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もう戻ることはありません! 〜 実家と婚家で冷遇されてきた地味令嬢は、辺境伯領で薬学の知識を振るいます 〜  作者: 鳴宮野々花


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58. 次から次へと

「てめぇ……! 誰に向かってそんな口聞いてやがる」


 ニルス様は頬を引きつらせながら、唸るような低い声を上げる。


「俺に気に入られたくてこっちの顔色ばっかり窺ってた地味女が、ちょっと家格のいい男と結婚したからってお高くとまりやがって。そもそもお前が辺境伯夫人になれたのは、誰のおかげだ? え? この俺がお前と離縁してあの妹を娶ってやったからだろうが」

 

 なんて無茶苦茶なことを言い出すのか。あまりにも身勝手な屁理屈に呆れてしまう。

 それに、この至近距離にもう耐えられない。

 

「とにかく、離れてください……!」


 そう抗議した時、視界の端に人の姿が映った。

 ほっとしてそちらへと顔を向けた私は、そのまま硬直した。


「二人で何をしているの!?」


 甲高い声を上げ現れたのは、私の侍女でも王宮の衛兵でもない。マチルダだった。その背後には両親、そしてフェルナー伯爵夫妻までいる。

 振り返ったニルス様は、ようやく私の両側についていた腕を下ろし、彼らに不自然な笑みを向ける。


「いや、別に何も? 久々の元妻との再会だからさ、ただ挨拶をしてただけだよ」


 マチルダは言い訳をするニルス様を睨めつけ、その視線を私へと向ける。

 その後ろから、フェルナー伯爵夫人が進み出てきた。


「ニルス、余計な話をしていないでしょうね?」

「し、してねぇよ」


 狼狽えるニルス様と、そんな彼を強い視線で見定めるフェルナー伯爵夫人。

 不穏な空気の中、マチルダが私に向かって言った。


「……随分とお元気そうね、お姉様。びっくりしたわ。あんなに地味で目立たない人だったのに、まるで別人じゃない。こんな華やかなパーティーで、夫婦で誰よりも注目されちゃって。なんだか分不相応よね。似合ってないわぁ」

「……」


 露骨な嫌みにムッとしたけれど、相手にしていても仕方がない。会話が長引くだけだ。

 私は一度そっと息をつき、彼等に向かって挨拶をした。とにかく早くここから離れ、控え室に入って侍女を待ちたい。


「お久しぶりです、お父様、お母様。フェルナー伯爵様、夫人も、ご無沙汰しております。……マチルダも、元気そうでよかった」

「ねぇ、リングレン辺境伯って、普段からあんな人なの? 違うんでしょ? 社交嫌いで戦好きの暴君って、広く知れ渡っていたじゃない。取り繕っているのよね? 普段はもっと恐ろしい人なんでしょ?」


(……?)


 何が言いたいのかよく分からないが、どうやらマチルダは実物のレオン様を受け入れられずにいるらしい。彼の見目や雰囲気が、噂とは正反対だったからだろうか。


「……いいえ。今日のレオン様は、普段通りのレオン様よ。むしろ、こんな大きな式典でもいつもと何も変わらなくて、私が驚いているくらいよ。レオン様はいつも紳士的よ。優しくしていただいているわ」

 

 そう答えると、マチルダは顔を大きく歪め、一層きつい目つきで私を見据える。一体何が気に入らないのか。聞かれたことに正直に答えただけなのに。

 不思議に思い見つめ返すと、マチルダはフン、と鼻で笑った。


「……まぁでも、やっぱりお姉様は可哀想だわ。娯楽も何もない北の極寒の地に閉じ込められて、つまらない人生を送っているんですものね。初めての王宮に、気後れしてるんでしょう? お顔が強張っているわよ」


(……顔が強張っているのは、あなたたちに囲まれているからなんだけど)


 なぜこんなに食い下がってくるのだろう。私を心配してくれているというわけでは、もちろんないだろう。この子に心配されたことなど、人生で一度もなかったし。そもそもこの子は、さっき私の夫であるレオン様に言い寄っていたくらいなのだから。

 そう思いつつも、私は自分の今の生活について正直に答えた。


「閉じ込められているだなんて、とんでもないわ。レオン様は私のことを尊重してくださっているし、やりたいと思ったことは全部させてくださるもの。リングレンの地は薬草栽培に最適で、私にはこれ以上ないほど素晴らしい環境よ。工房まで新設していただいて、毎日充実しているの。とても楽しいわ」

「はぁ!?」

 

 するとマチルダは、突然大きな声を上げる。驚いて心臓が大きく跳ねた。

 彼女は頬をピクピクと痙攣させながら、荒い口調でまくし立てる。


「何を得意げに自慢してるわけ!? 本当だったらこのあたしが、リングレンへ嫁ぐはずだったのよ!? その高価そうなドレスや宝石も、あたしのものだったはずだわ! それなのに……、少しはあたしたちに感謝したらどう!? あたしとニルス様が結婚したから、お姉様の今の贅沢な生活があるんだわ! 何よ! 自分ばっかり……!!」


(……聞かれたことに答えただけなのに。なぜ自慢話ととらえるのかしら。それにニルス様と同じようなこと言ってる……)


 似たもの夫婦だな、などと頭をよぎった、その時。

 外套とショールを手にした私の侍女が、ようやく姿を現した。

 彼女は壁際に追い詰められるような格好で囲まれている私を見て、目を見開く。


「な……、何をなさっておいでなのですか? どうぞ、お下がりくださいませ。こちらはリングレン辺境伯夫人でございます……!」

 

 逼迫した侍女の声に、黙って立っていたフェルナー伯爵夫妻が反応する。


「帰るぞ! ニルス」

 

 伯爵が厳しい声で、ニルス様にそう命じた。すると彼は未練がましい視線を私に一度向け、渋々といった様子で伯爵夫妻とともに去っていく。

 伯爵夫人が「何をしているの! あなたも行くのよ!」とマチルダを叱責し、なかば強引に連れて行った。

 けれど、両親だけはここを動く気配がない。

 侍女の方へ視線を向けると、彼女は私のそばへと歩み寄る。


「申し訳ございませんが……」

「放っておいてもらおう。我々はこのリエラ夫人の実の両親だ。家族だけの、大切な話をしようとしているところだぞ。邪魔をするな」


(……っ! なんて口のきき方をするのかしら……)


 血走った目をした父は、ひどく乱暴な口調で私の侍女を制した。リングレン辺境伯家に勤める者が職務を果たしているだけなのに、それを妨害するとは。

 少しの間逡巡する様子を見せた侍女は、私の方をちらりと見て、小さく頷く。そしてそのまま、足早にどこかへ行ってしまった。助けを呼びに行ったのだろう。

 けれど、三人だけになった途端、父は切羽詰まった表情で私に言った。


「リエラ、緊急事態だ。一度ローゼンに戻ってこい」


 


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