン産の美容クリームのお話など、たくさんお聞かせくださいませね」


 期待に満ちた眼差しの貴婦人たちから一斉に声をかけられ、私は硬直した。辺境伯夫人として恥ずかしくないよう振る舞わなければ……! そう何度も自分に言い聞かせ、私は緊張を悟られないよう王妃陛下の前へと進み、丁寧にカーテシーをした。


「本日はお招きいただきありがとうございます、王妃陛下。皆様、どうぞよろしくお願いいたします」


 サロンでは、リングレン産の薬や美容クリームについて、次々と質問が飛び交った。私は一つひとつ丁寧に答え、開発の経緯や使い方、効能などについても詳しく説明した。結果として大きな反響を得られ、このサロンがリングレンの未来に繋がる実りあるひとときになったことを確信できたのだった。


 辺境伯領に帰ってからの私は、相変わらず忙しく、そして充実した毎日を送っていた。

 領内の視察や屋敷での家政、代官や商人との面会など、辺境伯夫人としての務めを果たしながら、その一方で薬草畑を巡り、研究や試作を重ねる。新たな目標である化粧品作りに向け、薬草や花々、鉱石についての調査も少しずつ進めていった。

 毎日が新しい発見の連続で、忙しささえも楽しく感じられた。

 夜はレオン様と過ごす食卓で、その日の出来事や成果を語り合う。その時間が何よりも、私の心を満たしてくれた。

 尽きることなく囁かれる甘い言葉には、いまだに慣れない。けれど、レオン様の腕の中で眠る日々は、この上なく幸せだった。


 ところで、私の実家であるローゼン男爵家や、元の嫁ぎ先であるフェルナー伯爵家は、悲惨な末路を辿ることになったらしい。

 建国祭の夜、王宮でニルス様が私に詰め寄り金を集ろうとしたこと、両親が私を勝手にローゼンに呼び戻し、事業に従事させようとしたことなどは全て、風よりも早く社交界に知れ渡ったのだ。当然、多くの人に目撃されていた、マチルダがレオン様に擦り寄っていた件もだ。貴族社会というのは、そういうものらしい。

 当然ながら、彼らへ向けられる視線は厳しかった。

 リングレン辺境伯家の威信を軽んじた者として、ローゼン男爵家とフェルナー伯爵家の評判は、大きく失墜した。

 ローゼン男爵家は薬草事業の立て直しのため足掻いたようだが、結局失敗し、失われた信用を取り戻すことは二度と叶わなかった。

 領内の産業は衰退の一途を辿った。使用人らを解雇し、王都のタウンハウスや領地の屋敷まで売却せざるを得なくなったローゼン男爵家は、社交界から静かに姿を消した。

 領地経営は王家の管理下に置かれ、風の噂では、両親と兄は元男爵領内の小さな家へと移り住み、今は隠れるようにひっそりと暮らしているという。


 フェルナー伯爵家もまた、平穏な日々を取り戻すことはできなかった。

 ニルス様が何人もの友人に金の無心をしたせいで、愛人との間に子をもうけたことや、賭博の末に莫大な借金を抱えたことは、社交界に知れ渡った。

 フェルナー伯爵家の名は地に落ち、伯爵夫妻はニルス様の後始末に追われる毎日を送っているらしい。

 ニルス様の不祥事と建国祭での一件は、王家も重く受け止め、監督責任を問われたフェルナー伯爵家は王命により領地の一部を返上することとなり、伯爵家としての力は大きく削がれた。

 また、ニルス様の愛人と生まれた赤ん坊は、結局フェルナー伯爵家が保護し、生活の面倒を見ることになったそうだ。母子には別宅を与え、そこで生活させているという。

 もちろん、ニルス様とマチルダの夫婦関係は最悪になったようだ。

 離縁も検討されたが、没落した実家にマチルダの戻る場所はもうなかった。フェルナー伯爵家としても、これ以上の醜聞を避けるため、離縁は認めなかったらしい。

 二人は夫婦でありながら、互いを憎み、責め合い、冷え切った関係のままで生きていくしかなくなったのだ。

 マチルダは今やフェルナー伯爵家の中で、使用人同然の扱いを受け過ごしているらしい。まるでかつての私のように。

 リエラを捨てるんじゃなかった、リエラはもともと俺の物だったんだ。ニルス様は場末の酒場で酔ってはそんな未練がましい泣き言を言っているそうだし、マチルダはマチルダで、いまだに他家の独身の令息に手紙を送りつけるなどしているという。そのせいで、フェルナー伯爵家はますます貴族たちから敬遠されているようだ。

 

 ……と、これらの話は何人ものご令嬢たちからの手紙に書いてあった内容だ。

 今や私のもとには、親交を結びたいというご令嬢からの手紙が、次々と届くようになっていた。その中には、王都の出来事や社交界の噂話が綴られたものも多くあった。

 空いた時間にそれぞれの手紙に返事を書きながら、かつて家族であったあの人たちのことを思う。けれど、私はもう以前のように、心乱されることはなかった。

 私は今を、このリングレンの地で精一杯生きるのみだ。

 大好きなレオン様と、大切な仲間たちに囲まれたこの地で。

 これから叶えていきたい夢や、明るい未来への希望が、こんなにも胸に溢れているのだから。


 また長く厳しい冬を越え、深い雪がようやく溶けた頃。

 工房の裏では、西の空が茜色に染まり、夕日がゆっくりと山の稜線へと沈んでいく。

 黄金色の光が薬草畑を優しく照らし、一面の緑を琥珀色の絨毯のように輝かせていた。

 時折冷たい風が吹く中、私はエマと並んで畑にしゃがみ込み、最近新たに発見し植え替えた、一株の薬草を見つめる。葉を一枚摘み取り、指先でそっと揉むと、昼間よりも柔らかな香りがふわりと立ち上った。


「……うん。ね、エマ。やっぱりこの薬草、夕方になると、香りが少し変わるわね」


 エマの鼻先にその葉を持っていくと、彼女はうさぎのように鼻をピクリと動かしながら匂いを嗅いだ。


「本当ですね! 昼間より甘くて優しい香りがします!」

「そうでしょう? この違いが、加工した後にも残るのかどうか、今度はそれを確かめてみようと思うの」


 そう言うと、エマが小さく頷きながら私を見つめる。

 

「化粧品って香りも大切ですものね。もしかしたらこの薬草も、使えるかもしれませんよね!」

「ええ。明日から採取した時間を記録して、加工後の香りも比べてみましょう」

「はい、リエラ様! ふふ、また忙しくなりますね」


 楽しそうに笑うエマに、私も自然と笑顔になる。


「そうね。でも、その時間がすごく楽しいの」

「私もです!」

 

 私たちは顔を見合わせ、くすくすと笑い合った。

 その時だった。


「リエラ」


 私の名を呼ぶ優しい声に、条件反射のように心臓が跳ねる。

 振り返ると、そこには微笑みを浮かべた夫が立っていた。


「レオン様……! わざわざこちらまで……?」


 彼の顔を見ただけで、自然と頬が緩む。立ち上がり、近付きながらそう問うと、レオン様は小さく頷いた。


「ああ。仕事が片付いたから迎えにきた。一刻も早く、君の顔が見たくてね」

「ま、またそんな……」


 頬が熱くなると同時に、背後からエマの小さな笑い声が聞こえた。


「工房の片付けと戸締りは私が責任を持ってしておきますので、今日はもうお帰りくださいませ、リエラ様」

「え、いいの? エマ」


 振り返って尋ねると、エマは満面の笑みを浮かべた。


「もちろんでございます! 鍵はお屋敷の使用人の方に渡しておきますので。お疲れ様でございました、リエラ様。また明日」

「ありがとう。ええ、また明日ね」


 いつの間にか、夕日が山の向こうへと沈みかけている。

 

「後を頼むよ、エマ。……帰ろう、リエラ」

 

 レオン様はそう言って、ごく自然に私へ手を差し伸べる。

 私も迷うことなく、その大きな手に自分の手を重ねた。

 指先が触れ合った瞬間、彼が嬉しそうに目を細める。胸が甘く疼き、心がふわりと躍る。

 手を繋いで馬車まで歩きながら、レオン様が私の顔を覗き込んだ。


「今日は何だかやけに嬉しそうだな。何かまたいい発見があったのかい?」


 そう問う彼を見上げ、私は自分の気持ちを率直に伝えた。


「いえ、さっきエマと挨拶を交わして、しみじみと思ったんです。毎日レオン様と、おはよう、ただいま、おやすみって言い合える幸せとか、大好きな友人に、また明日ねって伝えられる喜びとか。大切な人たちに囲まれて日々を過ごしている今が、何だか私には夢のようで……」


 すると、繋いでいるレオン様の手に力がこもる。


「夢ではない。ここが君の居場所だよ。このリングレンの地が。そして、私の隣がね」

「……レオン様……」

「今やこの地に暮らす誰もが、君のことを慕い、大切に思っている。君が重ねてきてくれた努力の結果だ。……でももちろん、一番強く君を想っているのがこの私であることは、忘れないで」


 そう言うと、レオン様はすばやく身をかがめ、私の頬に口づけた。


(あ……、甘々なんだから、レオン様ったら……)


 全身の体温が上がり、私は照れて俯く。

 けれど、私は分かっていた。

 愛されずに冷遇されて生きてきた、かつての私の人生。

 レオン様の過剰なまでの甘い態度や言葉の数々は、きっとその頃の私の寂しさまで、満たそうとしてくれているからなのだと。

 いつしか気付いた、彼のこの大きな深い愛情に、私はこれからも精一杯応えながら生きていく。

 馬車が見えてきた。冷たい風が吹き抜け、レオン様が手を離し、外套を広げるようにして私の肩を抱き寄せる。

 どうしようもなく幸せで、私は思わず笑みをこぼした。

 ここが私の帰る場所。

 これから先もずっと、大切な人たちとともに、私はここで生きていく────。




 

      ─── end ───


 


 最後まで読んでくださった皆様、ありがとうございました。


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 よろしくお願いいたします(*^^*)

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